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- ○平田洋介の独白
- 僕にとって、クラスの友達はとても大切な存在だ。
- ……いや、それは少し違う、か。
- 僕にとって、大切なのはクラスなんだ。
- 妙な矛盾を孕んでいることを、僕自身良く分かっている。
- 大切な友達を守るために、クラスを守る。
- クラスが守られれば友達が守られる。
- クラスとは何十人という生徒が一つに集まった組のこと。
- 人の数だけ考えがあり、ちょっとしたことで揉め事を起こす。
- だから僕が守らなきゃいけない。
- いつしか僕にとって、僕という存在にとって、クラスを守ることが命題になった。
- だけど───それは、本当の、本来の僕じゃない。
- 僕は元々、クラスの中心的存在ではなかった。
- どちらかというと日陰の存在だった。
- Cクラスで言えば、綾小路くんに似ていたんじゃないだろうか。
- だから僕は、たまに彼を昔の僕と重ねていた。
- でも僕は変わった。
- あの事件が起きて、変わらざるを得なかったんだ……。
- 幼い頃から、とても仲のよかった友達がいた。
- 幼稚園から中学校まで、クラスもずっと同じだった友達。
- その友達が僕の知らないところで虐められ、自殺未遂を起こした。
- いや、生きていたのは単なる偶然。
- 死んでいてもおかしくはなかった。
- あの日。
- あの日から僕の運命は変わり始めた。
- どうすれば虐めはなくなるのかを考えるようになった。
- だけど僕は失敗した。
- 間違ったやり方で、クラスを押さえつけた。
- クラス内での争いは消えたけど、同時に笑顔も消え去った。
- そして今、僕の目の前で再び同じことが起ころうとしている。
- 同じ過ちを繰り返すわけにはいかない。
- こんな僕が辿りついた、一つの答え。
- 唯一、クラスを守ることが出来る方法。
- それは───
- 目の前に広がるのは、驚いた顔を見せるクラスメイトたち。
- 「堀北……ちょっと黙れよ」
- 知性の欠片もない言葉。
- 粗野で乱暴な、僕の言葉。
- 発せられる声は、怒りとも悲しみとも違う。
- 堀北さんを含め、クラスメイトの異様な目が向けられる。
- 関係ない。
- もう、こうなったら関係ないんだ。
- 最悪の特別試験が終わりかけた時。
- 僕は、僕は───
- ○嵐の前の静けさ
- 学年末試験が終わって数日が経ち、今日からついに3月に入った。
- 誰もが気にしていた、学年末試験の結果が伝えられる月曜日。
- 万が一、赤点になれば退学措置が待っている。
- 「先生、今から発表っすよね!?」
- 勇んだ池が、ジッと座っていられず前のめりになって担任の茶柱に聞く。
- 「そう焦るな。1分もしないうちに分かることだ」
- 茶柱は定例の行動に出て、持ち込んだ大きな紙を広げていく。
- 大抵のことはデジタルな携帯や掲示板を使っての発表で済ませるこの学校だが、退学がかかった筆記試験の結果発表だけはこのスタイルを続けているようだ。
- 「手ごたえはあったのか? 池」
- 「そ、そりゃまぁ。一生懸命勉強しましたけど……」
- 「懸命に勉強した、か。それでも不安は残るのか」
- 呆れるというより、少しおかしかったのか茶柱が小さく笑った。
- 普段から低い点数を取っている池にしてみれば、どれだけ勉強しても当然不安だろう。
- 「毎回最下位を争ってる須藤、おまえはどうだ」
- 本来であれば一番不安に駆られていてもおかしくない生徒。
- これまでのテスト、全教科の殆どで最下位に沈んでいると言っても過言ではない。池同様の返事が来ると思っていた茶柱だったが、予想外の言葉が飛び出す。
- 「……少なくとも、俺は自信持ってるぜ。赤点は絶対に取ってねえ」
- 「ほう?」
- 運動以外に取り柄のなかった須藤だが、その表情と声はある種の自信を覗かせていた。
- もちろん池と同じように不安だって少しはあるだろう。
- だが、それを上回るだけの努力とその経験が須藤に自信を持たせていた。
- 堀北との繰り返しの勉強によって身につけた知識。それは一夜漬けで覚えた付け焼き刃の知識とは違う。脳裏に少しずつ、ゆっくりとだが植えつけられていく知識だ。
- 須藤の勉強の師である堀北の顔にも曇りはない。
- まぁ、調子に乗っている須藤のことは多少気に入らないようだが。
- 「ふっ……子供の成長ってヤツは中々に面白いな。誰が伸びてくるのか読み切れない。私の予想を簡単に裏切ってくる。さて、それではお待ちかねの学年末試験の結果を発表するとしよう」
- 黒板に貼り出された全員のテスト結果。
- この後、茶柱によって赤点ラインが引かれる。
- その線の下に名前があった者は強制的に退学となる。
- 「今回の結果は───」
- 茶柱が手にした赤のペン。先端が紙に押し当てられ、まっすぐに横線が引かれる。
- その運命の赤線。
- その下に、名前のある生徒は───誰もいない。
- つまり……。
- 「見事に全員合格だ。これまでで一番、文句のつけようのない結果だった」
- 茶柱からオレたちCクラス全員の合格が発表される。
- 「っしゃあ!」
- 真っ先に叫んだのは池。
- 相当肝を冷やしたことだろう。何故なら総合点で池は最下位だったからだ。
- 「いやー楽勝だったよなぁ。はははは……あぶねぇ!」
- 名前の真下に赤線がある状態を繰り返し見ながら言った。
- 「俺なんて前日にちょっと勉強しただけだぜ?」
- 更にブービーの山内も池に続く。
- 「嘘つけよ春樹、必死こいて毎日やってたじゃん」
- 「そうだっけか? わははは!」
- 何はともあれ、池も山内も合格なのだから誰も不満はないだろう。
- そんな様子を茶柱はどこか温かい眼差しで見ていた。
- それにしても意外な結果だ。
- 最下位は池、次点で山内、そして本堂、佐藤、井の頭と続いていく。
- 須藤はその井の頭の上に名前が書かれていた。
- これまでの須藤の成績から考えれば、大きな躍進と言えるだろう。
- 「この1年間、テストのノビシロという意味では、おまえが一番だったぞ須藤。合格に自信を持っていたのも頷ける。これからの向上にも期待させてもらうぞ」
- 同じような感想を茶柱も口にする。
- 「へっ。自慢するほどでもねえよ」
- そう言いながらも、満更でもない様子の須藤。
- 一方で上位陣の顔ぶれは基本的にいつもと似たようなものだ。
- 1位は啓誠。2位は高円寺。啓誠は元々学力は高く、常に勉強を怠らないため首位をキープしているが、高円寺に関しては謎だ。普段から勉強をしている素振りはなく誰かと意見を交わすこともない。元々身につけていた学力を使ってるとすれば、そのポテンシャルは啓誠をも凌ぐかも知れない。順位に多少のムラがあることから、試験によって手を抜いている可能性があるな。3位は堀北。やや英語が苦手な印象だが、今回は高い点数を修めて来た。須藤と勉強しつつ、自分自身の学力向上にも成功したといったところだろうか。
- 「他のクラスはどうなんですか先生」
- 「お前たち同様、無難に乗り切った。クラス別の平均点では、おまえたちは3位だ」
- どこが1位と2位で、最下位かは聞くまでもないだろう。
- 「やっぱりAクラスとBクラスを抜くには、もっと全体の点数を上げないとダメね」
- 堀北は結果に慢心することなく、順位と点数を記録していく。
- 上位の連中は満点に近く点数はほぼ打ち止めだからな。下位連中の底、つまり最低点を引き上げて行くほかないのは事実だ。
- 「よく須藤をここまで仕上げたな。感心してる」
- 「彼自身の努力の結果よ。今回は弱点を徹底的に潰したのが功を奏したわ」
- 須藤も苦手な教科は堀北と同じで英語だったが、点数は飛躍的に伸びている。
- 2人で英語を重点的に勉強したことが、その点数からも窺える。
- 「次の試験の時には、もう少し上を狙えるんじゃないかしら。もちろん、彼が集中力を切らさずにいれば、だけどね」
- その辺の心配は無用だろう。堀北がいる限り須藤は頑張り続ける。
- 恐らく須藤自身勉強に手ごたえというものを感じ始めているはずだ。
- もしかすると近いうち、クラスの上位半分に食い込んでくるかもな。
- 「池くんや山内くんも赤点からは少し余裕があるみたいだし、定期的に勉強会を開いていたことは正しかったみたい。後は隣にいる誰かさんが全力でやってくれたら、もう少し平均点が上がるのだけれど?」
- 「今がオレの限界だ」
- オレもいつも通り、良くもなく悪くもなく。今回は十八位という結果だった。
- 「そんな言葉で私は納得しないわ。いずれあなたにも本気で挑んでもらうから」
- 「期待に沿えるように努力だけはしておく」
- 何はともあれ、今回も乗り切ることが出来たのは大きい。
- 池や山内たち、ギリギリセーフの生徒たちが安堵し、冗談を飛ばしあう。そんな様子を、Cクラスの担任である茶柱は静かな眼差しで見つめていた。
- 「単純な表現になるが、良くやったと褒めておこう」
- 中々自分の担当クラスを褒めない茶柱だが、ここ最近は割と変わり始めていた。もしかするとこの学年末試験も、全員無事に乗り越えてくるという予感はあったのかも知れない。
- 「やったぜ!」
- 「だがな池、喜びすぎるのも問題だぞ。特別試験ならいざ知らず、こういった学業面における筆記試験は赤点を取らないのが当たり前だ。それに全国的に見てもこの筆記試験の難易度はトップクラスというわけではないからな」
- これまで1年間の筆記試験と比べれば、難易度は確かに高かった。しかし乗り越えられるレベルをキチンと用意している辺りは、学校としての体裁を保っていると言えるか。
- 「さて、いつまでも楽しかった話をしていても仕方がない」
- 陽気な空気に包まれていた教室の空気を、茶柱は一気に重いものへと切り替える。
- いつもの展開だ。
- 「おまえたちも薄々予想しているとは思うが、筆記試験を終えて、それで終わりではない。この後に大きな特別試験が行われることになっている。例年通り、3月8日に開始予定だ」
- 茶柱が説明をする。
- 3月8日ということは、来週の月曜日か。
- 筆記試験を終えたばかりだが、学年度の日程も残り僅かなため無理もない。
- 3年生に至っては、その特別試験以外に、更にもう一つ以上の試験があるらしいしな。
- 「とにかく次の特別試験で最後だ。みんなで力を合わせて頑張ろう。そうすれば、誰も退学することなく、このクラスでAクラスを目指せるはずだよ」
- 平田からの激励が飛ばされ、多くの生徒が息を合わせ頷いた。
- そんな様子をどこか微笑ましく見ていた茶柱。
- 「おまえたちなら、本当にこのまま3年間、誰一人退学者を出さずに卒業することが出来るかも知れない、そう期待している」
- ホームルームが終わるまで少し時間があったが、茶柱はそう一言付け締めくくった。
- 「なんか先生に最上級の褒められ方した気がするよな?」
- 嬉しそうに池と山内が笑う。
- 「だが気は抜くな? 来週の最終試験も、けして生易しいものにはならない」
- 軽く注意を飛ばし、茶柱は改めてこの場を締めた。
- 1
- 残り僅かな1年生としての生活。
- 午前の授業の合間、休み時間にオレはトイレに立った。
- その帰り道、見覚えのある2年と3年の2人が話し込んでいるところに遭遇する。
- 生徒会長の南雲と、元生徒会長堀北学だった。
- 単なる偶然だとは思うが、南雲はすぐにオレの存在に気がつく。
- 手招きされてしまい、気づかないフリをして教室に戻るわけにもいかなくなった。
- 「よう綾小路。学年末試験は乗り切ったか?」
- そんなフランクな南雲。堀北兄の方は静かにこちらに視線を向けるだけだった。
- 「なんとか」
- 意味もなく会話が始まってしまう。
- 「生徒会長を目の前にした態度とは思えないぶっきらぼうさだな」
- 「……そうですかね」
- 少しだけ居住まいを正す。それで納得するかは分からないが、多少はマシだろう。
- 「まぁいい。それよりも丁度良かった。おまえに一つ聞きたいことがあったのさ」
- 周囲に人がいないことが幸いとでも言うように、南雲は嬉しそうな顔で口を開く。
- 「一之瀬帆波の誹謗中傷、その話題から逸らすように色んな生徒の噂話が掲示板に書き込まれたあの事件、アレは一体誰がやったんだろうな?」
- こちらを試すような発言。いや、あるいは既に見抜いているとでも言いたげだ。
- 南雲がどれだけ情報を握っていようとこちらの態度が変わることはない。
- 「さあ、オレには分かりません。ただ迷惑を被ったことだけは事実ですね」
- 「そう言えばおまえも被害者だったよな。内容はなんだったか……」
- 「その件に関しては、学校側にこれ以上余計なことはしないように通達されてます。生徒会長であっても例外じゃないと思いますが」
- こうして詮索するような真似も本来は避けるべきことだ。
- 「綾小路の言う通りだ南雲。不用意な発言は慎むべきだろう」
- 援護射撃を受け、南雲はすぐに引き下がった。特別したかった話題でもないらしい。
- 「有名人のお2人は、ここで何を話してたんですか」
- 「ちょっと堀北先輩に相談事があったのさ。そうッスよね?」
- 何か意図を含んだ視線を送る南雲に対し、堀北兄は静かに頷く。
- それにしては場所が気になるな。ここは1年のクラスが並ぶ階層、違和感が残る。
- 「1年や2年より先に、堀北先輩が無事にAクラスで卒業できるかどうかの重要な戦いの前哨戦が明日から始まる。そのことで直接話を聞いてたのさ。お前も興味があるだろ?」
- 3年生はオレたちと違いもう一つ以上の特別試験が予想されている。
- いつ始まっても不思議じゃないとは思っていた。
- 南雲がオレに何を言わせたいのかは分からないが、ここは素直に答えておくか。
- 「特に興味はありませんね。上級生を心配している余裕なんてありませんし」
- こっちが関心を示さなかったことに、南雲はやや不満そうな顔を見せた。
- 「つれないな。おまえも堀北先輩に可愛がってもらった一人だろ」
- 別に可愛がられた覚えはない。
- 実際1年間の中で、堀北兄と絡んだことなど本当に数えるほどしかない。
- 「いいやおまえは特別扱いを受けてるのさ綾小路。だが、それはおまえが特別な生徒だからじゃない。置かれた環境がたまたま特別だっただけのことさ。そう、丁度向こうでこっちのことを心配そうに見てる後輩が、同じクラスメイトだったからな」
- 後輩? 振り返ると、そこには遠巻きにこちらを見る堀北の姿があった。
- 偶然にしては出来すぎているメンバーが、集まってきているな。
- 「おまえが呼び出したのか、南雲」
- 「先輩の妹に声をかけておくのは当然でしょう。来年は、俺が生徒会長として後輩たちを引っ張っていくんですから」
- どうやら、堀北兄がいることも妹がいることも南雲が仕組んだことらしい。
- 唯一偶然な要素はオレだけだったということだ。
- 「こっちに来いよ」
- 堀北妹に対し南雲は、フランクにそう声をかけた。
- 「……私にメールを送ってきたのは、南雲生徒会長ですか」
- 「正確にはちょっと違うが、そんなところだ。おまえが堀北先輩の妹だな?」
- 「はい……堀北鈴音です」
- 兄の前ということもあり、委縮しながら堀北が答える。
- 「まさか堀北先輩の妹が入学時はDクラスに配属されてたとはな、意外だった」
- 「何が目的だ南雲」
- 妹には一度も目を向けることなく、堀北兄は話を促す。
- この場をセッティングしたのであれば、何かしらの意味があるはず。
- ところが南雲は、何もないと首を左右に振った。
- 「ただ会いたかっただけですよ。先輩とその妹にね」
- 品定めの目的があったのかも知れない。
- それを感じ取ったからこそ、堀北兄は先手を打った。
- 「先に言っておくが、妹を使ったところで俺から譲歩を引き出せると思わないほうがいい」
- 「譲歩? まさか。俺が先輩の妹かつ可愛い後輩に、手を出すとでも?」
- 「勝つためなら手段を選ばない。それがおまえのはずだ」
- 堀北兄からの厳しい言葉に、南雲は肯定こそしなかったが否定もしなかった。
- 「にしても水臭いじゃないッスか。妹がいるならもっと早く俺に教えてくれても良かったのに。そうすれば、早い段階で生徒会に誘ったんスけど」
- 「なに?」
- 意外な言葉が飛び出し、それに驚いた兄と妹。
- 「先輩の妹なら、俺が卒業した後に生徒会長の座にだってつけるでしょ。この学校で数々の栄誉を与えられた男の妹なら肩書としても十分ですしね」
- 「血縁関係だけで実力を推し量るな。俺がどうであったかと妹は一切の関係がない」
- 「……はい。私に生徒会の役員など務まりません」
- 兄の否定に被せるように、堀北妹も自らを下げるように生徒会入りを否定する。
- 以前オレが生徒会に関する話を匂わせた時も、本人は否定的だったからな。
- そんな謙遜ともとれる妹の態度に、南雲は何かを見たようだった。
- 「今日のところは、とりあえず顔合わせだけだ。また後日誘うさ」
- 実際に生徒会に入れたいかどうかは別問題として、この先も南雲は堀北妹に積極的にかかわっていくと公言しているようなものだった。そうやって揺さぶりをかけ、堀北兄のウィークポイントを探そうとしているのかも知れない。
- 「……それじゃあ、あの、私は───」
- 南雲からではなく兄から逃げるように、堀北はそう言って切り上げようとした。
- 「先輩の学校生活も残り僅かなんだ、もっと甘えておいた方がいいんじゃないか?」
- 「すみません。これで失礼します」
- これ以上の会話が兄にとって不愉快なものになると判断し、堀北は教室の方へと小走りに向かって行った。妹の姿を見れば、如何に兄妹関係が悪いかは誰の目にも一目瞭然だ。
- 「随分と『良好』な関係のようですね、堀北先輩」
- 「満足できたか? 南雲」
- どんなことを南雲が企もうと、堀北兄にとって関係ないようだ。
- 「俺ならもっと、妹との残された時間を大切にしてやりますけどね」
- 半ば南雲による煽りのようなものだったが、兄貴を追いかけてこの学校に来たはずの堀北が、これまで僅かな時間しか兄と接することが出来ていないのは事実だ。
- 「ともかく先輩。何とかAクラスで卒業して在校生に存在感をアピールしてくださいね。万が一にでもBクラスに落ちて卒業に、なんてなったら笑えないッスからねえ」
- もしそうなれば、学校からの期待、生徒からの期待を裏切るような形になるだろう。
- プレッシャーも相当なもの……いや、そんなものを感じる男ではないか。
- 堀北兄は話が終わったことを感じ取り、余計な言葉を発することなく去って行った。
- 「やれやれ。やっぱりこの程度じゃ相手にしてもらえないか」
- どこまでも堀北兄にこだわるつもりらしいな、南雲は。
- 「元生徒会長との勝負がそんなに大切ですか」
- 少し前に行われた合宿では、南雲は堀北兄に対して自分とは関係のない3年全体を巻き込む、手段を選ばない方法を取って攻撃を仕掛けていた。
- 「当然だろ。堀北先輩を倒すことが俺の、この学校でやり残した唯一の目標だ」
- 2年と3年じゃ、直接勝負をするような場面は殆どないからな。
- どんな強引な手段を使ってでも実現させるつもりなんだろう。
- 「ま、どうするかは試験内容と堀北先輩次第だけどな」
- どれだけ敵を作ることになろうとも、南雲は卒業までに堀北兄と白黒つけるつもりらしい。内容によると言っているが、どんなものであれ南雲は踏み込んでいくだろう。
- 堀北兄と決着をつけるだけの時間は、殆ど残されていないからな。
- 「南雲生徒会長の方こそ、来週からの特別試験に問題はないんですか? 2年生ともなると、簡単にはいかないと思いますが」
- 「さてどうだろうな。精々、俺が転ぶことを期待しておくんだな」
- 休み時間終了間際になったため、南雲は話を切り上げた。
- 程なくして教室に戻ると、隣人の堀北がこちらに視線を向けてきた。
- 「南雲生徒会長と、兄さん……何を話していたの?」
- 「気になったなら最後までいれば良かっただろ」
- 「それは……」
- ま、無茶な話だったな。こいつは兄貴の前じゃ借りてきた猫のように大人しくなる。
- 「そもそもあの2人の間で話を聞いているあなたが異常よ。随分と色々な人に目をつけられるようになったじゃない。体育祭で兄さんとリレー勝負をしたお陰かしら?」
- 綺麗な皮肉を送られる。とは言えオレも未来予知が出来るわけじゃない。
- 常に100点で物事を進められるわけじゃないからな。
- 「おまえは1年間、その兄さんとは絡む機会が殆どなかったみたいだけどな」
- 「……悪いかしら?」
- オレがちょっと兄貴のことで踏み込むと、堀北は途端に機嫌を悪くした。
- それなら変に堀北兄の話を絡めて来なきゃいいものを。
- 南雲との会話の中で、堀北兄の話題が出たかどうかが気になっている表れだ。
- 「卒業していなくなる前に一度向き合ってみた方がいいんじゃないか?」
- 「あなたは何も分かってない。兄さんが私の相手をするはずなんてないもの。邪険にされると分かっていて自分から近づくなんて愚の骨頂よ」
- だから学校に入学しただけで満足、近くで見守るだけでいいってことか。
- 「兄さんが興味あるとしたら、それは……気に入らないけどあなただけよ」
- それは違う。
- オレはそう言いかけてやめた。
- 今ここでこれ以上突っ込んだ話をしたところで堀北は信じない。
- 何より自分から向かっていく勇気を持たない中では意味のないことだ。
- 「そうか。だったら、そうなのかもな」
- オレは切り離すようにこの話を終える。
- 堀北はまだ不満を持ってはいたと思うが、それ以上何も言ってこなかった。
- ○クラス内投票
- 翌日3月2日火曜日。
- 朝のホームルーム。
- チャイムが鳴って程なくして、茶柱がやって来る。
- 日々の変わらない光景。
- クラスメイトたちは弛緩した空気の中にいた。
- 昨日の学年末試験発表を無事に終えたこと、そして1年にとって最後の特別試験が始まる3月8日まではまだ日がある。どこにも緊張感を持つべき要素はないのだから当然だ。
- しかし教壇に立った茶柱の様子は、いつもよりも格段に険しい。
- ピリピリとした空気を放ち、それが生徒たちにも伝染していく。
- 「あの、何かあったんですか」
- 常にクラスの平穏を第一に考える平田が、率先して茶柱に投げかける。
- 茶柱はすぐには答えず、沈黙を続ける。
- まるで言葉を発することを嫌だと感じている、そんな様子だ。
- どんな厳しいことも容赦なく叩きつけてきたこれまでの流れから、その様子が異様なものであることを理解するのに、生徒たちもそう多くの時間を必要としなかった。
- 「───お前たちに、伝えなければならないことがある」
- 重苦しく口が開かれた。
- 顔つきこそ変わらない厳しめなものだったが、声は喉の奥から懸命に引っ張り出しているような印象を受ける。
- 「1年度における最後の特別試験が、3月8日に始まることは昨日伝えた通りだ。この特別試験を終えることで、2年生への進級を完了とする。通例の話だ」
- 茶柱は背を向け、チョークを手に取ると黒板に手を伸ばした。
- 「しかし今年は、去年までとは少しだけ状況が異なる」
- 「異なる、ですか」
- ただならぬ、不穏なものを感じた平田が聞き返す。
- 「学年末試験を終えても尚、本年度は一人も退学者が出ていない。この段階まで進み、退学者が出なかったことは、この学校の歴史上これまで一度もなかったことだ」
- 「それって、俺たちが優秀ってことですよね」
- 調子に乗ったわけではないだろうが、池が割り込むように言った。
- 普段の茶柱なら、調子に乗るなと釘を刺したかも知れない。
- 「そうだな。それは学校側も認めているところだ。通常、これは喜ばしいことと言えるだろう。我々学校サイドとしても、一人でも多くの生徒が卒業してくれることを願っている。しかし、それでも『予定と異なる』という点では、問題を孕んでいると言わざるを得ない」
- 奇妙な言い回し。平田や隣の堀北が、その言い回しに違和感を覚える。
- 「まるで困るような言い回しですね。これまでに退学者が出ていないことを」
- 「そんなことはない。だが、時には私の予測を超えた事態になることもある」
- 喜ばしい話をしているのに、茶柱の言葉は何故か重い。
- それを払拭するために堀北は続ける。
- 「何が仰りたいのでしょうか。私たちに何か問題があると?」
- だが何を言ったところで、この先、茶柱が口にする中身は変えられないだろう。彼女は自由な存在ではない。学校側の人間であり、ただ指示を伝える役割しか担っていない。
- 「学校側はおまえたち1年生から退学者が出ていないことを考慮し───」
- 一度、茶柱は言葉を止める。
- 喉の奥に下がりそうな言葉、それを絞り出している。
- 「その『特例措置』として、追加の特別試験を今日より、急遽行うこととなった」
- 黒板に今日、3月2日火曜日の日付と追加特別試験という文字を書き記していく。
- 「ええっ!? なんすかそれ! 追加の特別試験とか最悪じゃないですか! って言うか誰も退学者が出なかったからって追加でやるなんてガキみたいじゃん!」
- 叫ぶ池に対して、茶柱は視線で全てを流した。生徒たちに拒否権などあるはずもない。
- いや、流さざるを得なかったのかも知れない。今日の茶柱はいつもより余裕がないように見える。脅すためのものではなく、本当に急遽決まったものである可能性は高そうだ。
- 「これまでとは何やら少し状況が違いそうね」
- 現時点での反撃に意味がないことを悟った堀北は小さく呟いた。
- 「その特別試験をクリア出来た者だけが、3月8日の特別試験へと進むことが出来る」
- 軽く説明し、一度間を置く茶柱。
- 「なんか納得いかないっすよ! 俺たちの時だけ追加試験やるなんて!」
- 「おまえたちが不満に感じるのも当然だ。予定になかった特別試験の実施。過去と比べて1つでも多くなってしまうことが、生徒たちの負担になることは避けられない。それは事実として私や他の先生方も重く受け止めている」
- 先生方も重く受け止めている、か。それはつまり、教師は追加試験を重く受け止めているが、学校はそう考えていない。そんな発言のようにも捉えることが出来る。
- 確かにここで余計な特別試験が重なることは生徒にとって辛いものでしかない。
- 仮に筆記試験のように学力が求められるものであれば、生徒たちは新たに勉強に励まなければならないし、体力試験であっても同様に、対策を練る必要がある。
- どちらに特化したものであろうとも、それを生徒たちに強いるのは過酷なことだ。
- とは言っても、生徒たちが不満を口々にしたところで、特別試験がなくなるわけじゃない。茶柱は話を続ける。
- 「特別試験の内容は極めてシンプルだ。そして退学率もクラス別に3%未満と高いモノとは言えない」
- 退学率3%未満。
- そう聞く分には、確かに低いように感じる。
- だが恐らくこの追加特別試験は、これまでの筆記試験等とは状況が変わってくるはずだ。
- わざわざ先に退学率なんてものを持ち出す必要はない。
- これまでの試験では一度も、そんな表現を使っていなかった。
- それに気づいた生徒は、更なる不信感を抱く。
- 隣人に一度視線を向けると、時を同じくしてこっちを見てきたため偶然に目が合った。
- 「どうしたの綾小路くん」
- 「いや。何でもない」
- 「何でもなく私の方を見ていたのだとしたら、それは少し気持ちの悪い話だけけれど?」
- 「……だな」
- 視線を外し、オレは一度窓の外を見ることにした。
- 狭い教室の中だ、視線がどうあれ話の内容は全て聞こえてくる。
- 「一体どんな試験なんでしょう、僕たちにはどんな能力が問われるのでしょうか」
- 「その点に関して不安を感じているようだが、何も恐れる必要はない。追加の特別試験においては、知力体力などとは一切無縁。本番当日誰にでも簡単に出来ることを行うだけのシンプルなものだ。そう、テスト用紙に自分の名前を書くようなもの。その結果退学になる可能性が3%なら低いだろう?」
- あくまでも本質、試験の内容には触れようとしない。
- 「……難易度は関係ありません。僕たちにしてみれば、その3%が怖いんです」
- 「確かに、おまえの言う通りだ平田。3%に怯える気持ちは分からないでもない。だが、その3%を下げることが出来るかどうかは、本番までに用意された期間の行動によって変わる。その想像はついているだろうがな」
- 「どこから3%未満という数字が導き出されたんでしょうか。お話からするに単純なくじ引きということではないんですよね?」
- クラスの中から1人退学者が出てもおかしくない確率だ。
- 軽々しく3%と言った茶柱だったが、生徒側の負担は思ったよりも大きい。
- それを真っ先に理解する平田だからこそ、その点に食って掛かった。
- 「教えてください。一体どんな特別試験なんですか」
- 「特別試験の名称は───『クラス内投票』だ」
- 「クラス内、投票……ですか」
- 黒板に書き出される特別試験の名称。
- 「特別試験のルールを説明する。おまえたちは今日からの4日間で、クラスメイトに対して評価をつけてもらう。そして賞賛に値すると思った生徒を3名、批判に値すると思った生徒を3名選択し、土曜日の試験当日に投票する。それだけだ」
- 生徒同士が互いに評価しあうということか。シンプルに考えれば、平田や櫛田のような生徒は多くの票を集め上位に食い込む。反対にクラスに迷惑をかけたり足を引っ張っていたと思われる生徒は批判票を集め、下位に沈むということだ。
- 本来休みであるはずの土曜日を使ってまで行うあたり、緊急性が垣間見える。
- しかし茶柱の発言からすると上位と下位には───。
- 「そ、それだけ? それだけが試験なんすか?」
- 「そうだ。ただそれだけだ。言っただろう? 簡単な試験だと」
- 「そんなもので、どうやって試験の合否、良し悪しを判定するんですか?」
- 「それを今から説明する」
- チョークを強く握り締め、茶柱は更に書き進めていく。
- 「この特別試験の肝は、投票の結果集まった賞賛票、批判票にある。上位……つまり沢山の賞賛票を集めた1位の生徒には特別報酬が与えられる。この特別報酬では、プライベートポイントではなく『プロテクトポイント』と呼ばれる新制度、その特典を1つ与える」
- これまでに聞いたことのないポイント。
- 当然、誰もが興味を抱く。
- 「プロテクトポイントとは、万が一退学措置を受けたとしても無効にする権利のことだ。テストで赤点を取ったとしても、このプロテクトポイントを持っていればポイントの分だけ無効にすることが出来る。ただし、このポイントは他人に譲渡することは出来ない」
- それを聞いた瞬間、今までにない驚きが教室中に広がったと言っても過言ではない。
- 「このポイントの凄さはお前たちにも分かるだろう。実質、2000万ポイントにも匹敵する価値がある。無論、退学の恐れのない優秀な生徒にしてみれば、然程価値はないに等しいかも知れんがな」
- そんなことはないだろう。誰であろうと、確実に一度退学の処罰を無効に出来る権利は持っておきたいもの。歓迎しない生徒など存在しない。
- あまりにも豪華な報酬。いや、豪華すぎる。
- このプロテクトポイントは扱い方ひとつで、とんでもない凶器にも化けそうだ。
- そして豪華さ故に、下位に与えられるペナルティも大きくなることの証明でもあった。
- 「下位3人には、何か不都合なことが起こるということですか……?」
- それを不安に感じた平田が聞く。
- 「いや。今回ペナルティの対象となるのはクラスの中でもっとも批判票を集めた1名のみ。それ以外の生徒は何票の批判票を受けようとも罰せられることはない。今回の追加特別試験の課題は『首位1名を選出すること、そして最下位1名を決めること』にあるからだ」
