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- 第一章 融合
- 「ん……う……」
- が目を覚ましたのは、な天蓋付きのベッドの上だった。
- 数度きをしたのち、ぐるりと辺りを見回す。
- 広い部屋だ。にはアンティーク調の棚やクロゼット、枕元にはた照明が置かれている。高級そうなの敷かれた床に、カーテンの隙間から差し込む光が、キラキラと線を引いていた。
- な寝室での、うららかな目覚め。なんとも優雅なことである。
- 問題といえば──目に映るもの全てに、まったく見覚えがないことくらいだった。
- 「ここは……」
- ぽつり、とく。寝起きのためか軽く耳鳴りがして、自分の声さえあまりよく聞こえはしなかったけれど。
- 無色は頭に疑問符を浮かべながら、思考を巡らせた。
- ──自分は無色。年齢は一七歳。東京都に住む高校生だ。それは覚えている。
- 眠りに落ちる前の最後の記憶は……家への帰り道。
- そうだ。無色は学校から帰宅している最中だった。こんな場所で目覚めるということは、その際何かがあったということだろうか。
- ……何者かに拉致された? 車にかれ天国にやってきた? 酒に溺れ行きずりの女と一夜をともにした? ……どれも現実味がない。
- ということは、まだ夢を見ているのだろうか。
- 無色はぼんやりとした意識のまま頰をつねってみた。あまり痛くはなかったが、これが本当に夢なのか、指先に力が入っていないだけなのかは上手く判別できなかった。
- ともあれ、このままここにいても仕方あるまい。
- 無色はベッドから降りると、そこにあったスリッパを突っかけ、そのままよたよたという足取りで扉を開けて、部屋を出ていった。
- と──
- 「え……?」
- そこで、無色は思わず目を丸くした。
- 部屋の扉を通ると同時、まるで瞬間移動でもしたかのように、無色を包む景色が様変わりしてしまったのだ。
- 天には太陽と青空。地にはまっすぐに延びた舗装路。道の合間に噴水や街路樹などが配置され、申し訳程度に自然が差し挟まれている。そしてその道の先には、壮麗かつ豪壮な屋舎が、玉座に座する王の如く泰然とえていた。
- 無色の知るそれとはまるきり異なる様相ではあったが、どことなく、学校施設のようなを漂わせる景色である。
- 無色は突然のことに戸惑い、後方を見た。
- だが、先ほどまで無色がいた寝室は、影も形もない。
- 一体何が起こっているのか理解できず、無色はふらつく頭に手を置いた。
- 「……やっぱり、夢?」
- しかし、いつまでもそうして思い悩んではいられないようだった。
- 理由は単純なものである。ここには、先ほどの部屋と異なり、ちらほらと人の姿があったのだ。
- 学生だろうか。揃いの制服をった少年少女たちが、前方の巨大な建物に向かって歩みを進めている。
- そしてそのうち数名が、突然現れた無色に驚いてか、その場に足を止め、目を丸くしていた。
- 「あ──」
- 無理もあるまい。突然から人間が現れれば驚くのは当然だ。……まあ、一番驚いているのは間違いなく当の無色本人ではあったけれど。
- とにかく、今は自分が不審者でないことを説明しつつ、ここが一体どこなのか情報を得ねばならない。
- 無色はもっとも手近にいた女子生徒に向き直った。
- 「あの──」
- が、無色の言葉を最後まで聞くこともなく。
- 「──おはようございます、魔女様」
- その女子生徒は、しく礼をすると、そう挨拶をしてきた。
- 「……え?」
- 予想外の反応に、目を丸くする。
- すると周囲にいた他の生徒たちも、遠巻きにではあるが次々とをしてきた。
- 「おはようございます」
- 「ごきげんよう、魔女様」
- 「今日もおですね」
- 「…………?」
- 生徒たちの言葉に、無色はキョトンとその場に立ち尽くした。
- 、それだけではない。後方から現れた教師としき壮年の男性までもが、
- 「おはようございます、学園長先生」
- と、丁寧に挨拶をしていった。
- ──魔女様。
- ──学園長先生。
- 今し方かけられた聞き慣れない言葉に、さらに無色は首をげた。
- 少なくとも、今までの人生でそう呼ばれたことはない。
- というかどちらも、無色のような男子高校生を指して言うような呼称ではないように思われた。
- 「……ん?」
- と、そこで。
- 困惑の中、なんとはなしに自分の身体を見下ろし──無色はようやく気づいた。
- 自分の足が、見えない。
- もっと正確に言うならば、目と足の間に障害物があり、視認を阻害している。
- 「なんだ……これ」
- 胸元に備わった、見慣れぬ大きな塊。
- 無色はしばしの間考えを巡らせたのち、おもむろに両手でそれに触れてみた。
- 「ん……っ!?」
- 瞬間、手に柔らかな感触が伝わる。
- と同時に、胸にかな、甘い刺激が生じた。
- 「こ、これって……」
- 明らかに、作りものではない。
- この柔らかなものは、無色の身体から生えている。
- というか、それを触る手や指も、無色の記憶にあるものよりも細く、白い色をしていた。
- 「…………」
- 一連の情報を統合し、無色はその場から駆け出した。
- 道の中央にえられていた噴水に至り、そのをき込む。
- そして、そこに映し出された『自分』の顔を見て、無色は言葉を失った。
- それはそうだ。そこに映っていたのは、見慣れた男子高校生の姿ではなく──
- 長い髪と極彩のを持った、美しい少女の貌だったのだから。
- 「────」
- そう。間違いない。間違えようがない。
- 無色は今、女の子になっていたのだ。
- 控えめに言って、意味がわからない。先ほど目覚めてから不可思議なことばかり起こっているが、これは極めつきだ。夢にしたって荒唐無稽が過ぎる。
- けれど──もっと正確に言うならば。
- 無色が言葉を失ったのは、自分の姿が少女になっていたから、という理由だけではなかった。
- もっとシンプルで、もっとロマンチックで、もっと馬鹿馬鹿しい理由。
- 無色は、まるでギリシャ神話のナルキッソスのように、水面に映った『自分』の姿にれてしまっていたのである。
- 半ば無意識のうちに、己の頰に触れる。
- とくん、とくんと、心臓の鼓動が大きくなっていく。
- 視覚を通して送られた情報に、脳がされていくかのような感覚。
- それは、なんとも信じがたく、なんとも恐ろしく──なんとも甘い感情だった。
- もちろん見目はしい。切れ長の双眸。整った。やかな唇。それら全てが奇跡のようなバランスで配置された、至高の芸術品と言っても過言ではない。
- けれど、それだけではない。
- それだけでは、この凄絶な感情に説明がつかなかった。
- 、今ならばわかる。無色は不思議な感慨と確信を覚えた。
- ──きっと先人は、この言い様のない感情の奔流をどうにか表そうと、『恋』という言葉を作ったに違いない、と。
- 「君、は……いや、俺、は……?」
- と呟き、無色は小さく息を詰まらせた。
- その顔を見た瞬間、それを起点にするように、失われていた記憶が思い起こされたのである。
