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- 並の女なら音を上げるところだが、フィオネの足取りはしっかりしていた。
- さすが羽狩りは体力がある。
- 「……」
- フィオネは黙然と足を進めている。
- 疲れてきたのかと思ったが、そうでもないようだ。
- 「何か考えてるのか」
- 「いや」
- 即答。
- 「機嫌が悪いのか」
- 「いや」
- 「そうか」
- 口では否定しているものの、何かを思案しているようだ。
- 日が傾く中、更にしばらく歩く。
- 「これを見ろ」
- 夕日に光る水溜まりに、黒いものが浮いていた。
- 羽根だ。
- 鳥の羽根とは明らかに違う光沢。
- 妙なねじれと、虫が喰ったように欠けた部分。
- フィオネが、これまでに発見された羽根と見比べる。
- 「どうだ?」
- 「ああ、少し劣化しているが間違いないだろう」
- 「この近くにある隠れ家の候補を当たろう」
- 「……」
- フィオネは黙って頷き、黒い羽根をしまった。
- しばらくして、今度はフィオネが瓦礫に半分埋もれた黒い羽根を見つけた。
- 更に日が沈む直前には、俺とフィオネがほぼ同時に別の羽根を発見する。
- 「この先の街区は、ほとんど廃墟だし危険だ」
- 「入ったことは?」
- この先は大崩落の影響が大きく、多くの建物が瓦礫になっている。
- 残っている建物も、壁や屋根がなかったりと、完全な形の家はほとんどない。
- 「入ったことは、ある」
- 意外だ。
- 牢獄の住民でも、なかなか入る者はいない。
- 「防疫局の仕事でな」
- 「羽つきが逃げ込んだか」
- 「すごい数の羽根だ」
- 「その可能性はあるな」
- 「いや……」
- 「これまで、現場で証拠品として羽根を拾ってきたが」
- 「あまり、貴重なものではなかったようだな」
- 「そうだな」
- 話題を逸らすような会話だ。
- 「とにかく、調べてみよう」
- 廃屋を一通り調べたが、めぼしいものは何もなかった。
- 石の壁に、何かで引っかいたような削り跡が見つかったものの、それが黒羽によるものかどうかもわからない。
- 「ここでずっと待ち構えていれば、黒羽が来るかもしれないが……どうする?」
- 「いや……」
- 「羽根を見てくれ、乾燥が進んだものが多いだろう?」
- フィオネが羽根の一枚を握ると、ぱらぱらと砕けて落ちた。
- 新しい羽根は弾力があるはずだ。
- 「ここは、稀にしか使われていない場所なのだと思う」
- 「引っ越ししたってことか」
- 「黒羽の知能の程は知らないが、私なら追われた次の晩に自宅へは帰らない」
- 「同感だ」
- 「……もうすぐ陽が暮れる、戻ろう」
- 「ああ」
- フィオネの表情は暗い。
- そもそも、自覚があるくらい、隠し事が苦手な性格なのだ。
- 「透明だから、水かと思ったじゃないか」
- 「気にしていることがあるんだろう?」
- 「すまないが、今は話せる段階ではない」
- 「いやーっ、まいったね!もうびっしょびしょ」
- 良かった、濡れていなかった。
- 「わっ、カイムさん、びしょ濡れです」
- 「これでも外套は借りてきたんだがな」
- ティアが、わたわたと雨を拭き取る布を持ってくる。
- 「どうぞ、お使い下さい」
- 「ああ、すまん」
- 布を受け取り、雨を防ぎきれなかった箇所を拭う。
- 人心地ついて椅子に腰掛けると、ティアが茶を淹れてきた。
- 「ひどい雨でしたね」
- 「そうだな」
- 俺は、懐から拾ってきた羽根を取り出した。
- 妙なねじれと、虫が喰ったように欠けた部分。
- こいつを身にまとったのが、黒羽……。
- ふと気づくと、ティアが近くで興味深そうに眺めていた。
- 「なんだ」
- 「あの、カイムさん」
- 「これがもしかして、『黒羽』さんの……」
- 「ああ、そうだ」
- 「『さん』はいらん」
- 「今日は、こいつが沢山落ちてる場所を見つけたんだ」
