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- オーセンティシティ
- 一「YOSAKOIソーラン祭りJ参加集|司の地域表象のリアリティをめぐって一
- はじめに・一都市人類学からみる「オーセンティシティ]
- 北海道札|悦市の「YOSAKOIソーラン祭り」は、高知の「よさこい祭りを参考にして1992(平成4)年に始められた新しい都市祝祭である。数十人から百数
- |-人の踊り子が lチームとなり、鳥子 【図 1】という楽器を持ち、アレンジした
- 「ソーラン節」 に合わせて路上や広場で踊る。 鳴子を持つことと 「ソーラン節」
- を取り入れるというルール以外、衣装などはすべて自由である。2002年の第11回
- には340チーム、約4万4千人の踊り子が参加した。観客動員数は200万人を越え、
- 終ifr効果も200億円を超すといわれる。旅行会社によってはこの祭りを見るため
- のツアーもある。「YOSAKOIソーラン祭り」の参加集団はそれぞれのチームの
- オリジナリティを表現しようとする。 その際に多く用いられるのが地域性の表IH
- である。
- 行15市社会には自他性があり、相互・-1:.観性がある。自己主張だけでは成り立たな
- し'o それゆえに、都市で表現されるものはイメージや、ときには腕曲的表現のものもあるO 実物そのものでは強すぎるために、「らしさ」が求められることがあ
- るのは事実であるo 従来、観光人類学においては、「オーセンティシティ(au‘
- thentici ty)」の追求が当然、のことと論じられてきた。「オーセンティシティ」と
- は「本物性」「真正性J「本物らしさJをいう。
- しかしながら、イメージや「らしさJだけで人々は心的充足を得られるのだろ
- うか。都市には居住する人がいるo 都Ttiの祭りにおいては、観第:は観光客だけで
- なく\そこに病住する人、また祭りの参加者もf現存となる。「ミル人」/「スル人J
- や「ゲストJ/「ホストJという単純なて項対立的|銅係ではとらえきれない多様
- 性をもっo ここに外部の人間だけを観客の対象とした従米の観光人類学の考えを
- 都市人類学のとらえ方に引き戻す必要があると考える。つまり、「本物らしさj
- などではなく、もっと実体に迫るベクトノレで、都市住民の動態を~111 り起こす必要
- があるのである。
- 本稿では、祭りの参)祭りの参加集団が属する地域社会との結びつきに深く注目したい。
- 具体的には、札幌市豊平区のチームと札幌市以外の地方、ニ三石町
- (みついしちょう)のチームを取り上げる。前者は大賞受賞回数が1番多いチームであり、
- 後者は2002年に初めて札幌市以外の地方のチームとして大賞を受賞したチームである。
- この2チームの対比から、踊りのオリジナリティとして表出される地域性がその地の歴史や生活背景とどう結びついているのかについて考察したい。つまり、都市において表象が生活のリアルな実践をどう反映しているのかを問うのである。
- 1 .「YOSAKOIソーラン祭り」における札幌市のチームの地域表象
- rYOSAKOIソーラン祭りJの日1!りは「ソーラン節」を取り入れるというルー
- ルがある。「ソーラン節Jは掛け):i だけで、ほとんど地域性を表山しないチーム
- もあるが、多くのチームは、波を本-したり、綱を投げたりつい、たりする振りイ、Iけ
- でj如、給付を点す。内開市である札111;~市のチームも漁場で‘はないのに漁業性を表射
- することが多L 、。「札幌市J の地域性の表山は非常に副知tであり、札1j1j~ という部
- 川Jt)) I u刀打が‘地域性’ としてぷ刻するのは、仇々にして、札11~~ という地域では
- なく「北海道」であり、また「漁業(ニシン漁)」というイメージであるo
- (1) 「平岸天神 (ひらぎしてんじん」)