- そうだ。自分はこの少女を知っている。
- なぜ忘れていたのだろう。無色は意識を失う直前、彼女に出会っていたのだ。
- 胸に血の花を咲かせた、この少女に──
- 「──ここにおられましたか」
- と。
- そこで、背後から鈴を転がすような声がかけられ、無色はハッと顔を上げた。
- 「え……?」
- 後方を見やると、いつの間にかそこに、一人の少女が立っていることがわかる。
- 短い黒髪を引っ詰めにし、黒い服を纏った少女である。無色の顔を覗き込む双眸も、これまた黒曜石のように黒々と輝いていた。
- 「……、俺、ですか?」
- 無色が自分を指さしながら言うと、その少女は何かを察したように、しかし表情を変えぬまま続けてきた。
- 「失礼。記憶の共有はされていないのですね。余程していたのでしょう。
- ──わたしは。あなたが今なられているお方の侍従を務めております。万一の事態に備え、対応を言付かっておりました」
- 言って、恭しく礼をしてくる。
- 無色は勢いよくそちらに向き直った。
- 「……! 何か知ってるんですか? 教えてください。この子は一体誰なんですか!?」
- 無色の問いに、黒衣と名乗った少女は、小さくうなずいてから答えてきた。
- 「そのお方は様。──世界最強の魔術師であられます」
- 「な──」
- その衝撃的な情報に、無色は思わず目を見開いた。
- そして胸に生じた衝動のままに、言葉を漏らす。
- 「なんて……素敵な名前だ──」
- 「………………、は?」
- 「え?」
- 黒衣と無色は、互いに不思議そうな顔をしながら首を傾げ合った。
- ◇
- 噴水前の出会いからおよそ二〇分後。
- 無色は黒衣に連れられ、舗装路の先に聳えていた巨大な建造物──中央学舎の中へと移動していた。
- 最上階。入り口に『学園長室』の文字が記された部屋である。近代設備の整った広い空間ではあるのだが、壁一面の本棚に詰め込まれた古めかしい装丁の本や、辺りに散乱した古道具などが、部屋の印象を雑多なものに変えていた。
- そしてその中で無色は、自分の事情を説明しながら──
- なぜかの前に座らされ、後ろに立った黒衣に、丁寧に髪をかれていた。
- く、寝起きで乱れたのまま外を出歩かれては困ります、とのことだ。
- 「──なるほど。学校の帰り道、奇妙な空間に迷い込み、そこでれの彩禍様に出会った。そして何者かに襲われて意識を失い、今に至る──と」
- 黒衣が無色の言葉を復唱するように言ってくる。無色は小さく「はい」と答えた。
- 「奇妙な空間というのは、具体的にどのような」
- 「えっと……なんていうんでしょう。背の高いビルがいっぱい並んで、迷路みたいになってる感じというか……」
- 無色が身振りを加えながら説明すると、黒衣は微かに眉根を寄せた。
- 「……第四顕現──やはり魔術師……しかしそんな空間を形作る者など……」
- 「え?」
- 「いえ。ありがとうございます。ね事情は把握できました」
- 黒衣は誤魔化すように頭を振ると、手にしていたをテーブルに置き、フリルのついたリボンで無色の髪をってみせた。
- 姿見の中の美少女が、さらなる高みへと上る。無色は陶然と息を漏らした。
- 「素敵……まるで自分じゃないみたい……」
- 「実際その通りですので」
- 「まあそうなんですけども」
- 無色は座っていた椅子をくるりと回転させると、黒衣の方に向き直った。
- 「それで……烏丸さん?」
- 「黒衣で構いません。そのお顔にさん付けで呼ばれるのは気色悪くてなりません」
- 「…………」
- 無色はこの主人と侍従の関係を若干不安に思いながらも、あとを続けた。
- 「ええと、じゃあ黒衣。こっちも聞きたいことがあるんですけど……」
- 「はい。困惑されるのも当然です。何なりとご質問を。わたしに答えられることであればお答えいたしましょう」
- 黒衣が質問を促すようにうなずいてくる。
- 無色は、ならお言葉に甘えて、というように続けた。
- 「この女の子……彩禍さんって言いましたよね」
- 「はい」
- 「彩禍さんって、どんな男性がタイプですかね……?」
- 「…………はい?」
- 無色が少し照れながら質問すると、黒衣は無表情のまま首をげた。
- 「あっ、ちょっといきなり踏み込みすぎましたかね。じゃあまずは好きな食べ物とか……」
- 「いえ、そうではなく」
- 黒衣は首の位置を元に戻すと、無色の目を見据えながら続けてきた。
- 「最初に聞くのがそこですか? もっとこう、他に気になる点があると思うのですが」
- 「そりゃあありますけど……えっ、でも、いいんですか? そんなこと聞いちゃって。そういうのってやっぱり秘密なんじゃ……」
- 「こんな状況になって何を遠慮しているのですか。むしろ聞いてください。こちらもまず、あなたに現状を把握していただきたいのです」
- 「そ、それなら遠慮なく……」
- 無色はコホンといをすると、ほんのりと頰を染めながらその問いを発した。
- 「ええと、彩禍さんのスリーサイズって……」
- 「だからそうではなくてですね」
- 黒衣が、無色の言葉を遮るようにぴしゃりと言ってくる。
- 「えっ? 馬鹿なのですか? それともやはり彩禍様がふざけてらっしゃるだけなのですか? もっと他にあるでしょう。ここはどこなんだ、とか。なぜ自分が彩禍様の姿になっているんだ、とか」
- 「あ、そういえばそうですね。ちゃんと説明してください! 一体何がどうなってるんですか!?」
- 「…………」
- 無色が素直に問うと、黒衣はかに眉根を寄せながらも、言葉を続けてきた。
- 「順を追って説明いたしましょう。──先ほど申し上げました通り、そのお方は久遠崎彩禍様。世界最強の魔術師にして、魔術師養成機関〈の庭園〉のであられます」
- 「はい。何度聞いてもなお名前です……」
- 「……、こちらとしては『魔術師』の方に食いついてほしかったのですが」
- 「あ、すみません」
- 言われてみれば、そちらも気になる単語ではあった。素直にびる。
- 「魔術師っていうのは……呪文を唱えて火を出したり、味方を回復させたりする、あの?」
- 「抽象的かつ数世代前のイメージではありますが、間違ってはいません」
- 「そんなの、本当にいるんですか?」
- 「現に、あなたの身には、常識では説明がつかないことが起きているのでは?」
- 「……確かに、そうでしたね」
- 黒衣の言葉に、無色は小さくうなずいた。論より証拠とはこのことである。
- 確かにそんなものでもなければ、今無色が彩禍という少女に変貌していることに説明がつかない。
- 「困惑なされるのも当然でしょうが、今は、魔術という存在があるという前提でお聞きください」
- 「わかりました。……それで、俺のには一体何が起こってるんですか?」
- 無色が神妙な面持ちで問うと、黒衣は指を一本立て、無色の胸元にトン、と突きつけながら続けてきた。
- 「結論から言うと──あなたと彩禍様は今、合体した状態にある、ということです」
- 「な……そ、それって……!」
- 「動揺するのも無理のないことではありますが、どうか落ち着いて──」
- 「そういうのは、ちゃんと結婚してからでないといけないのでは……!?」