- 「もしかしたら、黒羽が寝泊まりしていたところかもしれない」
- 「見せてもらっていいですか?」
- 「ああ。見たついでにどこかにしまっておいてくれ」
- 「わかりました」
- 黒い羽根に恐る恐る触れているティア。
- そんな姿を眺めながら、黒羽について考える。
- まずは、テーブルの上に地図を広げた。
- ……昨日、フィオネの家で資料を検討し合った。
- フィオネは怒っていたが、恐らく羽狩りの内部で資料がいじられたのは間違いないだろう。
- フィオネが隊長になってから資料の数が減ったのは、綱紀粛正により資料の改竄が難しくなったからだ。
- 改竄が、黒羽の捜査を攪乱するためかどうかはわからない。
- だが、ここで気になるのは、羽狩りが目を着けていた羽つきが殺されていたという話だ。
- しかも、3度も同じ事態が発生している。
- 羽狩りに近い人間が、黒羽に情報を流している可能性は十分にある。
- あとは、黒羽が化物だとわかったときの、フィオネの安堵した空気も気になる。
- フィオネは、ずっと黒羽を化物だと主張していた。
- それは、黒羽との内通者が羽狩り内部にいて欲しくないからではないか。
- ……確かめよう。
- 間違っていたとしても、何らかの動きが出る可能性がある。
- 「あ、あの?」
- 「……何だ?」
- 「黒い羽根、どこに行ったか知りませんか?」
- 「俺が知るか、お前に渡したものだろう?」
- 「で、ですよね……」
- 「あれ?どこに置いたんだろう」
- 「落としたのかな……」
- テーブルやベッドの下を覗き込んでいる。
- 「それより、紙と書くものはあるか」
- 「あ、はい、少々お待ち下さい」
- 用意させたもので手紙を書く。
- さて、仕込んでくるか。
- 「出かけてくる」
- 「え?今からですか?」
- 「お前は先に寝てろ」
- 「いえ、羽根を見つけ出さないと眠れません」
- 「もう珍しいものじゃない、気にするな」
- 「は、はい……すみません」
- 「あの、雨が強いので気をつけてくださいね」
- 「むしろ都合がいいくらいだ」
- 外套を羽織り、俺は羽狩りの詰め所に向かった。
- 朝早く起きた俺は、まずヴィノレタへ向かった。
- メルトに頼み、フィオネに『体調不良のため、今日の調査は休む』という伝言を残す。
- その足で、スラムの一角へと向かう。
- スラムに着き、地図で確認した空き屋に入る。
- 家が空き屋だとわからないよう窓に布を取り付ける。
- 俺自身は、空き屋を出て、全体が観察できる場所に陣取った。
- ……。
- 昨夜、俺は一通の手紙を書き、羽狩りの詰め所に放り込んできた。
- この空き屋に羽つきが匿われているという偽のタレコミだ。
- 羽狩りが手紙の内容を信じれば、偵察くらいは出してくるだろう。
- そして──
- もし、羽狩りの内部に羽つきの殺害を狙っている人間がいるのなら、そいつが現れるかもしれない。
- 日暮れが近づいてきた。
- 薄暗くなった道を、通いの娼婦達が、娼館街に向かっていく。
- 入れ替わるように、数人の足音が近づいてきた。
- 羽狩りが二人。
- 両方とも知った顔だ。
- こちらからは一定の距離を取り、家を観察しているようだ。
- ……偵察だな。
- 耳を澄ます。
- 「ま、上も信用はしてないんだろうけどさ」
- 「つっても、報告書は書かねえといけねえんだよな」
- 「そりゃそうだ」
- 「姫がお怒りになるからな」
- 「ははは、姫か」
- 「しかしまあ、タレコミってのは信用できないな」
- 「ほとんど悪戯じゃねえか」
- 「だが10回に1回は当たりがある……無視もできない」
- 「しゃーない」
- どうやら、俺のタレコミを見て来たらしい。
- 「で、ここの羽つきは、大人とかガキとか、そういう情報もナシ?」
- 「そうらしい」
- 「そりゃぜってー、悪戯だ」
- 「またハズレ引かされた」
- 小声で文句をいいながらも、隊員達は偵察を続けている。