- 本Lif ii~t ・Vi'~ ~ t 1><半j芋lこrfi-,(£する。 「ひらぎし」はアイヌ訴の「ピラ ・ケシ ・イJ
- (i'1:のはずれ〉からきているという。|明治4年(1871)"'~に岩手以から65戸( 62
- I iの説もある)、203人が人材iし、1m桁された土地である。明治初期に開拓使から
- I)ンゴの的木を~q己イ、I されたのをきっかけにしてリンゴの裁蛤-が俄んになり、11{1 不LI
- IJ (1936) 'ij:.tjjtこはf 平r;~ リンゴJ 「札11民リンゴ」としてシンガポールに輸I H さ
- れるようにもなったが、宅地化の進行や道路整備などによりllf{平1146oe11) "rの
- l自卜.~ JIj( H.il1 の凶にはリンゴ閣は姿を消した。 砂1杓fは住宅地、羽i染地で、あるo 場.平
- I>(の人IIは約20万人で、このうち平岸地p(の人口は約2万人である。
- w1111の「YOSAKOIソーラン然りJを開催するにあたり、・f 本として高知の
- 1セントラルグループJというチームが参加した。その断りに触発されて19931.ド
- に結成されたのが「半岸天制リであるo この地には、従米、平討をノミ神LjJ央商応接:j'
- 振興系1l{->;- を文持母J合とするわI(.伴.ノミtill太政Jがあり、それに続く郷土芸能として
- 「、I(.伴氏f!llソーランイ以存会Jをつくった。4つのS、スピード・シャープ・スト
- ロング・スマイノレを断りのJ.i.~本としている。
- 1993年、第21司「YOSAKOIソーラン然り」に初参加・「ヨイヤサ賞」(I〕、1994
- "r 'orr~ 3 •D 大賞、 1995年(第 41lil)大口、 1996年(第 5回)準大賞、 1997年
- (第6I• 11)情火災、1998年(第71日)大賞、1999{手(第8回〉大託、2001年〈第1
- or司)刈知県知必賞〔第別立〕、2002年(第11回)準大賞の受賞股があるω。踊り子数140名、全{本の年齢は17~40歳、平均年齢26歳、男女比は3刻7である。参
- 加費はl万8千円で、高校生以上という条{/|τがあるが、踊りのレベノレが相当に高
- く、平-序居住者も敬遠してしまうようなチームである。当初は平岸地区の人が多
- かったが、~J在は平-岸地区の踊り子の方が少ないそうである。1999年には小学生
- 対象の「平j市天filジュニアJも誕生した。断りの振り付けは1998年まではプロに
- 紛っていたが、1999年からは白分たちで創作している。曲はプロの業者に依頼す
- る。鳴子はオーソドックスなr!tミ子である。毎年、漁業性に強く制執し、ニシンぬ
- の大漁を願い、喜ぶ漁師(ヤン衆)の姿の表現する。l枚1枚柄の迷う長半縦
- (漁師の衣服は少しでも他者と巡うものにすることから〉ωを析て、地方車(じか
- たしゃ:音符機材を搭載して装飾を凝らしたトラック〉でも波を表す。地方車に
- はこの他に、ぷネ1太鼓も拡載する【写真①②】。
- (2) 「平岸天神Jに対する観客の反応
- 人気チームで、このチームが出場すると観客の拍手も一段と多くなる。しかし、
- 2002年の「YOSAKOIソーラン祭りJでは側諸:に今までにない変化がみられた。
- この低踊りが始まるに際し、長い前LU:があった。それは次のようなものであっむ
- 「持はよかったなあo 界になるとよ、浜がニシンであふれかえったもんだ。真っ
- 以に日焼けしたヤン衆の威勢のええかけ声が聞こえてくりや、今日も大漁だ
- でぇ・・-。」
- これに対して観客に明らかな反応がみられた。
- ①「え?、IL岸の‘昔’はリンゴだろう。J(大通公圏西8丁目/メインステー
- ジ:男性、これに対してうなずく周りの数名)
- ②「あんな紺!い身体で、あんな細い腕で、漁ができる訳がない。もともと説
- 得力がない。」
- ③ 「余計なことは言わないえfがよかったのに。J