- 黒衣が半眼を作りながら、まるで汚物を見るかのような視線を向けてきた。
- 「いくら彩禍様のお姿でも、はっ倒しますよ」
- 「すみません。あまりに刺激の強いワードだったので……」
- 無色が申し訳なさそうに肩をませると、黒衣は気を取り直すようにあとを続けた。
- 「無色さん、でしたね。あなたのお話によれば、彩禍様は昨晩、致命傷を負って倒れられていた。状況から察するに、何者かに襲われたと見るのが自然でしょう」
- 「はい。……犯人に心当たりは?」
- 「ありませんね」
- 「恨まれるような人物ではなかった、と」
- 「いえ、恨みを持っている方は星の数ほどいたと思いますが」
- 「…………」
- きっぱりと断言する黒衣に、無色はたらりと汗を垂らした。
- ですが、と黒衣が続ける。
- 「──この世界に存在するはずがないのですよ。世界最強の魔術師、極彩の魔女、久遠崎彩禍を殺せる者なんて」
- 「────」
- な、しかし強い感情をえたその言葉に、無色は息を詰まらせた。
- 「失礼。続けましょう」
- そんな無色の様子を感じ取ったのだろう。黒衣が小さく咳払いをしてくる。
- 「恐らくですが──彩禍様を襲った犯人と、あなたを襲った犯人は同一人物でしょう」
- 「はい……俺も、そう思います」
- あのときのことを思い出す。
- 血塗れの彩禍に駆け寄った無色を襲った、無慈悲な一撃。
- 犯人の顔は見えなかったが、無色の身体に残った傷は、彩禍のそれと非常によく似ていたように思われた。
- 「そうしてできた、死にかけの彩禍様と死にかけの無色さん。このままでは二人とも死んでしまう。──そこで彩禍様は、残った力を振り絞り、最後の魔術を行使されました」
- 「最後の魔術……それは、一体」
- 無色が問うと、黒衣は、右手と左手の人差し指を立て、ゆっくりと触れ合わせてみせた。
- 「融合術式。単純な足し算です。放っておけば二人とも死んでしまう。ならば、一人でも生き残った方がいい。
- 0・5+0・5=1。
- ──彩禍様は、のご自分と、瀕死のあなたを融合させ、一つの命として永らえさせたのです」
- 「融合──」
- 黒衣の言葉に。
- 無色は、無意識のうちに自分の──と言っていいのかどうかかではないが──頰に手を触れながら、と声を発した。
- 「はい。それゆえ端的に、合体、という表現をとりました」
- 「……っていう割には、俺の要素がどこにも見当たりませんけど……」
- 「彩禍様の身体の方が傷が浅かったのか、身体に宿る内在魔力の量が関係しているのかはわかりませんが──今は彩禍様の身体がベースになっているようですね。
- とはいえご安心ください。あなたの身体が取り込まれてしまったというわけではありません。あくまであなたの要素が裏側に隠れているだけ。恐らくあなたの肉体は今、傷ついた彩禍様の身体を補っているのではないかと思われます」
- 「えっ、そんな──」
- 「ショックなのはわかりますが、最後まで話を──」
- 「そんな光栄なことがあっていいんですか……?」
- 「少しでもあなたをろうとしたわたしが馬鹿みたいに思えてくるのでやめてくれませんか?」
- 黒衣がジトッとした視線を送ってくる。無色は少々の理不尽を感じながらも、素直に謝っておいた。
- 「……確かに、見たところその身体は彩禍様そのものです。ただ──意識は無色さん、あなたのものであるようですね?」
- 「あ……」
- 言われて、無色は息を詰まらせた。
- 確かにその通りである。
- 無色と彩禍の意識が入れ替わってしまった──というのなら、この世界のどこかに、無色の身体と彩禍の意識を併せ持つ人間がいることになるだろう。
- 無色の身体が彩禍の形に変化してしまった──というのなら、普通の彩禍が、別にいることになるだろう。
- だが、黒衣の言うように、瀕死の無色と彩禍が命を補い合い、一個の人間として融合することにより生き永らえたとするならば、一つ、なければならないものがあったのである。
- 「彩禍さんの意識は……心は、どこへ行ったんですか……?」
- 無色が震える声で問うと、黒衣はしばしの無言のあと、ゆっくりと首を横に振った。
- 「わかりません。あなたの身体の奥底に眠っているのか。える魂となってどこかを漂っているのか。それとも──」
- その先を、黒衣は口にしなかった。
- 恐らく、可能性の一つとはいえ、言葉にすることがわれたのだろう。無色も、それ以上追及することはできなかった。
- 「……とにかく。今はこれからの話をしましょう。──これは非常事態です。世界にとって最大の危機と言っても過言ではありません」
- 黒衣が、険しい表情をしながら言ってくる。
- その大げさな表現に、無色は首を傾げた。
- 「世界……? いや、確かに、彩禍さんほどの美少女がいなくなるようなことになれば、世界にとって損失と言わざるを得ないですけど……」
- と──
- 「……え?」
- 無色が言いかけた瞬間、学舎中に、アラームのような音が響き渡った。
- それと同時、どこか間延びした女の声が、スピーカーから聞こえてくる。
- 『──騎士エルルカ・フレエラが告げる。滅亡因子の発生を確認した。等級は推定で災害級から戦争級。可逆討滅期間は二四時間。対応には騎士アンヴィエット・スヴァルナーが当たる。各自、警戒態勢を怠るでないぞ』
- 「……? 何ですか、この放送」
- 「──ふむ」
- 黒衣はあごに手を当てると、数瞬ののち、顔を上げてきた。
- 「いい機会です。外に出ましょう。──世界の裏側をお見せいたします」
- 学園長室を出た無色は、そのまま黒衣に連れられ、中央学舎の屋上前へとやってきた。
- ちなみに学園長室で、履き物をスリッパからきちんとした靴に替えさせられている。低めとはいえ慣れないヒールに、無色の歩行は少しふらついていた。
- 「さあ、こちらへ。段差になっているのでお気を付けください」
- 言って、黒衣が手を差し出してくる。無色は「すみません」と黒衣の手を取ると、少し大股になって外へと出た。
- 「──ここは……」
- 屋上の端、背の高いフェンスのへと歩いた無色は、強い風になびく髪を押さえながら、眼下に広がる景色を見下ろし、小さく声を発した。
- 地上にいるときは見えなかった周囲の様子が一望できる。
- 校舎の周りに、いくつもの施設を内包した広大な、そして背の高い壁があり、その向こう側に、街の風景が広がっていた。
- 「あ……周りは普通に街なんですね」
- 「はい。というか、一体ここをどこだと思っていたのですか」
- 「いや……魔術とか言い出すので、てっきり異世界にでも飛ばされたのかと」
- 「あなたが知らなかっただけで、我々は常に世界の裏側で活動をしてきました。この〈庭園〉は、住所で言えば桜条市東桜条に当たります」
- 「思ったより近所だった……でも、その辺りにこんな施設なんて──」
- 「認識阻害を施してありますので、外部からこの場所を認識することはできません。──と、今は下よりも、上に注目してください」
- 「え?」
- 黒衣に言われて、無色は顔を空に向けた。
- まさに、その瞬間だ。