- 雑ではあるが、一応の仕事はしているらしい。
- 日が落ちる。
- 家に全く動きがないのを見て、隊員達は静かに引き上げていった。
- 特に怪しい動きはなかったな。
- 本当に仕事でやってきたのだろう。
- わかったのは、羽狩りの内部ではタレコミの情報が適切に処理されているということだ。
- フィオネの目が行き届いているのだろう。
- さて、ここからが本番だ。
- 黒羽の犯行は、夜間に限られる。
- 何か起こるとすればここからだ。
- 足音が聞こえてきた。
- 緊張が身体を走る。
- 過去に叩き込まれ、今でも身に染みついている暗殺者だった頃の技術。
- そいつを全て動員し、気配を消す。
- コツ……コツ……
- 闇の中から、徐々にそれが姿を現す。
- 「……!」
- あれは……
- 黒い影がそこにあった。
- 暗闇に慣れた目でも、黒い影の主はよく見えない。
- 一昨日、フィオネと追った影と同じようにも見えるが……。
- ふぁさ、と影が揺れ、鳥の翼のような輪郭が現れる。
- 黒羽だ。
- 最初の一撃をこちらから与えなければ勝ち目はない。
- 躊躇するな。
- 可能な限り深く、一撃を。
- すでに抜いておいたナイフを握り直す。
- 深呼吸を一つ。
- 成功する自分を頭に思い浮かべる。
- 黒い影は、廃屋の中をのぞき込もうとしている。
- 「っ!!」
- 大きく振りかぶり、ナイフを投擲──
- 「ぐっ!?」
- 音もなく、ナイフの刃がシルエットの中心部に突き立った。
- ほぼ同時に、黒羽に向けて駆け出す。
- 「!!」
- 黒羽が身を翻す。
- 懐から呼子笛を取り出し、大きく息を吸った。
- 笛の音を追い抜くように、黒羽の背中を追う。
- 黒羽の足は、先日ほどではない。
- ナイフが効いているようだ。
- 路地をこまめに曲がり、俺の視界から消えようとする。
- 背中が見えたかと思うと、すぐに角を曲がってしまう。
- 見失わないように走るので精一杯だ。
- 「くっ」
- また角を曲がる。
- 呼子笛は、誰かに聞こえたのだろうか?
- また角を折れる。
- 今度は右。
- 左
- 右
- 「……」
- 角を曲がった先──
- そこに、黒羽の姿はなかった。
- どこかの建物に入ったか、屋根に登ったか、細い路地に入ったか。
- あるいは物陰から俺を狙っているのか?
- もう一度呼子笛を吹いてから、慎重に黒羽の行方を探す。
- 建物に入っていたら、扉の開閉の音や窓を壊す音がしたはずだ。
- そんな音は聞こえなかったから、建物の中ではない。
- 屋根は?
- 登ってみないとわからない。
- 路地は?
- 建物の隙間は無数にある。
- だが、俺の身体は一つしかない。
- 足音が近づいてくる。
- それも複数だ。
- 黒羽ではない。
- 「カイムさん!」
- 「……オズか」
- 「笛を吹いたのは、カイムさんで?」
- 「ああ、ここまで追ってきて見失った」
- 「おい、お前らっ!」
- 別の方向から、羽狩りが現れた。
- 「このあたりで黒羽を見失った」
- 「建物の隙間の細い路地か、屋根の上だ!」
- 「わかった!」
- 羽狩りたちは、屋根の上に登りはじめる。
- 「俺たちは路地を調べよう」
- 「はい」
- 人が通れそうな隙間を、一つ一つ調べていく。
- 調べながら、もう奴は逃げ去ってしまったのだと、ほぼわかっていた。
- 牢獄の路地を駆使して逃走したのだ。
- わざわざ俺たちに見つけられるのを待っているわけがない。
- 「オズ、どうだ?」
- 「何も見つかりません」
- 「こっちもだ」
- 見つかったのは、黒い羽根が1枚だけだった。
- 成果としてはあまりにも寂しい。
- 「カイムさん、例の笛、ここでいいんですかい?」
- また一人、不蝕金鎖の面子が来てくれた。
- 「あと若えのが一人、すぐ来ます」
- 「この界隈で消えた。詳しくはオズに聞いてくれ」
- 「へい」