- ④ 「あのセリフは野容ったい感じがした。」
- 〈②~④は祭り終了後の感想で、実際の漁場のチームの人々:男女)
- ⑤ 「『昔はよかった』って、まるで大賞をたくさんとっていた『平岸天神Jの
- 昔を懐かしんでいるみたいだ。J(平岸会場:男性)
- イメージとしての漁業という許容範聞を必えてしまった、今までにない明らか
- な・: i・~’として発せられたメッセージに制約:は述和感を党えたと与えられる。
- 2.「YOSAKOIソーラン祭り」における札幌市以外の地方のチームの
- 地域表象
- 札幌市以外の地方のチームも札幌市と同様に、漁場ではないのに漁業性を表す
- こともあれば、別のもので地域表象をすることもある。例えば、上別市のあるチー
- ムはこの地に牧羊の農場があるということでヒツジ型鳴子を使用する{心。網走市
- のチームは市内の水族館にクリオネがいるということでクリオネ型的子を使用す
- る。このl!I~子は網走刑務所;の受刑者が製作したものだそうである{九北見rljのチー
- ムはこの地峨が簿荷の産地ということで簿荷の色で滞街の祷りをしみ込ませた衣
- 装で踊る{ω。石狩市のチームは鮭のーやを踊りで表現し、鮭の絵のついた法被や
- 編笠を身につけ、イクラ/稚魚/成魚/ほっちゃれ〈産卵のために川に戻ったメ
- ス)に分かれて踊る{九これらはほんの一例であり、札幌市以外の地方のチーム
- の地域表象は多様で些かである。
- 2002年、第11回「YOSAKOIソーラン祭り」の大賞受賞チームは初めて札幌市
- 以外の地方のチームであった。それが次にあげる「三石なるこ会(みついしなる
- こかい〉」である。
- (1) 「三石なるこ会(みついしなるこかい)」
- 北海道三石郡三石町に所在する。「みついし」はアイヌ訟の「ピットウシJ(小
- むの多い土地)からきているという。天明6 (1786)年に阿部屋伝七が三石場
- 所ωの請負人となって漁業を営んだ。当時は、戸数30余、人口140余人であった。
- その後、場所制度が廃止されるが、後を継いだくこ代しI)小林電古川が、「小林
- 屋」と名乗り、本j・I、|に魚や昆布を送る商売を始めた。明治の初期から「, ,却jにかけ
- て、徳島、兵庫、岩手、福井の入植者が農業を、また、新潟からの入組汗が漁業
- を始めた。明治39(1906)年に三石村となり、その後、昭和26(1951)年に.:.石
- 町となる。現在の人口は約5千人で漁業・牧畜・農業が主な産業であるo 特に昆
- 布(学名「ミツイシコンブ」〉と軽種馬(競争馬:オグリキャップ、ハクタイセ
- イ、アグネスフローラなど)で有名な土地である。
- 従来の三石の郷土芸能としては、淡路地方からの入稿者による「淡路おどりJ
- (蛍穣を願う踊り〉、岩手県からの入植者による「南部盆おどりJ(年貢米を納め
- 部ii祝祭における「オ一センティシティ」(IJ考57
- られず、代わりに使役労働を行ったが、そのツj’fi/Jの山しさの必さlt'tらしとして踊
- られたのが始まりといわれる)、tliUI:以カ〉らの人縞者・による「位前おどりJ(開拓
- の,'•',:燥の中で· ,I次提!I~ を似んだ~I日り)、また、「二;Z i~tl1li子舞」があるo 「三石獅子舞」
- は叶初、各地区.の入品1'i11-のJII身地の各々の}j式により祭典に奉仕していたが、都
- 合によっては中断することもあった。昭和10年利志、が復活に,忘し、昭和12年から
- 水政訂作l:filが祭典fi・ ~11:とした。その後、新潟以出身ぷ-によって今円の獅子舞の基
- 礎が隊"irされた。
- このような郷|:必能も一部の人のみのもので、特にi也ノ己でぷーもほ史があり規模
- も人-きい-~イ~fl[!付の秋祭りがだんだん;j支しくなってきた。そのために、誰でも参
- 加lできる何かをれI/りたいとの希切から、テレビで「YOSAKOIソーラン祭り」の