- ──雲がまばらに浮かんだ穏やかな空に、『それ』が姿を現したのは。
- 「……? なんだ……あれ」
- 『それ』は、爪だった。
- 巨大な爪が、何もないから、顔を出していたのである。
- 、何もない──というのは正確ではなかった。
- 正しく言うならば、その爪の周囲の空間に、まるでれのような亀裂が走っていたのである。
- そして、徐々にその亀裂が大きくなっていったかと思うと──
- 次の瞬間、空を突き破るようにして、あまりに巨大な影が姿を現した。
- 「は──」
- それを見て、無色は目を見開いた。
- 硬質の皮膚に覆われた巨大な。手足に備わったいくつもの爪。そして、頭部から伸びる長い角と、背から生えた、一対の羽。
- その姿は、太古の時代からやってきた恐竜か──さもなくば、映画の世界から飛び出した怪獣を思わせた。
- 「──滅亡因子二〇六号:『ドラゴン』」
- 無色の思考に応えるかのように、黒衣がその名を発する。
- 「な肉体と生命力を持ち、生半可な攻撃は受け付けません。その口から放たれる炎の吐息は、数日もあれば日本全土を火の海に変えてしまうでしょう。比較的発現例の多い『滅び』ですね」
- 淡々とした調子で、黒衣が続けてくる。
- すると、まるでそれに合わせるかのように、ドラゴンがを上げたかと思うと、その口から、まじい炎の奔流が吐き出された。
- 「な……っ!?」
- 空が、に燃え上がる。かなりの距離があるというのに、その猛烈な炎は、無色の肌を痛いほどにちりつかせた。あまりの熱気に、目を開けていることさえ困難になる。
- まるで神話の一編を思わせる、凄絶なの。
- そんなものを直接浴びてしまったなら、人は、野山は、街は、一体どうなるのか。
- その絶望的な問いかけの解答は、すぐさま無色の視界一面に示されることとなった。
- 「…………っ!」
- 眼下に広がっていた景色が、一瞬にして炎に包まれる。
- 見慣れた街並みが、つい昨日まで生活していた世界が、きの間に地獄へと変貌を遂げた。
- 道々に沿うように炎が地面をめ尽くし、そこにあったものを黒と赤に染めていく。
- 悲鳴。警報。破壊音。あらゆるものがない交ぜになったが辺りに響き渡る。
- その唐突に過ぎる滅びの光景に、無色はしばしの間理解が追いつかず、としてしまった。
- 「な……、え──」
- 数瞬。にとられていた脳が現状を認識し、停止していた手足に指令を発する。
- 無色はがばっと覆いさるような勢いで、黒衣の肩をんだ。
- 「黒衣! 大変です、街が!」
- 「言われなくても見えています。落ち着いてください、無色さん」
- 「こんな光景を見てどう落ち着けって言うんです! むしろ、なんで黒衣はそんなに冷静でいられるんですか!?」
- 「慌てたところで事態は好転しないからです。それに──」
- 黒衣はガクンガクンと肩を揺すられながら、上空を指さした。
- 「ちゃんと見ていないと、見逃してしまいますよ」
- 「……え?」
- 無色は黒衣が示す先を追うように、上空に視線を戻した。
- すると、まさにそのとき。
- 「────ぃぃぃぃいいいいいい────ヤッはアァァァァァァァァ────ッ!!」
- そんな叫びとともに、地上から小さな影が、空に向かって弾丸のく飛び立っていった。
- そしてその影は一直線にドラゴンに至ると、凄まじい雷光を伴ってそのを上空に吹き飛ばした。
- 「な──」
- ドラゴンの凄まじい咆哮が、空気をビリビリと震わせる。
- だがそれは、獲物に己の存在を知らしめたり、敵を威嚇したりしようとしてのものではなく、途方もない痛みに耐えかねた悲痛な叫びのように思われた。
- 「はッ、やかましいんだよトカゲ野郎が──」
- ドラゴンを突き飛ばした人影が、両腕を大きく広げる。
- すると、それに従うように舞っていた小さな衛星のようなものが、その輝きを増していった。
- 次の瞬間。
- 落雷を思わせる爆音が鳴り響いたかと思うと、一瞬空がい輝きに包まれた。
- 凄まじいに、思わず目をってしまう。
- 「…………っ!」
- そして、次に無色が目を開けたときには、巨大なドラゴンの体軀は、影も形もなくなっていた。
- 「あ、あれは……」
- 「騎士アンヴィエット・スヴァルナー。彩禍様直轄機関〈騎士団〉の一角であり、この〈庭園〉でも最上位に位置するS級魔術師です。あれくらいの滅亡因子ならば、彼一人でお釣りがくるでしょう」
- 無色の声に応えるように、ともに空を見上げていた黒衣が言ってくる。
- 「彩禍さん直轄……彩禍さんは、あの人より強いってことですか?」
- 無色が問うと、黒衣は涼しげな顔のまま返してきた。
- 「比べることさえがましいほどに」
- 「……ほえー」
- 無色はしばしの間としていたが、すぐにハッと肩を震わせ、視線を下ろした。
- 「そうだ、街が──」
- と、火の海と化してしまった街並みを見て──無色は言葉を止めた。
- 「え……」
- 理由は単純。つい先ほどまで真っ赤な炎にされ、悲鳴と怒号が渦巻いていた眼下の街並みが、何事もなかったかのように元に戻っていたからだ。
- 「あれ……確かに今、街が燃やされるのを見て……」
- 「ええ。その通りです。幻覚などではありません。街は確かに、ドラゴンの炎によって壊滅状態にされていました。騎士アンヴィエットがドラゴンを倒していなければ、あの光景は『結果』として世界に記録されていたでしょう」
- 「……ドラゴンを倒したから、あの光景がなかったことになったっていうんですか?」
- 「端的に言うと、そういうことです。〈庭園〉の外で暮らす人々は、今何が起こったかさえ覚えていないでしょう」
- 黒衣が事も無げに答えてくる。
- 無色は突然目の前で起こった信じがたい出来事に、目を白黒させた。
- が、やがて、今までの黒衣の言葉が頭の中でがっていく。
- 「もしかして、こういうことは結構頻繁に起こってるんですか……?」
- 黒衣は大仰にうなずくと、無色の目を見つめながら続けてきた。
- 「──一万五一六五回」
- 「え?」
- 「彩禍様をはじめとする魔術師たちが、今までに世界を救った回数です」
- 「……! そんなに……!?」
- 「はい。
- ──この世界は、平均しておよそ三〇〇時間に一度、滅亡の危機を迎えているのです」
- 「────」
- 突如告げられたその言葉に。
- 無色は、しばしの間目を白黒させながら黒衣を見つめた。
- 「ドラゴンだけではありません。星を砕く兵器を創造し得る知恵の実、考え得る限りの天変地異を同時に発生させる霊脈異常、あらゆるものをらい尽くす金色のの群れ、絶大な感染力と致死率を誇る死神の病、歴史をじ曲げんがために時を越えて来訪する未来よりの使者、存在するだけで地上をで覆い尽くす焰の巨人──
- この世界を崩壊させ得る可能性を持った存在を総称して、わたしたちは『滅亡因子』と呼んでいます」
- そして、と黒衣が続ける。
- 「我々魔術師は、その奇跡の業をて、滅亡因子を排除し続けているのです。
- そして過去現れた中には、彩禍様でしか対応できなかった滅亡因子も、一二例確認されています。
- ──おわかりですか?