- 「どんなペナルティ、なんですか?」
- 「今回の追加特別試験は、これまでと同じものではなく、ある一点が大きく異なっている。それは、追加を行う起因となった『退学者の不在』を解消するために実施される試験だということだ」
- そう。生徒が憂えるべきはこの追加特別試験が実施された理由だ。
- これまで退学者が出なかったことから行われる試験なら───。
- 「特別試験の難易度自体は、説明した通り簡単なものだ。学力の低い者も、運動の苦手な者も、そのどちらにとっても不都合ではない試験。なのに何故、学校がプロテクトポイントと呼ばれる破格の報酬を用意したのか。それは一人も退学者を出さずに進級することは恐らく不可能な試験だからだ」
- 茶柱の視線が生徒一人一人に向けられる。
- 「そう、最下位になった生徒には……この学校を退学してもらう」
- 投票を行えば、結果が出る。
- 結果が出れば首位と最下位が決まる。
- そして最下位には退学。
- この流れは必然、起こるということ。
- どんなに優秀なクラスであろうと、そうでなかろうと結果は同じ。
- 『誰が』という部分の違いでしかない。
- やはりそういう試験だったか。
- 今回の追加試験は退学者が出ないことに業を煮やした学校側が決めたもの。追加で試験を行っても尚退学者が出ないようでは追加試験をする意味がなくなることになる。
- だが、オレの頭に過ったのは理事長である坂柳の父親。一度会っただけで人間性の全てが見えるわけじゃないが、このような理不尽な試験を行うタイプには見えなかった。
- 「い、意味わかんないッスよ先生。も、もし最下位になったら、つまりその……一人退学するってマジで言ってんですか?」
- 「そうだ。断頭台に上ってもらうことになる。だが安心しろ、今回退学者を出したとしてもクラスそのものにペナルティが与えられることはない。そういう試験だからな」
- これまでの特別試験とは明らかに違う。個人個人の退学になる確率に違いはあれど、退学を免れる術は等しく全員にあった。だが今回は、必ず誰かが犠牲になるシステム。
- これが学校側の用意した『特例』ということだ。
- 強制退学を迫るからこそ、プロテクトポイントなんてものをぶら下げた。
- そうしても尚、釣り合わないほどのリスクを背負わされる。
- 「理不尽だと思うだろう。それは、教師である私も思うことだ。しかし、それが決まった以上抗うことは出来ない。ルールに従い、特別試験に挑むほかない」
- 「そんなんってありかよ……」
- 学年末試験を乗り越えたばかりのクラスに立ち込める暗雲。
- 週末には、このクラスの中から誰かが消える。
- 「投票日までの時間は限られているからな、ルールの説明を続けさせてもらう。クラス内での賞賛、及び批判の対象となった生徒の投票は試験終了と共に全て公開される。つまりクラス全員の結果が発表されるということだ。ただし、誰が誰に投票したかについては永久に公開されない匿名方式だ」
- 確かに、この方式で試験を行うなら匿名にするのは避けられない。
- 賞賛票はともかく、誰が誰に批判票を入れたかという点は、今後も燻り続けるからだ。
- 「それから、賞賛の1票と批判の1票は互いに干渉しあう。仮に10人から批判票を集めようとも、30人から賞賛の票を得れば、差し引き20票のプラスということだ。賞賛批判の票に関係なく、自分自身を投票の対象にすることは出来ない。また同一人物を複数回記入することも禁止だ」
- 「棄権……たとえば賞賛票のみ記入するといったことは出来ますか」
- 「当然出来ない。賞賛票、批判票問わず3名全て記入してもらう。仮に体調を崩し試験当日に学校を休んだ場合にも、投票は行ってもらう」
- つまり無記入や棄権という形は取れないということだ。
- 何人かの生徒が頭を抱える。
- 批判票を集める自負のある生徒にとっては、脅威的な試験。
- おんぶに抱っこで乗り越えて来た生徒ほど圧迫感を覚えるだろう。
- 「……いや、絶望するには早いよ」
- 平田が落ち着かせるように池たちを宥める。
- 「先生は『恐らく』不可能だって言ったんだ。つまりどこかに抜け穴はあるはずなんだ」
- これまでの試験なら、そういった言葉遊びからの活路も用意されていた。
- しかし、今回のケースはどうだ。
- 『恐らく』と表現したのは限定的な方法を含めただけではないだろうか。
- 「簡単ではないけれど、確実に退学を防ぐ手段は存在するわ」
- 「ど、どういうことだよ堀北」
- 「賞賛票3人、批判票を3人選べるということは、クラス全員が団結して投票をコントロールすることさえ出来れば、賞賛だけされる生徒も批判だけされる生徒も0に出来る。そうすれば、誰かが最下位になってしまうことはない。違う?」
- 「そ、そうかそれだ! 流石だぜ鈴音!」
- 確かに、クラスメイト全員が指示通りに動くのなら可能だろう。だが、たった一人でも裏切り者が出れば、その時点でその生徒に裏切られた者は『退学』の道を進むことになる。
- 1位にはプロテクトポイントという魅力的な報酬も待っているからな。
- 堀北を嫌う櫛田などが問題となりそうだが、そこは調整でカバーできるか。櫛田に堀北への批判票を入れるよう役割を与えれば、危機をある程度回避することが出来る。最終的に得票結果が出るのなら、誰が裏切ったかも後々判明する。
- つまり裏切り者が露呈してしまう。迂闊に裏切ることは出来ないだろう。
- 「今堀北が話していた投票のコントロールだが、それは無意味なものだ」
- 「どうしてですか、先生」
- 「今回の特別試験は『首位と最下位』を1名ずつ選出させなければ不成立となる。意図的にしろ偶然にしろ、投票結果で全員が0票という結果になったなら、再投票を行う。つまり退学者が決定するまで延々と試験は繰り返される」
- 慌てて活路を探す生徒たちの逃げ道を塞いでいく。
- 「それは───ルールとして変ではないでしょうか。もっとも賞賛、批判すべき生徒を選んだ結果、偶然0票になったならば、再投票でも結果は同じになります。強引に捻じ曲げれば、それは正当な評価で選んだ生徒ということにはならないと思います」
- 「堀北、おまえの理屈は正しい。確かに偶然0票になったのなら、再投票ということ自体矛盾していることは認めよう。だが現実的に考えろ。首位と最下位を選ばせる試験で、偶然にも全員が0票という結果になることはまず『あり得ない』。違うか?」
- そう突っ込む茶柱の指摘ももっともだ。
- 意図的に調整しなければ0票という結果になることはまず起こらない。
- 「……では首位、最下位が2名以上同じ投票数で並んだ場合はどうなりますか」
- そのケースは十分に考えられる。
- 「どちらのケースにせよ、決戦投票を行う。しかし、それでも尚、再度票数が分かれることもあるだろう。そうなった場合には、学校が用意した特殊な方法で優劣を決める。その方法は現段階では説明できない」
- あくまでも決戦投票の末に同数になった場合にのみ、教えるということか。
- そこまでもつれ込む可能性は、かなり低そうだが。
- 「心配する必要はない。実際に決戦投票になる可能性は限りなく0に近いだろう」
- 同じくして茶柱が補足する。
- 「何故ですか。十分に可能性としては考えられるはずです」
- 「その理由は……賞賛票に関しては、クラス外の生徒への投票も行ってもらうからだ」
- 「クラス外、ですか」
- 「おまえたちには、自分の所属するクラス以外の3クラスから1名、賞賛に値すると判断した生徒1名を選出し投票してもらう。当然、それは賞賛の1票としてカウントされる。つまり、万が一クラス内でだけ嫌われ、他クラスの全員から好かれている生徒が存在すれば、批判票を差し引いても80票程の賞賛票を得ることも可能ということだ」
- イレギュラーな、宙に浮いた100票以上の賞賛票が存在するということか。
- それなら、確かに同数で決戦投票になる可能性はグッと低くなる。
- これで追加試験の全貌は明らかになったと言ってもいい。
- 追加試験・クラス内投票
- 試験内容
- 賞賛票、批判票が各自に3票ずつ与えられ、クラス内で投票し結果を求める試験
- ルール1
- 賞賛票と批判票は互いに干渉しあう。賞賛票-批判票=結果
- ルール2
- 賞賛、批判問わず自分自身に投票することは出来ない
- ルール3
- 同一人物を複数回記入すること、無記入、棄権などの行為も一切不可
- ルール4
- 首位と最下位が決まるまで試験は繰り返し行われ、最下位は退学
- ルール5
- 他クラスの生徒に投じるための専用の賞賛票も各自1票持っており、記入は強制
- 以上が、追加試験の内容だ。
- この試験が非常にシンプルかつ単純なものであることは疑いようがない。
- だが、その中身はこれまででもっとも残酷なものだと言えるだろう。
- 週末には、このクラスから、それ以外のクラスからも『誰か』が消えている。
- しかし───
- 「先生。なぜ恐らくと付けたのでしょう。どう聞いても抜け道は存在しません」
- 「そうだ。抜け道は存在しない。だが不確定要素を持っていることは事実だ。おまえたちの頭の片隅にもあるだろうが、プライベートポイントを使えば話は違ってくる」
- 「それはつまり、退学処置をポイントで解決すると?」
- 「2000万ポイント。その額を用意できるのであれば、こちらとしては退学を取り消さないわけにはいかないだろう」
- だからこその『恐らく』ということか。
- プライベートポイントの移動を制限しないということは、それを使った交渉は黙認されているということ。金で賞賛票を取れるなら取ればいいということだ。
- それもまた実力と判断されている。
- 自身の1年間周囲に見せてきた『能力』。
- 試験を通じ貯めて来た『資金力』。
- あるいは友情を介した『チーム力』とでも言おうか。
- それらを好きに発揮して見せろってことだ。
- 「ま、待ってくださいよ。2000万ポイントなんて……」
- 「Cクラス全員のプライベートポイントを集めても不可能だな。他のクラスからかき集めるか、あるいは上級生からの施しを受けるか。けして届かない不可能な額ではない」
- 確かにクラスや学年を飛び越せば、物理的には届くポイントだ。
- しかしCクラスの一人を守るために集められるかと聞かれれば難しいだろう。
- AクラスやBクラスですら、仲間内のポイントをかき集めても届かない可能性が高い。いや、仮に届いていたとしても、生徒一人守るために使えるかと聞かれれば、怪しいところ。これまで築いてきた財産全てを投げ打つのは相当にリスキーだ。
- 「これが学校のルールに抗うことの出来る、唯一の防衛の方法だ。それ以外に学校側のルールの穴を突くような真似は絶対に無理だと断言しておく。後はおまえたちが判断し決断することだ」
- 茶柱はホームルームが終わる時間に合わせるように話を終えた。
- 教師が姿を消すと共に、生徒たちは不安に駆られる。
- 「どうすんだよどうすんだよ、マジで最悪な試験が始まるじゃんかよ!」
- 「男子うるさい!」
- 「何だようるさいって! おまえ、俺に批判票入れる気じゃないだろうな!」
- 男女が入り乱れて、警戒しあうように罵声を浴びせる。
- 「醜いねえ」
- 男女の争いを見て、一人の男が鼻で笑った。
- クラスでも一際変わった存在、高円寺六助だ。
- 「ここでジタバタしてもどうにもならないだろう?」
- 「テメェだって余裕こいてられる立場かよ。これまでクラスにどれだけ迷惑かけてきたのか自覚してんのか?」
- 須藤がそう言って高円寺に詰め寄る。
- 確かにこれまで、高円寺は自らの自由気ままなスタイルでクラスをかき乱してきた。
- 「無人島試験も、体育祭も、テメェは一方的に棄権をしただろうが」
- クラス内から視線が集まる。
- 今、心の弱い生徒が求めているもの。
- それは自らが退学になりたくないがめに、人柱になってくれる存在だ。
- 「分かっていないのは君だよレッドヘアーくん」
- 高円寺は足を組み、机の上に投げ出す。
- 「君はこの1年間で培ってきたものが、この特別試験のキーだと思っているようだねぇ」
- 「実際にそうだろうが!」
- 「違うね。これはこの先2年間を見据えた特別試験なのだよ」
- 高円寺は真っ向から須藤の発言、いやクラス中の意見を否定した。
- 「あ? 何言ってんだおまえ……」
- 理解できない須藤は、高円寺のいつものふざけた言動だと思っただろう。
- 「いいかい? この試験は文字通り特例なのさ。退学者を出したクラスは大きなペナルティを食らうのが通例だろう? しかし、今回はそれが一切ない。つまり『不要な生徒』をデリートするのに適した機会ということだよ」
- 「だから、その対象がおまえだって言ってんだ、クラスの厄介者が!」
- 「いいや。それはないね」
- 「あ? ……そう言い切れる理由はなんだよ」
- 「何故なら、私は優秀だからさ」
- 有無を言わせぬ圧倒的に大胆な態度で、高円寺はそう言い放った。
- その迷いのない態度に須藤が怯む。
- 「筆記試験では常にクラス内、いや、学年でも上位に食い込んでいる。現に学年末試験では僅差の2位だった。もちろん私が本気を出せば1位を取ることは造作もない。それに身体能力の面でも、私が君を凌駕していることは、他でもない君が分かっているだろう?」
- ポテンシャルの高さを訴える高円寺。
- 「だ、だからなんだよ。そんなもん真面目にやってなきゃ意味ないだろうが!」
- 「そうだね。だからこれからは『心を入れ替えるよ』。私はこの試験を境に、様々な試験でクラスに貢献し、役立てられる生徒となるつもりだ。クラスにとってそれは、大きなプラスになると思わないかい?」
- 「んな、んなの、誰が信じるってんだよ! おまえより俺の方がよっぽど役に立つぜ!」
- 須藤の叫びももっともだ。
- オレも、そしてそれ以外の生徒も誰一人高円寺の発言を信じられる要素はない。
- 事実この男が、この試験を境に真面目になるとは到底思えない。
- いや、実際に何かが変わることなどないだろう。
- この試験を乗り越えさえすれば、また自由気ままな生活を送ることは目に見えている。
- 「では逆に聞こう。君が私以上に役に立てるという話。それを皆は信じられるのかな?」
- 高円寺は須藤を通り越し、クラスメイトに問いかける。
- 「いや、レッドヘアーくんだけじゃない。これまで役に立っていなかった生徒が、この先役に立つ保証などどこにもないだろう? 私のように口だけなら幾らでも言える。しかし本当に必要なのは秘めた実力だよ。それが伴っていなければ、何ら説得力を持たない」
- 実力を持たない生徒が心を入れ替え頑張ると言う。
- 実力を持った生徒が心を入れ替え頑張ると言う。
- それが似て非なるものだと高円寺は語った。
- 高円寺は自分が批判票を集め最下位になるかも知れない、そんな風には全く疑っていない。それどころか、この追加試験そのものを歓迎している様子だった。
- しかし高円寺にリスクが全くないわけではない。
- クラスの方向性次第では十分に、批判票が集まる危険性を孕んでいる生徒だ。
- 良くも悪くも本音を言いすぎている。
- もっとも、正直な感想を言えば高円寺の考えにはオレも賛同だ。
- クラスを思うなればこそ、この追加試験のことは割り切って考える必要がある。
- 好き嫌いではなくクラスのために不要な生徒を選りすぐり消し去れるチャンスが来た。
- これまでの試験なら、大きな長所を持ちながらも短所を抱えた生徒の退学、そんな事態も多くあり得た。分かりやすく言えば、まさに高円寺とやりあっていた須藤だ。恵まれた身体能力に対し、クラス内で最下位を争う学力。事実、その学力が足を引っ張り一度は退学になりかけた。しかし須藤はその後堀北の協力もあり、徐々に短所を補い始めている。結果的にクラスの歯車としての価値を見せ始めた。
- 須藤のように、長所と短所を併せ持つのが大抵の人間だ。
- 一方で、長所に恵まれず短所のみが悪目立ちしてしまう人間も少なくはない。人間は誰もが成長できる可能性を秘めているが、その開花の時期に違いもあれば、成長の幅が少ない者もいる。だからこそ、この試験を利用しない手はない。
- その気づきを持てている人間は残念ながら、このクラスではまだ高円寺だけのようだ。
- 「ごちゃごちゃうるせえよ高円寺。俺はおまえが不要だと思うぜ。それは変わらねえ」
- 「君の親しき友人たちがどんなに無能だとしてもかい?」
- 「無能……俺のダチが無能だと? ふざけんなよ」
- 高円寺の机を一度強く叩き、須藤は強く睨みつける。
- 「そうかい。やはりその程度か。君がそう判断するのなら、それもまた自由だが……それじゃあいつまで経っても、このクラスは落ちぶれたままだろうねえ。まさに不良品だ」
- 意に介さず、高円寺は余裕そうに髪をかきあげた。
- 度々繰り返される挑発するような発言が、須藤に火をつけていく。
- 「いい加減に───」
- 「2人とも落ち着いて。ここは冷静に話し合う必要があるんじゃないかな」
- 間に割って入る平田。
- こんな形で、平田が仲裁に入るのは何度目だろうか。
- もはや見慣れた光景だが、須藤はヒートアップして止まる気配がない。
- 「何が冷静にだよ平田。おまえはいいよな、絶対に最下位になることはないんだからよ」
- 「な───」
- 池の言葉が平田に突き刺さる。
- 確かに平田はこの1年大きくクラスに貢献してきた。普通にこの試験を行えば一番安全な生徒の一人と言っても過言じゃない。必ず誰かが退学するこの試験では、安全な領域にいる生徒の言葉は芯に響かない。
- 「僕は、僕だってどうなるかは分からないよ」
- そう否定するも、その言葉は須藤には届かない。
- 「聞いたかよ寛治。平田がどうなるかわかんねーって」
- 「いやいや平田様だけはセーフだし」
- 苛立ちというより呆れながら苦笑いをする山内と池。
- それも無理のない話だ。
- 誰だって平田が退学するかも知れない、そういう風には考えないだろう。
- 多少批判票が集まったとしても、必ず一定の賞賛票は得られる。
- 「っ……」
- 平田も、何度か言葉を発してきたがついに詰まってしまう。
- それにまだ特別試験は発表されたばかり。
- 混乱が落ち着かない状態で、平田の言葉を冷静に受け止められるはずもない。
- 「話の続きしようぜ高円寺」
- 「もう君と話すことはないんだけどねえ」
- 「こっちには山ほどあるんだよ」
- 勢いの留まらない須藤。この場で唯一止められるとすれば───。
- 「そこまでよ須藤くん」
- 「うっ……」
- 鶴の一声ならぬ、堀北の一声。
- 「多少勉強ができるようになったくらいで、調子に乗らないことね」
- 「いや、今回はそういうんじゃなくてよ……」
- 「黙りなさい」
- 「……わかった」
- 僅かなやり取りで須藤を完全にコントロールする。
- 堀北は須藤に席に戻るよう指示し、高円寺から距離を取らせた。
- 「堀北さん、助かったよ」
- 「大したことじゃないわ。この試験の内容に比べればね」
- そう言って堀北は高円寺の傍からも離れ、自分の席へと戻った。
- 「お勤めご苦労さん」
- 「余計な手間を取らされたわ」
- 息を吐いて、席に座る。
- 「でも……本当に厄介なことになったものね。これまで不安定ながらも結託し、力を合わせてきた。なのに、ここに来て誰かを強制的に蹴落とさなければならないなんて……あまりに酷い仕打ちよ」
- この乱れていく空間をどうにも出来ず、嘆く堀北。
- 「仕打ち、か」
- もちろん、そう愚痴りたくなる気持ちはわかるが。
- 「あなたはそう思わないの?」
- 「元々何一つ保証なんてないだろ。入学した当初からな」
- 「……そうね。確かに聞かされていない後出しばかりだったわ。だけどそれでも、今回の件は理不尽だと思う」
- 「ま、退学者が出ていないことに対する報復みたいなもんだからな」
- 堀北のように不満を覚えるのも無理はない。
- しかし今回の試験、完全な傍観者に回るわけにもいかないな。
- クラスメイト全員に一定の退学リスクがある。いや、放置することでクラスカーストの低いオレも批判票の的になってしまう恐れがありそうだ。
- それを避けるために、早い段階で布石を打っておいた方がいいか。
- 「私は今回の試験を素直には受け止められない。だけど……」
- そう呟いた堀北だが、表情には何か強い意志のようなものを感じ取れた。
- その後もクラス内には不穏な空気が残り続け、午前の授業を送ることになった。
- 1
- 昼休み、綾小路グループは昼食ついでにカフェで話し合いの場を設けていた。
- 「あーもう、超嫌な展開じゃない? 強制的に退学者を出させるなんて。学校も何考えてるんだかさ」
- ストローを加えながら、波瑠加は大きなため息をつく。
- それに真っ先に反応を示したのは、啓誠。
- 「同意見だ。けど何より俺が許せないのは、クラスメイト同士で戦わなきゃならない点だ。これまでの連携を求めるような試験と真逆なのは全くもって理解に苦しむ」
- 「そうだよな。これまではどんな試験にしろ相手は、他クラスだった」
- 明人も、啓誠の発言に頷いて見せた。
- 「一人も退学者が出てないからって……これじゃ当てつけみたいよねー」
- 今日の午前中、生徒の誰もが落ち着きなく、どこか浮ついた様子で皆過ごしていた。
- 理不尽とも取れる学校側からの追加試験を不服に思う生徒は当然多いだろう。今頃他のグループも、オレたちと同じような話をしているのかも知れない。
- 「本当に裏技的なのって存在しないのかな。ゆきむーみたいに頭いいならひとつやふたつ思いつかない?」
- 「ない……んじゃないか? 堀北が最初に提案した票の調整。それで均等に振り分けるって戦略が唯一の道だったと思う。けど、茶柱先生の話じゃそれは不可能らしいし。身勝手に近い追加試験とはいえ、提示してるルールを無視するようなことは出来ないはずだ」
- 考え込む啓誠が解決策を見いだせないのも無理はない。
- 今回の試験、どう聞いても逃げ道は封鎖されている。
- 「退学者が出ないことは、学校にとっても望ましいこと。俺はそう思ってた。けど、その前提は違ったんだ」
- 「……学校は本気で退学者を望んでる……ってことね」
- まだどこかに希望を抱いていた波瑠加の表情も、険しいものになっていく。
- 「だから楽観視はしないほうがいい。今回は多分、厳しい結果が待ってるはずだ」
- 厳しい結果、つまりそれはクラス内から退学者が出るということ。
- 避けようのない未来が待っているということ。
- 「……週末にはこのグループの中から誰かが消えてるかも知れないわけね」
- 先ほどから言葉を発さず、不安そうにする愛里が小さく首を振った。
- そんな未来は想像したくない、そう態度に現れていた。
- 「黙って試験迎える以外に、やれることはあるはずだよな? 啓誠」
- 不安を払拭してくれることを期待して、明人が啓誠に聞く。
- それに合わせるようにして、啓誠は一度頷きメンバーを見渡した。
- 「明人の言う通り、退学しないためにやれることはある。そこで提案なんだが、俺たちで組んで投票しあわないか?」
- 「投票しあうってことは、賞賛票の名前を書きあうってこと?」
- 「ああ、別に俺たちの誰かが賞賛票で首位を取れるとは思ってない。ただ、万が一の最下位を避けるためにも、協力し合っておいた方がいい」
- このグループ5人で協力し合うだけでも、各自3票の賞賛票を得ることが出来る。
- 大切なのは、批判票を3票打ち消すことができるということ。
- 「で、でもいいのかな。クラスに貢献した人を選ばなきゃならないんじゃ……? 先生もそうやって票をコントロールしても無駄だって……」
- 真面目な愛里がやや不安そうに言う。
- 「ある程度、組織票になるのは仕方がない。茶柱先生だって、他の生徒だって承知の上だ。それに俺たちがやらなくても、必ず幾つかのグループは出来る。集中して批判票を1人にぶつけることが出来るからな。現に俺たちだけでも批判票は5票も入れられる」
- 「5票……この試験じゃ重いよね。大きいグループが出来たら、10票20票入れることだって難しくないってことでしょ?」
- 「そう言うことだ。つまりクラスに顔の効くヤツほど楽な戦いができる」
- そう。この試験の肝の1つはそこにある。
- クラス内カーストの強い生徒ほど有利な傾向があるということだ。発言力の強い生徒がグループをまとめあげて、特定の生徒を攻撃するだけで相当有利になる。
- 「グループでカバーしあうってのは俺も賛成だ。この中の誰にも欠けて欲しくないしな」
- オレもフォローするように申し出ておく。
- 「わ、私もっ」
- その後に愛里に続いて同意した。
- 「決まりだな」
- グループの満場一致を受け、啓誠が頷く。
- 「いや、待ってくれ。ちょっと聞きたいことがある」
- 啓誠の作戦には同意する明人だが、気になる点もあるらしい。
- 「俺たちのグループより大きいグループを作られることもあるよな?」
- 「もちろん作られるだろうな。むしろ、その可能性の方が高い」
- 当然そのことは啓誠もわかっていると頷く。
- もしここで、オレたちが大グループを作る先導をしていこう、そんな話が啓誠から出たら止めなければならない。今回に限っては、それは得策じゃない。
- 「私たちも早めに手を打って、他の子に声かける?」
- 「いや……俺たちは、とにかく試験が終わるまで事を荒立てないようにする。クラスの誰相手であろうといざこざだけは絶対に起こさないようにするんだ。大グループを作るのはよそう」
- 「つまり……狙い撃ちされないために、目立たないようにするってわけね」
- 下手に注目を浴びれば、須藤や高円寺のように的になりやすくなる。
- 「それに俺たちが、その手の戦略に向いてないグループなのは明白だしな」
- 「まー、そうね」
- 自分たちの手で大グループを作ること、それは避けておくべきだと啓誠は判断した。
- 波瑠加も含め納得してそのことに全員が賛同してくれたのはありがたい。
- これでオレの『戦略』に巻き込まれて損をする可能性はなくなったと見ていいだろう。
- 「ただ、個人的に別のグループからの誘いが来れば受けてもいいと思ってる。自分への批判票が集中するのを避けるためにも、大切な戦略だろうしな」
- 綾小路グループ内で賞賛票を回せると言っても、一人3票。
- 他のグループと仲良くでき、批判票を避けられるなら尚のこと良しだ。
- 「でもそれは難しいんじゃない? そういうこと出来ない集まりだし。私ら」
- 他のグループの輪に入ってないからこそ、このグループがあると言いたいらしい。
- ま、啓誠も分かった上で言ったんだろうけどな。
- もし誘いがあれば受けた方がいいというアドバイス。
- これは正解でもあるが、ちょっとした危険性があることも事実だ。
- 下手に参加するグループを広げれば、八方美人と取られ逆に痛い目にあうこともある。
- そう簡単に入れてくれるグループは見つからないだろうが。
- 「3票だけじゃ、絶対じゃ、ない、ってことだよね……? 私、クラスの中じゃ全然役に立てないから……だから、皆に批判票を投票されちゃうかも……」
- 愛里は自分がターゲットになるのではと不安を抱く。
- この試験、クラスの誰か一人に批判票が集中すると、それを防ぐ術は殆どない。平田や櫛田であれば多くの批判票を覆すだけの賞賛票を得られるかも知れないが……。
- いや、それも怪しいか。どれだけ多くの組織を作って票を固められるかが本質。正当な評価を受けられる生徒、そしてそれによる得票は極めて限られていると見たほうがいい。
- 「心配しすぎない方がいいよ愛里。今からそれだと絶対持たないから」
- 「う、うん……」
- それでも気になるものは仕方がない、と顔を暗くする愛里。
- 確かに気弱な性格はこの試験ではマイナスに作用することが多そうだ。
- 「ほーんと最悪よね……仲間内で敵対しあって警戒しあわなきゃいけないなんてさ」
- 「そうだな。でも、それが試験になった以上仕方がない」
- 「きよぽん割り切ってる感じ?」
- 「割り切りたくなくても、受け入れるしかないと思ってる」
- 大人ねー、と波瑠加はちょっと感心して頷いた。
- 「ねえところでさ。ちょっと気づいたんだけど、アレ見て」
- 波瑠加が、オレや啓誠たちの後ろの方を指差す。
- 振り返った先には、Dクラスの男の姿があった。
- 明らかに周囲との隔たりがあり、目立って見えたので気がついたのだろう。
- 「なんか状況が変わってさ、雰囲気も変わったよね龍園くんって」
- 「偉そうに王様気取りだったのが、身包み剥がされて裸になっただけだろ」
- 啓誠は龍園のようなタイプを特に嫌うからか、口調は厳しかった。
- これまで他クラスに取ってきた態度や戦略を見れば当然の結果か。
- もちろん、龍園が今の状況を悔いている、あるいは苦にしていることはないはずだ。
- 「けどさ、今度の試験って龍園くんにはキツイんじゃない? そうでもない?」
- 疑問を感じた波瑠加からの問いかけに啓誠が頷く。
- 「キツイなんてもんじゃないだろ。絶望的じゃないか? これまで好き勝手やって来たんだ、批判票が集まるのは避けられないだろうしな」
- その意見には明人も頷いて同意する。
- 「なんか虚しいもんだよな。自分が締め上げてきたクラスに排除されるかもってのは」
- 「でも、それにしては落ち着いてないかな? 一人で堂々と本なんて読んでるし……私だったら泣いちゃうかも……」
- 不思議そうに波瑠加の方を見て口にする愛里。
- 「アレでしょ? 諦めの境地ってヤツ。この試験、孤立した嫌われ者はジタバタしたってどうしようもないし。男として最後くらい堂々としてるつもりなんじゃない?」
- その見立ても間違ってはなさそうだ。
- しかし、事実何もしなければ、龍園が退学になる可能性は高い。
- 「みやっち、ちょっと龍園くんに聞いてきてよ。今どんな心境なのかさ」
- 「聞けるわけないだろ……」
- 落ち着いて見えても、鋭い牙が内包されていることに変わりはない。
- 不用意にからかうような真似をすればどんな反撃を食うか。
- 「あんまりジロジロ見るのはやめとけよ」
- 「はーい」
- 明人から注意され、波瑠加は軽く手を挙げて返事した。
- 「話をCクラスに戻すけどよ、高円寺の発言、アレはどう捉えるべきなんだろうな」
- 明人はそんなことを啓誠に聞いた。
- そのことを啓誠も考えていたのか、すぐに答えが返って来る。
- 「実力があるなら残すってやつだろ? まぁ一理あると思うが、それでも俺は高円寺こそ不要な生徒なんじゃないかと思う。あいつはクラスをかき乱す。正直怖い」
- リスクを嫌う啓誠からして見れば、確かに高円寺の存在は計算出来ないだろう。
- 「それに……ちょっと残酷な言い方かも知れないが、高円寺なら心があまり痛まない。批判票に名前を書きやすい一人にはどうしてもなる。おまえたちはどうだ?」
- 「それは、まぁあるかもね。誰か名前書かなきゃいけないなら、やっぱり書く時に躊躇わないで済む人がいいし」
- 「うう……でも、高円寺くんは変わった人だけどいつもテストの点数凄いよね? クラスにとっては、私なんかよりよっぽど貢献してると思う」
- 自分自身が不安な中、愛里はそう言って高円寺を擁護する発言をした。
- 「いつもテスト発表のたび、啓誠くんや高円寺くんは凄いなぁ、って思ってたし……」
- 「ダメだって愛里。こういう時は割り切らないと、後で自分が苦しむだけよ?」
- 「そうなんだけど……」
- それでも誰かを落とすということに、愛里は強い抵抗を覚える。
- 「私は高円寺くんで、とりあえず賛成できるけど?」
- 「俺も異論はないぜ」