- 次第に人が集まり、路地が騒がしくなってきた。
- 「お、こっちだ」
- 脇道からは、副隊長と数人の羽狩りの増援が現れた。
- 「見つかったのか?」
- 「いや……すまない」
- 「しっかりしてくれ」
- 「……」
- また捕り逃したか。
- 待ち伏せに成功しておいてこの様だ。
- 羽狩りにガセネタをたれ込む手は、もう使えないだろう。
- 新たな作戦を立てなくてはいけない。
- 「そういえば、向こうの路地でこれを拾った」
- と、副隊長が黒い羽根を出してきた。
- 「黒羽はいたか?」
- 「探してみたが、見当たらなかった」
- 「そうか」
- 黒羽が走っていたのだから、羽根くらいは落ちているだろう。
- 何か新しいことがわかるわけではない。
- 「カイムさん、私たちはどうしますか?」
- 「皆と戻ってくれて大丈夫だ」
- 「カイムさんは」
- 「俺は、もう少し残って調べてみる」
- せっかく集まってもらったのに、空振りではしょうがない。
- 今回は被害者も出ておらず、不蝕金鎖の出番ではなさそうだ。
- 「防疫局は撤収だ」
- 「はっ」
- 「うーす」
- 「スラムは不蝕金鎖の庭だろう」
- 「そこで取り逃がすとは……もう少し頼りになるかと思ったが」
- 「……」
- 「ラング、口を慎め」
- 路地の暗がりから、フィオネの声が飛んできた。
- 「フィオネか」
- 「必死に働いている人間に対して言っていいことではないぞ」
- 「申し訳ありません」
- 「さっきの黒い羽根を見せてくれるか?」
- 「え?はい」
- フィオネが手を出し、ラングが羽根を渡す。
- 「……」
- フィオネが、ランタンの灯の下で羽根を調べる。
- 今ではもう珍しくもなくなった黒い羽根だ。
- 何を調べようというのか。
- 「なるほど……」
- フィオネが顔を上げる。
- その表情には、寂しさを感じさせる笑顔が浮かんでいた。
- 「どうした?」
- 答えはなく、フィオネは羽根をラングに返す。
- 受け取ろうとラングが伸ばした手を、フィオネが握った。
- 「っっ!?」
- 流れるような動作で、フィオネが副隊長を組み敷いた。
- 「た、隊長!?」
- 「武器を奪え」
- 「はっ」
- 「せ、説明してもらえるんでしょうね」
- 「もちろんだ」
- 「まさか、副隊長が内通者だったのか?」
- 「ラング副隊長」
- 「お前、黒羽と繋がっているのではないか?」
- 「!?」
- 「否定しないのか?」
- 「ですから、説明を待っているのです」
- 「まったく理解ができません」
- 副隊長は、あくまで落ち着いていた。
- フィオネが小さくため息をつく。
- 「黒い羽根だ」
- 先ほど渡した黒い羽根を示す。
- 「それがどうかしましたか?」
- 「影から聞いていたが、逃げた黒羽が落としていったものだと言っていたな」
- 「はい、その通りです」
- 「この羽根は、詰め所から持ち出されたものだ」
- 「なんだと?」
- 「先日、詰め所に保管してあった証拠品の羽根に印をつけておいたのだ」
- 落ちている羽根を拾い、よく調べてみる。
- 狐とおぼしき印が見えた。
- 他の羽狩りも確かめている。
- 「証拠品の管理は、ラング副隊長に任せていたはずだ」
- 「箱の鍵は、私とお前しか持っていない」
- 「これは、どういうことだ?」
- 「申し上げられずにいたのですが、昨日、鍵を紛失しております」
- 「詰め所のテーブルに置き忘れまして、盗難にあったものかと」
- 「言い逃れをするのか?」
- 「本当のことです」
- 「それに私は羽根を拾っただけですので、それを私の持ち物のように言われても困ります」
- 「あくまで、自分ではないと言うのだな」
- 「はい」
- フィオネの視線が鋭くなる。
- 「罪を犯したとしても、それを認めぬのは最も恥ずかしいことだとは思わないか?」
- 「大変失礼ですが、無実の部下を一方的に詰問しているのですよ」
- 「恥がどうのという話をできるとは思えませんが」