- 彩禍様がいなければ、この世界は、最低一二回滅んでいるのですよ。
- あなたが融合してしまった人物とは、そういうお方なのです」
- 黒衣が無色に言い聞かせるように、淡々と、しかしどこか熱を帯びた調子で告げてくる。
- その衝撃的な情報に、無色は両手をかせた。
- 「し、信じられない……」
- 無色が呆然とくと、黒衣はさもあらん、といった調子で目を伏せた。
- 「まあ、無理もありません。しかし、全て真実で──」
- 「平均三〇〇時間に一回起こる崩壊の危機を、一万五〇〇〇回以上……? それってつまり、単純計算でも五〇〇歳以上ってことですよね……? それなのにこのお肌のハリ……信じられない……」
- 「…………」
- 「痛い、痛いです、黒衣」
- ついに手を出してきた。
- ぽかぽかといてくる黒衣の手から身を守るように、無色は両手で頭をガードした。
- と、そこで。
- 「……! えっ?」
- 空から流れ星の如く光が降ってきたかと思うと、次の瞬間、無色と黒衣の目の前に、一人の男が現れていた。
- 「──よお、久遠崎。こんなところで見物たぁ、いいご身分だな」
- 細身ながらもしっかりと筋肉の備わったを、仕立てのよいシャツとベスト、スラックスで覆った青年である。
- 三つ編みに結わえられた黒髪に、褐色の肌。獲物をめ付けるかのような鋭いに、野性的な笑み。そのまいは、どこかな四足獣を思わせた。
- 「あなたは──」
- 間違いない。今し方ドラゴンをった魔術師だ。
- それを証明するように、──爪を思わせる形状をした金色の武器が二つ、時折バチバチと雷光を輝かせながら、彼の身体にわり付くようにゆっくりと浮遊していた。
- そしてその背には、まるで後光のように、巨大な光の輪が二重に輝いている。そのしい様と、男のワイルドな容貌が、妙にミスマッチだった。
- と、無色が予想外の事態に呆然としていると、男はニィッと唇の端を上げ、凄絶な笑みを作ってきた。
- 「なんだオイ、が豆鉄砲食らったような顔しやがって。──はッ、オレの魔術に震え上がって声も出ねぇってか?」
- 冗談めかすような調子で、男が肩をすくめてくる。
- その言葉に、無色は素直にうなずいた。
- 「──かったです。今のは、あなたが?」
- 「…………は?」
- 無色が言うと、男は口をポカンと開け、間の抜けた声を発してきた。
- 「あんな大きなドラゴンを……本当に凄いです。とても強い魔術師……? なんですね」
- 「は……な、何言ってやがるテメェ……何か変なものでも食いやがったか……? 口調もなんかおかしいしよ……」
- 男が、たじろぐように身体を反らす。
- だがその言葉とは裏腹に、彼の頰は照れるように朱に染まっていた。
- 「いえ、凄いものに凄いって言っただけです。あれ、一体どうやったんですか?」
- 「ど、どうって……別に、普通の第二顕現だよ。……ただまあ、ちぃと術式をいじってあるがな」
- 「そうなんですか! 術式……よくわかりませんけど、どういうものなんですか?」
- 「教えるワケねぇだろうが! なんでテメェに手の内さなきゃなんねェんだよ!」
- 「そう言わずに。いいじゃないですか。あんな凄い技、どうやったらできるんだろう。知りたいなあ」
- 「……し、仕方ねぇな……少しだけだぞ……」
- 男が、ぷいと顔を背けながらも、ニマニマと口元を緩め、言ってくる。
- 見た目は怖いが、なかなかにチョロそうな青年だった。
- 「本当ですか!? ありがとうございます! ええと──」
- 「ん?」
- 「あなた、お名前なんて言いましたっけ?」
- 「あっ」
- 無色がにこやかに言った瞬間、黒衣が短く息を漏らした。
- まるで「まずい」とでも言うかのように。
- するとそれに合わせるかのように、つい今し方までまんざらでもないような顔をしていた男の額に、ピキピキと血管が浮かび上がった。
- 「……ふ、ふぅーん……? なるほどぉ……? オレ程度のの名前なんざ、記憶の隅にも残ってませんでしたってかァ……?」
- 「え? あ、いや、そうじゃなくて。ちょっと忘れてしまっただけで──」
- 「上等だァ! 二度とアンヴィエット・スヴァルナーの名前を忘れらんねェように、念入りにブッ潰してやらァァァァア!」
- アンヴィエット(そういえばそんな名前だった)が怒りをわにし、屋上の床にを打ち付ける。
- するとそれを起点とするように、辺りにまじい雷撃がき散らされた。
- 「……っ!?」
- の巣状に、屋上に光の線が走る。無色は思わず身をませた。
- 「ちょ──やめてください!」
- 「うるせェ! 命乞いなら──」
- 「彩禍さんの美しいお顔に傷がついたらどうするんですか!」
- 「…………」
- 無色が叫ぶと、なぜかアンヴィエットは頰をひくひくとさせた。
- 「どうやら手加減はいらねェみてェだなァ……?」
- アンヴィエットが両手を腰だめに構える。
- その動作に合わせて、彼の周囲を衛星のように巡っていた二つの三鈷が、その回転速度を速め、バチバチと電気を帯びていった。
- 「討ちぜろ、【】ッ!」
- その叫びとともに、アンヴィエットが両手を前に突き出し、無色に向けて必殺の一撃を放った。
- 無色の視界が、い輝きによって埋め尽くされる。
- 「──うわっ!?」
- 無色は息を詰まらせると、その場に射すくめられたように硬直した。
- 「無色さん!」
- 黒衣の悲鳴じみた声が、にまれてき消える。
- 避けなければならないと頭ではわかっている。だが、身体が動いてくれない。
- 理屈をねじ伏せる圧倒的な暴力。原始的な死の直感。魔術とやらのことを何も知らない無色でも、それが致命的な一撃であることは容易に理解できた。一瞬あとには、怒れる金色の雷撃が、無色の身体をずたずたに引き裂くだろう。
- だが──
- 「────」
- そんな中、無色の頭を支配していたのは、絶望でも恐怖でもなく──何とも奇妙な違和感だった。
- ──きの間さえなくするであろうと思われた雷撃が、妙に遅く感じる。
- まるで、時間がゆっくりと流れていくかのような感覚。
- 世界の全てがスローモーションと化した中、自分だけはそれまでと変わらぬ速度で思考を巡らせている。そんな超越的なイメージだ。
- まさか、これがに聞く走馬灯というやつだろうか。
- 死にした瞬間、人間の脳はそれまでの経験の中から打開策を探るべく、高速で思考を開始するという。それゆえ、相対的に時間の進みがゆっくり感じられるというのだ。
- とはいえ、無色の脳をったところで、この状況をす経験など──
