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- 全体の幸福を願う人間は全体主義者だ
- という当たり前の事実を考えなおしてみよう。
- 個人主義・主観主義は全体主義・客観主義とは明確にことなる。
- 全体主義・客観主義は全体・多数決による強制である。あるいは、思考の枠組みを、皆が正しいと思うというだけの理由で押し付けようとする。
- あなたは本当に個人主義者だろうか?客観主義に陥っていないだろうか?客観などというのは自分でものが考えられぬということの証左である。しかし、ある人々の中で客観は仮定でなく事実そのものである。
- では、どのようなことが客観主義によって正当化されているのか
- 戦争を知らない人間がいかにも戦争が悪であるかのように語ることである。
- 彼は政治のことなど知らない。政治など、多くの主観主義者にとって間接民主主義性においては幻想そのものである。かれが実のところ主張したいのはそれによって苦しむ人間たちの存在である…ではなぜそう言わないのか?
- 感情的であることが、客観主義という病では禁止されているからである。彼はそこで、自分を歪めてまでも体験したことのないことを事実であるかのように語らなければならない。誰でも、身内を失ったことのある者は死というものに関して共感する能力があるのだから、それに従えばよいのだ。。。そんな能力が無い奴は戦場に行って死んだほうがマシである。
- 総合的に世の中のためになる、という理由で小さい政府を主張する人間ほど、胡散臭いものはない。彼は個人主義者のふりをした全体主義者である。個人主義者は、誰も他人を理解しえないということから導かれなければならず、それがいかに全体の効率を最適化するものであるかのように思えても、それを根拠として自由を主張することは出来ない。人間は主観しか理解できないのだ。客観は存在しない仮定である。
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