- 「お前……」
- フィオネの眉が上がる。
- 「……」
- 経験上、副隊長は黒に見えた。
- あまりにも落ち着きすぎている。
- 言い逃れの術を事前に準備していたように思う。
- フィオネは、部下への愛情、そして正義感からラングが自白することを期待したのだろう。
- だが、副隊長は徹底して逃げに走った。
- こうなると、曖昧な証拠では彼に罪を認めさせることはできない。
- 「副隊長、上半身の服を脱いで見せろ」
- 「……」
- 副隊長が動かなくなる。
- 「脱がせろ」
- 「やめてくれ、怪我をしているんだ」
- 「やはりな」
- 「それは、俺が作った傷だな」
- 「いや、昼間の調査中に暴漢にやられた」
- 副隊長が口の端で笑う。
- 「なぜすぐに報告しない」
- 「恥だと考えましたので」
- 「いい加減にしろ」
- 「頼む……罪を認めてくれ」
- 「ま、白を切るならそれでいい」
- 「何にせよ、解毒剤を飲まなければ、明日までは保たないだろうからな」
- 「!?」
- 「俺のナイフには、毒が塗ってある」
- 「かすり傷だったのが幸いしたようだが、時間が証明するだろう」
- これははったりだ。
- だが、今までの会話の中ですでに証拠は押さえた。
- フィオネの前だ、自白を期待したい。
- 「不蝕金鎖の毒は、遅効性だが苦しいぞ」
- 「死んだ奴の家に行くとひどいものだ」
- 「一晩中苦しんで壁を引っ掻くんだ……剥がれた生爪が壁に残るくらいな」
- 「……」
- 副隊長の目に、不安がよぎる。
- 「罪を認めるなら、解毒剤を用意してもいい」
- 「あんたがどんな処罰を受けるかは知らないが、いずれにせよ毒で死ぬよりは楽だろうな」
- 「……はったりだ」
- 「お前がそう思うのは勝手だ」
- ラングの前にしゃがみ、髪を手で持って前を向かせる。
- 「解毒剤も、飲めばすぐ効くわけじゃない……早い方がいいぞ」
- 「具体的には、俺の気が変わらないうちだ」
- 「ふ、ふん」
- 横を向こうとする顔を、無理矢理押さえる。
- 「おい、だんだん、傷が痛んで来てるんじゃないか?」
- 「この毒が入ると、なかなか血が止まらないんだ」
- 「それに、ピリピリしてくる」
- 言葉で傷に注意を向けさせれば、神経が過敏になり、痛みを強く感じるようになる。
- 誰でも陥る錯覚だ。
- 「か、関係ない」
- 「これは、昼間の……き、傷だ」
- 副隊長の視線が泳ぐ。
- 「俺が付けた傷じゃないなら焦る必要ないだろ、どうした?」
- 「もう半分は自供したも同じだぞ」
- 「こうしている間にも、助かる確率は下がっていくんだ」
- 副隊長が目をつむる。
- もう、落ちたも同然だな。
- 「大体お前、俺が黒羽を追跡したのがスラムだと、どうして知っていた?」
- 「まだ、誰にも言っていないんだがな」
- 「!!」
- オズや羽狩りの奴らと出会ったのは、スラムを出てからだ。
- スラムで追跡劇を演じたことは、俺と黒羽本人しか知らない。
- 「お……お……」
- 副隊長が顔を伏せようとする。
- それを、上げさせる。
- もう、瞳に力はなかった。
- 「出会ってすぐにボロを出してたんだぞ、お前」
- 「おまけに、色気を出してご丁寧に羽根まで拾ってくる始末だ」
- 「クソが……」
- 「で、解毒剤はどうする?」
- 「……わかった、罪を認めよう」
- 「何が『認めよう』だ、馬鹿野郎」
- 「ぐっ!!」
- 副隊長の頭を地面にぶつけた。
- そのまま手を離し、立ち上がる。
- 「後はフィオネに任せる」
- 「ああ……」
- フィオネの眉が、悲しげに歪んでいた。
- それも一瞬。
- 毅然とした顔に戻る。
- 「戻ったら、防疫局の内規に定められた喚問を行うことになる」
- フィオネも冷静な声でラングに告げる。
- 「黒羽との繋がりを聞かせてもらわないとな」
- 「ははは……」
- 「見くびってもらっては困りますね、隊長」