- 映像をμた代ぷ、例11:妹己( (さかいしゅみこ)さんが中心となって、1993年
- 発JEしたのが「:ィiなるこ会Jである。札幌以外の地方のチームとしては最初の
- 参加チームとなった。
- 19941.'ド、第3'"'「YOSAKOIソーラン祭りJに初参加・北海道尚知県人会会長
- 丘、19954f(第41111) 約丹・lllf賞、1996年(第5!iii) ベストドレッサー賞、1997年
- (第6Lu I) 準大穴、1998年(第7f1])優秀火、1999イ| ミ(第sr司)準大賞、2001年
- (第lO ln l) 札111;~rli k 1:〔第4f,[〕、2002年(第11凹)大賞の受1't歴がある。
- 現在のチームの人数138名、年齢は11~73歳、平均年齢45歳、男女比は1対9
- (踊りfは全ll.kt1l:、児性はスタップ)である。役員の配偶者(男性、5人)が
- 「終結隊J(おしどりたしっとして協力する。人るにi探しての条件はrj1学生以上
- (却は一緒の財合のみ小学生も可)である。主婦と社会人が多く、中学生・高校
- 生は約20人である。役員として、会長、副会長、終末吉隊、事務局長、会計〈全部
- で16人〉をおく。任期は1 年で再任もある。~I 初は三石町の人のみだったが、江
- 別rjj(札幌市に|燐按)の知り合いに声をかけたのがきっかけで、現在は江別市や
- 札幌市の踊り子も35人(江別28人、札幌7 人)いる。代~は江別市まで週2 回通っ
- て断りを教えている側。三五町の踊り子は圧倒的に主婦が多いためにどうして
- も家庭のF伊附などでやめていく人もいるが、全体のうち三石町の踊り子が半数を
- 切ったらチームのμ統は考えていないと代表はいう。「YOSAKOIソーラン祭りJ
- に参加し、受1;rチームの常辿となり、それまでは札幌ではあまり知られていなかっ
- た「三石町」の知,~,皮.をあげることとなった。
- 焔りの特徴は漁業性、浜の友性の力強さを表現するo緋!を号|く化種は侮-年必ず
- 人れ、揺れる昆布、r.t被を脱いで向すなどの仕種が見られるo 踊りで(- の身体は筋
- 肉がたくましく、それは漁業をはじめとした??働をしている人の身体である。断
- りは年ごとにテーマを決めている。1994年「ソーラン釘Jj、1995年「サラブレッ
- ドのふるさと」、1996{1て「大漁一一浜の勇ましさ」、1997年「大漁一一浜の児の勇
- ましさと海J、1998年「大漁一一浜のかあちゃん達の明るさ」、1999年「大漁一一
- 浜の女の堅と夜の顔」、2000年「YOSAKOIソーラン祭り」、2001年「三石の阿季」、
- 2002年「Peace& LoveJOt'である。参加賀は、年会費3T円、衣装のクリーニン
- グ代が年間3千円、ケガなどに対処するための保険料5百円の計6千5百円であ
- る。運営資は700~800Jj円でスポンサーはつかないが、後援会やlTの応援聞から
- の援助があるo 衣装は|’ | 分たちで大漁旗を不IJ~I J して作ったリバーシブルCJ ;ソJ は
- 濃紺で、‘みついじのi土|い文字が入る〉の法被である0 la1iりの振り付けは臼分
- たちで創作したものを東京のプロにみてもらって仕ヒげる。曲は東京のプロの業
- 者に依頼する。|鳴子はオーソドックスなl鳴子である。地}j車にも船を使用してい
- る。この船は船大工に依頼した本物の船で、中に鉄材も入っており、外して海に
- 浮かべれば浮かぶものである【勾.兵③④】o 地方のチームとして初めて誕生した
- チームであったために予木にしたいとの要望が多く、:う初は道内のイベントに年
- 30回ほど遠征していたが、イベントの多い夏はちょうど昆布漁の忙しい時期で、
- 今では遠征は年5日ほどである。
- (2) 「三石なるこ会」に対する観客の反応
- 1994年の第3回「YOSAKOIソーラン祭り」に初出場したときは、平均年齢が