- (──恐れることはない。今の君は、最強の身体を持っているのだから──)
- と。
- 「え──」
- 不意に頭の中にそんな声が響いてきて、無色は目を丸くした。
- かでな、しかし幻聴というにははっきりとした声音。
- その声が一体何なのかはわからない。
- けれど、その声を聞いた瞬間、無色は不思議な安心感を覚えた。
- その声は──
- 昨日無色が気を失う前に耳にした、初恋の少女のものによく似ていた気がしたのである。
- (──力の使い方は、身体が覚えている。君はただ、心を委ねればいい──)
- 声が言うと同時。
- 「────」
- 無色は、両手を前方に掲げていた。
- なぜそんな動作をしたのか、自分でもよくわからない。けれど今はそうすることが正しいのだという確信があった。
- 身体が熱くなる。まるで、全身を巡る血潮が熱を帯びたかのように。
- 次の瞬間、雷光に埋め尽くされた無色の視界に、新たな輝きが現れた。
- 無色の頭上に、に輝く光輪が出現していたのである。
- 一つ一つを見れば、天使の輪のき形状。
- けれど、幾つもの光が縦に連なったそれは──まるで、魔女の帽子のように見えた。
- 「……っ、四画──!?」
- 後方から、に染まった黒衣の声が聞こえてくる。
- 瞬間、無色を起点とするように空間がぐにゃりとみ──
- 世界が、変わった。
- 「は────」
- 何の比喩でも誇張でもない。
- 今の今まで、無色と黒衣、そしてアンヴィエットは、学舎の屋上にいたはずだ。
- しかし、ほんの瞬きほどの間に、三人を包む景色が様変わりしていたのである。
- ──どこまで続くかもわからない、に。
- 、それだけではない。無色は眼球運動のみで地面と上空を見やった。
- 地面には、見るも広大な都会の街並みが、そして上空にもまた、同じような大都会の光景が、逆さまに広がっていたのである。
- 見慣れた、しかし異常な風景。幾つものビルや電波塔が、その先端を上下両方から無色たちの方に向けている。その様は、まるで巨大な獣のを思わせた。
- するとそこで、するようなアンヴィエットの声が響いてくる。
- 「第四顕現……ッ!? おいコラ久遠崎! だぞ! こいつはじゃ──」
- だが、無色を非難するようなアンヴィエットの叫びはそこで途絶えた。
- 理由は単純。か下方と上空に在った大都会の風景が、まるでアンヴィエットをみ砕くかのようにせり上がり、いは落ちてきたからだ。
- 「──。くて天地は我がの中」
- 半ば無意識のうちに。しかし朗々と、無色の喉から言葉ががれる。
- 「恭順を誓え。
- ──おまえを、花嫁にしてやる」
- アンヴィエットは抵抗を試みるように両手を天に掲げたが、彼の放った雷撃は、空しく霧散していった。
- 「ぐ……ッ!? く、クソがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──────ッ!!」
- 哀れアンヴィエットは、に翻弄されるの如く、巨大な建造物の群れに吞み込まれていった。
- 凄まじい轟音とともに、牙の如き摩天楼が崩れ。
- 世界が、その形を失っていく。
- 数瞬あとには、無色たちを包む景色は、もとの屋上のそれに戻っていた。無色の頭上に輝いていた光輪も、いつの間にか姿を消している。
- 先ほどまでと違うものといえば、屋上の床に倒れ伏したアンヴィエットくらいのものだろう。
- 高級そうだったシャツやスラックスは汚れ、破れ、もはやほとんど衣服としての機能を残していない。長い髪はけ、中に大小様々な傷や打撲痕が見受けられる。それでもうじて生きてはいるらしく、時折痙攣のように手足をピクピクと動かしていた。
- 「今のは……」
- 無色はけたようにくと、視線を手のひらに落とし、手を握ったり開いたりしてみた。白魚のように細く美しい指が、無色の意に沿って動かされる。
- ──一体何が起こったのか、自分でもよくわかっていなかった。
- ただ、今目の前に展開された不可思議な光景が、自分──彩禍の力によるものであるということだけは、何となく理解できた。
- 今まで覚えたことのない、何とも奇妙な感覚である。
- 脳天から指先までを、熱い血潮が巡るかのような感。
- 自分という存在が、風船の如く膨張していくかのような感。
- そして──世界を自分の手のひらに収めてしまうかのような、全能感。
- そんなものがない交ぜになった感覚が一気に襲ってきて、しばしの間無色はとしてしまっていた。
- 「て、めェ……ッ……」
- 「……!」
- そんな無色の意識を現実に引き戻したのは、地をめるように突っ伏したアンヴィエットの、恨みがましい声だった。
- 「あの、大丈夫ですか……?」
- 無色が様子をうように歩み寄り、顔をき込むように足をめると、アンヴィエットはよろよろと顔を上げ、血走った目を無色に向けてきた。
- 「お、覚えて……やがれ……絶対、ブッ殺して──」
- が、アンヴィエットが言葉を最後まで発することはなかった。
- 次の瞬間、黒衣が現れ、彼の頭をぎゅむ、と踏みつけたのである。
- 「ぶぎゃふ」
- 必然、アンヴィエットの顔面は硬い屋上の床に押しつけられる。僅かに動いていた手足までもが、完全に沈黙した。
- 「…………」
- とはいえ、別に黒衣は、アンヴィエットを黙らせようとか、とどめを刺そうとしていたわけではないようだった。どちらかというと、無色の前に立つために、アンヴィエットの頭が邪魔だった、というようなぞんざいさが見て取れる。
- 「黒衣?」
- 無色は、問い掛けるように黒衣の名を呼んだ。
- こちらを見る彼女の顔は、先ほどと同じく無表情であったのだが──どこか、隠しきれない驚き、そして微かな興奮と高揚がんでいる気がした。
- 「……信じられない。身体が彩禍様のものとはいえ、まさかいきなり第四顕現を……でも、これなら──」
- 黒衣は何やらブツブツと呟いたかと思うと、再度無色に目を向けてきた。
- 「無色さん」
- 「は、はい」
- 強い意志の光が宿った目にされるように無色がうなずくと、黒衣はそのまま続けてきた。
- 「あなたがこの件に巻き込まれたのは不幸な事故です。ですが、その上でお願いいたします。どうかわたしに協力してください。
- ──この世界を、救うために」
- 黒衣の言葉に──
- 「えっ、無理ですけど……」
- 無色は、即座にそう返した。
- それはそうだ。無色は普通の高校生である。突然世界とか言われても困る。
- 「…………」