- 「私は、誰かの手先となって動く人間ではありません」
- 「ほう」
- 「ならば、自分の意思で羽つきを殺したとでも言うのか?」
- 「防疫局の隊員であるお前が!」
- 「ふ、もちろんです」
- 「そのために、防疫局に入ったのですから」
- 「人を殺したいのなら、もっと別の仕事があるだろう」
- 不蝕金鎖でも仕事を斡旋できる。
- 「ははっ!」
- 一際大きな声で、俺の言を笑い飛ばす。
- 「私は人が斬りたかったわけではありません」
- 「なら、何がしたかった」
- 「言うまでもない……」
- 「羽つきを殺したかったんです」
- 場の空気が重く固まる。
- フィオネは、驚きと、ばつの悪さと、怒りと、恥ずかしさとが混ざった顔を作っている。
- 他の隊員も同様だ。
- 羽つきを保護する者たちの中に、羽つきを殺したい人間が混じっていたのだ。
- 面子も何もあったものではない。
- 「では、一般の人間は偽装のために殺したのか」
- 「あれ、そのあたりはまだ調べがついてないんですか?」
- 「私が『黒羽』として斬ってきたのは、羽つきだけですよ」
- 「それは……!?」
- 「他にも黒羽がいる、ということか?」
- 「残念ながら、私も本物の黒羽のことは知らない」
- 「真似はさせてもらいましたがね」
- 「つまり、ラングの他に真の黒羽がいると……?」
- 「ええ。さっきからそう言っているじゃありませんか」
- 「私はただの便乗犯です」
- 「羽つきに天罰を与えるための、ね」
- なんということだ。
- 「お、お前……」
- 怒りで震えるフィオネ。
- 「羽化病罹患者を保護する立場の我々が、殺すなど言語道断だろう!」
- 「何を考えているんだ、この……この馬鹿者がっっ!!」
- 吐き出すように言って俯く。
- よくラングの腕を折らずに我慢できる。
- そこに感心してしまう。
- 「羽つきの情報を集めようと思ったら、羽狩りにいるのが一番ですからね」
- 「今日は、結果として疑似餌に食いついてしまいましたが」
- 「ある程度は、俺の予想も当たっていたわけだな」
- 「ああ、あれはお前がやったのか」
- 悪びれもせず言うラング。
- 薄笑いを浮かべてすらいる。
- 「牢獄民の割には、頭が回るじゃないか」
- 「……」
- こういう牢獄民を見下す感覚を持った人間に出くわすのは珍しくない。
- だが、このラングは過去になかったくらい、その態度が鼻につく。
- 「ラング……なぜ羽化病罹患者を殺した」
- 「返答によってはただではおかん」
- 「怒った隊長は、一段とお美しいですね」
- フィオネがラングを睨む。
- 「羽つきは、天使様を冒涜するまがい物」
- 「そのようなものを保護などするから、この都市は汚辱にまみれているのです」
- 「な、何を言っている」
- 羽つきを毛嫌いする者は少なからず存在する。
- だが、ここまでの奴に会ったのは始めてた。
- ラングから、ふわりといつもの香りが漂ってきた。
- 香水か……
- いや、香水は香水だが、身を飾る目的のものではない。
- 思い出した。
- 教会の儀式などで用いられる聖水の香りだ。
- この男、そっち筋の人間か。
- 「あいつらは、一匹残らずノーヴァス・アイテルから排除すべきです」
- 「だが、誰もそうしないばかりか、穢れた存在を匿ったりする」
- 「だから、私が天使様に代わって見つけ出し、誅罰を加えたのです」
- フィオネが、拳を握り締めて震えている。
- 怒りもあるだろう。
- そして、俺に対して『あり得ない』『部下を信じている』と見得を切った手前の恥ずかしさもあるだろう。
- だが、多分彼女は悔しいのだと思う。
- フィオネが理想とした羽狩りの姿が踏みにじられたこと。
- その姿に向けた努力を踏みにじられたこと。
- 何より、もっとも近くにいた副隊長に裏切られたこと。
- 一方のラングは、別にふざけたり馬鹿にしている風もない。
- ふてぶてしくも、堂々と取り押さえられている。