- その方針でいいの? と波瑠加が啓誠に伺いを立てる。
- 「ひとまず、な。どの道3人選ばなきゃいけないし、状況によっては変更する」
- 批判票を入れる暫定メンバーとして、綾小路グループからは高円寺が候補者になった。
- 高円寺が必要な人間、不要な人間、色んな意見があって然るべきことだ。
- オレの視点から見ても、高円寺という男は確かに大きなリスクを持っている。
- 高円寺の気まぐれ次第で、大きくマイナスに作用することがあるからだ。
- だが───それを上回るだけの才能を持っていることも間違いないだろう。もし仮に高円寺が正面から試練、課題に挑めば大抵のモノはクリアしてくる。底が見えない現状でもそう思わせるだけの力は確実に持っている。
- 「俺は嫌いじゃないんだけどな……。良くも悪くも未知数だよな、高円寺は」
- 批判票として納得した明人の理由はそういう部分にあるらしい。
- 存在感だけはピカイチというか、噂の中でも計りきれない存在のようだ。
- 「他には……池くんや山内くん、須藤くん。この辺りが批判票を入れる本命?」
- 「だな。高円寺を含めその4人が退学者として濃厚だ、今のところはな。けど、あいつらだって黙って試験日を迎えるとは思えない。大きなグループを作って賞賛票を集めて、極力批判票が増えないように手を打ってくるはずだ」
- 「私たちもけして、安全圏にいるわけじゃないもんね」
- そう、既に試験は始まっている。仲間を作り、共通の敵を作る戦い。
- 「今朝までクラス全員が仲間同士だったとは思えない会話してるよな、俺たちって」
- 辟易するぜと、明人はこの先のことを思い描き息を吐いた。
- 波瑠加は何を思ったか、再び龍園を見る。
- 「まだ複数の退学者候補がいて、全員に回避できる可能性があるだけマシなのかもねー」
- Cクラスの現状を理解できたからこそ、Dクラスの龍園が如何に難しい状況に置かれているかを波瑠加は知ったようだ。
- 狙い撃ちされれば、どんな人間だろうとひとたまりもない。
- 「もしさ、みやっちやゆきむーが龍園くんの立場だったらどうする?」
- 「どうするもなにも、クラス全員敵に回したら足掻きようがないからな。俺なら諦めてる」
- 早々に匙を投げる明人。
- 質問を振られ、真面目に考える啓誠も、しばらくして首を左右に振った。
- 「無理だな」
- 「無理かー。たとえば、クラス全員脅すとかは?」
- 「逆効果になるだけだ」
- むしろ、それを望んでいる生徒もいるかも知れない。
- 脅してくれた方が遠慮なく、龍園に批判票を入れることが出来るだろう。
- 「なら賞賛票をもらえるように他クラスに頭を下げるとか」
- 「おまえ、龍園に頼まれたら賞賛票入れるのか?」
- 「え~? 私は入れないかな」
- そういうことだ、と啓誠が頷く。
- 「大体のヤツはそういうジャッジを下す。龍園の普段の態度を知ってるからな。あんなヤツを助けたいと思う変わり者は相当少ないはずだ」
- 「じゃ、ちょっと賄賂渡してクラスメイトから票を買うとかは?」
- 「龍園が仮に、結構ポイントを貯めてるんだとしても、沢山の票を買えるとは思えない。変な話、龍園は敵を作りすぎたし厄介な相手のイメージもある。ちょっとやそっとの金で票を売るとは思えないな」
- 「でもさ、他クラスの賞賛票ならチャンスあるんじゃない?」
- 「いや、そうでもない。俺たちのような外野からしても、龍園がいなくなってくれた方がDクラスと戦う時に楽な気がしないか?」
- 「あー……確かにそうかも。何してくるかわかんない怖さ持ってるし」
- 龍園の苦しいところはまさにそこにある。もしこれが、ただ単にDクラスの足を引っ張るだけのお荷物だったなら、あえて賞賛票を集めて退学を阻止したかも知れない。だが、龍園は敵にも面倒で厄介な存在として認識されているから、退場して欲しいというのが多くのジャッジだろう。わざわざ脅威となりそうなヤツを残しても内外にメリットは少ない。
- 後々のことを考えていたり、あるいは龍園こそがクラスの救世主になると盲信する生徒もいるかも知れないが、それが少数であることは今出ている材料から疑う余地はない。
- もし仮に念書を交わし、賞賛票を入れると複数人と契約を交わすとしても、その証明をするのは極めて難しい。匿名である以上、1票でも賞賛票が含まれてさえいれば、全員が『入れた』と嘘をつき通すことも出来る。万が一、揉めて不都合が起きたところで、龍園が退学してしまえば後の祭りだ。
- それ以前に、誰が好き好んで龍園と念書を交わすのかという問題も残るが。
- 「完全に詰んでるってわけかー」
- 「平静を装うので精一杯なんだろ。退学したくないからって、ジタバタして必死に足掻くのは格好悪いからな」
- 「それは確かに……王様だった人からすれば、みっともないよね」
- 惜しい気もするが、龍園の退学は決定的だ。
- もちろん、本人に足掻く意思があるのなら話も少しは変わって来るが……。
- ここでどれだけ議論しても、その答えが出ることはないだろう。
- どう思っているかなんて、本人の腹の中でしか分からない。
- 「なら、試してみるのはどうかしら」
- 耳元に近い位置から声をかけられた。堀北だった。
- 手にはビニール袋。昼食のサンドイッチが覗いていた。
- 「試してみるってどういうことだよ」
- 言葉に引っかかりを覚えた明人。
- いや、不穏なものを感じ取ったというべきか。
- 「龍園くんが今何を思っていて、何を考えているのか。それを知るには話しかけてみるしかないわ」
- 「やめとけよ。藪から蛇が出てくるぜ」
- 誰も龍園には近づこうとしていない。
- 「それならそれでいいのよ」
- 「今ここで龍園にかかわっても何の意味もないだろ。今回の試験には無関係なんだ」
- 「そうね。確かに関係はない。だけど私の役には立つかも知れないもの」
- そう言って堀北は、少しの間を置く。
- オレが動かないことを見てか、程なくして一人で歩き始めた。
- 「何だよ、役に立つかも知れないって……」
- 理解できないと首を傾げる啓誠と明人。
- 「ねえ、ちょっと不味いんじゃないの? 堀北さん危なくない?」
- 「私もそう思う……清隆くん」
- 「……そうだな。少し様子を見てくる」
- 何もないとは思うが、一応一人傍についていた方がいいだろう。
- 堀北は良くも悪くも歯に衣を着せぬ言い方をする。
- オレは立ち上がろうとしていた明人を制止して、堀北の後を追った。
- 「おまえ龍園と何を話すつもりだ」
- 「私に役立つヒントをくれるかも知れない、そう思ったからよ」
- 役立つヒント? オレには堀北が何を龍園に期待しているかが見えない。
- だが行動を起こす以上、そこには意味があるんだろう。
- 「佐倉さんたちに私を見てくるよう頼まれた?」
- 「そんなところだ」
- 「でしょうね」
- そんな短いやり取りを交わしながらも、堀北の歩みは変わらなかった。
- そしてすぐ、龍園の前にまで辿りつく。
- こちらには気づいているはずだが、龍園は視線を向けようともせず、手にした本に目をやっていた。開かれたページを見る限りでは、何かの文学小説のようだ。
- 「随分と余裕なのね、龍園くん」
- 「誰かと思えば鈴音か。それに金魚の糞も一緒か」
- 一度、パタリと本を閉じる。図書館から借りてきた本であることがシールから分かった。
- 改めて言うまでもないが、金魚の糞とは、もちろんオレのことだ。一瞬だけオレを見たものの、視線を逸らす。堀北の方へと向き直る龍園。
- 「この俺に何の用だ?」
- 堀北は危険を冒してまで、何故龍園に接触しようとしたのか。
- 「率直に聞くわ。あなた今回の特別試験、どうするつもりなの」
- 「どうするもこうするも、俺は何もしない」
- 「それは……つまり大人しく退学する覚悟ってことね?」
- 現状を放置すれば龍園が退学になることは、語るまでもなく必然。
- 「クラスの連中にとって、俺は良いターゲット。誰かを蹴落とさなきゃならないこの試験、落とされるヤツの恨みを誰だって買いたくはない。だが俺だけは別だからな」
- 話の内容が大したものではないと悟ったのか、龍園は本を開き直し視線を落とした。
- 「あなたに批判票を投じる。罪悪感を覚える生徒も少なくないでしょうけど、それでも他の生徒に比べれば遥かに精神的負担は少ないものね」
- どうやら龍園は、本気で学校から出ることを視野に入れているようだ。
- 「あなたが退学してくれるのなら、私としては言うことはないわ。いいえ私だけじゃない。BクラスもAクラスも、あなたに消えて欲しいと思っている人は多いでしょうね。良くも悪くもあなたはやり過ぎた、誰も手を差し伸べる人間はいないわ」
- 真実を突き付ける。
- 時として、その真実は理解しているつもりの相手にも強く突き刺さるものだ。
- だが、こと龍園に関してはダメージにならない。
- 全て自分自身で理解し、本心から受け入れている。
- 「そうだろうな。俺が抜けた後のDクラスじゃ勝ち目はない。敵であるおまえらとしちゃ、ここで潰しておくのがベストかつ妥当な判断だ」
- しかもマイナス方面にではなく、プラス方面に。
- 「随分と自己評価が高いのね。あなたらしいわ龍園くん。でもあなたのリーダーとしての能力が欠如していたから、Dクラスに落ちているんでしょう?」
- 「クク。確かにな」
- Dクラスは龍園の独裁で成り立っていた。
- それが崩壊し最下位に転落した今、浮上のキッカケを失っている。
- だが龍園の方針は、元々クラスの階級には縛られないものだった。DクラスだろうとAクラスだろうと、プライベートポイントさえ持っていれば逆転勝ち出来る。だからこそ最下位であることを攻撃しても動じることはない。
- Aクラスであることは優位だが、優位性自体には価値はない。
- その先を見据えていた龍園の戦略。面白い戦い方だったが、欠点も少なくない。力で抑え付けていたことや、クラスメイトに理解を求めなかったこと。先を見すぎて足元が見えていなかったこと。そういった部分が今回の敗因、状況に繋がっている。
- 「どこまで行ってもあなたとは分かり合えないでしょうね」
- 「だろうな。満足したか?」
- ここまで堀北の話を聞いていても、何が知りたいのかが見えてこなかったが……。
- 「今日、ここでの会話が最後になるかも知れないから、1つだけ聞かせてくれない?」
- どうやらこの先にあるらしい。
- 堀北にとって、役立つヒントとなる可能性のある話とは何なのか。
- 「誰よりも絶望的な状況にいるあなたが、もし本気でこの試験に挑んだとしたら……退学になることなく生き残れる?」
- 龍園に対し鋭い視線を投げかける。私の目を見て答えなさい、とでも言うように。
- かかわる必要のない龍園に話しかけた堀北の目的はこれだ。
- 99%退学不可避の状況を打開できるかどうか、その言葉を聞きたかったのだと。
- 「愚問だな、当然だろ?」
- 間髪いれず龍園は答えた。生き残ろうと思えば生き残れる、確信を持っていた。
- 堀北を見つめ返す目には何の迷いもない。
- 「虚勢にしてもさすがね。あなたからは自信しか感じられない」
- 「満足か? それとも、生き残る秘策を伝授してほしいのか?」
- 「必要ないわ。あなたと私では置かれた立場が違うもの」
- 「そりゃそうだ」
- 「ありがとう。あなたのお陰で私も少しは覚悟を決められそうだわ」
- 「覚悟だと?」
- 堀北は頷く。
- 「この追加試験は誰かが必ず退学になる。それは避けられない運命にある。なら、誰が退学になることが相応しいかを正確に判断し、決断を下す必要があるわ。私が口にしている言葉の重みが分かるかしら」
- 龍園は笑いながら、イエスともノーとも答えなかった。
- 「足掻いたその結果、おまえがクラスに弾かれることになるかもな」
- 「そうなったとしたら、私の実力はそこまでだったということじゃないかしら」
- 「寒いもんだな。虚勢にしか聞こえないぜ」
- 「っ……」
- 落ち着いて龍園と話していた堀北だったが、龍園はその平静の奥を覗き込む。
- いや、覗き込むというより手を突っ込んだというべきか。
- 「俺から自信を得るつもりだったんだろうが……。それはまだ上辺だけの自信、覚悟だ」
- チリチリと堀北を焦がす龍園の言葉。
- 「誰かを切るってのは、それだけ難しい」
- 「……出来るわ。私は入学当初から、足を引っ張る生徒に対しては容赦しなかった」
- 「出来ねぇな」
- 「あなたに……私の何が分かるというの」
- 「この一年、十分に観察するだけの時間はあった。おまえの底は知れてるぜ。それにおまえが口にする言葉の節々に、弱気が見え隠れしてるんだよ」
- 言葉の駆け引きで、堀北に勝ち目はない。
- 『少しは覚悟を決められそう』という中途半端なセリフ。
- 『出来るわ』と口にするまでの僅かな沈黙。
- 他の者なら気にも留めないであろう部分に、素早く確実に気がついている。
- 無意識な堀北の弱気。
- ペースは完全に龍園側だ。
- 「おまえはもう、クラスというぬるま湯にどっぷりつかってんのさ。そうなったが最後、冷徹になりきることなんて出来やしねえ。そんなことが出来るのは、最初からクラスに未練のない俺や、クラスメイトを駒としか見ていない坂柳くらいなもんだ」
- 友人としての関係が出来る前のクラスと、関係が出来た後のクラスは似て非なるもの。
- 確かに入学当初、堀北には迷いがなかった。赤点を取った須藤を切ることにも肯定的だった。だが今須藤を切れるか?と問えば絶対に無理だろう。関係は常に変化する。
- 「偉そうに言うけれど、やはりあなたには打開策などありはしないんでしょう?」
- 「何故そう思う」
- 「あなたがクラスメイトに負けたのか、それとも外部の誰かにやられたのか……」
- 堀北は一瞬だけオレに視線を向けたがすぐに元に戻した。
- 「どちらにせよ、負けたまま黙って退学するということでしょう?」
- 無理やり堀北は挑発するように言葉を放り込んだ。
- だが、龍園はそれを静かに受け止める。
- 「俺を負かしたヤツ、石崎への褒美みたいなもの。大人しく受け入れてやってるのさ。だからこの機会をDクラスの連中は逃さない。おまえも当然逃すなよ」
- そう言って龍園は笑って再び本に視線を落とした。
- 「……そうね。Cクラスの仲間が間違ってもあなたに賞賛票を投じないように見張っておく。もちろん、私が何もしなくてもそんなことにはならないでしょうけど」
- 堀北が下がったので、オレも続いて下がる。龍園は本に落とした視線を戻さなかった。
- 歩き出した堀北は冷静なようで怒っていた。
- 「彼こそ、虚勢の塊よ。どうにも足掻けなくなって、それでも見栄を張っているだけ。どんなに足掻いたところで彼の退学はなくならない」
- 「どうかな。あいつには本当に打開策があるのかも知れない」
- 「無理ね。どう考えたって、龍園くんに退学を避ける術はないわ。今から真人間になって頭を下げたとしても、批判票は減らない。賞賛票だって増えない」
- 「ああ。正攻法じゃどうやっても無理だな」
- 「裏金を使おうと脅しをしようと無駄。あなたたちがそう話していたじゃない」
- 確かにそうだ。よく聞いていたな。
- 「それともあなたには見えているというの? 龍園くんが退学しないという道が」
- 「いいや、全く」
- 頭の中でそろばんを弾いては見たが、現状で確実に生き残る戦略はまだ存在しない。
- 生き残るために必要なパーツが欠如している。
- 「だったらそういうことなのよ」
- 堀北は不機嫌そうにしたまま、カフェを後にした。
- オレは一度だけ龍園を振り返る。
- もしも、オレと龍園が交わるのがもっと先だったなら……。
- 「いや、無意味な妄想だな。今となっては」
- これ以上去って行く生徒のことを考えても仕方がない。
- オレは考えるのをやめ、グループに戻ることにした。
- 2
- その日の夜は恵から電話がかかってきた。
- 大方、特別試験に関する内容だろう。
- 「あのさ。今回の試験、あたしはどうすればいいわけ?」
- 「おまえの周りでもグループが幾つか出来始めたんじゃないか?」
- 「まぁ、幾つかね。あたしのグループは女子7人」
- 恵が自分を除く6人の名前を口にする。
- 普段から恵が仲良くしているメンツだった。
- 「やっぱり皆退学が怖いしね。あたしだって……正直何人に嫌われてるか分かんないし」
- 「何票かは批判票が来てもおかしくないな」
- 「ちょっと、そこは嘘でもそんなことはないって言いなさいよね」
- 怒ったように電話の向こうで恵が吼える。
- 「今は悪目立ちしないように、大人しくしておくのが得策だ。下手に目立つと退学の候補者に入りかねない」
- 「分かった。変に刺激しないようにしておく」
- 「それがいい。だが、ここに来て平田と別れたことは恵にとってプラス材料になったかも知れないな」
- 「え?」
- 「平田の女子人気は高い。おまえが平田と付き合ったままなら、退学に追い込んで無理やり別れさせる……なんて企む生徒もいたかも知れない」
- 「うわ、怖っ。でもありうる……」
- 匿名だからこそ大胆な行動も取れるからな。
- 「……あんたはいいわよね、影が薄いから目立たないし。成績も普通だし」
- クラスメイトの多くから見れば、褒める点もなければ叩く点もない。
- 「影の薄さが役に立つこともある」
- 「でも須藤くんには、1票入れられちゃうんじゃない? 堀北さんを狙うライバルを消すって意味でさ。まぁ、須藤くんの勝手な思い込みなわけだけどね」
- 「かもな」
- 3人の名前を書かなければならない以上、多少批判票が降ってくることは、誰にでも起こることだ。いちいち気にするほどのことじゃない。
- 「今クラスでヤバイのって、やっぱり3バカと高円寺くん?」
- 恵たちのグループでも似たような会話が行われていただろう。
- 「そこが筆頭だが、それでもどうなるかは分からない。現状高円寺は不利だな」
- 「グループ作って票を調整するタイプじゃないもんね」
- 「ああ」
- 池や山内、須藤たちがグループを組んで互いを支えあうことは明白だ。
- 一方で高円寺は孤立無援。強気な姿勢も敵を作りやすい。
- 試験が発表された初日に、全員の前で須藤とバチバチやりあったこともダメージだ。
- 「あんたはどうするの? 誰に批判票入れるつもり?」
- 「まだ考えてないが、純粋にクラスにとって今後不要な人間を選択するつもりだ」
- 「冷徹。清隆らしいけどさ」
- 誰かが退学になる以上、そう判断するしかない。
- 「あ、まさか……あたしとか言わないでしょうね?」
- 「おまえはクラスにとって重要な存在だ。それはあり得ない」
- 「そ、そう。当然よね」
- ちょっとテレたような驚いたような反応が返って来た。
- 「もしクラスの中で弾かれる生徒、つまり退学候補が固まって批判票の誘導が始まったのに気づいたら連絡をくれ。オレじゃその手の情報は入手しにくい」
- 「オッケー」
- 恵との通話を終える。
- 今後に不要な人間を切るとは言ったが、それはあくまでも個人的な意見。
- クラスに積極的にかかわらない以上票の操作に深く関与するつもりはない。
- 結果的に幾つかのグループがぶつかり合って、導き出された結果を素直に受け入れるつもりでいる。もちろん自分に火の粉が降りかかってくるとなれば話は別だが。
- ともかく、さっき恵が言った池、山内、須藤の退学の可能性は低くない。そして高円寺。更に女子に目を向ければ学力の低い井の頭や佐藤、愛里も安全圏ではないだろう。だが今後もグループが出来上がっていくということは、成績面以外の理由でも大きく票が動く。孤立している高円寺や、気弱で友達の少ない愛里なんかは狙われやすい傾向にあるか。
- 「どうなっていくのか」
- 情報を集めつつ、不測の事態に備え、票の動きを見守っていくとしよう。
- ○救う難しさ
- 朝目覚めると、オレは携帯のチェックをする。
- 案の定寝ている間にも綾小路グループの会話は大きく前進していた。
- 追加試験が発表されたのは昨日の今日だ、話題がそれ中心になるのも無理はない。
- 「不安にも駆られるよな」
- 特に愛里の心配がる様子はチャットの文章からも簡単に見て取れる。
- もしもグループの中の誰かがクラスからの攻撃ターゲットとなった場合、非常に面倒なことになる。オレ自身がどこまで関与するかという部分も然ることながら、非常に対策が難しい。平田や恵辺りを中心に根回ししていくわけだが、それも絶対など存在しない。
- 脅迫に近い脅しや契約を交わしたとしても、土壇場で批判票の記入先を変えることだってあるからだ。集中する批判票から退学を100%回避する方法など存在しない。
- どの道誰かがある程度のリスクを負わなければならないだろう。
- メッセージをスクロールして戻していると、啓誠から面白い提案があったことが分かった。その提案開始の部分から読み進めていく。
- 『明日から3日間、グループの1人が早くに登校して情報を集めるようにしないか?』
- 『俺らは少数グループだからな、それは良いアイデアかも。啓誠の案に乗るぜ』
- 『良い手かも。どんな話が出てるか気になるしね』
- 『私も賛成』
- 『明日は私が早めに出るから、任せといて』
- 全員一致で、そういう結論に至っていた。オレのことにも触れられていたが、携帯の既読を付けるのが基本遅いため、事後承諾を取る旨書かれて締めくくられていた。
- 「なるほどな」
- 簡単に情報が降ってくるとは思えないが、何もしないよりはいい。
- 作戦としてはお手軽で、効果も期待が持てる。
- これは昨日のやり取りだから、既に波瑠加は教室についてる時間だろう。
- この流れなら残りも他のヤツが早めに登校してくれそうだ、オレは何もしなくても大丈夫だろう。
- 3日後には投票だ。つまり遅くとも今日くらいには誰に批判票を集中させていくかの方針が固まっていくはず。とりあえず、綾小路グループが朝活で情報を手に入れられればラッキー。
- 一方で、こっちは恵から女子の動向、報告待ちをしつつ、男子の情報は須藤を管理する堀北、あるいは平田辺りから聞き出すことにしようか。
- 情報を早い段階で握っておくことは重要だしな。
- 1
- それにしても、馴染めば馴染むもの。
- 気がつけばこの寮での生活も1年が経過していた。
- 「昔と同じ時間の流れとは思えないな」
- 楽しく感じるかそうでないかで、感覚としての時間が違う。
- そんなことを昔学んだ時は、正直よく分かっていなかった。
- オレにとって高校に入学するまでの時間は、1秒の狂いもなく等しかった。
- でも今は違う。
- 明らかに、今までの何年にも匹敵するような速さで日々が過ぎ去っている。
- あと2年で卒業する。
- そう考えるだけで、あっという間にその日がやって来る気がするから不思議だ。
- 「おはよー綾小路くんっ」
- 「ああ。おはよう一之瀬」
- 朝、寮を出るタイミングがほぼ同じだったのか、外に出るなり背後から一之瀬に声をかけられた。振り返って答える。
- だが一之瀬は何故かその瞬間、少しだけ硬直した。
- 「ん?」
- こちらに近づくことなく、挨拶のポーズを取ったまま動かない。
- 「どうした」
- そう声をかけると、呪縛から解き放たれたように、しかしどこか固い動きで一之瀬が近づいてくる。
- 「やあ、えーっと、今日も寒いねー」
- 「そうだな」
- 話をするたび、白い吐息が漏れる。
- 「誰かと一緒に登校する約束とかしてる?」
- 「いや全く。大体朝は一人だ」
- 「じゃあ……一緒してもいいかな?」
- 一之瀬からそう頼まれて、断れる生徒など男女共にいないだろう。
- オレは頷いて承諾する。
- 「…………」
- 「…………」
- 2人きりになった時は大体、一之瀬から話題を振ってくれるものだが、沈黙の中、互いの足音だけが耳に聞こえてくる。一之瀬はオレのやや後ろを歩いていた。
- そこでオレは今回の試験に関して、一之瀬に話を振ってみることにした。
- 「今度の試験、一之瀬のBクラスにとっては大変なものになるんじゃないか?」
- 他クラスを圧倒するほどのチームプレー、仲良しであるBクラス。
- その中から排除する生徒を決めなければならないのは、非常に心苦しいだろう。
- 「あ~……うん。そうだね、今までで一番難しい試験だと思ってる」
- 「だろうな」
- 影を落とす一之瀬の表情が、それを物語っていた。
- クラスの中心人物である一之瀬だけは絶対に安全圏にいる。
- 平田や櫛田とも違う。この試験唯一、合格が決まっている生徒だろう。
- だからこそ誰かを切らなければならないジャッジは辛いものになる。
- いっそ傍観に徹して、賞賛批判共に関与しない方が望ましいくらいだ。
- もしかしたら一之瀬もそんな戦略を取っているのかも知れないが……。
- 「こんな厄介な試験でも、何とかするしかないじゃない?」
- 「まぁそうだけどな」
- 「……うん。何とかするしかないんだよ」
- そう言って、一之瀬は隣に並んだ。
- その横顔は薄く笑っている。
- 「まさか……おまえが辞めるのか、一之瀬」
- 「え? ヤだな。そんなこと誰にも言ってないよ?」
- 否定のような格好を取る一之瀬だが、その目には僅かな動揺が見えた。
- それすらも選択肢に入れる覚悟、というような雰囲気。
- 「一応言っておくが、クラスメイトが安易におまえの名前を書くことはないぞ」
- 「私退学するなんて言ってないんだけど、綾小路くんには思うところがありそうだね」
- 「顔に書いてある。それも視野に入れてるってな」
- 「そ、そう?」
- 慌てて確認しようとする一之瀬。
- 天然なのか意図的なのか。
- 今回は前者っぽいな。
- 「はあ……皆には内緒にしておいてね」
- 「誰かのために自分が犠牲になるのか?」
- 「ちょっと違うかな。私自身がリスクを負う戦いをしなきゃならない、そう思ってる」
- 自分自身がリスクを負う戦い、か。
- つまり傍観するという楽な手を選ぶつもりはないということ。
- 「分からないな。せめてお前の手で、退学する生徒に手向けの言葉を送るのか?」
- 他の誰に送られるよりもマシだとしても、それはけして望む展開じゃないはずだ。
- その生徒が笑って退学していく姿だけはどうしても想像できない。
- 「ここでこれ以上深い話はなしだよ。他の人に聞かれたい話でもないし、それに綾小路くんはCクラスの生徒。どんな試験でも共存できない部分はどうしてもあるからね」
- 「確かにそうだな」
- もしオレたちに出来ることがあれば、賞賛票の話し合いくらいなもの。
- 一之瀬の持つ1票を手に入れることが出来れば、多少優位に試験を運ぶことが出来る。
- とは言え一之瀬はそもそも、賞賛票が必要な生徒じゃない。かと言ってポイントで簡単に票を譲る真似もしないだろう。だからオレも提案なんてしない。
- 仮に1票買ったところで、それはお守り程度にしかならないしな。
- 「にしても、学校側も酷いよね。誰かを退学にさせろなんて。他のクラスの子に賞賛票を入れられるとしても、結局誰かは辞めなきゃならないんだからさ」
- 誰だってこの試験を歓迎しているわけじゃない。
- 1年も終わりに差し掛かったこのタイミングでの強制退学。
- 「綾小路くんは大丈夫?」
- 「さあ、どうだろうな……。オレもクラスじゃ、それほど必要とされてる生徒じゃない」
- 「もし私で良ければ、協力できる余地はあるかも知れない」
- 「と言うと?」
- 「私の持つ他クラスへの賞賛票、綾小路くんに入れてもいいから」
- こちらから切り出すことはないと思っていた、賞賛票の話が一之瀬から出た。
- 「1票だけじゃ、心もとないかもしれないけど……」
- 「ありがたい申し出だが遠慮しておく。オレなんかが貰う票じゃない」
- 「そんなことないよ。むしろこの試験で、一番正当な1票になるとさえ思ってる。他クラスで褒めるべき人。そう、私を救ってくれた綾小路くんにこそ、入れるべきだもん」
- 何とも答えづらい言い方をされてしまったものだ。
- 「分かった。じゃあ、もしもの時はお願いするかも知れない」
- 「うん。覚えておくね」
- そう言って一之瀬は笑った。
- 「おはよー帆波」
- オレたちの後ろから、そんな声が聞こえてきた。
- 「おはようございます朝比奈先輩」
- 「今日も元気ねー。ところで2人ってクラス別々だよね? 結構仲いいんだ?」
- 「えっと、はい。仲の良い友達です……」
- 一之瀬はちょっと照れ臭そうに答えた。
- 「へ~? 友達ねー」
- もう少し普通に言った方が誤解は生みにくいけどな。
- 「まぁいいや。あのさ、ちょっと綾小路くん借りたいんだけど、いいかな?」
- 朝比奈はオレに近づくと、一之瀬を先に行かせての立ち話を希望してきた。
- 「分かりました。それじゃ綾小路くん、私先に行くねー」
- 特に嫌がることもなく、一之瀬は一度頭を下げ、朝比奈に従った。
- 「ごめんね帆波、またね」
- 「いえいえっ。じゃ、失礼します」
- 短い2人のやり取りの間に、変なものはない。
- むしろしっかりした先輩と後輩の関係を築いているようだった。
- 「あの子良い子だよね。可愛いし、賢いし。2年でも帆波を悪く言う人いないよ」
- 「そうですね。1年の中でも一之瀬は男女共に人気者だと思います」
- 「もしかして君が、彼女のハートを射止めてたりして」
- さっきのやや不自然な一之瀬の態度が、やはり引っかかったようだ。
- 「それはないですから」
- 同学年の一之瀬はともかく、朝比奈と一緒にいる時間は極力短くしたい。
- 南雲の支配下連中に見られると、色々勘ぐられそうだ。話があるなら進めてもらおう。
- 「用件があるなら聞きます」
- 「ドライだなー。まぁいいや、君と帆波が楽しそうに話してたから、ちょっと耳に入れておきたくってさ」
- さっきまで陽気に笑っていた朝比奈だったが、その表情から笑みが消えていく。
- 「1年生の試験のことは聞いた。誰か強制的に退学者を出すんでしょ?」
- 「そうみたいですね」
- 既に2年生の間でも話題になっているようだ。
- 「帆波って友達想いっていうか、Bクラスの誰かを退学にさせるような真似、簡単に認める性格じゃないのは分かるよね?」
- 「そうですね。皆、口にはしませんけど、Bクラスの行方は気にしてると思いますよ」
- 当たり障りのない表現だが、分かりやすくこちらの考えを伝える。
- 「じゃあさ、どうやって帆波はこの試験を戦うと思う?」
- 朝比奈が覗き込むような眼でオレを見てきた。
- それは好奇心というよりも、試しているように捉えられる。
- ここでの頓珍漢な解答は逆効果か。
- 「もし退学者を出さない方針で行くのであれば……。Bクラスは相当なプライベートポイントを貯め込んでます。あとは、不足しているポイントを何とか穴埋めして退学者を救済する。そういう流れじゃないですかね」
- 「うん正解。って、まぁ答えはそれしかないもんね」
- 退学者を出さない前提であれば、この結論には誰でも辿り着ける。
- ただ誰にもそれが実行できないだけ。
- 『何とかして2000万ポイント』の『何とか』が極めて難しい。
- 「雅のヤツに協力を依頼したみたい。そしたらあいつ、なんて答えたと思う?」
- 「二つ返事で承諾したんじゃないですか?」
- 「……正解」
- この流れでそれ以外になることはないよな。
- 「先に聞きますけど、プライベートポイントを簡単に貸すなんてありえませんよね?」
- いくら多くのプライベートポイントを保有するBクラスでも、不足額は大きいはず。
- 何百万というポイントが足りないはずだ。
- 「もちろん無理無理。そりゃ数千、数万のポイントとかだったら話は別、検討する余地もあるけどさ。何十何百万なんてポイント誰にも出せやしないって」
- 朝比奈は迷わずそう答えた。