- すると黒衣は、たらりと頰に汗を垂らしながら眉根を寄せてきた。
- 「……今のは受ける流れではないですか?」
- 「いや、そんなこと言われても」
- 「…………」
- 黒衣はしばしの間考えを巡らせるようにしてから、再度言ってきた。
- 「わたしに協力してもらえたら、あなたと彩禍様を分離することもできるかもしれません。その後、彩禍様に無色さんを改めてご紹介いたしましょう。彩禍様のいない間、務めを果たしてくれた恩人です、と」
- 「何をすればいいんですか? ちょうど世界が救いたかったところです」
- 「…………」
- 無色が力強くうなずくと、黒衣は再び黙り込んだ。
- が、やがて自分を納得させるように息を吐く。
- 「準備が必要です。──まずは面倒事を済ませてしまいましょう」
- 「面倒事?」
- 無色が首をげると、黒衣はこくりと首肯してみせた。
- ◇
- 屋上での立ち回りから、およそ三〇分後。
- 無色は、中央学舎の中にある、大きな扉の前へと連れてこられていた。
- 「黒衣、ここは?」
- 「会議室です。今日は〈庭園〉管理部の定例報告会がございますので。──こんな状況ですし、できれば無視したいところではありますが、彩禍様が欠席なさるわけにもいかないので仕方ありません」
- 黒衣は無色の問いに答えると、注意を促すように続けてきた。
- 「もう部屋の中には、管理部と〈騎士団〉の面々がっているはずです。──対応はこちらで何とかいたしますので、無色さんはあまり発言をなさらないようお願いします」
- 「わかりました。彩禍さんのイメージダウンになっちゃいけませんしね」
- 「まあ、はい、そうです」
- 黒衣は、「そういうことではないのだが、そういうことにしておいた方が都合がいいか……」というような顔をすると、扉をノックしたのち、ゆっくりと開けた。
- そして、どうぞ、と言うように無色を部屋の中へと促してくる。
- 無色はそれに従い、やや緊張しながら会議室へと足を踏み入れた。
- 「わ……」
- 部屋に入った瞬間無色は、発言を控えるよう注意されていたにもかかわらず、小さく声を漏らしてしまった。
- だがそれも仕方あるまい。会議室には既に一〇名ほどの人間が揃っていたのだが、その全員が、無色を迎え入れるように、一斉に起立したのである。
- 「──彩禍様。お席へどうぞ」
- 無色がしばしの間呆然としていると、黒衣が着席を促すように言ってきた。
- 確かに、いつまでも突っ立っているわけにはいかない。無色はぎこちない足取りでテーブルへと向かうと、空いている席にちょこんと腰掛けた。
- すると、起立していた管理部の面々が、何やら困惑したようにざわめき始める。
- 「ま、魔女様……?」
- 「いかがされましたか……?」
- 「え……?」
- 無色が首を傾げていると、後方から黒衣がすす……と歩いてきて、ぽつりと耳打ちした。
- 「──彩禍様のお席はあちらです」
- 言って、部屋のに位置する席を示してくる。
- テーブルの端。いわゆるお誕生日席だ。──まあ、場の仰々しい雰囲気も相まってか、式の主賓というより、悪の組織のボスが座る席のように見えたが。
- 「あ……」
- 無色は小さな声で言うと、慌ててそちらの席に座り直した。
- するとそののち、ようやく他の皆が着席し始める。
- 「…………」
- 無色は妙な緊張感を覚えながら、テーブルに着く面々を見回した。
- そして、かに眉根を寄せる。大半はかっちりとしたスーツをった人々だったのだが、その中に二人、やや場違いな人物が紛れ込んでいたのである。
- 一人は、一〇代前半くらいの女の子だ。しっかりとした眉とほんのりと赤い頰も相まってか、ただでさえ幼い顔立ちが余計に幼く見える。丈の長い白衣を羽織っているのだが、なぜかその下には、民族衣装のような文様が描かれたトップスとスパッツしか纏っていなかった。ほぼ下着同然のラフなスタイルである。いろいろとミスマッチな様相だった。
- 「……黒衣、あの子は?」
- 無色が小声で問うと、椅子の後方に控えた黒衣が、くような調子で返してきた。
- 「──騎士エルルカ・フレエラ。幼く見えますが、〈庭園〉の中でも彩禍様に次いで最古参の魔術師です」
- 「へえ……」
- 人は見かけによらないものである。無色は感嘆するように声を上げた。
- 次いで、手前の席に座った少女に目を向ける。
- こちらも、エルルカほどではないものの、年若い。一六、七歳といったところだろう。それを裏付けるように、その身に学生たちと同じ制服を纏っていた。
- 二つ結びにした長い髪に、つり目がちの。きりりと結ばれた唇は、彼女の意志の強さを表しているように思えて──
- と、無色はそこで眉根を寄せた。
- 彼女の顔に、見覚えがある気がしたのである。
- 「………………、もしかして、?」
- 「──はい? 何でしょう、魔女様」
- 無色がぽつりとくと、少女──瑠璃が首を傾げながら応えてきた。その目には、彩禍に名を呼ばれた歓喜の色がれている。
- 「あ──いや」
- 話しかけるつもりはなかったのだが、聞こえてしまったらしい。無色は言葉を濁した。
- ちらと見やると、黒衣がそうな目でこちらを見てきていることがわかる。
- とはいえ無理もあるまい。何しろ、突然無色が、知らないはずの少女の名を呼んでしまったというのだから。
- と──
- 「……!」
- 無色がどう誤魔化したものかと思っていると、そこで会議室の扉が乱雑に開け放たれた。
- そして、全身を包帯でぐるぐる巻きにした男が、ふらつくような足取りで入ってくる。
- 一瞬誰かわからなかったが、無色をみ付けるような視線で気づく。──先ほど突っかかってきた騎士、アンヴィエット・スヴァルナーだ。
- それを見て、管理部の面々が目を見開く。
- 「す、スヴァルナー殿! そのは……!?」
- 「まさか、先ほどの滅亡因子との戦いで!?」
- 「馬鹿な、S級魔術師のアンヴィエットさんが!?」
- 騒然となった管理部の面々をめるように、アンヴィエットが舌打ちする。
- 「……騒ぐんじゃねェよ。オレがあんなにやられるわきゃねェだろうが」
- 「で、ではその傷は……」
- 眼鏡の男性が問うと、アンヴィエットが再び無色を憎々しげな視線で睨み付けてきた。
- するとそれを見て、管理部の面々がほうと息をく。
- 「なんだ……魔女様か」
- 「魔女様なら仕方ないですね」
- 「生きててよかったですねアンヴィエットさん」
- 「一瞬で納得してんじゃねェよクソ共が!」
- アンヴィエットは不機嫌そうに言うと、エルルカの隣の席に乱暴に腰掛けた。