- 「私の母はね、聖教会の敬虔な信者だった」
- 「聖職者よりも清らかで、慈愛に溢れた方だった」
- 「故に、追われる羽つきを憐れんで、家に匿ったんですよ」
- 「ところがだ、奴ら、匿われた途端に本性を現しやがった」
- 「目をつむると、今でも母の悲鳴が聞こえますよ」
- 「その時、笑いながら羽つきは言ったんです、俺達は天使様の遣いだってね」
- 「母は犯されながら首を締められて死に、私は初めて羽つきを殺した」
- 「私は悟ったんです」
- 「私は、羽つきを滅ぼすために生まれてきた……」
- 「それが、私の生まれてきた意味だと」
- 弱い奴ほどこうだ。
- 使命だの運命だの、生まれてきた意味だの、何かに縋らねば生きていけない。
- クソが。
- 「復讐のために、防疫局に入ったのか」
- 「復讐?違いますよ」
- 「羽つきを滅ぼし、この街を救うためです」
- 復讐の方がまだわかりやすかった。
- 何か悪いものでも食ったのか、多少よれてしまったらしい。
- ま、よくいる類の連中だ。
- 「フィオネ、こいつの趣味の話はいいだろう」
- 「さっさと連行しろ」
- 「……ああ」
- そう言うのがやっとという風だった。
- 下層出の人間には、重い話だったのかもしれない。
- 「隊長にはわかってもらえていると思ったんですが」
- 「羽つきなんて奴らは、殺さなきゃいけないんですよ」
- 「わかるわけがないだろうっ!!」
- 絶叫した。
- 自らの存在をかけて、フィオネが叫んだ。
- 魂の叫びだった。
- 「そうですか、貴女も穢れた存在だったのですね」
- フィオネが、ラングの頭を殴った。
- 「ぐっ……」
- 「フィオネ、もういい」
- 「こいつの話に付き合うな」
- 「く……」
- 砕けるのでは、というほどきつく歯を噛みしめてから立ち上がる。
- 「連行しろ」
- 「はっ」
- 二人の羽狩りがラングを立たせる。
- 「俺は、割とあんたのことが気に入ってたんだがな」
- 「触るな、穢れた者の手先が」
- 「貴様に連行されるなど、私にはふさわしくない」
- 「てめえっ」
- 太った羽狩りが激昂する。
- 一瞬の間だった──
- ラングが、太った羽狩りが履いた剣を抜く。
- 「あっ!」
- 羽狩りが距離を取る。
- だが、ラングの剣は己の首を向いていた。
- 止めるほどのこともないだろう。
- 「地獄に落ちろ、羽狩り共」
- 「やめろっ!」
- 切っ先が、頸動脈をかき切る。
- 「……くっ」
- 音もなく、ラングの首から吹き出す鮮血。
- それが、羽狩り達の身体を濡らす。
- もちろん、フィオネも例外ではない。
- 「ははは……」
- 「清らかなるものは……いつか……汚れる、もの……ですよ」
- ラングは、笑みを浮かべたまま自らの血溜まりに突っ伏した。
- 「……」
- フィオネが、凝然と立ち尽くす。
- 彫像のように、その面は、硬く硬く凍り付いていた。
- 現場が一段落してからジークに顛末を話し、俺はヴィノレタに足を運んでいた。
- 黒羽本人ではなかったが、情報を攪乱していた人間を排除できたのは前進だ。
- 火酒を頼み、いつもの席に着く。
- 「はい、お待たせ」
- 「おう」
- 噂話の集まる酒場の店主だ。
- きっと、メルトの耳にもラングの事件のことは入っているに違いない。
- だが、触れずにいてくれるのは、こいつのいいところだ。
- 「いいか、身内に裏切られる原因は二つしかない」
- 「善人でも裏切りを考えるほど自分の脇が甘いか、悪人を見抜けずに身内に抱え続けちまったかだ」
- 今日のジークは、いつになく真面目な顔で語っていた。
- ……ジークも身近な人間の裏切りには厳しい。
- 先代が亡くなって跡を継いだ際に、副頭のベルナドに大勢の手下を引き連れて独立された経験があるからだ。
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