- 「3年生も私たち2年生も、この先に待つ特別試験に備えなきゃならない。プライベートポイントが生きてくるかどうか、最後の最後まで分からない状況じゃ、1年生に託せる余裕なんて全くないはず」
- そうだろうな。
- だからこそ、茶柱もやれるものならやってみろという感じで言っていた。
- 上級生から雀の涙ほどのプライベートポイントを得られたとしても、数万数十万というポイントを譲ってもらうことは不可能だろう。後で多めに返すという方法もあるが、卒業を迎える3年生には不可能だ。仮に2年生から借り受けという形で許諾をもらえたとしても、やはり大きな額はまず不可能と見ていい。
- 「期待に応えられる人間がいるとしたら、南雲生徒会長くらいなもんでしょうね」
- 「あいつ結構貯めこんでるからなー」
- 「それで?」
- ここまでの話は、話の流れからすぐに見えてきた。
- だが一之瀬に迷いのようなものが生じていたことからも、恐らく条件付きのはず。
- 「そう急かさないでよ。私はあいつと同じクラスの生徒だからこそ、今不用意に大金を後輩に貸すことに疑問を持ってるわけ。そりゃ帆波は可愛い後輩よ? けど、今回の試験で彼女が退学になることは絶対にない。そうだよね?」
- 「そうですね。一之瀬以外の誰かの退学を止めるための戦略でしょうし」
- 「だから私としては、雅との間に貸し借りが生まれてほしくない。もちろん自分のクラスのためでもあるんだけど……何より帆波が可哀想だからね」
- 「厳しい条件でも突き付けられましたか。利子が莫大とか」
- 「あいつ、帆波にお金貸す条件に……自分との交際を突き付けてる」
- 「なるほど」
- 南雲らしいと言えば、南雲らしい。
- プライベートポイントを貸す代わりに交際の要求か。
- 普通ならありえないような条件。即断ってもおかしくない話。だがクラスを守るためなら、一之瀬がそれを呑む可能性があると南雲は分かっているんだろう。
- 「いいんですか。そんなことオレに教えて」
- 「言ったでしょ。自分のクラスのためだって。雅が1年生に多額のプライベートポイントを貸せば、私たちは苦しくなるかも知れないし、帆波も仲間を守れる代わりに辛い思いをする。あんまり良いことはないよね」
- 「そうかも知れませんね。でもどうしてオレに相談してきたんですか。こっちはCクラス。一之瀬とは敵対する関係にあるんですよ」
- 「分かんない。けど、君ならなんとかできるかなって思ってさ」
- 「それは買い被りですよ。まさか他クラスの不足分を、補うわけにもいかないですしね」
- 南雲の代わりに個人でポイントを捻出できるなら話も違ってくるが、そうもいかない。
- 「そりゃそうか。ライバル同士だもんねえ……」
- 一人でも生徒が欠けてくれる方がありがたい中で、ライバルのクラスを助けるのはあまりに馬鹿らしい。そもそも数百万ポイントとなれば、Cクラス全員が一致団結する必要がある。絶対に不可能だ。
- 「オレには何も出来ませんよ」
- 「大丈夫、別に何が出来なくたって恨んだりしないから。とりあえず、神頼み的な感じってだけ。もしかしたらに賭けてみる」
- オレの背中をポンと叩いた朝比奈は駆けだした。
- 「とりあえず伝えたから。あとは君の判断にお任せ」
- それだけ言い、朝比奈は立ち止まることなく学校へと向かっていった。
- 口ぶりや態度からしても、嘘ではなさそうだ。
- 「南雲との取引か」
- らしくはないが、らしい戦略だな一之瀬。
- 確かにそれならクラスからの犠牲者を防げるかも知れない。一致団結しているクラス、そして巨額の貯蓄をしているからこそ実現の可能性がある戦い方だ。ただ朝比奈の口ぶりからして、交際の条件が高いハードルにはなってるようだな。交際が苦でないのなら、南雲の気が変わらないうちにプライベートポイントを借りておいた方が安全だ。
- まぁ、異性との交際となると即断するのは難しいよな。
- 協力してやれる問題なら良かったが、お金の問題はどうにもしようがない。
- 不足額は、恐らく4、500万。援助できる範疇を超えている。
- 仲間を切る方が安上がりだが、一之瀬が交際の条件を天秤にかけてどう思うか……。
- 「あいつの性格からすれば……」
- この先どうなるのか、それを想像するのは難しくない。
- 2
- 今回の試験は、クラス内で話し合うことそのものが難しい。
- 教室に漂う気配は悪く、ピリピリしているのが伝わってきた。
- 「おはよきよぽん」
- 「おはよう」
- 波瑠加に挨拶されながら自分の席につく。
- 登校していた生徒たちの表情に覇気は感じられなかった。
- 誰に批判票を入れるのか、という部分が邪魔をして正常なクラス関係を維持できていないようだ。
- 特別試験が終わるまでこの状態は続くだろう。
- そして特別試験が終わってからも、しばらく続く。
- 『暗いよねー、教室の雰囲気』
- そんなメッセージが、波瑠加から個人宛に送られてくる。
- 『何か変わったことは?』
- 『今のところなし。やっぱり警戒してるんじゃないかな~』
- どこで聞かれているかも分からない教室だ。
- 不用意に特定の人物を名指しする発言はしないか。
- 『明日に期待ね』
- 『ああ』
- そんな短めのやり取りをして、携帯を仕舞う。
- オレたちは目立たず、クラスの邪魔もせず。嵐が過ぎ去るのを待つ。
- そんな甘い考えをクラスメイトが許してくれれば、の話だが。
- 3
- 昼休みになると、オレは図書館へと足を運んでいた。
- 綾小路グループと過ごすのに不満があるわけじゃないが、たまには別々で過ごすことも大切だ。それに図書館には、オレと同じ本好きの生徒がいる。
- やはり今日もその生徒、椎名ひよりは図書館を訪れていた。適当に本を抜き出し、借りて帰るか吟味するために席について読み始めると、間もなくして声をかけられる。
- 「こんにちは綾小路くん」
- 昼休みを迎えたばかりの図書館は人も少なく、オレの存在にはすぐに気付いたようだ。
- その手には似たようなジャンルの本が握られていた。
- 「相変わらず本の虫だな」
- 「ここは、とても素晴らしい場所です」
- ひよりはオレに軽く許可を取り隣に腰を下ろした。
- 互いに、静かに本を読む。
- 元来図書館を愛する生徒たちに、余計な会話は不要だ。
- 本を読む行為そのものが、ある種の会話とも言える。
- それから昼休み終了間際まで、オレたちは一言も発さず本を読み続けた。
- それから30分ほど経っただろうか。
- 「そろそろ戻った方がいい時間だな」
- 「そうですね」
- 顔を上げ時計を確認し、2人で図書館を後にする。
- 「ところでひより。聞きたいことがある」
- 「なんでしょう?」
- 何を聞かれるのか分からず、不思議そうに顔を上げる。
- 「龍園の状況が知りたい」
- 「龍園くんの状況、ですか……。正直、良くないですね」
- 「やっぱり退学筆頭候補か」
- 「はい。クラスのほぼ全員が龍園くんへ批判票を入れることに合意しています」
- 「龍園自身も、それを受け入れてるのか?」
- 「間違いないと思います。実は最近、放課後になると龍園くんはよく図書館にいらっしゃいます。なので、少しお喋りすることもあるので良く分かるんです」
- 前にカフェで見かけたとき、図書館の本を借りてたからな。
- ひよりと接触していてもおかしくないと思っていた。ここに来て正解だったな。
- 「そのことを、ひよりはどう考えてるんだ?」
- 「今回の試験は、悲しいことですが退学者は避けられません。ですから、自分も含め誰かが欠けてしまうことに関しては受け入れるつもりでいます。ですが、私はDクラスがこれから上を目指して行くのであれば、龍園くんの存在はクラスにとっては必要なんじゃないかと思っているので……」
- 龍園には思うこともあるだろうが、その実力は認めているということだろう。
- 思えば龍園も、ひよりに対しては雑に扱っている様子はなかったな。
- 「悪いな、こんなことを聞いて。何となくDクラスの様子が───」
- そう言いかけて、オレは言葉に詰まった。
- 「いや───オレは多分、龍園が退学することを望んでないんだろうな」
- 自分自身、今日ここに足を運ぶ必要なんてなかった。
- だが、どうしても龍園の状況を知りたいと思い、足を向けていた。
- 「お友達は、一人でも多い方がいいですからね」
- 「……そうだな」
- 少しだけ奇妙な感覚。龍園とは敵同士でしかなかったはずなのにな。
- 「あの……」
- 「ん?」
- 「これは、その、私なんかが言うことではないと思うのですが……」
- 少し話しにくそうにしながらも、ひよりが続ける。
- 「綾小路くんは退学しないでくださいね……? これ以上私の大切なお友達に、いなくなって欲しくありませんから」
- 「善処する」
- ひよりの心配をありがたく受け取り、オレたちは教室へと戻った。
- 4
- 空気の悪さは放課後になった今も変わらなかった。
- それを知ってか知らずか、隣人の堀北はいつもと変わらず静かに帰り支度を始める。
- 今回のような試験は一人で乗り越えることが難しい。一人でも多くの仲間を欲しいと考えるのが普通だ。しかし堀北はそんな素振りを一切見せない。
- 皮算用したとしても、確実に賞賛票を入れてくれそうなのは須藤くらいなものだ。
- となると……。
- 龍園に突っかかっていった堀北の先日の姿を思い出す。
- 何を欲し、何が欠けているのかを考えれば戦略は見えてくる。
- どうやら、他の連中とは違う方法でこの試験を乗り越えようとしているみたいだな。
- だが、それは簡単な道のりじゃない。
- しかし実現できるのであれば、こちらとしては願ったり叶ったりだ。こっちの思い描いた戦略と堀北の戦略は、まず同じと見ていい。それなら適任者になってもらおう。
- オレは視線をクラスメイトたちへと一度向けた。
- 堀北の目に生徒たちがどう映っているのかを想像する。
- 「珍しくアドバイスを求めてこないんだな。試験のことはいいのか?」
- 昨日の今日だが、オレは堀北に変化があるのか確認しておくことにした。
- 「あなたにアドバイスを求めても、素直に答えてもらえないもの」
- 「確かに」
- 堀北もその辺を理解し始めたらしい。
- 「それに……今回の試験は、安易にクラスメイトに協力を求めるものじゃない」
- 「他の大勢は、賞賛票を集めたくて群れを作ることに固執してるけどな」
- 「そうしたい人は、そうすればいい」
- 荷物をまとめ、堀北は席を立った。
- 「なら、おまえは何をするつもりなんだ?」
- 「私に出来ることよ」
- それだけ言い残し堀北は帰っていく。
- オレは少しだけ気にかかり堀北の後を追う。
- 「何?」
- 後を追ってきたことが不服だったのか、やや眉を寄せ睨んできた。
- 「おまえがしようとしてることが、ちょっと気になってな」
- 「普段は私に絡んで来ないのに今回に限ってはどうして?」
- どうして、か。
- それは単純に、堀北のやろうとしている戦略に期待を寄せているからだ。
- 実現してくれるのなら、こっちとしては全面的に応援したい。
- と、直接ここで伝えるのはやめておく。
- 「グループを持ってないだろ。ピンチなら協力することも出来る」
- 「そういうこと。私の状況を一応は憂いてくれているわけね。助けてと言ったら、あなたの抱えてるグループに入れてくれるのかしら?」
- 「こっちとしては、人数が増える分には困らないからな」
- 「ありがたい申し出だけどお断りするわ。今私が求めているのはあなたじゃない」
- 既に考えは定まっているということだろう。
- だが、まだ材料が乏しく、そして不安に駆り立てられている段階か。
- その不足を埋める『役目』に、オレは相応しくないだろうな。
- 「本当にあなたは……」
- さっきよりも更に、強く睨まれる。
- 「なんだ」
- 「とにかく、私のことは放っておいて」
- 手厳しく伝えられ、オレは頷いて立ち止まった。
- これ以上堀北を追いかけても、得るのは相手からの怒りだけだろう。
- 堀北を見送った後、オレは一度廊下の窓、その外を見つめた。
- 「今日のところは帰るかな」
- 「……少しいいかな、綾小路くん」
- すれ違うように、平田がオレのところにやって来た。後を追ってきていたか。
- タイミングからして、堀北と別れるのを待っていたのかもしれない。
- 「良かったら放課後、ちょっと付き合ってくれないかな。話があるんだ」
- 珍しい平田からの誘い。特に断る理由はないな。
- オレが承諾して頷くと、平田は安堵したように息を吐いた。
- 張りつめた空気の中で一日を過ごす平田が、一番体力を消耗していそうだ。
- 当然、今回の試験に関することであることが窺える。
- 「じゃあ、4時半にケヤキモールの……そうだな。南口付近で合流できる?」
- 「分かった」
- それだけ約束を交わす。
- ここで話すようなことではないらしい。
- 次々と部活や帰宅を目指す生徒たちが通りかかっているしな。
- 今日も啓誠たちと放課後は集まるつもりだったので、少し遅れることを伝えておく。平田はしばらくクラスの友人たちと談笑しているようだったので、先にケヤキモールに行くことを決めた。
- 5
- 教室を出て、そのまま玄関を目指す。
- その途中で1年Aクラス坂柳有栖と出くわした。傍には神室の姿もある。
- 「綾小路……」
- 警戒する神室が、身体を強張らせる。
- しかし坂柳はいつもと変わらない、余裕を持ったゆったりとした動き。
- 2人の対照的な仕草が少し面白かった。
- 「偶然ですね、綾小路くん」
- 「そうだな。そっちはCクラスに何か用か?」
- 坂柳たちはCクラスに足を向けているように思えた。
- だが直接そうだとは答えず、坂柳は笑ってこちらの質問を流す。
- 「これからどちらに?」
- 「30分にケヤキモールで友達と合流予定だ」
- 「そうですか。学生生活を満喫されているのですね。もしよろしければ、少しだけお時間を頂けますか?」
- 坂柳は携帯を取り出すと、時刻を確認する。
- オレに会うために? いや、それはあまり考えにくい。
- 時刻はまだ4時10分を過ぎたところ。
- ケヤキモールまで数分を要するとしても、10分以上の猶予はある。
- 「立ち話でいいのか?」
- 「ええ。ですがここでは少々人目につきます。少し移動しませんか?」
- 「そうだな」
- オレとしても目立つことは極力したくない。
- クラスメイトならいざしらず、坂柳は嫌でも注目を集める存在だからな。
- 坂柳もそれをわかっているからこそ、人気のない場所への移動を進めてきた。
- ゆっくり歩く坂柳に合わせ、時間をかけて校舎を移動する。
- 「それにしても……綾小路くん、真澄さん。今回の追加試験はとても理不尽だとは思いませんでしたか? これまで退学者が出ていなかったからと言って、強制的に退学者を出す。そんな試験を学校側が作るなど、常識で考えればおかしなことです」
- 「まぁね。いつも冷静な真嶋先生もちょっと動揺してる感じだった」
- 茶柱だけじゃなく、他の教職員も今回の追加試験には納得がいっていないらしい。
- 「それには理由があるんですよ」
- 「なに、あんた知ってるわけ?」
- 「これは私事で恐縮ですが、先日父の停職が決まりまして」
- 「停職って……確かここの理事長よね? あんたの父親って」
- そのことを神室が知っているのか、そう聞き返す。
- 「詳しくは聞けていませんが、父にとって不利なモノがたくさん出てきたとか。私が知る父は、汚いことに手を染めることが出来るような人間ではありません。もちろん娘が知らないだけで、という可能性も排除しきれませんが……。何者かが、父を引きずり下ろすために様々な画策をしているのかも知れません」
- それは神室にも聞かせているようで、実質オレに向けた言葉だっただろう。もし本当に坂柳の父親が潔白な存在であるなら、あの男が関与していても不思議じゃない。
- オレが坂柳の父親に抱いた印象は、勘違いではないかも知れないな。
- 「とは言え、これは私たち生徒には一切関係のない話。単なる雑談です」
- 父親が停職に追い込まれていることは、坂柳にとって取るに足らない話らしい。
- 「でも、それと今回の試験とどう関係があるっていうの」
- 「誰かを退学させるために、急遽用意された試験……と考えることは出来ませんか?」
- 「誰かって……」
- 神室がオレを一度見た。そしてすぐ視線を坂柳に戻す。
- 「今まで気にしないようにしてきたけど、あんた、なんで綾小路に目をつけてるわけ?」
- 移動しながら、神室は坂柳の隣で聞く。
- 「あら、これまで気にしていなかったのですか?」
- 「……するわけないでしょ」
- 否定する神室だが、坂柳はすべてをわかっているような横顔だった。
- だが深くは追及せず神室の話に戻す。
- 「単純に昔から彼を知っているから、という理由では納得できませんか?」
- 気にする神室に対して、坂柳はそんな風に答えた。
- これまで何も明かしていなかったことを考えると、かなりオープンな答えだ。
- こちらの反応を伺うためとも取れる。ここで不用意に慌てたり、坂柳の会話を遮る真似をすれば、この手の話題がこちらの弱点だと曝け出すようなもの。
- ま、実際のところ大して気にしていないわけだが。
- 「つまりこの学校で偶然に再会したってこと? 薄い確率っぽいけど」
- 「ええ。その薄い確率です。ね、綾小路くん」
- 「そうなのかもな」
- 面識は一度もなかったが、坂柳の表現はけして間違っていない。
- 確かに坂柳は一方的に、昔のオレを知っている。
- 「じゃあ、手ごわいわけ? 悪いけど全くそんな風には見えないのよね」
- 坂柳が踏み込んできたことで、神室も踏み込み返した。
- ある意味似た者同士なのかも知れない。
- 「あなたにしては随分と踏み込んできましたね。これまで一度も、私に対してそのような質問をぶつけてきたことはなかったと思いますが」
- 何度か直接、神室と接することで色々と思うことが出てきたのだろう。
- 坂柳にも抑えきれない好奇心みたいなものが出てきたのかもな。
- 「誰だって思うでしょ。あんたがそこまでこだわる相手なんてこれまでいなかったし」
- 「あなたは特に、その手のことには干渉しない無関心な人。だから私としても、遠慮なく綾小路くんの見張りを頼んでいたのですが……仕方のない人ですね」
- 呆れたようで、どこか嬉しそうな坂柳の様子。
- こっちの様子を伺うためだと思っていたが、こういった神室の反応が面白くて意地悪な質問をぶつけているだけの可能性もあるな。
- 話し込んでいる内に目的の場所にたどり着く。
- 「ここなら、お話しする上で邪魔も入らないことでしょう」
- 確かに静かなものだ。放課後の特別棟は。
- 「さて。真澄さん、申し訳ありませんが先に帰宅なさってください」
- ここまで同行させたのは、単なる話し相手が欲しかっただけなようだ。
- 「……あ、そ」
- 結局坂柳はオレに対して深く語ろうとせず、神室を先に帰らせることにしたようだ。
- こうなることを分かっていたのか、神室は抵抗することなく階段を下りて行った。
- 「良かったのか?」
- 「ええ。綾小路くんこそ、下手なことを口外されると困るのでは?」
- 「別に」
- ここで困る素振りを見せれば、それは1つの隙になる。
- わざわざ坂柳に対して余計な情報を与えてやることはない。
- 「一応、私はあなたの敵として認識してもらえた、そう受け取ることにします」
- オレの対応がどういう理由であるか、それは坂柳が考えるほどのものでもない。
- 「神室を先に帰してまで、オレに何の話が?」
- 移動に時間を費やしたため、待ち合わせまでそれほど余裕はない。
- オレは本題を切り出すよう促した。
- 「私と綾小路くんの約束に関してです」
- 「確か次の試験で、オレとおまえは勝負するんだったな。つまり今回の試験だ」
- 「ええ、そのつもりでした。しかし……綾小路くんさえ良ければ、その話を次回に見送りたいんです。他クラス同士の抗争ではなく、仲間内でのふるい落とし。唯一外部に影響を与えるのが賞賛票では攻撃することも出来ませんし……勝負は次回に持ち越しということで構いませんか?」
- つまり今回を勝負の舞台には出来ないから、ノーカウントにしてくれという話だ。
- 「受けて頂けませんか? このお話」
- 「好きに判断してくれていい」
- すんなりとジャッジを下したオレに対して坂柳が丁寧にお礼を口にした。
- 「ありがとうございます。試験は試験だ、と言い切られたらどうしようかと思っていました。これで心置きなくAクラスの内情に集中することが出来ます。ただ……」
- 「ただ?」
- 「停戦だからこそ、確実に信用してもらうためにあえて口にします。私はこの試験で、綾小路くんに対してマイナス要素、つまり批判票を与えることは絶対に致しません」
- そう言って自らを縛るための約束を口にする。
- 「万が一、私が何かしらCクラスに関与し、綾小路くんの結果に損害を与えたなら……その時は私の負けで構いません。次戦の勝負も断って頂いて結構です」
- 「今回の試験で批判票の集中を受けたら、次戦も何もないけどな」
- めでたくオレは退学になる。
- 「確かにそうですね。ともかく安心してください、とだけ申し上げておきます」
- 丁寧過ぎるほどの発言だが、オレから信用を得るために必要な行動だろう。
- 「オレとの戦いが始まる前に、手下に裏切られるような展開になったりしてな」
- 「フフ、ご冗談を」
- Aクラスの生徒、その殆どは坂柳の派閥。
- 頭を失うような真似をすることはない、か。
- 「この試験が発表された段階で、私は誰を退学にさせるか決めました」
- 「早急に排除する人間を決めたか。正しい判断だな」
- 正当にクラスを力で支配している坂柳だからこそ、取れる手段とも言えるが。
- 「それを、いつ生徒たちに告知するつもりだ?」
- 「とっくに済ませてあります。ギリギリまで消す人間を告知しないとなれば、それなりに不安を覚えるものですから。先に伝えておけばクラスメイトも楽でしょう?」
- 退学を突きつけられた生徒にはたまったものじゃない。
- だが、Aクラスには荒れた様子が一切ない。
- 「どなたかお分かりになりますか?」
- 「さあ。皆目見当もつかないな」
- 流してはみたが目星はつく。
- 「葛城康平くんですよ」
- 「妥当なところ、か」
- 「彼は以前私と対峙した、かつてのAクラスのリーダー。組織にトップは2人も必要ないですからね」
- 葛城は落ち着きのある冷静な男だ。
- 恐らく試験内容を知った時点で、自らが犠牲にされることを悟ったはず。
- 抵抗することなく、受け入れたということか。
- 弥彦のように慕い続ける生徒もいるようだが、多勢に無勢。
- 「早々に仇名す存在としては、身を引いたと思ってたけどな」
- Aクラスの中でも、優秀さで言えば葛城は上位に当たる。
- 消すには惜しい存在だと思ったが、坂柳に取ってみれば不要な人間のようだ。
- 「私のお友達には彼を嫌う者も少なくない。保守的な考えに賛同できないのでしょう。それならば、退場して頂いた方が士気も上がるというもの」
- 兵力を切ることで、士気を高める狙いということらしい。
- 「話してよかったのか? 誰がターゲットなのか」
- 「彼を守るために、綾小路くんが裏工作をすることもないでしょうしね」
- 労力に見合った成果が得られることはないだろうな。
- 「Cクラスはどうなさるおつもりですか?」
- 「さぁな。オレは何も関与しない、クラスメイトの判断に任せるつもりだ」
- 「となると……単純に嫌われ者が弾かれるか、能力の低い生徒が弾かれるか」
- 楽しそうに想像を膨らませる坂柳。
- 「Dクラスだけは、誰が考えるまでもなく龍園くんでしょうね」
- その部分だけには異論がない。
- Aクラスは特に龍園を助けるメリットがないからな。
- 葛城との間に結ばれた契約を切る意味でも退学させておきたいだろう。
- 「見えないのはBクラスですね。あの仲良しクラスからの退学者が誰になるのかは、この試験一番のお楽しみです。あるいは一之瀬さんが何か面白い手を考えてくるのか」
- 「悪いがそろそろ時間だ」
- 勝手に妄想するのは自由だが、一人の時にしてもらうことにしよう。
- 「そうですね。ひとまず、話は終わりです。次の試験は来週には始まることですし」
- カツッと杖を鳴らす。
- 坂柳のその視線が、僅かに一瞬、一度設置されてある監視カメラに向けられた。
- 注視していなければ気づけない微かな目の動き。
- たまたま視線が向いただけなのか意図的なのか、その判断はつかない。
- 「それでは勝負は予定通り1年最後の特別試験、その時に行いましょう。約束です」
- オレは小さく頷き、特別棟を後にした。
- 6
- 放課後の待ち合わせに使える店は、そう多くない。
- 大抵の場合ケヤキモール内にあるカフェで集合するが、今日は違う。
- 「今日は来てくれてありがとう」
- 「別に大したことじゃないさ。オレも平田と話したかったしな」
- 「そう言ってくれると嬉しいよ。とりあえず、少し歩こうか」
- 南口で合流した後、平田は周囲の状況を確認するように移動を始めた。
- 「ごめん綾小路くん。ちょっと予定を変えてもいいかな?」
- 「というと?」
- 「これから僕の部屋で話さない? その方が落ち着けるかと思って」
- 「オレは別に、それでも大丈夫だ」
- 「ありがとう」
- どうやら、今のモールはそんなに好ましい場所ではないようだな。
- これから話すことを誰にも聞かれたくないらしい。
- 寮へと続く道を歩きながら、ぽつぽつと雑談が始まる。
- 「もうすぐ1年も終わりだね。この1年、綾小路くんは過ごしてみてどうだった?」
- 白い息を吐きながら、空を見上げる。
- 「無人島に行かされたり合宿させられたり、騒がしい1年だったかな」
- 「うん。確かに大変だったけど、僕は楽しかった。クラスメイトとの信頼関係も、入学当初から考えればよく構築できたと思っているんだ」
- 「そうだな。オレもそう思う」
- その点は否定しない。クラスメイトの中には互いに嫌いあう者たちも少なからずいる。だが、敵の敵は味方という言葉が、実際にそうだろう。協力を強要される中、徐々に絆と呼ばれるものが生まれ始めていた。
- 「ほんと……この試験が、始まるまでは問題なかったんだけどね」
- 平田の笑顔に影が差す。
- 「やっぱりそっちの話か」
- 「うん。ごめんね、綾小路くんが望んでないのは十分に分かってるつもりなんだ」
- オレはどんな試験に関しても、自分から積極的にかかわることはしない。
- 堀北はそんなオレの性格を無視して、試験のたびに強く協力を要請してきていた。
- 面白いもので、今回の試験では真逆。
- 堀北はオレに頼ってこず、平田がオレを頼ってきた。
- もっとも最近は、堀北も成長してくれたってことだろう。
- オレが協力しないことを悟ってくれたようで、その頻度も少しずつ下がり始めている。
- 「今回の試験、僕にはどうしても解決策が浮かばないんだ。何度考えても、考えてもね」
- 「何度もって……」
- よく見れば平田の目の下にはクマができている。
- 昨夜は試験のことばかり考えていて、満足に眠ることもできなかったのか。
- 「難儀だな。クラスを思うヤツほど苦しむ試験なんだから」
- 「え……?」
- 「いや、気にしないでくれ」
- ここで不用意なことを言えば平田は更に深い闇の中に潜り込んでしまう。
- 今はそっとしておくことが最善の策だろう。
- 「もし、もしクラスを助ける方法があるのなら、教えてほしい」
- どうやらオレの反応から、そこに答えが転がっていると勘違いされたようだ。
- 「プライベートポイントを2000万貯める。実現不可能なのか?」
- 「僕も色々と計算してみたけど、到底届く金額じゃないね。昨日、部活の先輩たちにもそれとなく話をしてみた。だけど先輩たちもこれから、僕らとは違う特別試験が控えてる」
- 「手助けするためのポイントは出せない、か」
- 「うん……」
- とはいえ、犠牲者を出さずに救済できる方法の提案など限られすぎている。
- 「悪い、これ以上は何も思いつかない。だが思いついたら必ず平田にも伝える」
- 「そっか……うん、ありがとう」
- この場ではこう返すのが精いっぱいだった。
- 懸命に笑顔を作って、平田がお礼を言う。
- この特別試験は極めて難しく、極めて簡単な試験。
- ちょっと視点を変えれば、何も迷うことはない。
- だが平田には見えていない。
- これが『不要な生徒を切り捨てるだけ』の試験だと。
- オレや高円寺は、試験内容を耳にした時点でゴールの図を描ける。
- もちろん『誰が』退学になるのかは分からないが『自分』でなければいいだけのこと。
- しかし平田のようなタイプは違う。
- 『誰が』という部分をいつまでも決めきることができない。
- だから出口の見えない迷宮に入り込んでしまっている。
- 「綾小路くんは、誰かが退学になってもいいと考えてる?」
- 「退学しないで済むなら、もちろんそれがいい。けど、それは難しい試験だ」
- 「……もちろん、そうだね。だけど、きっと何か方法が───」
- 「平田も分かってるから、夜も満足に眠れずにいたんじゃないのか?」
- 話を遮るように、オレは言った。
- 「それは……」
- 寮の入り口に差し掛かったところで、オレたちは一度黙り込む。
- ロビーで数人の生徒が雑談しているのが見えたからだ。
- しかし問題は別のところにあった。
- ロビーのソファーに座る、ある男と視線が合う。
- 「これはこれは。平田ボーイに綾小路ボーイじゃないか。奇遇だねえ」
- 「やぁ高円寺くん。誰かと待ち合わせかい?」
- 寮の中に入ってすぐ、視線を向けてきたことから察したようだ。
- 「私が誰かと待ち合わせだったとしたら、気になるかな?」
- 質問に質問を返す高円寺。
- 「珍しい、とは思うかも知れないね」
- 「正直者は嫌いじゃないよ。だが残念ながら待ち合わせではないのさ」
- それだけ答えるが、何をしていたかは答えない。
- 普段の高円寺はこんなところでくつろいでいるタイプじゃないからな。
- 「行こうか」
- 平田がエレベーターの前に立ちボタンを押そうと手を伸ばす。
- すると後ろから高円寺の言葉の矢が飛んできた。
- 「まぁ精々、知恵を振り絞って今回の試験も頑張ってくれたまえ」
- 「……君はいつも変わらないようだね、高円寺くん」
- その態度が少し気にかかったのか、平田が聞く。
- その指先は、ボタンに触れる直前で止められていた。
- 「変わるほどの試験じゃないからねえ」
- 「そうかな」
- 珍しく平田が、食って掛かった。
- 振り返り高円寺を見つめる。もちろん、睨んだりするような真似はしない。
- あくまでも冷静に穏やかに。
- 「君は変わるほどの試験じゃないと言ったけど、本当は誰よりも変わる必要があるんじゃないのかな。僕は心配しているんだ。もし、高円寺くんがクラスメイトたちのやり玉に挙げられることがあったら……そう思ってね」
- それは平田なりの配慮でもあり、そしてちょっとした脅しでもあった。
- 協力して欲しいという思いを強く込めた言葉。
- 少しでも高円寺が協力する気になってくれれば、そう期待しただろう。
- 「心配無用さ。それを何とかするのがクラスの中心である君の役目だろう?」
- あくまでも何もしない。そのスタンスを高円寺は崩さない。
- 「僕にだって出来ないことはあるよ。期待に答えられないかも知れない」
- 「そんなことはないさ」
- 自信のない平田に対し高円寺はグイグイと期待を寄せていく。
- それが本心かそうでないのかは、この男からは感じることが出来ない。