- 1高い女性の集団に、冷やかな眼差しも感じられたそうであるが、回を重ねるにつ
- れ、そのファンも増えている。観客の反応には次のようなものがある。
- ①「あっ、三石だ。J「三石が来たぞ。」(大通パレード北コース桟敷席、なら
- びに向かい沿道の人々:男友)
- ② 「もうすぐ三石よ。これを見てから帰りましょう。J(大通パレード北コー
- ス桟敷席:女性〉
- ③ 「ょっ、みついし!」(大通公圏西8丁目/メインステージ:男性、「三石
- なるこ会Jの代表によると毎年、このように声をかけてくれる男性がいるという)。
- このような観客の反応から「三石なるこ会」が観客に「待たれている」存純で
- あることがわかる。
- 3. 考察
- 「平岸天糾リの前utはその本当の地域性を意識させてしまう(地域性を問う)
- 明らかな言葉として発せられたメッセージであり、それはこれまで持容されてい
- た範IB:Iを超えてしまい、その結果、制客は違和感を感じたと考えられる。身体表
- 現だけでなく言語化された表現内符はその真偽が問われることとなったのである。
- 一方、「三石なるこ会」の踊りは、その日常をもとにした雌かな生活感覚から
- 作られているO 実際に網を投げ、iJIき、毎日浜風を身体に受けている人々が作っ
- た踊りで、実体験に基づいている。それは「本物Jであり、観平等も納得している
- のである。「平岸の踊り子は’線’に見える。三石の踊り子は‘丸’に見えるJ
- という怠見がある。二石の踊り子の筋肉は観客にとっても間迷いなく納得できる
- リアリティなのである。演者のリアリティと観客のリアリティが共感しているの
- である。
- おわりに一一「オーセンティシティ」より「リアリティ」
- 「YOSAKOIソーラン祭りJにおいては、オーセンティシティ(本物らしさ)
- が権威を持つのではなし、。イメージで漁業性を表現しても桃わないのであるo 目前
- りそのものを競っており、より本物らしく装っているから人々の4評価が高いとい
- う訳ではない。「平岸天神」の人気は「漁師らしさJの表現が系-附らしいからで
- はなく、踊りのがレベルが高かったからなのである。
- 都市は「本物」そのままの表現ではなく、イメージであったり、それを鋭FIU的
- に表現したりしても備わない。100パーセントの「本物Jを都11iに持ち込む必要
- はないし、それは困難であることが多い。ある程度の洗練度が求められ、多様性
- があるのが都市だからである。振り付け、曲、衣装、地方車はプロの手に任せて
- も構わない。商業地であり、専門家がいる都市においては、プロのす.tこ頼っても
- 構わなし、。それは許容範凶なのである。
- しかし、「らしさJすらも求められていない、イメージでもいい祭りだからと
- いって、「本物」が無意味というのではまったくないのである。活安なのは、イメージだけでいい、あるいは「らしさ」だけでいいとするのではなく、やはり
- 「本物」のみ-に向かおうとする「方向性Jなのである。「木物」はイメージよりは
- るかに強く確’'.kに人々に受け入れられ、承認されている。人々が本当に納得し、
- 心的充足をねられるのは、オーセンティシティ(本物らしさ)よりもリアリティ
- (実体)なのである。振り付けなどはプロの手に任せても、踊り子だけは地の素
- 人である。チームのけlにはジャズダンススタジオのチームもあるが、踊り子はう
- まく踊れるのが当たり前であって、観客はあまり感動していなし、。「普通の人々」
- が断るというこの祭りのお:つ本質一一「放もが参加できる」というのはある樟の
- リアリティであり、これだけはどうしても淡れないのであるo 村議では祭りにお
- いて、リアルなものを断れてヴアーチャルな1:界に浸る傾向がある。逆に、卜l常
- がヴアーチャルなものであふれている郎市では、祭りという非日常の場而におい