- その際が痛んだのだろう。微かに眉をめる。……が、それを悟られたくなかったのだろう。身体をぷるぷるさせながらも声は上げなかった。
- 「遅いですよ、アンヴィエット。魔女様を待たせるとは何事です」
- 「……うるせェよ。来てやっただけでもありがたく思いやがれ」
- 瑠璃の注意に、アンヴィエットがフンと鼻を鳴らしながら返す。
- 瑠璃はやれやれと頭を振ってから、テーブルに着いた面々を見渡すように視線を巡らせた。
- 「──では、全員集まったようですので、定例報告会を始めます。まずはこちらを」
- 言って、瑠璃が手元の端末に触れる。すると、形のテーブルの真ん中に、資料画像が投映された。
- 「──前回の定例会からの滅亡因子出現回数は二回。五一一号『レプラコーン』、及び、二〇六号『ドラゴン』。どちらも可逆討滅期間内に討伐を完了。魔術師への被害は──」
- そしてよく通る声で、報告会とやらを進行していく。
- 何を言っているのかはよくわからなかったが、あまり興味のない顔をするのもよくないだろう。無色は姿勢を崩さぬよう椅子に腰掛けながら、時折意味ありげに相づちを打つようにして瑠璃の話を聞いた。
- その後、瑠璃の進行のもと、数名の報告が続く。
- 「──ありがとうございます。他に何か報告のある方はいらっしゃいますか?」
- それから四〇分ほどった頃だろうか。全員の報告が終了したあと、瑠璃が皆を見ながら言ってくる。
- 皆が沈黙をてそれに応える。その雰囲気を感じ取ってか、瑠璃が小さくうなずいた。
- 「では──」
- が、そこで、無色の後方に控えていた黒衣が一歩前に進み出る。
- 「──失礼。わたしからも一つ、よろしいでしょうか」
- 「あなたは?」
- 「申し遅れました。彩禍様の侍従を務めております、烏丸黒衣と申します。本日は彩禍様が体調不良のため、同席させていただいております」
- 「えっ!?」
- 黒衣の言葉に、瑠璃が声を裏返らせた。
- 「体調不良って──だ、大丈夫なんですか!?」
- 「はい。ご心配には及びません。ですよね、彩禍様」
- 「え? ああ、うん」
- 黒衣が、話を合わせるように、と言うように視線を送ってくる。無色はこくりとうなずいた。
- 「それで? 一体何じゃ?」
- エルルカがテーブルにを突きながら言ってくる。
- それに答えるように、黒衣が首肯してから唇を動かした。
- 「──昨日、彩禍様が何者かに襲撃を受けました。恐らく魔術師と思われますが、姿を確認することはできていません。再度彩禍様を襲ってくる可能性があります。つきましては、警戒網の強化を要請したく」
- 『……ッ!?』
- 黒衣の言葉に。
- 居並んだ面々が、表情をばらせた。
- 「な──魔女様を、襲撃!?」
- 「そして正体を知られずに逃げおおせた……!?」
- 「馬鹿な、そんなことが──!」
- 管理部の面々が動揺をわにする。
- とはいえ、それは無色も同じだった。声をひそめ、黒衣に話しかける。
- 「……黒衣、それ言っちゃっていいんですか?」
- 「──彩禍様の現状さえ知られなければ問題ありません。むしろ、これくらい脅しておいた方が警戒を強めてくれるでしょう」
- 黒衣が、慌てる面々を眺めながら、平然とした顔で言ってくる。無色はなるほど、とうなずいた。確かに全てを秘密にしたままでは、無色は無防備なまま再度敵に襲われることになる可能性がある。
- 「く──ははッ、はははは!」
- と、皆がする中、一人笑い声を上げる者がいた。──アンヴィエットだ。
- 「敵に襲撃されて、正体さえめずに逃がしましたってかァ? はッ、みっともねえ。さすがの魔女様もしたんじゃねェか?」
- 言って、わざとらしく肩をすくめてみせる。
- すると、無色に心配そうな視線を向けていた瑠璃が、ギロリとアンヴィエットをめ付けた。
- 「おや、随分言うようになったじゃないですかアンヴィエット。魔女様に絶賛連敗中の人の言葉とは思えませんね?」
- 「あァ……?」
- アンヴィエットが、ピクリと眉を揺らし、瑠璃を睨み返す。
- しかし瑠璃は意に介さず、るような調子で続けた。
- 「まさか、襲撃者ってあなたのことですか? 正攻法じゃ魔女様にわないからって、ついに闇討ちまで始めたとか?」
- 「はァァァァ!? てめ、言うに事欠いて──」
- 「ああ、ごめんなさい。今のは言葉が過ぎました。あなたが襲撃者なはずないですよね。──もしそうなら、その場で返り討ちに遭ってるはずだし」
- 「死んだぞテメェ!」
- 「上等──」
- アンヴィエットと瑠璃が、椅子を後方に蹴飛ばすような調子で立ち上がる。
- 瞬間、辺りの空気がビリビリと震え、二人を中心にぼんやりとした光が渦を巻き始めた。
- が。
- 「い。あとにせい」
- アンヴィエットと瑠璃の間に座っていたエルルカが鬱陶しげに言うと、白衣の袖で、ぺし、と二人の顔をいた。
- 「ぬぐ……」
- 「……エルルカ様」
- 二人はだ意気が収まらない様子だったが、渋々といった様子で椅子に座り直した。対面に座っていた管理部の面々が、ほうとの息を吐く。
- 「委細承知した。こちらで対応しておこう。──それで、報告はそれだけかの?」
- エルルカが、黒衣に視線を向けながら問う。
- すると黒衣は、静かに言葉を続けた。
- 「それに際して、彩禍様から提案がございます」
- 「ほう? 何じゃ。申してみよ」
- 「はい。──まず、当面、彩禍様は、崩壊級以下の滅亡因子対応を控えさせていただきます。そして、この定例会も、回数を減らしていただきたく」
- 「ふむ……それは構わんが、なにゆえじゃ? まさか、その襲撃で傷でも負ったとは申すまいな?」
- エルルカが、無色の目を見つめてくる。
- こちらの心を見透かすようなその視線に、無色は心拍が上がるのを感じた。
- が、黒衣は至極落ち着いた様子で、首を横に振った。
- 「滅相もございません。な相手とて、彩禍様に手傷を負わせることなど」
- 「わかっておる。軽い冗談じゃ。──して、理由は?」
- 「彩禍様は、他にすることがあるとっておられます」
- 「他にすること?」
- エルルカが不思議そうに首をげる。
- 黒衣は、大きく首肯したのち、告げた。
- 「はい。彩禍様は明日より──生徒として、この学園に通われます」
- 『………………は?』
- 黒衣の言葉に。
- 無色を含めた全員が、間の抜けた声を発した。
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