- 立ち上がり、高円寺は近づいてくると、わざわざ平田の肩を軽く叩いた。
- 「仲間同士で傷を舐めあいながら、ぜひ不要なゴミを処理してくれたまえ」
- 高円寺の残した言葉を聞いた瞬間、バチッとエレベーターのスイッチが押された。
- 「……綾小路くん、行こう」
- 「ああ」
- これまで穏便にしていた平田の口調は、少し怒気を含んでいた。
- クラスメイトの中にゴミがいる。
- そう高円寺に言われ、苛立たずにはいられなかったようだ。
- エレベーターの扉が閉まったところで、再び平田が口を開いた。
- 「ふう……。ごめんね。ちょっとらしくないところを見せちゃったね」
- 「別に気にしてないさ。高円寺の言い分に問題があった」
- 軽く苦笑いし、平田は小さく頭を下げた。
- 「君にも痛いところを突かれるね……。僕自身、退学者を出さないことは現実的じゃないと思った。だから上辺では言葉にしつつも、どこかで最初から諦めていたんだ」
- すぐに平田の部屋のあるフロアに辿り着き、エレベーターを降りる。
- 「どうぞ入って」
- 「お邪魔します……」
- 平田の部屋に入るのは初めてだな。室内の装飾はオレと似たような感じで、基本的にはシンプル、そして芳香剤のような優しい香りが少しする。
- 殺風景だが平田らしい、整った室内だった。
- 「座って。コーヒーとかでいいかな?」
- 「悪いな」
- 「何も悪くないよ。僕がお願いしたことだから」
- 普段、オレは客の相手をすることが多いので少し新鮮な感じだった。
- 「さっきの続きなんだけど……」
- コーヒーの用意をしながら、背中越しにオレへと声をかける。
- 「もう本当に、クラス全員が助かる方法はないのかな」
- 「どうかな。オレが思いついてないだけかも知れない」
- 先ほどと同じように答える。
- 分かっていても、つい平田は救いを求めてしまうのだろう。
- だがフォローしたつもりだったが、それは逆効果だったようだ。
- 「君に思いつかないのなら、他に思いつく人なんていないと思うよ」
- 「随分な買い被りだな」
- いつの間に、平田の中でオレの評価がここまで上がってしまったのか。
- 「軽井沢さんとの一件から、クラスのために一番力になれるのは君だと考えてる」
- こちらの心を見透かすように平田が言った。
- 「それは本当に勘弁してくれ」
- お湯が沸き平田がコーヒーを持ってくる。
- 「事実だよ。君は謙遜して認めないだろうけどね」
- 何を言っても暖簾に腕押しだな。
- 言葉で否定しても、今の平田は認めない。
- ここは話題を少し変えた方が良さそうだ。そう思ったが平田もそれを察したらしい。
- 「誰かが退学にならなきゃいけない試験。こんなの理解しようと思ってもできるものじゃない。クラスメイトにいなくなっても構わない人なんて誰もいないのに」
- 「悩む気持ちは分からなくもないが、切り替えるしかないぞ。週末には答えが出るんだ」
- 「答え、か。綾小路くんは……特定の誰かが退学になればいい、とか思ってる?」
- 覗き見るような瞳が、オレを捉える。
- それは一見優しい瞳に見えるが、どこか別のものを含んでいるように見えた。
- 「別にいない」
- 卑怯な中立と受け取られるかも知れないが、事実そう思っている。残ってほしいと期待する生徒は多少いても、退学になるべきだと名指しするほどの生徒は一人もいない。クラスメイトの中で話し合い、その結果導き出される生徒が退学する。それが答えだ。
- 「誰が欠けても、それを受け止めるしかないだろ」
- 「冷静だね。僕なんかよりも、よっぽどクラスのリーダーに向いているよ」
- 今まで率先してクラスを引き上げてきた平田だが、出てくる言葉は弱気一辺倒。
- 何一つ具体的な手を打つことができないでいる。
- 「僕はこの先、どうすればいいのかな。この試験にどう向き合えばいいんだろう」
- アドバイスを送るなんておこがましいが、普段平田には助けられることも多い。
- 何とかして役にやってやりたいが……。
- 「オレの言葉は鵜呑みにして欲しくないが、思ってることを言う」
- 「うん」
- 「全員を救う。そういう甘えは一度排除したうえでの話だ。平田は今『誰を切るか』という方向でずっと頭を悩ませてる。そして答えを出せないでいるよな」
- 悩んで、それでも最後には頷いて同意する平田。
- 「ならその方向を一度逆にしてみたらどうだ?『誰を切るか』じゃなく『誰を残すか』から考えていく」
- 「誰を残す、か……? もちろん全員───」
- 「その全員に優先順位をつける。自分を含め全員を上から順に並べていく。もちろん、ほぼ同率で選べない生徒もいるかも知れない。それでも一度、順位を作ってみるべきだ。単純に自分が好きな生徒でも、クラスに貢献した生徒でもいい」
- そうしてランキングを作ることで、最終的に最下位の生徒が生まれる。
- 「それは……でも……」
- そう、簡単なことだ。
- だが平田はその簡単な行為をしなかった。心にセーブをかけて。
- 生徒に順位をつけるという行為を愚行だと思っている。
- 「順位をつけたって、僕の考えとクラスメイトの考えは必ずしも一致しないよ」
- こうして言い訳をして逃げ続けている。
- 待っているのは、無防備なまま迎える特別試験当日だ。
- 「いいんだ。まず自分の中で結論を出すことから始めるべきだとオレは思う」
- それが今、平田に言ってやれる唯一のアドバイスだろう。
- その上で平田がどんなジャッジを下すかは、自身が決めること。
- 淹れてもらったコーヒーをありがたく頂く。
- オレの買っているメーカーのものとは違うのか、やや酸味が強い気がした。
- 「そうだね、うん。そうかも知れない。僕は今逃げ出したい気持ちでいっぱいなんだ」
- アドバイスを受け止め、懸命に理解しようとする平田。
- すぐにはうまく行かないだろう。消化不良で吐き出したくなるかも知れない。
- だが、それをぐっと喉元で堪え消化を促そうとしている。
- 「ふう……うん。ありがとう」
- 絞りだした言葉で礼を言う平田。
- 今回の相談事も、とりあえず一段落だろうか。
- 「ちょっと野暮なこと聞いてもいいか?」
- 試験に関する話からガラッと変え、興味のあったことを聞いてみることにした。
- 「うん? 何かな」
- 「軽井沢と別れてから、誰かに告白されたりしたのか?」
- 「意外な質問、だね。綾小路くんからそんなこと聞かれるとは思わなかったな」
- ちょっと驚いて、そして困ったような顔をする平田。
- オレが平田の彼女候補たちに興味を持ったのは、クラスメイトのみーちゃんのことが浮かんだからだ。学年末試験の前、平田のことが好きだと相談を受けたからか、どうなったのか気になっていた。もう行動は起こしたのだろうか。
- 「誰か、という部分は伏せるけど……うん、声をかけてくれた子はいたかな」
- つまり既に女子からは告白を受け始めているということだ。
- みーちゃんなのか、そうじゃないのか。流石にそこまでは踏み込んで聞けない。
- しかしモテる男は凄いな。何もしなくても女子のほうからやってくる。いや、普段の行いそのものが影響を与えているだけか。けしてその努力を怠っているわけじゃない。
- 「その子とは付き合ってるのか?」
- 「まさか。僕は今、誰かと付き合うつもりはないんだ」
- きっぱりと言い切った。
- 「誰か好きな人がいる、とかでか?」
- 本命以外を受け入れるつもりないということなら話は分かる。
- 「誰かと付き合うことすら、今の僕には過ぎたことだと思っているんだ。資格がないよ」
- 「平田でそれなら、オレなんて夢のまた夢の話だな」
- そもそも恋愛をするのに、資格なんて必要ない。
- 「僕はそんな出来た人間じゃない」
- 出来た人間ほど謙遜する。
- 出来ない人間ほど不遜なもの。
- 結局そのあと、オレと平田は特に話を深掘りすることもなく終わった。
- 7
- 「悪いな一之瀬。こんな時間に呼び出すような真似して」
- 夜中の11時を回った頃、オレは一之瀬を自室に招き入れた。
- 普通なら警戒して断られても不思議はないが、一之瀬は何の抵抗も見せなかった。
- 「それは全然いいよ。でも綾小路くんから声がかかるなんて珍しいね」
- 「どうしても一之瀬と話がしておきたくてな。とりあえず、良かったらベッドにでも座ってくれ。多分床は冷える」
- ありがとう、と答え一之瀬はオレのベッドに腰を下ろした。
- 「なんかちょっと、ドキドキするかも……」
- 「え?」
- 「あぁううん、何でもないの。だけど電話にしなかったのはどうして?」
- どうして、か。オレはケトルでお湯を沸かしながら白いカップを手にする。
- 「電話口じゃ分からないことも沢山あるからな。オレが今回確認したかったことは、その辺に関係してる」
- 「そうなんだ」
- 「回りくどい言い方はせずに聞こうと思うんだが、今回の試験どうするつもりなんだ?」
- 「今朝の話の続きみたいだね。退学者を出さずに試験を突破する方法を思案中……かな」
- 「具体的には何か浮かんでるのか?」
- 振り返り、様子を窺いながら聞いてみる。
- もちろんこれは社交辞令みたいなもの。
- 互いに2000万ポイントを使う以外に方法がないことは分かっている。
- 「うーん、残念ながらまだ……。もう時間もないから焦ってるんだけどね」
- 言葉や態度から、隠すものの本質までは見えてこない。船上試験の時にも一之瀬の意外なポーカーフェイスに感心したことがあったが、なかなか上手いもんだ。
- 「南雲生徒会長に、協力を持ち掛けたんじゃないかと思ったんだが」
- 「協力って?」
- 身構えていなければ慌てそうな発言にも、一之瀬はいつもの様子で返す。
- だが次の一言を受ければ、それも崩さざるを得なくなるだろう。
- ケトルが沸き、ココアを作りそれを一之瀬に渡す。
- 「ありがとう」
- 「今回の追加試験は、今までとは違う。強制的に退学者を出さなければクリアにならない。だが、唯一例外の方法とされてるのは2000万ポイントを貯めることだ。いくらBクラスでも2000万ポイントまでは届いてない。とすると、第三者からの協力が必要不可欠」
- ココアに視線を落とした一之瀬が、小さく息を吹きかける。
- 「そっか、朝比奈先輩も今回の件は知ってたんだね。だけどそれを綾小路くんに話すとは思わなかったな」
- 隠し通せないと思ったのか、オレが何故その件を知っているのか推理したようだ。
- 「ってことは、不足分を出す代わりの条件も聞いた?」
- オレが小さく頷くと、一之瀬は苦笑いを浮かべた。
- 「バカみたいな話でしょ? 色んな意味でさ」
- 交際を条件にポイントを貸すということ。
- その条件を真面目に考えていること。
- それが色んな意味、ということだろう。
- 「一応、南雲先輩からは取引に関する口外は禁止されてるんだ。私から外部に漏らしたら、今回の話はなかったことにするって。朝比奈先輩から漏れたなら一応セーフだよね」
- 「その辺は心配しないでいい」
- 「だけど、その話は綾小路くんには関係のないこと、だよね……?」
- 「そうだな」
- Bクラスの判断であり、一之瀬の決めることだ。
- 「不足してる金額はいくらなんだ?」
- 「400万と少し、ってところかな」
- 交際することで400万ポイントが埋まり退学者を出さずに済む。
- 「破格の条件だな」
- 「うん。私なんかが南雲先輩と付き合ってポイントを借りられるなんて、ありえないことだよ。普通は、ポイントを払ってでもお願いするような立場だと思うし」
- 一之瀬との話を聞いていて、どう考えているのかが見えてきた。絶対に退学者をBクラスからは出させない。そのためなら身を犠牲にする覚悟を決めつつある。
- 「私たちBクラスが全員助かる方法は、多分これしかない」
- 「そうか……」
- ここでオレが何を言っても、一之瀬の助けになれるわけじゃない。
- 物理的なプライベートポイントのみが、今の一之瀬を助けることが出来る。
- 400万にものぼるポイントは、オレが逆立ちしても用意できるものじゃないだろう。
- 「一応……心配してくれてた、のかな?」
- 「おこがましいヤツだと思うかも知れないけどな」
- 「そんなことないよ。凄く嬉しい」
- そう答えた一之瀬だったが、少しだけ表情が曇る。
- 「でも、ちょっと困っちゃったかも……。綾小路くんと話さなかったら、もっと潔く決断出来たかもしれないから」
- 冷めてきたココアをゆっくりと口元に運ぶ一之瀬。
- 「……綾小路くんは、どう思う?」
- 「今回の取引か?」
- 「うん。あなたの目から見て、私のやろうとしてることはどんな風に見える?」
- 一之瀬がこっちの目を捉えた。
- オレはそれを正面から受け止め答える。
- 「クラスから退学者を出さないために、一之瀬だけに使える手段がある。プライベートポイントを貯めてきた戦略と、生徒会入りしていたことで南雲生徒会長とのパイプもあった。この条件を使って2000万ポイントに届かせるやり方は、一つの正解だ」
- 「軽蔑、しないんだね」
- 「軽蔑する必要もない。まぁ、クラスメイトを救うために2000万ポイントを払う価値があるのかは、正直なところオレには判断がつかないけどな」
- 「……そっか」
- また、ゆっくりとココアを口元に運ぶ一之瀬。
- 「ねえ綾小路くん」
- 一之瀬は、オレの目を見続けていた。
- 「ん?」
- 「綾小路くんって……ひょっとして凄い人?」
- 凄い人、と言われても反応に困る。
- オレは朝比奈から聞いたことを、ただそのまま口にしただけだ。
- 「何を思ってオレが凄い人なんだ? 悪いが、自覚は全くないぞ」
- 「そうだとしたらもっと凄いよ。だって綾小路くんって……」
- 言いかけて言葉を止める。
- 「どうした?」
- 「ううん、何でもないの」
- まるで自分でも、何を言いたいのか分かっていないようだった。
- 思考よりも先に口が動いていたかのように。
- 「……なんなんだろう……」
- 自分に問いかけるように、一之瀬は小さく呟く。
- 無理にでも呼び出し聞けて良かった。
- 一之瀬はどんなことがあってもBクラスを守るために行動する。
- それを改めて認識することが出来た。
- 悩みに悩んだ末、一之瀬は決断するだろう。
- 南雲雅と、交際するという選択を。
- ○兄と妹
- 追加試験が発表されて3日目の朝。
- 明後日の土曜日には投票が行われることになる。
- あまりにも短すぎる期間で、仲間を1人退学させなければならない。
- 部屋の扉を開けると、冷えた空気が身に染みた。
- 廊下に出て一階ロビーに降りてくると、階段側から須藤が出てくるところだった。
- 「階段使ってるんだな」
- 「まぁな。ちょっとでも筋トレになればと思ってよ」
- 部活に勉強に、ひょっとしたら須藤は今一番学生らしい生活を送っているのかもな。
- そのまま2人並んで通学する流れに。
- 「俺はバカだし短気だけどよ、今すげぇ充実してんだ。だから絶対に退学したくねぇ」
- オレに振った話というよりは、半ば独り言のようにも感じられた。
- 「自分がこの学校に残るためなら誰かに恨まれたっていい。間違ってると思うか?」
- 「いや、正しいんじゃないか。残りたいと強く願ったヤツがこの試験を勝ち抜ける」
- 「だよな」
- 通学してきたオレは、教室に入るなり違和感を覚えることになった。
- 須藤は何も気づくことなく自分の席に向かう。
- 空気の変化。
- オレは悪く言っても鈍感な方じゃない。
- Cクラスに足を踏み入れた時点で、それが昨日までとどこかが違うと感じる。
- 目の前では当たり前の光景。
- 日常が広がっている。
- そう、当たり前のように友達と雑談し、談笑している様子が広がっている。
- これこそが『違和感』の正体だ。
- 昨日まであんなに警戒し、牽制し合っていたはずのクラスメイトたち。
- なのに妙な一体感が生まれている。
- 「おはよう綾小路くん」
- 声をかけてきたのは平田だった。
- 「おはよう」
- 短く返し平田の様子を窺う。
- 「ん? どうかした?」
- 何も気がついていないのか、それとも気がついていないフリをしているのか。
- 平田はいつもと変わらない表情でオレの目を見てくる。
- 「いや何でもない」
- 「そう? 今日もよろしくね」
- 平田は挨拶を済ませ、呼ばれた女子たちの下へ向かった。
- ただ、オレの感じた違和感は生徒が増え時間が経つと共に薄れていく。
- そこから導き出される結論。
- それはこの試験に挑む大グループの存在を暗に示していると見ていいだろう。
- そして誰を守るかではなく、誰を蹴落とすかで一致し始めている。
- 教室に存在する生徒はまだ11人。仮に平田を除いて10人として、この10人全員が結託して批判票を誰かに投じればそれだけでターゲットは危険領域だ。
- メンバーは池、山内を始めとした男連中。
- そしてそんな池たちとも少し繋がりを持っている女子たち。
- ここにいる存在は大グループとして結託している可能性がある。
- だが奇妙なのは、恵を中心としたグループのメンバーもいることだ。
- それらしい報告は、まだ恵から上がってきていない。
- 「おはよう」
- 程なくして堀北も登校してくる。
- いつもと変わらない態度だったが、そんな堀北が周囲に一度目をやる。
- 「……何かあった?」
- 「おまえも感じたか」
- 「ええ。ちょっとした嫌な感じね。気になるなら本人たちに聞いてくれば?」
- 「遠慮しておく。触らぬ神に祟りなしってな」
- 少なくとも不用意に確認するべきことじゃない。
- 『何か変わったことはなかったか?』
- オレは早くから通学していた啓誠に対してそんなメッセージを送る。
- 『分からない。ただ、何となく昨日までと違う気がする』
- 違いまでは分かっていないようだったが、啓誠もその臭いを嗅ぎつけた。
- 『大きなグループが出来たのかも知れない。クラスメイトが妙に落ち着いてる』
- その違いを気づかせるために送ったメッセージ。
- それを受け取った啓誠は周囲を見て、そしてオレを見た。
- 『確かにそうだ。明らかに暗かった雰囲気が変わってる。よく気がついたな』
- 『友達が少ないと周囲の変化に敏感なんだ』
- 『もし10人以上のグループが出来てるとしたら、誰を落とすかで話し合ってる可能性はあるよな?』
- 『狙われてる生徒は相当なピンチだ』
- 『誰が作ったグループだろうな……。俺たちは大丈夫か?』
- 不安そうな啓誠の気持ちがメッセージを通じ伝わってくる。
- グループは人数が増えるほど、当然人数合わせのためにそれほど親しくない生徒もグループに入ることになる。それを統率するのは容易なことじゃない。
- 人数が増えてきたため、いったんメッセージを打ち切った。
- この続きは昼休みや放課後にでも行えばいい。
- 1
- 昼休み。オレは綾小路グループ内で雑談していた。
- 雑談と言っても、追加試験に関することが大半だ。
- そして最初の話題は当然、朝の空気の変化。
- 啓誠が早めに登校し大グループが出来た気配があることを伝えたところから始まる。
- 「……なるほどね。確かに、今日は昨日よりも明るい感じしたかも」
- 「けど、まだ憶測……の段階なんだよね?」
- 「そうだな。大きなグループが出来た証拠もないし、誰か1人に絞られたとも限らない」
- あくまでも今朝の状況から、そう感じられるというだけ。
- 「とりあえず誰かに探り入れてみるか?」
- 「どうだろうな。人選をミスったら、嗅ぎまわってることがグループのリーダーにも行くはずだ。そうなったらターゲットがこのグループの誰かに向く恐れもある」
- それだけは避けたいと啓誠は言う。
- 「誘われてないのには、誘われてないだけの理由があるだろうしね」
- もし大きなグループがあるのなら、究極の話ターゲット以外には声をかけてもいい。
- 39人で1人を囲んで追い込むことが理想の展開だ。
- だが実際には中々そうはならない。
- 「私たちの中の誰かに、そのターゲットと仲の良い生徒がいる……とか?」
- 静かにグループを見渡し推理する波瑠加。
- 「……あるいは……この中の誰かがターゲットにされてるとか」
- 「や、やめてよ波瑠加ちゃん……!」
- 怖がる愛里だが、あながち冗談では済まされない話だ。
- 「多分グループを作る動きは初日からあった。そして信頼できる仲間を増やしていって、今日3日目でその気配が露呈してしまったってところだろう」
- その啓誠の推理も合っているだろう。1日で増えたにしては数が多そうだった。追加試験が発表された日から動いていたとみていい。
- 「まだ仲間を集めるつもりなら、今日の内に俺たちの中の誰かに接触があるかも」
- 「もしそれが、俺たちの中の誰かをターゲットにするって話だったら? 協力しないとおまえを退学にさせるって脅して来たら……どうする?」
- 何気なく、だが大きな課題を明人はオレたちへと振る。
- 「そんなの当然、このグループを優先するに決まってるじゃない」
- 「たとえばその結果、波瑠加が狙われることになってもか?」
- 「それは……でも、仲間を裏切ってまで学校に残りたいと私は思わない。もしそんな話をしてきたら、文句言ってやるから」
- やや怯みながらも明人にそう返す波瑠加。
- 「私も同じ。絶対に裏切ったりしないよっ」
- 不安そうにしながらも、力強く頷く愛里。
- 「おまえは? 啓誠」
- 沈黙した啓誠は、少し遅れて正直な気持ちを口にする。
- 「……俺も基本的には波瑠加や愛里の意見に賛成だ。けど、実際はそんなに甘くない。本当に狙われるとなったら、この試験でそれを回避することはまずできない。仲間を庇って退学って言えば聞こえはいいが……きっと辛いものになる」
- 「それは……きよぽんは、どう思う?」
- 全員の視線が集まる。
- ここは考えを統一させるためにも、ある程度誘導しておくべきだな。
- 「波瑠加のように、文句を言うようなやり方には反対だ」
- 「それ、仲間を裏切って大グループにつけってこと?」
- 「いや、相手のグループに協力して仲間を蹴落とすのは論外だ。ただ、表面上従うフリをする方がいい。下手に協力しないと啖呵を切る行為は得策じゃない」
- 感情だけを先行させることだけは避けさせなければならない。
- 「相手に協力すると見せかけて、今どれくらいの人数が批判票を入れようとしているのか、これから誰を誘うつもりなのか。その辺の情報を引き出す必要がある。違うか?」
- 「……確かに」
- 熱くなっていた波瑠加が、落ち着きを取り戻す。
- 勢いで相手を突っぱねてしまえば、降りてくる情報はそこまで。
- その時点で、向こうが誰を狙うのかも分からなくなってしまう。
- 「仲間のフリをしても、匿名である以上、当日誰が誰に批判票を入れたかは分からない」
- つまり実際のところがどうであったかをぼかすことが出来る。
- 「そうすることが一番仲間のためになる、ってことね」
- オレは頷いて見せる。
- 「それに、初日から静かにグループを広げて、3日目にしてそれなりの人数を抱え込んでいるのなら、大グループを束ねる首謀者はそれなりに頭のキレる可能性がある。慎重かつ大胆に事を運んでいて、しかも退学にさせられる人物が誰かを特定させてない。平田や堀北も大グループの存在には気がついてなかったみたいだしな」
- 堀北は薄っすらと、平田に関しては全く気づく様子がなかった。
- 漏れてもおかしくない情報を、瀬戸際で封じ込めている。
- 「平田を抱え込んでないのは、あいつが誰に対しても中立の立場だからだろうな。下手に協力を求めたら反対されて、大グループを解体させようとするかも」
- 「とにかく、そういうことに頭が回る人間ってことね」
- 「凄いよ清隆くん、そんなことまでわかっちゃうなんて!」
- パチパチと自分のことのように喜んで、拍手する愛里。
- 「確かにな。今朝の異変に気がついたのも俺じゃなくて清隆だった」
- 「言っただろ。一人の時間が長いと、ついつい余計なものまで見えてくるんだ。それに大グループの存在は公になったわけじゃない、まだ仮説の段階だ」
- 本当に実在しているかどうかの裏が一切ないまま、話を進めているだけだ。
- 「警戒するに越したことはないってことね」
- 「しっかし、辛気臭い話ばっかりになるよな。少しは明るい話題ないのか?」
- 明人が携帯を弄りながらため息を含めて言った。
- 全員、首を左右に振る。
- 「どこもかしこも、それどころじゃないって感じ。もうすぐクラスメイトから誰かが欠けるなんて事実を突き付けられたら、楽しめるものも楽しめないしさ」
- 仲間内で結託していても、その不安は小さくくすぶり続ける。
- 「そう思ったら、私……やっぱり不安……」
- 「まだそんなこと言ってるの愛里。絶対大丈夫だって」
- 不安にさせないよう、波瑠加が頭をポンポンと優しく叩きながら言う。
- 「だけど……」
- 「どっちかって言うと女子に嫌われてる私の方が怪しいくらいなんだしさ」
- 「そうかもな」
- 同調して明人が頷くと、思い切り睨みつけた。
- 「なんだよ。おまえが自分で言ったんだろ」
- 「自分で言うのはいいけど、人に言われると嫌なことってあると思わない?」
- 「……思います」
- 有無を言わせぬ正論の前に、明人が屈した。
- そんな様子を見ていて、ますます愛里は自信を失くしたようだった。
- 「波瑠加ちゃんは可愛いし、ユーモアもあるし、頭も良いし……」
- 「いやいや……少なくとも1つ目に関しては、言っちゃダメでしょ」
- 呆れながらもよしよしと慰める。
- 「女子はそんなに心配する必要はないだろ。男子に目立つヤツが多すぎる」
- 慰めるつもりでか、啓誠もフォローした。
- 「まーやばいのは男子だよな。今更真面目ぶっても意味ねーし」
- 「確かに女子より───ねえ、あれ平田くんだよね?」
- やや疑問そうに波瑠加が言う。視線の先を全員で追った。
- そこには一人、覇気なく歩いている平田の姿が確かにあった。
- いつも背筋を伸ばし、笑顔を絶やさない男。
- しかし、その顔つきはお世辞にも明るい印象は感じられない。
- 「やっぱり今回の試験のこと、気にしてるのかな」
- 「みたいね。別人みたい」
- 心配そうに平田を見送る2人。
- 「自分が退学になる心配はないってのにな。背負い込み過ぎなんだよ」
- 「今回は誰かが退学者になる。それは避けられないのにな」
- どこか可哀想な目で、平田を見る。
- そんな話を聞き入っていたオレの元に1通のメールが届く。
- どうやら無視できる相手でもないらしい。
- 「悪い、ちょっと呼び出しだ」
- 「呼び出しって誰から?」
- 興味を持った波瑠加が、面白そうに目を向けてくる。
- 愛里も不安げな目でオレを見てきた。
- 「堀北だ。今回の試験に関することかもな」
- 「あー、ね」
- 何かを悟ったように、興味をなくす波瑠加。
- 先日の龍園への絡みを思い出していたのかも知れない。
- 見送られ、カフェを後にした。
- 2
- 呼び出し場所は、昼休み中には似つかわしくない通学路。
- その途中にある休憩所だ。
- 春や秋ならともかく、この時期は誰も好んで外には出ない。
- 「呼び出してすまなかったな」
- 「別に。そっちこそ寒空の下待たせて悪かった」
- 「構わん」
- オレの待ち合わせ相手は堀北。
- ただし妹の鈴音ではなく、兄の学の方だが。
- 「……どうも」
- 橘が小さく頭を下げた。
- 生徒会をやめても、まだ橘は堀北の傍に付き添い続けている。
- それが上下関係以外のものを感じさせることは今更言うまでもない。
- 以前の橘はもう少しオレに対しキツイ態度だったが、今日はやや控えめだった。
- 南雲の罠にかかり、一度退学措置を受けたことを引きずっているのか。
- 「追加の特別試験が始まったそうだな」
- 「耳が早いな。ま、もうすぐそれも終わりだが」
- 「既に何人かの1年生は、3年生に相談を持ち込んでいる様だ。だが、具体的に協力できる3年は存在しないだろう」
- 「やっぱり、プライベートポイントを貸す先輩もいないのか?」
- 「難しいだろうな。特別試験は例年通り行われるモノもあるが、基本的には3年以上のローテーションが組まれている。在校生から試験の情報が漏れないようにだ」
- 想像通り、当然の流れか。
- 「そして今回俺たち3年生に出された特別試験では、プライベートポイントの多さが勝敗を分けるものになるだろう。後輩に残してやれるポイントはない」
- なるほど。それで橘の顔色も優れないわけか。
- 自らのミスで2000万ポイントという額をクラスに捻出させた。
- それが特別試験に必要な軍資金ということならことさらか。
- 「ごめんなさい。私がもっとしっかりしていたら……」
- 自責の念に駆られ、橘は堀北兄に頭を下げた。
- 「必要ないことをするな」
- 「あ、は、はい……」
- 何度も謝っていたのだろう、堀北兄に嗜められる。
- 「あんたの妹からは?」
- 「鈴音が俺のところに来ることはない」
- 「今度の特別試験は、これまでにないものだ。堀北にアドバイスを送れる人間が必要だ」
- 事実あいつはもがいている。その中での龍園との接触でもあった。
- 結果的には、跳ね返されてしまったが。
- 「ならおまえが、その役目を担えばいい」
- 「無理な相談だな。オレと堀北はタイプが違う」
- 「俺なら、鈴音と同じだとでも?」
- 「少なくともオレよりはな」
- 「…………」
- 小さな沈黙。
- 「あいつは今、この先の戦い方で選択を迫られているはずだ。それを導けるのはあんたしかいない」
- 「仮にそうだとしても、それを選ぶのはあいつ自身だ」
- 確かに。堀北兄が促すことじゃないな。
- 本来は堀北鈴音が判断し決めることだ。
- 「それでオレを呼び出した用件は?」
- 長い間、この寒空の下で話し込むのは全員にとって好ましいことじゃないからな。
- 妹の話題がお好みでないのなら、進ませてもらおう。
- 「南雲に関してだ。そっちで変わった動きがないかどうか聞いておきたかった」
- 「わざわざ会って話すことでもない気がするんだが?」
- 「私がお願いしたんです」
- 思わぬ形から、この場が設けられた理由を知ることになる。
- 「あなたが認められている理由を、知りたかったから」
- そんな橘の目には悔しさが滲んでいるように見えた。
- キッカケはどうあれ、それを受けて堀北兄が受けたということは、それが橘の成長に繋がると踏んでのことなのかもな。
- 「認められてるのか? オレは多分、堀北兄に失礼なことしかしてないぞ」
- 「知ってます」
- そこまで即答かつハッキリ返されると、ちょっと心に刺さる。
- 「ですが……もう少し視野を広げてみることにしました。あなたには、私には見えない、認められるだけの力があるって」
- 「どうだ。改めて綾小路を見た感想は」
- 「正直、全く分からないです」
- 「だろうな」
- なんだその会話。
- やや弛緩した変な空気のためか、堀北兄も小さく笑った。
- 「綾小路の真価が分かるのは、残念ながら俺たちが卒業した後だろう」
- 「いや、卒業後も変わらないからな」
- 「私もそう思います」
- しかし、そんなことのためにわざわざ寒空の下呼び出したとは。
- まぁそれだけ、橘の抱えた傷が大きかったってことなんだろうが。
- 「南雲はあんたにご執心だからな。オレを相手にする気もないんじゃないか? どうせなら一度正面から相手をしてやればいい」
- もうすぐAクラスで卒業できそうな男に要求する話でもないが。
- ただどちらにせよ、南雲は必ず仕掛けてくるだろう。
- いや、もう動いているかも知れない。
- 「……南雲くんは最近3年Bクラスと密な連絡を取り合っています。合宿の時のように、全面的にバックアップしているんだと思います」