- てはリアルなものが希求されるo 実感できるもの、I]己実現できるもの、旅かな
- 身体感党が必ト1£ なのである。日常にないものを取り戻すのが祭りなのである。
- イメ芯首IP.J・(31:せ)において、筆者は、「YOSAKOIソーラン祭り」における参
- 加集団の分類と特徴にみる都市性と縦ポ性について論じた。そのI~I で、地域密着
- 型チームの事例のひとつとして札幌市北ほの新稼似(しんことに〉の「新-琴似天
- 鉾能神(しんことにてんぷりゅうじん)Jというチームを取り上げた。新琴似と
- いう地は屯EH只が開拓したす:地で、このチームは開拓の精神を表現する。札幌市
- j)すだけでなく辺内道外にもこのチームのファンは多し、。踊り子は屯出兵の子孫と
- いう択ではないが、この地は屯吐l兵が開拓した土地というのは事実であり、その
- ~.n:夫を地域表象の拠り所とする姿勢にはまさに「本物・リアリティ」を求めよう
- とする「ノj向性Jがあり、そのことが人々をひきつける集団としてのエネルギー
- となっていると考えられるo
- 「YOSAKOIソーラン祭り」は新しい民俗であり、地域の歴史や生活背景とは
- 1r圧倒係に創造されているように思われがちだが、三,{ -jUりや新琴似の例からもわか
- るように、新しい民俗の創造には笑際の生活が強い越盤となっている。地域に根
- ざしたと七店の’t;r;みの上に新しい民俗は創造され、それは「本物」であるがゆえに、
- 隠るぎない強さをもっているのである。都市研究の民俗学や人類学も、「本物ら
- しさjだけでよしとする方向ではなく、生活の実践に結びうるリアリティをすく
- い上げていかなければならないと考えるのである。
- <付記>
- 本稿は口本民俗学会第5'1四年会において偶人発表したものをもとに加筆・修正してまと
- めたものである。
- また、本稿をまとめるにあたり、「三石なるこ会」の皆様〈代表、酒井珠己子さん)にご
- 協ノjをいただきました。ここに厚くお礼を巾し上げます。
- <注>
- 1() 「ヨ イヤサ」とは高知の「よさこい祭り」における踊りの掛け声で、「YOSAKOJソー
- ラン祭り」が始まったと当初にあった賞である。TIの種類は毎年変わり、現在ではこの貨
- はない。
- (2) 2000年第9回には会場で爆発-!- JI'.件が起こり、その影響でコンテストは中止された。
- (3) 漁師の仕事は危険度がi:-:1く、海難事故の場合、人相が変わってしまい、人の判別がつ
- きにくくなるために、少しでも特徴のある衣服を身につけるということである。この1
- 枚1枚柄の違う長半織のな昧については、2001年、第3回「にっぽんど只ん中祭りJ(名
- 占屋)に遠征参加した「平岸天神の」チームの代表から祭りの司会者が聞いた話として
- ステージで紹介したものであるo この長半纏は「平岸天神ソーラン保存会」の:Eli引長の
- 犬人が縫ったものであるo
- (4) 「夜咲恋そうらんサムライ士日lj wiLh三好フージャーズ(よさこいそーらんさむらいし
- べつういずみよしふーじゃ一ず)」というチームである。
- (5) 「yosakoiソーランあみばしりJというチームであるo I!鳥子の色・形は本文図lのよ
- うなオーソドックスなものから、衣装の色に合わせたもの、また、士別市や網走市の例
- のように、地域性が表されたものやチームの個性を強調するために大幅に形を変えたも
- の(例えば、柄を切り認めて手の甲に閤定する手甲型)など多種多様である。
- (6) 「薄荷市子(はつかどうじ)」というチームであるo
- (7) 「石狩流星海(いしかりりゅうせいかいけというチームである。
- (8) 「場所Jとは総前藩とアイヌの交易の場をいう。本州からの米やたばこ・とアイヌの魚や
- 昆布などが交換された。
- (9) 「小林軍吉Jという名はこ代続いた。
