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- 再度e-sportsの競技性について思考
- ■競技性とは何か
- 競技性とは運の大小のことではない
- 競技性とは、そのゲームにおいてトレーニングしないと出来ない行為や
- 知識、経験の蓄積、運要素のコントロール技術も含め、それらがスコアに反映され同時に勝敗に正しく反映されるかどうか
- それが競技性が "ある" か "ない" かということ
- またその実力の幅が大きければ、競技性が "高い" という
- しかしこれら競技性について数値化することをせずに、どちらのゲーム、ルールが競技性が高いか低いかということは論じる事は出来ない
- ここで私なりの競技性についての定義を書いてみよう、もちろんこの言葉は造語だから正式な定義はない
- 競技性ってのは過去の知識とか経験の蓄積が必要で
- さらにそれを習得するためにはトレーニングが必要でそれを
- 新規参入者が習得する際に必要な平均習得時間が長いほど競技性が高いと呼び
- その時間が短いほど競技性が低いと呼ぶ
- また、その平均習得時間の限界がより大きいものを競技としての限界がより高い状態であると言う意味で "競技性が高い" とも言う
- 短いプレイ時間で技術の天井に到達するのであればそれは "競技性は低い" ということだ
- もちろん競技性という言葉に対する共通の認識が世の中に存在するわけでもないし
- 人によって競技性が高いという状態がどのようなものかという認識も違っているだろうし
- いずれにせよそれが数値化され無い限り、どちらゲーム/モードが競技性高いかなんてことは口が避けてもいえない
- 「俺はこのゲームのほうがこういう理由により面白いと思う」ならいいが「こっちの方が競技性が高い」なんて言うことは出来ない
- それは間違いかもしれないのだから、それを突っ込まれても当たり前。
- 競技性は高いかもしれないし、低いかもしれない、どちらもわからない。
- ■読み合いと書いて運と読む
- 読み合いというのは結局は人間の脳内で選択された運である
- 相手がグーを出すのを読んでパーを出したとしても相手がチョキだったら負ける
- これだけだったら完全にただの運でじゃんけんでしかないが、人間が意思決定している以上そこにはなんらかの傾向が現れる
- 対戦相手プレイヤーの過去の傾向から次の手を予測可能(できるかもしれない)な運なのだ
- たとえば最初は必ずグーを出す人間や、あいこだったときに同じ手を出す人も居る(自分では気づかずに)
- こういった過去の傾向を調べたりする、ゲーム以外のゲームのことをメタゲーミングと呼ぶ
- ■運の要素がないゲームの問題点
- 運の要素がないゲームで問題なのは、すべての手が判明したとき
- その状態では競技性が高いとは言えない、選択肢が存在しないから
- たとえばチェスはコンピューターによりすべての手が解明されているため確定で勝てる手順がある
- そういったスーパーコンピューターと対局したときに、この状況を果たして競技性が高いゲームであると呼べるのか
- いくつかのゲームでは「この戦術使えば確定で勝てるじゃん」みたいな戦略が存在する
- 果たしてそういったゲームに競技性があると言えるのだろうか
- 運の要素がないゲームはそういった「すべての手を研究されたときの脆弱性」という問題がある
- もちろんそうならないように分岐の数が開発されていて最近のコンピューターでも未だにすべての手は解明されていないゲームが多い
- 逆に言えばすべての手を解明されないようなゲームを設計することにより、「運の要素がない」ゲームは成立している
- 例えば将棋や囲碁
- ■選択肢を減らしても競技性は上がらない
- 競技性ってのは選択肢をひとつにすることではない、選択肢が複数ある中からどれを選ぶかというのも
- 競技に含まれるし、選択することが競技ではないなら、なぜARを選ぶかSMGかSRを選ぶかというルールを作ったのか
- それと同じくらいどのSMGにするかというのも競技性に含まれる
- どの選択肢を選ぶかというのも知性であり、知的な競技だ
- 流行している武器を予測してそれに対するアンチテーゼとなる武器を使用して優位に立とうとする
- こういうのをメタゲーミングという
- たとえばCounter-strikeというゲームにも敵を倒して獲得した資金を元に、どの武器を買うかという戦略(競技要素)がある
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