- 堀北兄に勝つ。そのための目標にBクラスへ落とすことを掲げているのかもな。
- 「物騒な話が尽きないな。平穏に過ごしたいもんだ」
- 「1年が今後平穏に過ごすためにも、南雲の問題をこのまま放置するわけにはいかない」
- 来年になれば、大変な事態が起こると堀北兄は確信している。
- 倒すべき存在の堀北兄がいなくなれば、南雲は好き勝手暴れだす。
- その時に対策を打っていなければ大変な目にあうぞって話だ。
- 「やれることはやってるつもりだ」
- とりあえず、そう答えておいた。
- 3
- その日の夜、シャワーを浴びて出てくると、携帯には恵からの着信が数回あった。
- 1分置きに電話をかけてきており、急ぎの用件であることが窺える。
- オレは髪を乾かすのもそこそこに恵へと折り返しの連絡をしようと携帯を手に取ったが、直後に恵自身から再度の着信があったので、そのまま取る。
- 「もしもし」
- 「あ、やっと繋がった……!」
- 「随分焦った様子だな」
- 「焦りもするって……。なんか、とんでもないことになってるわよ清隆」
- 「とんでもないこと?」
- 「誰が主導してるのか知らないけど……あんた、皆に退学させられそうになってる」
- 「そうか」
- 「そ、そうかって知ってたの?」
- 「いや初耳だ。ただ誰かがターゲットになってるのは薄々分かってた」
- それがオレだというのは、本当に今知った。
- 「なんでそう冷静なわけ?」
- 「どれくらいが、オレに投票するつもりか分かるか?」
- 「どうだろ……。でも、体感でクラスの半分くらいは、もう賛同してると思う。清隆にこのことを話したら、今度はそいつがターゲットにされるって脅されてるみたい」
- 誰かを嵌める以上、そういう脅しのひとつやふたつかけるだろうな。
- そうか、過半数は抑えられたか。
- 綾小路グループからの賞賛票、恵に1票投じさせても付け焼刃だな。
- 「いいのか? おまえが嵌められることになるぞ」
- もちろんオレが、恵から聞いたことを吹聴して回ったらの話だが。
- 誰だか知らないが上手く立ち回ったな。特定の人物をターゲットにして退学に追い込む戦略そのものはシンプルだが、簡単に票をまとめることは出来ない。特定の人物を退学にしようと言い出した人間は基本的に『悪』と見なされるからだ。正義感の強い生徒、あるいはターゲットとして名指しされた生徒に親しい者が耳にすれば、逆に首謀者を退学に追い込む可能性だってある。仲間を裁くことに抵抗はあっても、悪を裁くことへの抵抗は薄い。だからこそ、波瑠加や明人のような比較的辛口な生徒たちでさえ、率先して誰かを排除しようとはオレたちに呼びかけていなかった。あくまでもグループの中の話し合いで候補者を出し合い、全員で足並みを揃え投票していこうとしていた。
- オレをターゲットにした首謀者は、自らが退学の対象になるリスクを恐れていない。
- 「何とかしてよね。って言うか、何とか出来るんでしょうね?」
- 「どうかな。仮に半数が敵に回ってるなら、厄介な展開だ」
- こっちが合計10票ほどの賞賛票を集めたところで、必ずしもピンチは脱しない。
- 結託しているグループは当然、自分たちの仲間に賞賛票を入れる。
- 十分に退学になるリスクを背負うことになる。
- 「知らせてくれて助かった」
- 「それはいいけどさ……マジでどうするのよ」
- 「どうするか、か。それは今から考えるさ」
- 「完璧なようであんたも抜けてるわよね、あたしがいなかったら、何も気づかずにあっさり退学させられてたかも知れないじゃん」
- 「こういう時のためにおまえがいるんだ」
- 「あ、なるほど……」
- オレじゃ届かない範囲の情報をキャッチできる人材を確保しているからこそ、こうして自分の退学危機を知ることが出来る。
- 「また追って連絡する」
- 「うん、分かった」
- オレは恵との通話を終える。
- 来週3月8日のことで少し話もしたかったが、今はよそう。
- まずは何故オレがターゲットになったのかを探る必要がある。
- 「さて───」
- 携帯を握りしめ、頭をゆっくりと回転させ始める。
- 誰に連絡するか、という部分でもこの先を大きく左右するな。
- オレを狙う首謀者、及びその取り巻きは除外しなければならない。
- かと言って、役に立たない人間に話を持ち掛けても、状況が好転することはない。
- 「……となると」
- オレは事前連絡せず、そのままアドレスから呼び出し電話をかける。
- まずは、やっておくべきことを終わらせておくか。
- しばらくして電話が繋がる。
- 「なんだ」
- いつもと変わらない口調で電話に出たのは、堀北学だ。
- 「今回の追加試験に関して、あんたに話がある。結構真面目な話だ」
- 「少し待て」
- 水を流す音が聞こえ、10秒ほど待たされる。
- 「洗い物をしていた。スピーカーで聞く話じゃなさそうだったからな」
- 「悪いな」
- 「何か良くない動きがあったようだな」
- 昼間、オレと堀北兄は会っている。
- そこでこの話が出なかった点から気づいたんだろう。
- 「ウチのクラスで動きがあった。大グループを作って、特定の退学者を出そうとしてる」
- 「試験内容から、大きなグループが出来ることは必然だ。それで、誰が狙われている」
- 恐らく堀北兄は妹の顔を思い浮かべたことだろう。
- 「オレだ」
- 「それは笑えない冗談だな」
- 「何も冗談なんて言ってない。今半数ほどが、オレへの批判票に同意してる」
- 「ほう?」
- 「大ピンチってヤツだ。だからあんたに相談しようと思ってな」
- 「流石のおまえにも、この試験はどうすることも出来ないと?」
- 「平たく言えばそういうことだ」
- 正確には、今こうして手を打とうとしてるわけだが。
- 「俺に何を望む。試験に対する手助けは出来ないと思うがな」
- 「ああ。やって欲しいのは1つだけだ」
- オレは堀北兄に、ある相談を持ち掛ける。
- それを受けるか受けないかでも、残されたオレの対応も変わって来る。
- 「……なるほど。そういうことか」
- 「あんたにとっても悪い話じゃないはずだ。今回の件を理由にすればいい」
- 「確かに、そうでもしなければ受けられない相談だ」
- 「元生徒会長の権力なんて発揮する必要はない。直接オレに手助けをする話でもない」
- 堀北兄ほどの生徒なら、こっちの狙いを話さずとも理解してくる。
- 「おまえはクラスの誰が狙われていたにせよ『その手』で戦うつもりだったわけだな」
- 「ああ。どの道あんたには連絡するつもりだった。昼間に伝えても良かったんだが……」
- 「あの場には橘がいたからだな?」
- もちろん彼女が他言するような生徒じゃないことは分かっているが、念のためだ。
- 「何が大ピンチだ。おまえはそもそも、ピンチに陥ってなどいない」
- 「それは明日次第だ。あんたの協力がなきゃ、強引に動かないといけなくなる。オレが表舞台に立つ、それが得策じゃないのは良く分かってるだろ?」
- 「……分かった。明日動こう」
- 「助かる。首謀者が割れたら連絡する」
- オレは堀北兄との通話を終え、携帯を充電コードに差した。
- 「まず1つ」
- 元々この試験で、オレはある戦略を決行するつもりでいた。
- 不要な生徒を排除する上での必要な行為。
- だが、自分自身がターゲットにされているのなら、その戦略の『精度』を上げておく必要はあるだろう。次にオレは櫛田に電話することを決めた。
- 「こんばんは綾小路くん。もしかしたら今日、電話あるかもって思ってた」
- 「なら、状況は把握してるってことでいいな?」
- 「うん。今ピンチみたいだね」
- やはり櫛田の耳には、既にオレが退学候補であるという情報は入っているか。
- 「協力関係にあるから教えてほしかった、とは言わないよね? この話を外部に漏らしたら、今度は私がターゲットにされちゃうから……ね」
- もちろん、それが本当の理由じゃないだろう。
- 「誰から聞いたの? その話」
- 櫛田の興味はオレが誰から退学させられそうになっている情報を仕入れたかにある。
- 「匿名だ」
- 「ふぅん。じゃあ1つ教えて。その匿名さんは何て言ってたの?」
- 何て言ってたの、か。
- オレはその質問に答えられず沈黙した。
- 「綾小路くん頭いいからなぁ。迂闊には口にできないって思ってるでしょ」
- 「意図を図り損ねてたんだ。何が知りたい」
- 「たとえば、誰が首謀者って言ってたとか。何票くらい集まりそうだとか」
- つまりその辺りに櫛田の知りたい情報が散りばめられているのか。仮に恵に半数、別の生徒に3分の1票が集まりそうだと伝えていれば、それだけで相手を絞ることが出来る。
- 「お腹の中の読みあい、だね」
- 「まさか櫛田、おまえが首謀者なのか?」
- 「そんなことしないよ。私はクラスの中では完全な中立、平和の象徴だよ?」
- だが首謀者じゃないにしても、それに近い位置にいるようだ。オレは話を続ける。
- 「そうだな。もし首謀者なら堀北をターゲットにしていてもおかしくない」
- 「あはは、そうだね。私に相談することがリスクだと分かってても連絡してきたってことは、困ってることには違いないんだろうけど……。私にどうしてほしいのかな」
- 「首謀者が誰か知りたい」
- 「今更知っても、もうどうにもならないとしても?」
- 櫛田は常に状況を見て臨機応変な対応を見せる。こちら側に引き込むことは難しくない。
- 「教えてくれ」
- 「素直だね綾小路くん。でも、私は友達を裏切れないから……。なんてね」
- くすりと小悪魔のように櫛田は電話の向こうで笑った。
- 「ううん正確には教えたくても教えられないというのが正しいかも」
- 「と言うと?」
- 「残念なお知らせだけど、その首謀者の正体を知ってるのは私だけなんだよね」
- 「……そういうことか」
- 「流石綾小路くん、分かったみたいだね」
- クラスでオレを退学にすると決めた首謀者は、最初の相談相手を櫛田に選んだ。
- そしてその櫛田を使い、オレ寄りじゃない人間を選ばせ手を広げていったということだ。
- クラスメイトから信頼の厚い櫛田の頼みなら断りづらい部分もあるだろう。
- 「綾小路くんなら、遅かれ早かれ誰が首謀者か気づくことが出来るんじゃないかな? だから今教えなくても変わらないよね」
- 「いや、おまえから聞き出せないなら、多分オレは苦労する。相手サイドもそこの点は隠しておきたい部分だろうからな。だからこそ全てを櫛田に託したんだろ?」
- 「素直だね」
- 「櫛田なら、こっちの思惑はお見通しだろうからな」
- 櫛田に首謀者を聞き出そうと思ったオレの戦略は当たり。
- しかし同時にハズレでもあったわけだ。
- 「よく引き受けたな。退学者を出すことに加担することになるのに」
- 「まあ、ね。私としても立ち回りの難しいところだったんだけど、断ったら断ったで、相手には助けてもらえなかったって思われるわけじゃない? 私に相談したけど、助けてくれなかったなんて言いふらされても困るし」
- 確かに、そういったことは十分に考えられるケースだ。
- 「私も苦渋の決断ってことで動くことにしたんだ。綾小路くんにも退学してほしくないけど、助けてほしいと頼ってきた生徒の信頼も裏切れない、って具合にね。後はちょっと弱みを握られてる感じも演出しておいたかな。そしたら、裏切ったらその人がターゲットにされるなんて話も広まっちゃったみたいだけど」
- 恐らく櫛田なら、それでも中立を貫くことは出来たんじゃないだろうか。
- なのに、あえて協力する形を取った点が気になる。
- その理由の一つには、恐らく自身を守ることもあったんじゃないだろうか。下手に断ればその首謀者が作るグループに入れてもらえない可能性もある。あるいは逆恨みされて、反撃を食らう可能性も思慮した。それなら多少の危険を冒しても中核になることでグループをコントロールする側にまわった。筋書きは成立する。
- 櫛田という人間は、自尊心の塊だ。それでいて他人に崇拝され、持ち上げられ、そして彼らを支配することを好む。下手に出て来る人間に対して、愉悦を感じるタイプ。
- 「分かってくれたかな? 私の置かれた状況。助けたくても助けられないの」
- 首謀者が誰であるかが表に出れば、それは櫛田の失態であると紐づけられる。
- 上手い具合に櫛田を利用したな。
- 「なら、無理に聞き出すことは出来そうにないな。悪かったな夜中に電話して」
- 「へえ。あっさり引くんだね」
- 「櫛田を困らせるわけにもいかない。今回の件じゃ協力を頼めそうにないしな」
- 「私に頼らないで、首謀者に辿り着けると思う?」
- 「どうかな。自信はない」
- ここは下がる。下がって櫛田が前に出てくるのを誘う。
- もし誘いに乗って来なければ仕方がない。どの道オレの戦略上では、首謀者が誰かはそれほど関係がない。少し楽な展開に持っていきやすいというだけ。
- 「どうしようかな」
- だが、櫛田は下がらず立ち止まった。
- いや自分から前に出てきた。
- 「綾小路くんとは、仲間だしね。いいよ教えてあげる」
- そういうことなら、ここでオレは足を止める。
- 「……どうして考えを変えたんだ?」
- 「綾小路くんがどうやって対応するのか見てみたいと思ったから、かな。だけど、その結果私が被害を被ることがあれば、許さないからね?」
- 「敵に回していい人間と悪い人間の分別はついてるつもりだ」
- よかった、と櫛田は口にして小さく微笑んだ気がした。
- 「山内くんだよ」
- 暫定首謀者の名前が口にされる。
- あえて暫定としたのは、それが確実なことかどうか断定する材料がまだないからだ。
- 「そうか、山内か」
- 「驚かないんだね」
- 「退学候補の一人だしな。主導して動いてもおかしくない」
- 「……満足した?」
- こっちを試すような櫛田の言葉。
- 「首謀者の名前を聞いて腑に落ちない点が出来た。山内なんかに操られるほど、櫛田って生徒はバカじゃない。幾らでも上手く言葉を濁して断れたはずだ。わざわざ首謀者を隠して仲介役に徹するのはかなりリスキーだろ」
- 「じゃあ、どうして断らなかったんだろうね」
- 「本当の首謀者は山内じゃなく、その背後に立つ生徒だってことに気づいたから、とかな」
- これまで楽しそうだった櫛田が少しだけ、トーンを落とす。
- 「そこまで分かっちゃうんだ」
- 「前に山内のところに坂柳が来てたな。もしかしてそう言うことか?」
- 学年末試験の前、山内を訪ねてきたことがCクラスでも話題になった。
- オレと坂柳の接点以外で、櫛田が納得できそうな材料を提示する。
- 「あの時はびっくりしたよね。うん、その通りだよ。どうも山内くんの後ろにはAクラスの坂柳さんがついてるみたいでさ。敵に回すのは避けたかったんだよね」
- 「どうして坂柳が後ろについてるって分かったんだ。山内がそう言ったのか?」
- 「ううん、山内くんはひた隠しにしてた。けど私の情報網の広さは知ってるよね? Aクラスにいる子が教えてくれたの。山内くんを操って、Cクラスに何かしようとしてるって」
- 何とも綺麗すぎる展開だ。こうなると、山内が櫛田に声をかけたことも坂柳が指示したと見るべきだろう。Aクラスの橋本はオレと恵のちょっとした関係に疑問を持っている。オレの耳に入れずにグループを作っていくなら、恵を外すように進言していてもおかしくない。
- ただ、それなら最後まで恵をグループに引き入れるべきじゃなかった。そうすれば、もう少し後まで、自分が狙われていることには気づかなかっただろう。
- 「綾小路くんが坂柳さんに狙われたのは偶然? それとも意図的?」
- 「さあ。オレは坂柳とそれほど接点はないつもりだ。影の薄い生徒を狙わせたのかもな」
- 「そっか。そうだね。綾小路くんの場合、堀北さんや須藤くん、佐藤さん、それから幸村くんたちグループメンバーを除けば、危険を冒してまで教えてくれる人はいないだろうしね」
- しかし、首謀者が坂柳ってことなら話は変わる。
- 何故坂柳はわざわざオレに、今回の試験を見送ってくれと言ってきたのか。
- 約束を反故にしてまで、裏をかいてオレを潰しに来たか?
- ここでオレに仕掛けると言うことは、次の特別試験で相手にされないことを覚悟しなければならない。山内にオレへの批判票を集めさせることは紛れもなく約束を破ることになるからだ。つまり、強引にこじつけるなら、オレと約束したことそのものが嘘という形だ。
- 勝負は次回に持ち越したと見せかけ、その実罠を仕掛けてきた。
- いや……オレが見る限り坂柳はそれで納得するタイプじゃない。
- なら今回の騒動をどう捉えればいい。
- 「助かったよ櫛田」
- 「上手く立ち回って、退学にならないようにしてね」
- 通話を終えて、携帯をベッドに放る。
- 「何を企んでるにせよ、オレがやることは変わらないってことだな」
- 首謀者の存在が分かったのなら、あとはそれを堀北兄に伝え上手くやってもらうだけだ。
- ○善と悪
- 朝、オレが教室に入ると、生徒たちの視線が一斉に集まった。
- だがすぐに散り散りになっていく。
- そしてまた、どこからともなく視線を向けられる。そんな繰り返しが始まった。
- オレを退学させる。
- そんな動きが始まっていた事実。
- 昨日感じた違和感の正体は、これだったようだ。
- 明人や啓誠などの綾小路グループのメンバーに、変わった様子は見られない。
- オレが気づかないほど4人の演技が卓越しているわけではないだろう。
- 相手もグループを組んでいる以上、当然漏らさないようにする。
- そしてオレも余計な心配を4人にかけるわけにはいかない。
- 下手に漏らせば恵が絡んでいることも明らかになってしまうからだ。
- 自分で対処するしかない。
- 「おはよう綾小路くん」
- 「ああ、おはよう」
- 何も知らない様子の堀北が登校してくる。
- 「おっす」
- どうやら須藤も一緒だったらしく、ほぼ同時に挨拶された。
- 「言っておくけれど、偶然よ」
- 「聞いてない」
- 須藤は何となく誇らしげに鼻を鳴らし、自分の席に向かう。
- 恐らくこの件、須藤も絡んではいない。
- オレに退学してほしいとは思っているかも知れないが、山内の話に乗っかったとなれば後で堀北からの評価に大きく影響する。それに、ポーカーフェイスを気取れるほど演技が上手いわけでもないしな。
- 「……ところで」
- 2人になったタイミングで、堀北は小声で声をかけてくる。
- 「なんだ」
- 「あなた、何かした?」
- 「単語が抜けてないか? 何のことか説明してから聞いてくれ」
- 「私に関することで何かした?」
- またも抽象的な聞き方だ。
- 「何を言いたいのか知らないが、何もしてない。おまえに構ってる暇はないからな」
- 「構っている暇はない? どういうこと?」
- 「こっちの話だ気にしないでくれ」
- もうすぐ授業が始まる。
- 堀北の態度からして、兄との接触はまだ行われていない。
- 行動を起こすのは午後に入ってからになりそうだな。
- 1
- 試験が明日に迫った金曜日のお昼。
- 私、堀北鈴音は昨日の夜のことを思い出していた。
- そろそろ眠りにつこうかと思っていた私の下に届いた1通のメール。
- 差出人の名前を見て、心臓が飛び跳ねたのを覚えている。
- 兄さんからのメール。
- そこにはたった1行だけ書かれていた。
- 『思い残すことは何もないのか』
- 問いかけるようなメッセージだけ。
- 私はそのメッセージを繰り返し読み、そして考えた。
- 迷っている自分に、何が出来るのだろうと。
- だけど、これは巡ってきた千載一遇のチャンス。
- この機会を逃せば……次に兄さんの声を聞けるのは卒業式になる。
- 『お話しできませんか』
- 意を決して、そうメッセージを書く。
- 後は送信するだけなのに、指先が重く簡単に押せなかった。
- 「ふう……」
- 呼吸を整え送信。あとは兄さんからの連絡を待つだけ。
- 本当に返ってくるだろうか? そんな不安が過った頃だった。
- 兄さんからの返事は、電話という形で戻ってきた。
- むしろ私は安堵する。
- これが電話で良かった。震えだす私の手を見られないで済んだから。
- 「……私です。鈴音です」
- 「話がしたいと言ったな」
- 「はい……」
- 「話の内容はなんだ」
- 「……あの、どうして私にあのようなメッセージを……」
- 「今それは重要なことか? おまえが電話で話したかったことはそんなことか?」
- 「い、いえ違います」
- 電話を切られそうな気配を感じ、私は慌てて否定して引き止める。
- 「もし兄さんさえ良ければ……直接お会いできないでしょうか」
- 「直接だと?」
- 「は、はい」
- 「この学校に入学し、そして学校を辞める提案を受け入れなかった時点で俺とおまえは終わった関係だ。そのことは理解しているんだな?」
- 厳しい現実。こうして連絡を貰えたのも、何かの気まぐれとしか思えない。
- それほどまでに、私と兄さんとの距離は遠い。
- 本当はたくさん兄さんと話がしたい。
- これまでのこと、これからのこと。
- だけど……兄さんはそんなことを私に求めたりしない。
- 「直接、お伺いしたいことなんです」
- 沈黙する兄さん。私はゆっくりと言葉を続ける。
- 「それを最後に……もう二度と兄さんにかかわることを止めます」
- それが私に差し出すことができる、唯一の献上品。
- 「なるほど、いいだろう」
- ───それが昨日の夜のやり取り。
- そして私は今、兄さんの下に向かっている。
- 人目を避けるため、私たちの待ち合わせは誰も来ないであろう特別棟。
- 目的地につくと、既に兄さんはその場所にいた。
- 2
- 「お待たせしました……」
- 静かに佇む学は、鈴音から見て今も昔も変わらない。
- ずっと追いかけ続けている終着点。
- 「こうしておまえと2人きりで話すのは、いつ以来だろうな」
- 「……入学直後を入れなければ、3年ぶりくらいになります」
- 「そうだな。それくらいになるか」
- 学は中学1年生だった時の鈴音を思い返す。
- 自らが高度育成高等学校に進むことを決めた時、学は鈴音を突き放した。
- 妹が同じ道を辿ってくるとは、当時は考えてもいなかった。
- だが、現実問題として、鈴音は学の目の前に立っている。
- 「俺に話があると言っていたな。聞こう」
- ここで兄との仲直りをするためだとでも口にすれば、そこで話し合いは終了する。
- 学は最低限だけ告げ、迷わず立ち去るつもりだった。
- 以前の鈴音であれば、そう答えてもおかしくはなかった。
- 「追加試験に関してです。兄さんも、1年生のことはご存知かと思います」
- 「ああ。強制的に1人退学者を出す試験だったな」
- 「はい」
- 「それで?」
- 鈴音に話を促す。
- ここまで比較的スラスラと話していた鈴音が言い淀む。
- 「俺個人のプライベートポイントは、合宿でほとんど使用してしまっている。もしもあてにしているのなら時間の無駄だ」
- 「違います。そのような形の支援を……お願いしようとは思っていません」
- 迷いを断ち切るように、鈴音は決意を固める。
- 「今日兄さんに話がしたかったこと、それは……私に───勇気をください」
- 鈴音は、そう言った。そしてこう続ける。
- 「私はこの試験を正面から受け止めたい。他の人はグループを作って、票をコントロールしようとしています。自分が退学しないようにするために。でも、それはこの先、いつか必ず後悔することになります。だから私は───立ち向かいたいんです」
- その言葉と瞳を目の前で受け入れ、学は静かに見つめ返す。
- 昨日綾小路が言っていたことを思い出しながら。
- 妹がやろうとしていること。
- それはけして楽な道ではない。
- だが、他の誰にもできないことを、自らの手でやろうとしていた。
- その覚悟を決めるため、意を決し兄に会いに来た。
- 「時間は?」
- 「この後の予定は入れていませんが……」
- 「そうか」
- 思いもよらない確認を受け、やや面食らう鈴音。
- 「おまえの話を具体的に聞く前に、少し聞きたい。この学校はどうだ」
- 「え?」
- 「楽しいか?」
- 「あ、えっと……は、はい」
- そんなことを聞かれると思っていなかった鈴音は露骨に動揺した。
- 「す、すみません。その、あの……」
- 答えられずにいるものの、学は叱責するようなことはしなかった。
- 「楽しい……かどうかは、正直わかりません。ただ、退屈ではないです」
- 「そうか」
- 学の質問の意図が、鈴音には理解することが出来なかった。
- 思えば自身の兄と普通の会話をしたのなど、遥か昔のことだったからだ。
- 「おまえの欠点は1つ、克服されたようだな」
- 「私の欠点……ですか?」
- 「そうだ。おまえは自分のことに集中するあまり、周囲が見えていなかった。その視野が広がったことで、退屈な日々からは抜け出しつつあるということだ」
- 「なんだか、兄さんらしくない……ですね」
- 鈴音の知る学の姿は、真面目一辺倒で、笑顔など見せない人。
- 自分を高めることを怠らない、そんな人間だと思っていたからだ。
- 学校を楽しむモノだと認識してるはずがない、そう考えていた。
- 「おまえは俺を数値しか見ていなかった。テストで高い点数を取ることだけにこだわっていたからな」
- 「それは───私にとって兄さんは、永遠の目標だからです」
- これまで鈴音は何度も、兄が目標であると口にしてきた。
- そしてそれを聞くたびに、学は険しい顔をする。
- 「目標、か」
- 「……わかっています。私が兄さんに追いつくなんて絶対に無理なこと。ですが、それでも限りなく近づけるように努力することは悪いことではないはずです」
- 自らの驕りを恥じつつ、それでも追いつこうとする姿勢を見てもらいたかった。
- 学は鈴音の想いに答えず、ただ静かに一度、目を閉じた。
- 「綾小路は、おまえの目にはどう見える」
- 「……どう見える、ですか」
- 「思ったことを素直に言えばいい」
- 「気に入らない同級生です。兄さんに認められるほどの実力を持っていながら、それを使おうとしない姿勢が好きではありません。ですが、いつか彼に追いつき追い抜きたい存在だとは思っています」
- 「残念だが、おまえは綾小路には追いつけない」
- 「っ……」
- 「だが、追いつく必要は全くない。おまえはおまえらしく成長すればいい」
- 「私らしく……」
- 学は少しだけ妹との距離を詰める。
- 鈴音があと少し、自分で学との距離を詰めれば手が届く距離に変わる。
- だが、鈴音にはその一歩が踏み出せない。
- 「怖いか?」
- 「……怖い、です……」
- 小さな頃から、この距離を詰められないでいた鈴音。
- この僅かな距離が絶望的なまでに遠い。
- 「距離を詰めるためには、もう一歩、おまえは前に進まなければならない」
- 「どうすれば……どうすれば、私はこの距離を縮められるのでしょうか……」
- 「今から、未熟なおまえにその解答を授ける。だから話せ、おまえがこれから自分のクラスに何を問いかけるつもりなのかを」
- 鈴音は頷き、ゆっくりと言葉を選び始めた。
- 3
- 投票前日の放課後。
- 明日にはこのクラスから退学者が決定し、席を空けることになる。
- 誰もが不安に感じながら、それでも心の中で自分は大丈夫だと信じ安堵している。
- そう。生贄として差し出す対象を決めたからだ。
- 『綾小路清隆』を退学にさせる。
- その方向で半数の生徒はまとまっている。
- クラスメイトの多くは、今オレに一定の罪悪感を抱いているだろう。
- それでも自分が助かるのなら、それは安い罪悪感だ。
- 時間が経てば風化する。
- 1年も経てばそんな生徒もいたな、というくらいになっている。
- それに対し、オレが恨みを抱くような真似は当然しない。誰だって退学しないために、必死に知恵を振り絞り対策を練っているのだ。たまたま狙われたのがオレだっただけ。
- 情に訴えて上手く櫛田を引き入れ、同情による投票話を持ち掛けた。
- 友人から信頼され秘密事を相談する櫛田からの頼み事を、無下には断れない。
- 山内の戦略は悪くない。リスクある首謀者として、うまくやった方だ。
- 惜しむらくは、オレをターゲットにしてしまったこと。
- もし退学を避けることだけを目的とした行動だったのなら、池や須藤にすべきだった。
- あの2人に、退けるだけの力はなかっただろうに。
- まぁ裏で坂柳が糸を引いている以上、そうなることはなかったわけだが。
- ともかく、落とされそうになった以上、こちらも誰かを落とすために動くしかない。
- だが今回、事を起こすのはオレじゃない。
- オレはただ山内に狙われた影の薄い生徒であって、状況を打開できる生徒じゃない。
- それを担うのは別の存在。
- 隣人の少女の横顔は、オレが想定していたよりも遥かに変わっていた。
- まるで魔法の砂にでも触れてきたように、異なるオーラを身にまとっていた。
- 「それではホームルームを終わる。明日は土曜日だが試験だ、寝坊するなよ」
- そんな茶柱の言葉と共に、学校が終わりを告げる。
- 誰もがこれから帰り支度を始めようという瞬間。
- 静寂に包まれた瞬間。
- さあ───動け堀北。今のおまえなら、動けるはずだ。
- 隣人が椅子を引いて、立ち上がる。
- 「少し時間を貰えるかしら」
- 声を張った堀北が、そう言って教室の生徒全員に呼びかけた。
- 何事かと、当然注目が集まる。
- 「皆、申し訳ないけれど、暫くこの場に残ってもらいたいの」
- 茶柱もまた、堀北の様子が気になったのか一度足を止める。
- 「どうしたのかな、堀北さん」
- こんな時、誰よりも早く平田は反応を示す。
- クラスの変化に対し、誰よりも敏感だからだ。
- 「明日の特別試験に関して、どうしても話しておくことがあるの」
- 「明日の試験に関して?」
- 「な、なんだよそれー。俺これから寛治と遊びに行く予定あるんだけどさー」
- 「そ……そうだよな」
- そう言って山内たちが、時間がないことをアピールする。
- 「随分と余裕なのね2人とも。明日には誰かが退学するかも知れないのに、遊びに行く約束をしているなんて」
- 視線が山内に向けられると、慌てて視線を逸らす。
- 「それは……ジタバタしてもどうにもならないから、覚悟を決めたって言うか」
- 「そう。立派な心掛けね。だけど悪いわね、全員があなたのように立派なわけじゃない。この話は全員に残ってもらわなければ意味がないことなの。協力してもらえる?」
- 「一体何の話なんだよー」
- 「明日の試験、そして退学者について。大事な話がしたいの」
- 堀北は歩き出し教壇の前に立つ。
- 全員の顔がしっかりと見渡せる位置に立ちたかったのだろう。
- 「退学者の話って……え、何だよそれー」
- 明らかにいつもより早口で話し始める山内。
- 只ならぬ気配に、自らの後ろめたさも混ざっての無意識な表れだろう。
- 「この数日間、私なりに色々と考えていた。誰が残るべきで、誰が退学すべきなのか。どうやってそれを導き出すべきなのか。そして今日、ハッキリとその答えを出すことが出来た。だからこの場で伝えさせてもらう」
- 「ちょっと待って堀北さん」
- それを止めたのは山内ではなく平田だった。
- 「このクラスに退学すべき人なんて、一人もいないよ」
- 「そうかしら? いるかも知れないわよ?」
- 「そ、そんなこと……」
- 「私はこの試験が知らされた時から、大きな疑問を抱えていた。クラス内で評価し、その結果で退学者を出すのに、クラス内で話し合う時間すら設けられない。これじゃあ、グループを作って、票のコントロールをする戦いになってしまう。その結果、本来クラスに残るべき優秀な生徒が退学にさせられてしまう危険性もある。こんなもの、試験とは呼べないわ」