- (10) 札幌市ではチーム数が多く、練習する場所がなかなかとれないために江別市で行うそ
- うである。
- 01) 2001年9月に起きたアメリカの同時多発テロ事判二に対してのメッセージであるo
- ーSIMPULAN=
- KESIMPULAN REALITAS LEBIHDARI OUTENTISITAS
- 「YOSAKOIソーラン祭りJにおいては、オーセンティシティ(本物らしさ)が権威を持つのではない。イメージで漁業性を表現しても構わないのであるo 踊りそのものを競っており、より本物らしく装っているから人々の評価が高いという訳ではない。「平岸天神」の人気は「漁師らしさJの表現が素晴らしいからではなく、踊りのレベルが高かったからなのである。都市は「本物」そのままの表現ではなく、イメージであったり、それを婉曲的にに表現したりしても構わない。100パーセントの「本物Jを都市に持ち込む必要はないし、それは困難であることが多い。ある程度の洗練度が求められ、多様性があるのが都市だからである。振り付け、曲、衣装、地方車はプロの手に任せても構わない。商業地であり、専門家がいる都市においては、プロのす.手こ頼っても構わない。それは許容範囲なのである。
- しかし、「らしさJすらも求められていない、イメージでもいい祭りだからといって、「本物」が無意味というのではまったくないのである。重要なのは、イメージだけでいい、あるいは「らしさ」だけでいいとするのではなく、やはり「本物」のみ-に向かおうとする「方向性Jなのである。「木物」はイメージよりはるかに強く確実に人々に受け入れられ、承認されている。人々が本当に納得し、心的充足をねられるのは、オーセンティシティ(本物らしさ)よりもリアリティ(実体)なのである。振り付けなどはプロの手に任せても、踊り子だけは地の素人である。チームの中にはジャズダンススタジオのチームもあるが、踊り子はうまく踊れるのが当たり前であって、観客はあまり感動していない。「普通の人々」が踊るというこの祭りの持つ本質「誰もが参加できる」というのはある種のリアリティであり、これだけはどうしても護れないのである。 村落では祭りにおいて、リアルなものを離れてヴァーチャルな限界に浸る傾向がある。逆に、日常がヴァーチャルものであふれている都市では、祭りという非日常の場而においてはリアルなものが希求されるo 実感できるもの、自己実現できるもの、確かな身体感覚が必要 なのである。日常にないものを取り戻すのが祭りなのである。
- 本誌前号31号において、筆者は、「YOSAKOIソーラン祭り」における参加集団の分類と特徴にみる都市性と継承性について論じた。その中で、地域密着型チームの事例のひとつとして札幌市北区の新稼似(しんことに〉の「新-琴似天舞能神(しんことにてんぷりゅうじん)Jというチームを取り上げた。新琴似という地は屯田兵が開拓した土地で、このチームは開拓の精神を表現する。札幌市内だけでなく道内道外にもこのチームのファンは多い。踊り子は屯田兵の子孫という訳ではないが、この地は屯田兵が開拓した土地というのは事実であり、その事実を地域表象の拠り所とする姿勢にはまさに「本物・リアリティ」を求めようとする「方向性Jがあり、そのことが人々をひきつける集団としてのエネルギーとなっていると考えられるo
- 「YOSAKOIソーラン祭り」は新しい民俗であり、地域の歴史や生活背景とは無関係に創造されているように思われがちだが、三石町や新琴似の例からもわかるように、新しい民俗の創造には実際の生活が強い基盤となっている。地域に根ざした生活の営みの上に新しい民俗は創造され、それは「本物」であるがゆえに、揺るぎない強さをもっているのである。都市研究の民俗学や人類学も、「本物らしさjだけでよしとする方向ではなく、生活の実践に結びうるリアリティをすくい上げていかなければならないと考えるのである。
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