- 真っ先に感心したのは、茶柱。そして高円寺だった。
- 「君に何があったか知らないが、まるで別人のようだねぇ。実に的を射た話だよ」
- 拍手しながら、高円寺は更に続ける。
- 「聞かせてくれないか。何をどうしたいのか」
- 「本来なら、全員で話し合いをして退学者を絞り込むべき。でも、それが現実的に難しいことは分かっているわ。だから───私から退学すべき人を名指しさせてもらう」
- 「ちょ、ちょっと待って堀北さん」
- 「悪いけど、今は私に話をさせて。名指しする理由は、後からきちんと説明するから」
- 時間を惜しむように、堀北は話を進めようとする。
- 「ダメだよ。皆を混乱させるような真似、僕は反対だ」
- それでも平田は食い下がった。
- 平田には平田の流儀がある。
- 「話をする権利くらいあるだろ。その後で反対しろよ」
- 妨害を阻止するように須藤が口を挟んだ。
- 「レッドヘアーくんの言う通りさ。私も有意義な放課後の時間を割くんだ、君が阻害する方がタイムロスだねぇ」
- この話し合いに興味を持っている高円寺も援護射撃する。
- 「で、でも……」
- その隙を突き堀北は口を開く。
- 「私は今回の特別試験……山内春樹くんを退学にすべきだと判断したわ」
- クラスメイトが注目する中、堀北はハッキリと生徒の名前を口にした。
- これまで、陰口で何人もの生徒が批判票のターゲット候補になった。しかし、こうして直接名指しをして票を集めるための発言をしたのは堀北が初めてだ。何故誰もそうしてこなかったのか。それは当然名指しした生徒の恨みを一手に買うからだ。何より、名指しの誘導に失敗した場合、言い出しっぺがターゲットにされる可能性は高い。
- 「な、なんで俺なんだよ堀北ぁ!?」
- いの一番に反応するのは当然、他でもない山内だ。
- 堀北の暴挙を許せば、山内は批判票のターゲットにされてしまう。必死になる。
- 「明確に理由はあるわ。まずこの1年間、あなたのクラス内での貢献度は極めて低い」
- 「そ、そんなことねえし! テストだってずっと健より上だったし!」
- 「今回は抜かれたわ」
- 「それは、だから、今回だけだろ~!」
- 「百歩譲って学力はまだ須藤くんより上だとしてもいい。けれど身体能力の高さにおいては、一段階も二段階も劣っているわ」
- 「それは寛治だって似たようなもんじゃないかよ! 今回はあいつが最下位だぜ!」
- 必死に山内が抵抗するのは当然だ。
- ここでやり玉にあげられたなら、生徒は誰だって必死になる。
- 「確かに似たような戦力の生徒は一定数固まっている。あなたの言い分も正しいわ」
- 「そ、そうだろ。マジ名指しとか勘弁してくれよぉ~……」
- 「けれど、横並びの彼らと比べても、あなたはやはり半歩劣るのよ。これまでの授業態度や遅刻欠席の有無、得意不得意を踏まえクラスの重要度で判断すれば最下位になる。次点で並んで池くん、須藤くんの順番と続く。昨日の時点で私はそう結論付けていたわ」
- 「お、俺も退学候補かよ!」
- 慌てたのは須藤だ。
- 「あなたは確かに、ここ最近は学力も精神面も向上してきた。けれど、それまでにクラスに対して負担をかけた回数の多さが取り消せるわけじゃない。そうでしょ?」
- 「……ああ、そうだな」
- 事実を突きつけられ、須藤はそれを素直に受け止める。
- 池も同じように受け止めたのか、表情は重い。
- 「マジ何勝手言ってんだよ! 腹立つよな! 寛治、健!」
- 同じように退学候補の烙印を押された2人を引き入れようとする山内だが、2人は反論するだけの武器を持ち合わせていない。
- 「それにさ、俺なんて可愛いもんさ。高円寺なんて特別試験すらサボる問題児だぜ!」
- 「高円寺くんは行動に関しては大きく改めるべきことがあるのも事実よ。だけど今回の話し合いの意味を理解している。能力値で言えばあなたとは比べるまでもなく雲泥の差よ。少なくとも今回の試験で退学になるべき生徒じゃない」
- 高円寺は満足げに不敵な笑みを浮かべ、腕を組んだ。
- 「納得いかねえって! なんかもう、納得いかねー!」
- 「それなら、その有象無象の中でも、特別あなたを選んだ決定的な話をしましょうか?」
- 騒ぎ立てる山内に、堀北は冷静に詰めていく。
- 「け、決定的な話って?」
- その異様なオーラに、山内が一瞬たじろぐ。
- 「あなたには今回の試験、誰にも話していない後ろめたいことがあるはずよ。違う?」
- 強気で語る堀北に気圧される山内。
- 「後ろめたいことなんてないって……」
- 「自分の口で話す気がないのなら、私が言ってあげる。あなたは綾小路くんを退学にさせるために、櫛田さんを使って色んな生徒に口利きをしていたわね?」
- 「っ!?」
- ざわ、と教室がどよめく。
- 票操作は半数が知ることとは言え、主犯が山内であることは知らなかったはずだ。
- 「綾小路くんを、退学させようとしていた……?」
- 綾小路グループの他、驚いた中の1人に平田がいた。
- 常に中立でクラスに寄り添っている平田に、今回の話が行くわけがない。
- 「ええ。紛れもない事実よ。そうよね皆」
- 首謀者である山内に頼まれ、櫛田が声をかけていた生徒たちは多い。
- 視線が合わずとも、身に覚えがあれば動揺するものだ。
- それだけで、平田も半数の生徒が山内のグループだったことを悟る。
- 「だから……皆、想像以上に落ち着いていたってことなんだね……」
- 「小さなグループから始まった計画は、確実に広がっていった。過半数、批判票を集中させることが出来ればまず、その人物の退学は確定的になる。そうでしょう?」
- 「あ、あれは俺じゃねえし!」
- 違うと否定する山内だが、弁明の言葉は続かない。
- 「じゃあ誰?」
- 「し、知らねえよ! ただ、その……綾小路に批判票を入れろって言われたんだよ!」
- 苦し紛れの嘘はろくなことにならない。
- 「知らないのなら教えて。誰に綾小路くんに批判票を入れるように言われたの?」
- 「それは……だから……」
- 「あなたも誰かから聞いたことは事実なんでしょう? それがわからないはずないわよね」
- 頭を抱えそうになった山内が周囲を見渡す。
- 「……寛治、寛治から聞いたんだよ! なあ!?」
- そして身近な親友へと白羽の矢を立てる。
- 「いやっ、え? 俺は違うって!」
- 当然池は否定する。
- 「そうなの? 池くん」
- 「いやいやいや、違う違う。俺は……」
- そこで言葉に詰まる池。
- それはそうだろう。相談を持ち掛けられた相手は櫛田。
- 下手に売る真似は出来ない。
- 「答えられないと言うことは、山内くんの言う通りあなたが首謀者なのかしら?」
- 「違う、違う! だから、えっと……。その、俺は桔梗ちゃんに助けてくれって頼まれたんだ……ある人が困ってるから綾小路に批判票を入れてくれって」
- 今度は池からの矢が櫛田に向かう。
- 当然、櫛田としてもこの状況を素直に受け入れるはずがない。
- そもそも批判の対象となることを誰よりも嫌っている。
- 「まさか、あなたが首謀者なの? 櫛田さん」
- あくまで堀北は一人ずつ辿っていく。
- 今回のように特定の誰かが狙われている場合、仮に首謀者が割れていなかったとしても問題はない。こうして一人一人に突き付けて行けば、やがて真実に辿りついていくからだ。
- 「私は……その……ある人に、助けてほしいって頼まれて……断り切れなくて……」
- 「ある人、とは誰のことなのかしら?」
- 結局、助かるために放った矢は、山内の下に返ってくる。
- だが焦る山内は、慌てて次の矢を放とうとする。
- 「そ、そうだ! 俺、桔梗ちゃんに誘われたんだよ! 綾小路退学にさせようって!」
- 1つの嘘から始まった連鎖は留まることを知らない。
- 「わ……私!?」
- 「皆だって桔梗ちゃんから聞かされたんだよな? な? な?」
- 確かに仲介、橋渡しの役目を任されたのは櫛田だ。
- だがクラスメイトの多くは知っている。
- 櫛田桔梗は友達の為に動く生徒であり、誰かを陥れるような子ではないと。
- 積み上げてきた信頼という経験値の差が出る。
- 「そんな、ひどいよ山内くん……私……山内くんが助けてって言うから、本当は綾小路くんのこと見捨てたくなかったのに……だから、一生懸命頑張ったのに……」
- 机にうつ伏せになり、苦しみの声をあげる櫛田。
- それだけでクラスメイト達にも見えただろう。山内が櫛田に頼み込み、助けを乞うように協力をさせた情景が。
- 山内の状況はどんどんと悪化の一途をたどる。当然、櫛田に対して心が痛んだだろうが、この場で批判の対象になることだけは避けなければならない。
- 一番最悪の事態は、退学になってしまうことだ。
- 「……櫛田さん」
- 顔を隠す櫛田に対し堀北が声をかけた。
- 慰めの言葉の一つや二つをかけるのかと誰もが思っただろう。
- 「あなたのやったことも大きな間違いよ」
- 強い口調で、堀北は櫛田を叱責した。
- 「このクラスの中で、あなたは平田くんや軽井沢さんと同等……いいえ、それ以上に強い影響力を持っている生徒。そんなあなたが批判票の呼びかけをすれば大勢が従うわ」
- 「わ、私、そんなことない、ただ山内くんを助けたくて……」
- 「詭弁は止めて。あなたはそんなに愚かな人間じゃない。自分が手助けすればどうなるか、最初から見えていたはず」
- 責める堀北の言葉に、櫛田は泣きながら立ち上がった。
- 「私そこまで考えてなかった! ただ、ただ困ってる山内くんが放っておけなくて……苦しくて……何とかしてあげたくて……!」
- 「いいえ、あなたには見えていた。こうなると分かっていて問題を放置したのよ」
- 「っ……」
- あまりに責め立てる堀北に、櫛田が怯む。
- この場で強く言い返したいと思っても、櫛田にはそれが出来ない。
- 天使の仮面を、この場で取り去ることなど不可能だからだ。
- それを堀北が分かっていないはずがない。
- 「今回の件に関してはあなたの判断ミス。もっと早い段階で手を打つべきだった」
- 「そんな、私には、どうすることも……」
- 「このことを反省材料にして、今後クラスの為になる行動を心がけて」
- 櫛田からの言い訳に聞く耳を持たず、堀北はそう言って締めくくった。
- 「とは言え元凶が山内くんであることは間違いのない事実のようね」
- 一時櫛田に向いた矛が再び山内をロックオンする。
- 「ま、待てって堀北。俺は違うんだって……」
- 「いやいや、なかなかに興味深い話だよ。しかし誰かを落とそうとする流れ自体は、然程おかしなことではないはずさ。この試験は綺麗事を除けば、底辺が生き残りを賭けて戦うものでもある。それとも彼だけが強く責められるのには、何か理由があるのかい?」
- 最初から最後まで、完全な中立である高円寺からの発言。
- それは全て、堀北のための発言へと変わる。
- 「そうね。グループを組み誰かを落とそうとする行為。褒められたものではないけれど、生き残る上では仕方のないことだと思うわ。それだけであれば、ね」
- 「ほう?」
- 「山内くん。あなたは自分を守るためだけに綾小路くんを落とそうとしたんじゃない」
- 「ま、待てって! だから俺じゃないんだって!」
- 「見苦しいよ。既にこの教室の誰もが、君の仕業だと信じてやまないんだ。さあ聞かせてもらおうか。何故彼が綾小路ボーイを狙い打ったのかをね」
- ええ、と堀北は頷く。
- 「彼は、山内くんは、坂柳さんと裏で繋がっていて、その指示のもと動いていたからよ」
- 白日の下に晒される山内の真実。
- 「それは気になる話だねぇ。Aクラスの生徒と繋がっているとは、穏やかじゃない」
- ここまで高円寺が食いつくのには、恐らく理由がある。
- 高円寺もまた、退学の対象であることに変わりがない以上、堀北に乗っかり危険を回避する狙いがあるのだろう。不要な生徒を炙り出し、クラス裁判にかけること。
- もし今回の試験で山内が坂柳と組まず特定の誰かを狙わなかったとしても、クラスで一番不要な生徒の一人だったことに変わりはない。結局は似たような流れになっていた。
- だが、坂柳の誘いに乗ってくれたお陰で、山内を攻略するための手順はかなり省略することが出来たと言えるだろう。
- 「おい春樹、坂柳ちゃんと繋がってる、って何だよ……」
- 首謀者であることすら隠されていた上に、Aクラスとの繋がりも明るみになる。
- 池ですら、穏やかにはいられないだろう。
- 「で、でたらめだ! どこにそんな証拠があるってんだよ!」
- 「なら今すぐ携帯を見せてもらえるかしら。坂柳さんの連絡先が登録されているはず」
- 「それは……友達なんだから別におかしなことじゃないって!」
- 本当に友人関係であるなら、不思議なことではない。
- しかし最近、露骨に坂柳が山内に接触していたことは池たちの記憶にも新しい。
- 堀北もそれを呼び起こさせるために、今の言葉をぶつけたのだろう。
- 「おまえ、マジで坂柳ちゃんとつながってんの?」
- 一番の友人である池からの、軽蔑するかのような言葉。
- 「だ、だからさ……っていうかなんで俺がAクラスと組むんだよ! 仲間を裏切るわけないだろ! 全く覚えねーよ! もう勘弁してくれよぉ……!」
- 頭を抱え、被害者を装う山内。
- 「いいえ。あなたはクラスの生徒たちをまとめ上げ、綾小路くんをターゲットにするよう彼女から指示を受けていたはずよ。彼女なら、あなたよりもよっぽど上手く、綾小路くんを退学にさせるための方法を伝授してくれるものね」
- 「い、いやいやいや!」
- 「それ以外にも、山内くんが喜んで協力する話もあったかもしれないわね。たとえば、彼女から交際の誘いでもあった、とか」
- 「うぐっ!」
- 図星。隠したかった事実を指摘され、山内に新しい動揺が現れた。
- この部分は完全な推理だろう。だが、態度を見るにその推理は的中している。
- 「そんな下らない理由の為に、あなたよりも優れた生徒を退学にすることは出来ない。これがあなたを退学者として推す最たる理由よ」
- 山内にではなく、クラス内の生徒に向けて堀北は問いかけた。
- 「誰だってクラスから仲間が欠けるのは嫌よ。けれど、真っ先に誰よりもクラスメイトを裏切って敵と結託。仲間の一人を狙い撃ちにしようとしていたのなら……あなたこそ、クラスにとって不要な生徒ということになる」
- 「そ、それは……」
- 山内は必死に頭を回転させる。
- 今の状況を好転させるために。
- 「もし、もし今の話が本当だとしても……なんで俺だけが責められるんだよ。他クラスだろうと、自分を守ろうとする行為は正当防衛じゃんよ! 退学したくないんだよ!」
- 「なるほど。自分の身を守って何が悪い、そう言いたいのね」
- 苦しい言い訳だが、その部分を山内は頑なに認めようとしなかった。
- 「確かに自分を守ることは大切よ。けれど、自分を守るために仲間を陥れ、あまつさえ敵に魂を売るような生徒を、やはり私は評価しない」
- どれだけ山内が抵抗しようとも堀北には通じない。
- 「あ、綾小路と仲がいいからって、どこまでも庇うんだな!」
- 「違うわ。客観的に、冷静に判断した結果よ。綾小路くんと山内くんのスタートラインは同じ。そして同じスタートラインから見たとき、クラス内への貢献度の違いは明らか。更にAクラスとの繋がりがあるのなら、もはや議論の余地はないわ」
- 「異議はないねえ。堀北ガールの案を採用するのが好ましいと私は判断するよ。確かにクラスを裏切る可能性のある生徒とは一緒に過ごせない。支持しようじゃないか」
- 高円寺は、そう言って堀北発案を一番に支持した。
- 「待てって! 俺は裏切ってないんだよ! 命に懸けて!」
- もはや最後の手段とばかりに、命に懸けて嘘をついていないという。
- それがどこまでクラスメイトに届いたかは微妙なところだ。
- 「そもそもさ、じゃあなんで綾小路なんだよ!」
- 「どういうことかしら」
- 「もし、俺が本当に坂柳ちゃんと組んでたんだとしたら、綾小路なんて退学させずにCクラスで厄介なヤツを落とすんじゃないのかよ」
- 恐らく、山内が坂柳にこの話を持ち掛けられた時、山内自身が疑問に感じたことだろう。何故平田や軽井沢といったクラスの中心人物ではなく、綾小路なのか、と。
- 「その答えは、彼が良くも悪くも目立たない人だからじゃないかしら。優秀な生徒を退学させたいと思っても簡単にはいかない。だから適当に、影の薄い彼を選んだ。恐らく坂柳さんにとって大切だったのは、Cクラスの誰を退学にさせるかじゃなく、自分の手駒として動いてくれるスパイが欲しかったから」
- 巧みな言葉の戦略に、山内程度では抵抗できるはずもない。
- 「私の話が気に入らない人もいるでしょう。なら、私の名前を書きたい人は書けばいい。山内くんの名前を書きたい人も、綾小路くんの名前を書きたい人も。あるいはそれ以外の人でも。けれど、私は私の意見を皆に伝えるべきだと思った。だからこうして話をしている。それを良く踏まえて判断して」
- 堀北の放った、捨て身覚悟の戦い。
- これは効いただろう。
- だが、ここで須藤が声をあげる。
- 「待ってくれよ鈴音……話の流れは、よくわかった。春樹の奴が悪いことも」
- その表情は暗い。常に堀北の指示に従う須藤からの必死の抵抗。
- 「俺は反対だ、春樹の退学なんてよ」
- 「あなたの友達だものね。大切に思う気持ちはよくわかるわ」
- だがその須藤からの山内への援護など堀北は既に分かりきっている。
- しかし、須藤も簡単には引き下がれない。
- 「友達だから庇う、それは当然のことだろ。そりゃAクラスと組んでたってのはひでぇ話だと思うけどよ……。だからって、それで退学にさせる必要はねえだろ。これから反省して、ちゃんと俺たちに貢献してくれりゃ、それでいいじゃねえか」
- 「だったら、何もしていない綾小路くんが退学になる必要性だってないわ」
- 「そ、それは───」
- 「今話しているのは、そういう次元の話じゃないのよ須藤くん」
- 堀北は息を吐き、そして溜めに溜めた勇気の貯金を使う。
- クラスメイト全員に嫌われる覚悟で臨む戦い。
- 「誰かを庇えば、誰かを見捨てることになる。だからこの試験は感情論なんかじゃなく、理論的に詰めていくしかないの」
- 「っ……」
- 須藤が黙り込む。
- 山内を助けたい思いは伝わってくる。
- だが、そのためには誰かを退学にさせなければならない。
- グループを組み、票をコントロールする。そんな行為そのものが間違っている。
- 試験前日までクラスメイトは各自好き勝手に行動してきた。あいつを退学にするべき、あの人は退学になっても仕方ない。そんな負の思考で埋め尽くされていた。
- だからこそ身に染みて理解する。ただ自分が助かりたいだけで、クラスのためになど行動できていないことを実感する。試験が告知された当日に、今回のように訴えたところでここまでの効果は発揮されなかっただろう。何より試験と向き合えていなかった状態で堀北が訴えかけたところで、響かなかった。でも、今なら全員に分かるはずだ。率先してクラスメイトを退学させることがどれだけ難しく、そして怖いことであるか。
- 「悪ぃ春樹……俺にはどうすることも、できねえ……」
- 正直に言って、須藤の成長ぶりには驚かされる。まだまだ挑発に乗りやすい、キレやすい体質は残っているが、少しずつ視野が広がって来ている。
- 堀北と比較的近い位置にいるオレと親友の山内を天秤にかけても、冷静に判断した。
- 「決まったようだねぇ」
- ジャッジを下そうとする高円寺たち傍聴者。
- 「待て、待てよ、待てよ!」
- 山内が叫び、その判定を止める。
- 「俺に批判票なんて入れるなんて馬鹿げてるって!!」
- 「私の考えは決まった。あなた以上に批判票に相応しい人はないわ」
- 「おまえはそうでもなぁ! もう皆と約束してんだよ! 綾小路に入れるって!」
- 「……私、取り消す……」
- 「あ……?」
- 俯いていた櫛田が、小さく呟いた。
- 「私が間違ってた……。山内くんを助けたいからって、何も見えてなかった。皆に協力するようにお願いして回ったこと、撤回する……」
- 櫛田もこの場で自らの評価を下げないために、堀北側に回るしかない。
- 「待てよ。なんだよそれ! 約束破るなんてひどいじゃんかよ!!」
- 「酷いのは山内くんだよっ……こんな……クラスメイトを、裏切るなんて……」
- もはや、完全に山内は一人になった。
- 自らに多くの矛が向くことを、誰よりも肌で感じ取ったはずだ。
- 「あなたはこのクラスで一番実力が不足している。そして、仲間を裏切る人」
- 淡々と、ただ静かに述べる。
- 「以上が、私の見解よ」
- そう言って締めくくろうとする堀北。
- もはや堀北に対抗できる存在は現れないと思われた。
- 「最後に、ここにいる全員の意見を聞かせてもらえるかしら。どう思ったのかを」
- だが───。
- 「待って欲しい堀北さん」
- 「……何かしら」
- 挙手し、立ち上がった一人の男子生徒。
- この場で唯一、堀北の計算外があるとすれば、この平田洋介の存在を置いて他にない。
- 「話の腰を折らないように聞かせてもらったけれど、僕はこんな形でのやり方、投票を誘導することには反対だ。仲間同士で蹴落としあうなんて、間違ってる」
- 須藤のように感情的でもなく、堀北のように理論的でもない。
- 答えを出せない平田の苦しみの抵抗。
- 「それ以外に方法はないわ。この試験には抜け穴は存在しない。必ずクラスの誰かが犠牲にならなければならない理不尽な試験よ。あなたはまだそれを受け入れられてないの?」
- 「受け入れられるはずないじゃないか。僕は……僕は誰にも欠けて欲しくないんだ。望んだ退学ならともかく、山内くんにしろ綾小路くんにしろ、それは望む退学じゃない」
- 「望む退学じゃない? 望む退学なんてどこにもないわ。そうね、だったらあえて無駄な質問を投げかける。このクラスの中で退学しても良いと思っている生徒は挙手してもらえる? それで出て来るようならいがみ合う必要はないもの。全員一致でその人に批判票を集中させて話はお終いよ」
- 誰一人手を挙げる生徒はいない。そんな生徒が存在するのなら、既に立候補している。
- 「これで分かったかしら」
- 「ダメだ。僕は、こんな最低な話を認めさせるわけにはいかないんだ」
- 完璧な優等生。文武両道で、善人。
- そんな平田洋介の弱点が露呈する。
- それは取捨選択を迫られる状況において、圧倒的に何もできないこと。
- 「あなたがどう思おうと、私は私の信じた方法で戦う。今この場で、決を採らせて」
- 「そんな挙手に意味なんてないよ。当日誰が誰に投票するかの保証にはならないんだ」
- 「そんなことはないわ。クラスメイトの方向性を定める意味でも重要なことよ」
- 「ダメだ。全員の……全員が、誰を退学にさせようとしているか、そんなこと……!」
- 平田にしてみれば、それが揉め事の火種になることを恐れている。
- 誰が誰を嫌っているかということが、露呈していくからだ。
- 「じゃあ聞かせてもらうわ」
- 平田を無視して、堀北は挙手を取ろうとする。
- もはや誰にも堀北は止められない。
- そう、判断しそうになった時だった。
- 「堀北さん!」
- ガン!と無機質な音が教室に響き渡った。
- 誰がその光景を一度でも想像できただろうか。
- 平田の蹴り飛ばした机が、無情にも前方に吹き飛び転がる。
- 「ちょ、え、ひ、平田くん?」
- 女子から信じられないと言った声が聞こえた。
- オレだってそうだ。
- たまたま勢い余って、足が机に当たった、と思いたくなるような出来事。
- それは茶柱にとっても同様だった。
- あまりに意外過ぎる男の、信じがたい行動。
- 「止めてくれないか、堀北さん」
- 声のトーンすら低く、相手を怖がらせ退けようとしている。
- 「……何を止めろと言うの?」
- 動揺を隠すように堀北は前髪をかきあげて平田に聞き返す。
- 「決を採るのを、止めろって言ってるんだ」
- 「あなたにそんな権利ないわ……」
- 相手を威圧する言葉に堀北も、僅かながら声を震わせる。
- それだけの迫力が今の平田にはあった。
- 「この話し合いは間違ってる」
- 「この話し合いすら違うというなら、一体何が正解だと言うの? あなたにも分からないから、何もせず今日まで過ごしてきたんでしょう?」
- 「……だから、なんだ」
- 「……だからそれは問題だと言っているのよ。正当な評価じゃない」
- 「黙れ……」
- 「いいえ、黙らないわ。私は───」
- 「堀北……ちょっと黙れよ」
- 言い返してくる堀北に対し、平田が冷たく言い放つ。
- 今までで一番冷たく重たい言葉に、堀北の言葉が止まった。
- 空気が凍り付くとは、このことを言うのだろう。
- 「いいか、全員聞け」
- 平田は別人のように口調を変え、クラスメイトに指示を飛ばす。
- 「今の話が本当か嘘か。それはどうでもいい」
- 「……嘘だ! 嘘なんだよ平田! 俺は被害者だ!」
- ここぞとばかりに、圧されるばかりだった山内が叫ぶ。
- 「被害者?」
- 「うっ……」
- 平田の深く心をえぐる目が、山内を射抜く。
- 「これだけの話が出てるんだ。君が無関係なわけないだろ」
- 「それは、だから……」
- 「仲間を陥れることに何とも思わない君らのやり方には、吐き気を覚える」
- 山内だけではなく、クラスメイトに対する怒り。
- 「これは試験よ、避けては通れないこと」
- 「だからって票を操作するのは間違ってる」
- 「試験は明日。このまま無策で挑むということは、山内くんの裏切りを黙認するも同然よ」「無策の何がいけないんだ。僕らにクラスメイトを裁く権利なんてない」
- 「あなたは何を言っているの……? それが今求められている特別試験なのよ? 現に、多くの生徒はそれを望んでいる」
- 教壇に立ち、生徒たちの視線を受けているからこそ堀北には見えているもの。
- だが平田は認めようとしない。
- 「───君の存在がいけないんじゃないか?」
- 低く重たい声が、教室の中に響く。
- 未だにこの冷たい声が、平田のものであると理解するのを脳が拒絶する。
- 「確かに今回の試験は、あまりに非情で無情なものだ。僕はずっと認められないでいる。だけどそれでもどうにか黙認できるとしたら、それは自然な投票という形でしかない。こんな風に誘導し、落としあうためのものじゃけしてないんだ」
- 「綺麗事ね。裏ではクラス内の殆どでグループが作られ、そして誰を蹴落とし誰を守るかが繰り返し議論されてきていた。その矛先が綾小路くんだっただけのことよ」
- 「そう。それも最悪な行為だよ。それでも、こうしてクラス全員に露骨に呼びかけるような真似とは違う」
- 「同じよ。何も変わらないわ。偽善をかざすならその行為すら止めさせるべきだった」
- 誰も2人のやり取りに口を挟めないでいた。
- 今の自暴自棄な平田と対話出来るのは堀北くらいなものだろう。
- 「それにここで挙手を取らずとも、私の考えは伝え終えた。あなたの望んでいた自然な形は既に跡形もなくなくなっているのよ?」
- 「そうだね……もう賽は投げられた。だから、それを取り消すことは出来ない」
- ひと呼吸置き、そして平田は続ける。
- 少しだけ冷静さを取り戻してはいたが、冷淡な様子は変わらなかった。
- 「だから僕は明日、堀北さんの名前を書くことにするよ。望まない形をこのクラスに作り出した君を、僕は容認しない」
- 平田自身も、矛盾を多く抱えていることは百も承知だ。それでもクラス全員と仲良く、そして平和を何より重んじてきたからこそ、苦しんでいる。
- 「ええ。好きにして」
- 平田に賛同するのなら受けて立つ、と堀北は不満を漏らさなかった。
- その2人の衝突を最後まで見守っていた茶柱が、静かに教壇へと近づいてきた。
- 「いいか堀北」
- 「はい」
- 茶柱に場所を譲り、自分は席に戻る。
- 授業は既に終わっていて、教師が出る幕はどこにもないはず。
- だが茶柱は、あえて生徒たちの領域に踏み込んできた。
- 「おまえたちはこの試験を理不尽だと言い、学校をののしるだろう。だがな、社会に出れば誰かを切り捨てなければならない事態というものは必ず訪れる。その時はトップや管理職の者がその鉄槌を下さなければならない。この学校で学ぶ生徒は、いずれ日本にとって大きな存在となるよう育成されている。今ここで行われている試験を単なる学校の嫌がらせだと捉えている内は成長はない」
- 社会で足を引っ張る人間は、当然仲間を守るために切られる。
- その一連の中にも、今日行われてきた裏取引や罵詈雑言による誘導もあるだろう。
- この特別試験には確かに、人を成長させるための要素は含まれているといえる。だが、身も心も未熟な子供の多い生徒にそのジャッジを強いるのは、けして優しいことじゃない。この試験の影響で心を壊す生徒が出るかもしれない。
- 「今日の話し合いに私は一切口を挟むつもりはない。全員の発言に価値があったと思っている。そのうえでよく考えて投票することだ」
- 話し合いを全て聞き終えた茶柱は、そう言い残し教室を後にした。
- オレか山内か、堀北か、あるいは平田、それ以外の生徒か。
- 明日の投票では誰が誰を書くのかは一切不明。つまり直前も直前で答えが変わることもある。それを咎められることもない。
- これはそういう特別試験だ。
- 4
- 放課後になると、すぐに波瑠加たちがグループになってやって来た。
- 堀北も山内も、早々に教室を後にしていく。
- 「これから時間、大丈夫よね?」
- 「ん? ああ」
- 本当は少し平田と話がしたかったが……。
- 平田は感情を表に見せず、一人静かに席を立った。
- 話が広がった以上、グループを無視するのも得策じゃないだろう。
- 「カフェ行こ」
- そんな誘いを受け、オレたちは堂々グループを作って教室を後にした。
- 廊下に出ても、その姿勢を誰一人崩そうとはしなかった。
- 「いいのか。下手したら山内のグループに狙われることになる」
- 「狙ってくるなら上等でしょ。私たちのグループから退学者なんて絶対出させない」
- いつもと違い、波瑠加はやや怒った姿勢を崩さなかった。
- 「同意見だ。清隆が退学する理由は1つもない」
- そんな波瑠加に同意する啓誠に、続いて明人と愛里も強く頷いた。
- 「俺たちに情報が一切入ってこないのも、変な話だとは思ってたんだ。このグループ内に狙う相手がいるんだから当然と言えば当然だったんだな」
- どれだけ探りを入れるように行動してもターゲットの影すら見えてこない。
- その理由を知って啓誠は納得した様子だった。
- カフェに着いて各自飲み物を用意し終えるなり、波瑠加が切り出した。
- 「批判票の先は、私たちは山内くん一択でいいと思う。むしろ、そうすべき」
- 「異論はないがそれ以外の2票はどうする」
- 「まだ山内くんの味方につく人たちから選んだらいいだけじゃない」
- 「坂柳と繋がってることを知って、公に山内の味方をするヤツは激減したんじゃないか? 池や須藤だって、堂々と応援は口に出来ないだろ」
- 「だけど友達として、情けの賞賛票は入れてくると思う」
- その波瑠加の読みは当たっているだろう。
- 裏切ったと言っても、山内は保身のために行動しただけ。
- 見方を変えれば坂柳に利用されただけとも取れる。同情の余地がないわけじゃない。
- まぁ、山内にヘイトが向くように仕向けたのは堀北……いや、オレなわけだが。
- 山内が首謀者であり、その裏に坂柳がいる。
- この事実を堀北兄に伝え、そして兄から妹へと伝えてもらう。
- 万が一動けなければ、オレが直接堀北と同じことをするまでだったが。
- 「実際のところ清隆にはどれくらい批判票が集まるんだろうな。男子からは山内を筆頭に、池と須藤、それから山内と親しい本堂、伊集院、宮本、外村辺りは可能性が高い」
- 男子から見えている批判票だけでも7票。
- 「女子は?」
- 「堀北さんは、間違いなく綾小路くんに賞賛票、山内くんに批判票を入れると思う。けど他の女子たちがどうするかは、私にはわかんないな……愛里わかる?」
- 「……佐藤さんと軽井沢さんは、多分入れないと思う……」
- 「どうして?」
- 「なん、となくで理由はないんだけど……」
- 「女の勘ってヤツね」
- 「あてにはならないな」
- それを数に入れようとしない啓誠。
- 「そんなことないって。案外当たってると思うけど。ほかでもない愛里が言うならさ」
- 「どういうことだ? ほかでもないって。佐藤はともかく軽井沢は分からないだろ」
- よく分からないと首を傾げる啓誠。
- 「いいからいいから。とにかくその2人は除外してもいいってことで」
- 「雑だな……」
- 「けどよ、3人除外してもその他多数は分からないってことだよな」
- 「まーね。でも、山内くんを好きじゃない女子は多いし。きよぽんの名前を書く約束を律義に守るとしても、批判票に山内くんの名前を書くんじゃないかな」
- 「心理的に見てもそうだな。助かりたい連中にしてみれば、退学濃厚な生徒をとりあえず列挙して書いておけば、どっちに転んでも安全だ。清隆、山内の一騎打ちになると見てるだろうし。まぁあとは票を散らしてくるだろうな」
- 話を聞き啓誠が根拠を示した。
- 高円寺は批判票を集める筆頭だったが、それも少し弱まっているだろう。高円寺に入れるということは実力を無視するということ。他にも足を引っ張ってきた生徒が複数人いる以上、高円寺の立ち位置は4番手5番手くらいにまで後退する。
- 「絶対に大丈夫だよ、清隆くんは」
- 「ああ、ありがとう」
- 愛里の中には、残り1枠の批判票が自分に向くんじゃないかと不安な部分もあるはず。
- だがそれを見せずオレに対して励ましの言葉を強く与えてくれた。
- 「にしても、一番落ち着いてるよね、きよぽん」
- 「オレに出来ることが何もないだけで、内心は不安でいっぱいだ」
- 「心配するな。堀北のお陰で風向きは悪くない、それどころか救われた形だ」
- 堀北からの提言がなければ、何も知らずに多くの生徒が当日を迎えていた。
- そして深く考えず、自分が助かりたい一身でオレの名前を記入していた。
- そんなビジョンを想像するのは簡単だ。
- 「でも……堀北さんはどこで山内くんの裏切りに気がついたのかな」
- ふと、そんな疑問が愛里に浮かぶ。
- 「私たちのグループは、清隆くんと仲良しだから、話が届かないのは普通だよね? それって、堀北さんも似たようなものじゃないかなって思って……」
- 「確かにそうだな……。堀北は特にグループを作る素振りも見せてない」
- 山内もその辺に今頃怒りを感じているだろう。まとめあげたグループ内の誰かが裏切り、堀北に情報を流したと思っているはずだ。
- 先ほどの場ではそのことに気がついたり指摘する余裕はなかっただろうが。
- 「誰かは分かんないけど、きよぽんが退学になるのが嫌な子がいたってことでしょ?」
- 「そうだな。悪い材料じゃない」
- それが恵であり、オレであることには誰も気がつけない。
- 5
- 帰り道。
- 無表情のまま、ベンチに座り込む平田を見つけた。
- 他の誰がその姿を見ても、声をかけるのを躊躇ったことだろう。
- それだけ、今までに一度も見せたことのない状態だったからだ。
- 「相当参ってるみたいね」
- 「ああ。平田らしくない」
- 波瑠加も明人も、その異常さにはすぐに理解する。
- 「少し話をしてみようと思う」
- 「やめとけよ清隆。今はそっとしておいた方がいいんじゃないか?」
- 「かも知れない。けど、ちょっと気になることがあるんだ」
- 「気になること?」
- 「悪いが先に帰っててくれ。大勢で平田に話しかけても、今は歓迎されない気がする。万が一にも嫌われるならオレだけでいい」
- 「……分かった、けど明日は投票日だ。下手に刺激だけはしないほうがいい。正直、今の平田は誰に批判票を入れるのか一番読めないからな」
- オレは頷いて明人の忠告に答え、グループから離れた。
- 全員空気を読んで、立ち止まることなく帰路についてくれたのはありがたい判断だ。
- 接触する前に、オレは遠くから平田の意気消沈した様子を写真に収めた。
- そしてそれを一言添えて恵に送信しておいた。
- 「平田」
- オレはこの機会を逃すまいと、その後すぐに声をかける。
- 「……綾小路くん」
- 「少し時間いいか」
- 「大丈夫だよ。僕も、うん。君と話がしておきたかったしね」
- もしかすると、平田はオレを待っていたのかも知れない。
- そうでなければ、こんな寒い場所で座りこみ続ける意味なんてないからだ。
- ベンチに座った位置も真ん中ではなく端寄り。
- 誰かを迎え入れるために開けていたとも取れる。
- オレはその空いたスペースに腰を下ろす。
- 「もうすぐ暖かい春がやって来るね」
- 「そうだな」
- 「僕は……全員でその春を迎えられると信じてた。いや、今でも心のどこかで信じてる」
- クラス崩壊に近い出来事があっても、まだ平田はそう言った。
- 自分の痴態、醜い姿を見せても芯の部分は変わらなかった。
- 「誰が欠けるのも、嫌なんだ」
- 「どうにもならない問題だ。オレか山内か、あるいは別の誰かが必ず犠牲になる」
- 平田の横顔には感情の色がなかった。
- 「君に任せられないかな」
- 「任せるって、何を」
- 「Cクラスのことさ。これから先、僕の変わりに皆を導いて欲しいんだ」
- 「無茶を言うなよ。オレにそんな大それたことは出来ない。クラスの連中を守りたいと思うなら、自分自身でやれよ平田」
- 「それは無理だよ。僕はもう……無理なんだ」
- 決断を下せない自分に嫌気が差した。そういった思いもあるだろう。
- だが、それだけじゃない。
- 「また同じ過ちだ。あの時、反省したはずなのに……」
- 悔しさで、その瞳に涙を浮かべる。
- 今回の試験で、どれだけ平田は悩みに悩んでいたのだろうか。
- 「君ほどの人物なら、僕も安心して任せられるのにな」
- ふーっと吐いた白い息。
- 眩しく、そして羨ましく見えたクラスの中心人物の面影は全くなかった。
- 「今回の特別試験。おまえはオレ、そして山内。それから堀北の名前を書けばいい」
- 「判断を他の生徒に委ねろってことだね」
- この3人から1人に絞る行為を平田がする必要はない。
- それは残された39人が勝手にやってくれる。
- 「やっぱり君は凄いよ綾小路くん」
- 「別に凄くない」
- 「ここに座っていたら、僕の下に堀北さんと山内くんが別々に来た。堀北さんは山内くんに入れるように言い、山内くんは君に入れるように言った。それぞれ主張の仕方は違ったけどね。だけど君は相手だけを陥れようとしない。出来ることじゃないよ」
- それは戦略の上に成り立っていることだからだ。
- ここで無理に平田の1票を取りに行くことは得策じゃない。
- そう判断しただけのこと。
- 「話せてよかったよ。僕も、少し答えが見えそうな気がした」
- 「そうか」
- 平田が立ち上がる。
- おまえは自分なりに、この試験のクリア方法を見つけたんだよな。
- だが、それを容認するわけにはいかない。
- 「帰ろうか」
- そう促され、オレと平田は交わす言葉もないまま、帰路についた。
- ○他クラスの考え
- Dクラスは、試験が始まってから終始、表面上は普段と変わらなかった。
- この追加試験が発表されて以来、クラスの約9割の感情は一致していたからだ。
- 試験前日の金曜日になっても、それは同じだった。
- 『龍園翔』を退学させる。
- 口にすることもなく、示し合わせるわけでもなく、多くの生徒がそう決意していた。
- これまで龍園はその独裁めいた主導方針でクラスを導いてきた。しかし、お世辞にも結果が良かったとは言えない。現にCクラスから転落し最下位をひた走っている。
- 何より多くの生徒が暴力や恫喝による支配に苦しめられてきた。弱い心に付け込み、言い返せない状況を作り出した。諸悪の根源。龍園がいなければ、Bクラスには上がれていなかったとしても、Dクラスに落ちることはなかった。そう思っている生徒は多い。
- 試験が3日目になる頃には、Dクラスの生徒たちの多くは口裏を合わせていた。批判票に必ず龍園の名前を書くこと。残った2票は散らして1人に集中しないようにすること。それだけで確実に龍園は退学になる。
- 龍園の退学を本心では望んでいない石崎だが、難しいことに表面上では龍園を蹴落とした立役者として祭り上げられている部分があった。そのためグループの中心として、批判票を集める役目を担っている。
- 石崎の苦悩と、クラスの感情の方向性を、龍園は試験内容を知ると同時に理解した。
- そして決める。この試験で学校を去ることに対して無抵抗でいることを。
- だからこそ、追加試験が終わるまでの、残り僅かな時間を楽しむつもりでいた。
- 学校を去った後どこで何をするのか。それを考える必要もあったからだ。
- そのため教室に残ることほど時間の無駄はない。
- すぐに龍園は教室を後にした。
- そんな背中を見送った伊吹は、放課後どう無駄に過ごすか静かに考える。
- これまでは龍園に誘われることが多かったが、今ではそれもない。
- そんな伊吹の前に影が差す。
- 「暗い顔よね。そんなに龍園が退学するのが嫌?」
- 「はあ……またあんた? そんなに私に絡むのが好き?」
- 「別にぃ。心配して話しかけてるだけじゃない。龍園くんがいなくなってから、ますますクラス内で影が薄くなってるみたいだし?」
- そう言って伊吹を挑発したのは、クラスメイトの真鍋志保。女子の中心的人物だった。
- 入学当初から伊吹とはウマが合わずぶつかり合うことも少なくなかった彼女だったが、伊吹が龍園に推挙されたことで、満足に文句も言えなくなっていた。
- そのことを、真鍋は内心ひどく不愉快に感じていた。
- そのうっ憤を晴らすかのような、挑発行為だ。
- 「伊吹さんは、やっぱり私に批判票入れる?」
- 「さあ」
- 「入れなさいよ。私は入れるんだし、お互い様ってことでさ」
- 「……あ、そ」
- 気のない返事に、真鍋はやや苛立ちを覚えた。
- もっと怒ったり困ったりする伊吹が見たかったからだ。
- 「別に伊吹さんは退学しないから安心なだけ? 何人かが龍園くんに賞賛票入れたとしても、30票以上の批判票が残るみたいだしねー」
- 龍園がいないからと強気な姿勢の真鍋だが、それは他、多数の生徒も同様だ。
- 石崎は席を立った。
- 明日には追加試験が始まる。
- 始まってしまえば、どうすることも出来ない。
- 「ちょっと付き合えよ伊吹」
- そんな睨みあう2人の前に石崎が姿を見せる。
- 「……別にいいけど」
- 伊吹は憂鬱そうにしながらも、石崎の言葉に従い共に教室を後にする。
- 真鍋から離れられるなら、マシと考えてのことだった。
- 「余裕ぶるのもいいけどさ。龍園くん退学したら、次はあんただから」
- まるでクラスの支配者のように、真鍋は強気な発言を伊吹に送った。
- 「それで、どこに行くわけ?」
- 廊下に出て真鍋を視界から消した伊吹が聞く。
- 「別に。ただちょっと話がしたかっただけだ。龍園さんの持ってるプライベートポイントのことだよ。どうなった」
- 「どうなったもなにも、あいつが持ってる」
- 「まだ回収してないのか。試験は明日だぜ? 退学したら、全部なくなっちまうのによ」
- 「回収しないって最初息まいてたのはどこの誰よ」
- 「それは……そん時はプライベートポイントなんて、って思ったんだよ……」
- 「そんなに拾いたいなら、あんたが直接頭下げて回収すれば?」
- 「俺は動けねえよ」
- それがわかっているからこそ、伊吹も意地悪めいたことを口にした。
- 「あんたはクラスにとって龍園殺しのキーマンだしね。下手に龍園と接触したことがバレたら怪しまれる。もしかして裏切るんじゃないか、なんてね」
- 龍園退学を阻止したい石崎にしてみれば、その展開は望むところだ。
- だが、そんなことをすれば今度は石崎が退学のリスクを負う。何より龍園失脚の理由として石崎が奮い立ったという事実が成り立たなくなってしまうのだ。出来るはずもない。
- 龍園を救いたい気持ちと、自分は助かりたいという気持ち。
- 相反する状況に苦しんでいた。
- 「俺は……クソ、何やってんだかな……」
- 「龍園が退学になるのが、一番いいんじゃないの。あんただってわかってるでしょ」
- 「それで本当にいいのか? 龍園さん抜きで、この先勝てると思ってんのかよ」
- 「ろくな結果も出してないのに、よくそこまで持ち上げられるもんね。あいつの行動は理解不能なだけで、全く明るいものじゃないでしょ」
- 「確かにギャンブルだ。けどよ、あの人抜きじゃAクラスなんて夢もまた夢なんだよ」
- 総合力が高く、龍園も警戒する坂柳のAクラス。
- 結束力の高さと安定した成績を保有する一之瀬のBクラス。
- そして龍園をも圧倒する腕力と、底知れない知略を兼ね備えた綾小路のCクラス。
- クラスとしての力の差は歴然。
- 石崎の中には確固たるイメージがあった。
- そんな化け物たちと渡り合うには、同じように化け物がいなければならない。
- 龍園翔は、こんなところで消えるべき存在じゃないと。
- 「ま、龍園が普通じゃないってのは認めるけどね」
- 伊吹の中にも思うことはある。
- 綾小路に敗れながらも、龍園の評価が自分の中で不思議と落ちていない。
- 坂柳や一之瀬には無くて、龍園だけが持つもの。
- それは、あの綾小路にすら届くほどのものじゃないか。
- そんな風に考えている自分がいる。
- 「クソっ……」
- 苛立つ石崎。
- そんな石崎を横目に見ながら、伊吹は考える。
- この試験で自分にできることは何かあるのだろうかと。
- 石崎は暑苦しい男だが、それでも懸命にこの試験に足掻こうとしている。
- なのに自分は龍園を見殺しにして、助かろうと思っているだけ。
- そう。伊吹は石崎ほど余裕がない。
- クラス内でも、間違いなく嫌われている側の人間だと自覚している。
- 現に龍園が消えれば、次にターゲットにされるのは伊吹だ。
- あの真鍋の発言は、単なる嫌がらせではない。
- だがそれでも、大人しくしていれば今回は助かる。
- あるいはこの先に、何か違う道が見えてくるかも知れない。
- それが、伊吹を縛る一番の要因だった。
- 『あの男』の言葉を思い出す。
- 『ただ助けたいと口にして誰かを助けられるほど、これは生易しい試験じゃない』
- 伊吹の心、考え方など『あの男』には分かっていたのだ。
- だからまともに相手にしようともしなかった。
- 「あのさ石崎」
- 「なんだよ……」
- 「あんたは龍園を退学させたくはなかった。それ本心よね?」
- 「……ああ。嘘偽りねえよ」
- 「そう」
- 龍園より多くの批判票を他の誰かに集めることは、絶対に不可能だ。
- 「認めたくはなかったけど、あんたと気持ちは一緒。それだけは覚えといて。この先、龍園の次に私が消えるとしてもね」
- 龍園が消えれば、次は伊吹。
- その現実が改めて見えた。
- 「今夜龍園に会ってプライベートポイントを回収してくる。多分私にしか出来ない」
- そしてそれを残し、生かしていくことがDクラスの為になる。
- 龍園の無念を引き継ぎ糧にすることが出来る。
- 「やっぱり、それしか道はないのかよ……」
- 「私たちにできる精いっぱいのことは、それくらいでしょ」
- 伊吹は決意した。
- 龍園翔から、残されたプライベートポイントのすべてを回収する。
- それがDクラスの為になるのなら、引き上げておかなければならない『財産』だ。
- 1
- 夜中。伊吹は許可も取らず龍園の部屋を訪ねた。
- 乾いたノックが冷たい廊下に小さく響く。
- しばらく待たされた後、扉が開いた。
- 「おまえか」
- 「……あんた、何してんの」
- 上半身裸、そして下半身はトランクス一枚だった。
- 「下品なことだつったら引くか?」
- 「今すぐタマ蹴り飛ばして部屋に帰る」
- 「クク。単なる風呂上がりだ、上がれ」
- 確かに髪はまだ濡れており、湯上りは事実だった。
- 言葉遊びに警戒しながらも、伊吹は龍園の部屋に入った。
- 1年間で初めてのこと。
- 思ったよりも、色んな小物が置かれていて、あの男の部屋とは印象が違った。
- 「退学前に、俺と一夜を共にしたくて訪ねてきた、ってわけじゃないんだろ?」
- 長々と言葉遊びに付き合うつもりのない伊吹は本命を切り出す。
- 「あんたの持ってるプライベートポイント。私に全部頂戴」
- 「あ? てめぇは一度いらないって突っぱねたんじゃなかったのか?」
- バスタオルで髪を拭きながら、龍園は冷蔵庫からペットボトルを取り出す。
- それを伊吹に出すわけでもなくキャップを開け自らの喉に流し込んだ。
- 「今回の試験、あんたにはもう活路がない。つまり死に金になるってことでしょ」
- 「そうだな。俺がこのまま金を抱いて死ねば、全て消え去る」
- Aクラスとの内密な契約も切れ、Dクラスに旨味は1つも残らない。
- 「だから貰って生かしてあげるわよ」
- 「図々しい話だな」
- 「あんただって本望でしょ。もし渡す気がないなら、最後に散財してたっておかしくない。でもその気配はなかった。だから拾ってやるって言ってんの」
- 龍園のここ数日間は大人しいものだった。
- 精々数百、数千ポイントしか使っていないのは明らか。
- 「クク、なかなか言うじゃねえか。いいぜもってけよ、どうせ不要な金だ」
- 伊吹の目の前で龍園は笑った。
- そして携帯を手に取り操作を始める。
- 作業は僅かなもの。伊吹の携帯に龍園が持っていた全財産が移行される。
- 「確認できた。これであんたは用済みよ龍園」
- そう言って携帯を仕舞おうとする伊吹の腕を龍園は掴む。
- そして壁に伊吹を押しやった。
- 「ちょ、何すんのよ!」
- 咄嗟に蹴りを繰り出す伊吹だが、それを龍園は片腕で掴み軽々と止める。
- 「おまえの好戦的な性格は嫌いじゃなかったぜ」
- 「はあ!?」
- 何かをされるかと敵意を見せる伊吹だが、龍園は笑ってすぐに手を離した。
- 龍園なりの、最後の別れの挨拶。
- 「おまえは強いが、俺に言わせれば隙も多い。それじゃ鈴音には勝てねえぜ」
- 「余計なお世話よ」
- 「じゃあな伊吹」
- 龍園は、もはや興味をなくしたのか伊吹から視線を外す。
- そして追い出すように玄関へとやった。
- 靴を履く間、僅かな沈黙が流れる。
- 「あんたこの学校にいて楽しかった?」
- 伊吹は背中を向けたまま、そんなことを龍園に聞く。
- 「あ?」
- 「何でもない」
- 普段の龍園を見ていれば、そんなことはわかる。
- 龍園は満足なんてしてない、と。
- そして満足出来ないまま、この学校を静かに去ろうとしている。
- 立ち上がり、扉を開くと冷たい風が吹き込んできた。
- 「サヨナラ」
- 伊吹は別れの言葉を残し扉を閉めた。
- 誰もいない真夜中の廊下。
- 携帯の画面に映し出された巨額のプライベートポイント。
- 虚しい気持ちになるだけだと、表示画面を閉じた。
- 伊吹は廊下を歩き出すなり、電話をかける。
- 相手が寝ていたとしても知らない。
- その場合は留守電を残して切るつもりだった。
- だが、相手は2コールもしないうちに電話に出た。
- 「私だけど。龍園のプライベートポイントは全部回収した」
- 報告しておくべき人間に報告して、役目は終わりだ。
- 電話越しに、あの男から直接会って話がしたいと言われる。
- 「いいけど、ね……」
- どうせ外に出たついでた。
- 伊吹はそれを承諾し、あの男の部屋に向かうことを決めた。
- 2
- 同じくして追加試験前日の金曜日。
- Bクラスの生徒たちは放課後も教室に残っていた。
- 誰一人欠けることなく、全員。
- 教壇に立つのは担任の星乃宮ではなく、一之瀬帆波。
- 「みんな。今日までいつもと同じように過ごしてくれてありがとう。私の勝手なお願いを聞き届けてくれたことを素直に感謝してる」
- 一之瀬は追加試験が発表された後、クラスメイトに1つのことを伝達した。
- 『試験前日の放課後まで仲良く、普通に生活してほしい』
- ただそれだけ。
- それだけを伝え、詳しい戦略を話すことはしなかった。
- ギスギスしあっていても、得られるものは何もない。
- この試験が退学者必須のものであることは、明確だったからだ。
- 不安になってもおかしくないが、Bクラスの生徒たちは忠実にそれを守った。
- 一之瀬の言葉に従った。
- それがBクラスのためになることを、彼ら彼女らは1年間で学んでいたからだ。
- 一人の教師として、担任として一之瀬の話を聞いていた星乃宮は、一抹の不安を感じ取る。この特別試験が理不尽なものであると感じる教師の一人として、苦難を強いているBクラスに申し訳ないと思う気持ちが強くあった。退学者を出さず一致団結できるクラスだからこそ強く、そして輝いている今。ここで退学者が出ることになれば、クラスに影を差す。
- 「沢山心配させたと思う。だけど安心して欲しい。私たちの中から退学者は出させないよ」
- 誰もが瞳の奥に不安を抱える中、一之瀬はそう言い切った。
- それは朗報と同時に、疑問をも生むことになる。
- 「大丈夫なのか一之瀬。ハッキリと言い切って」
- もしクラスメイトを思っての嘘なら、この場ではやめたほうがいいのではないか。
- 神崎からの配慮だった。
- 「いいんだぜ一之瀬。俺たち覚悟できてるからさ」
- 無策でも責めない、そんな姿勢を柴田が見せる。
- しかし一之瀬は再び繰り返す。
- 「大丈夫だよ。神崎くん、私に教えてくれたことがあったよね。力を持っているのに、それを使わないのは愚か者のすることだって。だから私、自分なりに考えたの」
- ここにいる全員が退学することはない。確信を持っていた。
- 「……なら聞かせてくれ。どうやって退学者を防ぐ」
- だが示す根拠がなければ、それは一之瀬の妄想でしかない。
- 「この追加試験、全員が生き残る方法はたったひとつだよね?」
- 「ああ、2000万ポイントで退学を無効にすることだけだ」
- 「だから、クラスメイト全員の、今持ってるプライベートポイントを私に託してほしい。4月までポイントを失うことになるけど、それで全員を助けられる」
- 「でもさ、確か2000万ポイントには届かないんじゃないか?」
- クラスメイトの柴田が、全員を見渡しながら言う。
- 何度も相談しあったが無い袖は振れない。
- 届かない数百万のポイント、その壁が厚い。
- 「いいじゃない。帆波ちゃんがそういうんだから。送るね」
- 詳しく聞かずとも、女子たちはすぐに一之瀬にポイントを送り始めた。
- 毎月送金しているため、その手順は慣れたもの。
- 「ま、それもそうだな」
- 柴田もすぐに納得し、操作を始める。
- クラスメイトからの信頼が厚い一之瀬は、すぐに全員から、その持てるプライベートポイントのすべてを託される。
- 携帯に表示された合計金額は、1600万ポイントを少し下回るくらいだった。
- 「うん、やっぱり計算通り大体400万ポイント不足してるね」
- 「どうやって足りないポイントを補うつもりだ。それだけの大金、他クラスや他学年が出すとは思えない」
- 冷静な神崎はポイントを送りながらも、回答を要求する。
- 一之瀬は南雲からプライベートポイントを借り受ける時、他言しないことを約束した。
- だが、ここまで来て仲間にそれを伏せておくことは出来ない。
- だからこそ前日の今、一之瀬は南雲から許可を貰い交際条件以外の部分を話しても構わないということで合意していた。
- 「南雲生徒会長だよ。この話を相談したら、不足分を助けてくれるって言ってくれたの」
- 「生徒会長が? そんな大金を出せるのか」
- 「うん。実際に持ってるポイントも見せてもらえた」
- 確実に保有していることの証明も、一之瀬は受けた後だった。
- 「もちろん後で返すことにはなるよ」
- 「返済プランと南雲生徒会長に支払う利息は?」
- 「その有無が結果に影響するのかな?」
- 「いや、それはない。どれだけ高い利子でも仲間には代えられないと思っている」
- その点は神崎も一之瀬に同意している。
- だが詳細を把握しておくことは、この先に必要なことだと判断した。
- 他の生徒が聞けないことを聞く役目を担っている。
- それを一之瀬も大きく感謝している。
- 生徒たちの気持ちを代弁して聞いてくれる、大切なパートナーだ。
- 「返済期間は3ヵ月で、利子は無いよ」
- 「借りた額そのままでいいということか……」
- この苦しい状況であれば、何割か要求されてもおかしくない。
- それを無利子で貸し付ける南雲生徒会長は、Bクラスにとって救いの存在に見えた。
- 「皆にはしばらく不便を強いることになると思うけど……それでもいいかな?」
- 「すご……さすが一之瀬さん! 超大賛成だよ!」
- クラスメイトたちは、誰一人不満な様子を見せなかった。
- だからこそ、絶対に退学者を出してはいけない。
- これは一之瀬帆波の、仲間を守りたいという覚悟だった。
- 3
- その日の夜。一之瀬は南雲に1本の電話をかけた。
- 明日の試験に向けての最終確認のためだった。
- 「南雲先輩。一之瀬です」
- 「帆波か。俺に電話をかけてきたってことは、例の件だな?」
- 「はい。今日Bクラスの皆に話しました。それで、先輩にもう一度だけ、改めて今回のことで確認をしておこうと思いまして」
- 「俺が出した条件は変わらないぜ。クラスメイト全員から、1ポイント残らず回収して、可能な限りプライベートポイントをかき集めておくこと。全員で苦しみ痛みを共有しないで救われるなんてことは許されないからな」
- 「そうですね。私もそう思います」
- 自分たちのお小遣いを残したままポイントを借り受け、楽に助かるのは認めない。
- それが南雲の出した条件の1つだった。
- 南雲は膨大な一千万近くのプライベートポイントを保有している。
- だが、その額全てを貸せるわけでないことは明らかだ。1ポイントでも借りる額を少なくすることは、言われずとも率先してすべき、一之瀬の当然の役目だ。
- 「不足したポイントは幾つだった?」
- 「404万3019ポイントです」
- 「そうか。それくらいなら俺も最低限の負担で済む。それでもこれから先の試験で、かなりのハンデを負うことは避けられないけどな」
- 「はい……」
- 南雲が背負う負担は大きい。
- 仮に次の試験で南雲のクラスに退学者が出れば、補填する動きも出るだろう。
- その時に貸した400万ポイントに足元をすくわれる可能性もある。
- どれだけありがたい申し出であるか、一之瀬は痛いほど理解していた。
- 「本当にすみません、私の我儘なお願いです」
- 「いいさ。誰も見捨てない、そんなおまえらしい作戦だ。ただもう1つ。ポイントを貸す上での条件は覚えてるよな?」
- 「……はい。私と、その、南雲先輩がお付き合いする、ということですよね……?」
- 「ああ。その条件を飲むなら今すぐにでもプライベートポイントを振り込む用意がある」
- 「……今日の夜中12時が、タイムリミットでしたね」
- 「まだ迷ってるのか。クラスから犠牲者が出るのは一番避けたいところだろ?」
- 「もちろんです。ただ、少し不安にも感じています」
- 「不安?」
- 一之瀬は言葉にし辛いことをぐっと堪え、絞り出す。
- 「先輩は、その……わ、私のことが好きなんでしょうか?」
- 「なに?」
- 「あ、いえっ。すみません、こんな失礼なこと聞いて……だけど、付き合うというのは、そういった感情があるから成り立つものだと、思うんです……」
- 「おまえのことが嫌いなら、俺はこんな条件をつけたりはしないぜ」
- 迷わず答える南雲。
- 一之瀬はその言葉を嬉しく思いながらも、それでも不安を隠せないでいた。
- 「納得がいったなら、今からポイントを送る」
- 「待ってください。私……ギリギリまで頑張りたいんです」
- 「それがこの数日間じゃなかったのか?」
- 刻一刻と、南雲との期限までが近づいてきている。
- 「2年や3年から借りることは出来なかったろ? 敵である1年なら尚更だ」
- 400万を超えるプライベートポイントを貸せる存在は南雲の他にいない。
- それを南雲もよくわかっている。
- しかし南雲は深く一之瀬を追求しなかった。
- どうせ時間がくれば、一之瀬が頼ってくることは明白だったからだ。
- 「気をつけろよ。俺は時間にはうるさい男だからな」
- 「はい。後で必ず連絡します」
- 通話を終え一之瀬は大きく息を吐いた。
- そして壁にもたれかかる。
- クラスメイトを守る。それは一之瀬にとって何よりも優先すべきことだ。
- 南雲が助けてくれるというのなら、その条件は受け入れるべき。
- ただ、一之瀬には恋愛経験がない。
- こんな形で誰かと付き合うことが自然なことだとは、到底思えなかった。
- 何より……それは間違いだと心が告げる。
- 誰かと誰かが付き合うのは、互いに好きでなければ意味がない。
- 片方からの気持ちだけでは無意味なのだと。
- だが一度付き合ってしまえば、自分から別れるなどとは言い出せない。
- 「はあっ……覚悟、決めたはずなのにな……」
- 時刻は夜の9時を回る。
- あと3時間以内に、一之瀬は答えを出さなければならない。
- 重たいため息が出る。
- それでも、自分が我慢すればクラスメイトを助けられる。
- それが最善の、唯一の方法なら……。
- それでも最後の最後まで、心にブレーキがかかってしまった。
- この条件を呑んでしまったら、自分が自分でなくなってしまうような。
- そんな悲しい予感。
- 「ダメ。ダメだよ私」
- どうしてここにきて、再三考えを改めようとしてしまうのか。
- ここで南雲との交渉を成立させなければ、Bクラスから退学者が出る。
- 「……よしっ」
- パン、と一度自分の両頬を軽く叩く。
- 「私は───皆を守るんだ」
- 覚悟を決めた一之瀬は、一人静かに笑った。
- 4
- 一之瀬が南雲との条件を呑む決意をするより数日前。
- 追加試験が発表されたその日に遡る。
- Aクラスにとって、他クラスとは違いこの追加試験は歓迎すべきものだった。
- どのクラスよりも早く、確実な結論を導き出していたからだ。
- 「後はおまえたちが話し合い、試験当日で結論を出すことだな」
- 担任の真嶋が試験の説明を終える。
- 残された時間を生徒たちに割り振ると、坂柳は立ち上がることもなく話始めた。
- 「今回の試験。葛城くんに退場していただきたいと思っています」
- 迷わず坂柳は名指しした。
- 葛城は目を閉じ腕を組んだまま、ジッと動かない。
- 「な、なんだよそれ、そんなの卑怯だろ!」
- 唯一抵抗を見せたのは、葛城を慕う戸塚弥彦。
- 「やめろ弥彦」
- しかしその戸塚を葛城が一蹴する。
- 「で、でも葛城さん!」
- 「俺は受け入れるつもりだ」
- 「異議はないようですね。というより異議を申し立てる隙間などありませんよね」
- 既にAクラスの大半は坂柳の派閥に入っている。一部快く思っていない生徒がいることも確かだが、それは反旗を翻すほどのものではない。
- 自分が安心で安全に卒業するために、坂柳の味方に付き続ける。
- 唯一、戸塚だけは葛城を妄信するが故に抗おうとする。
- それが無意味なことは、葛城が一番理解していた。
- 「では挙手で決を採ります。今回の追加試験で犠牲になっていただく退学者が葛城くんで構わない方は、どうぞ挙手をお願いします」
- クラスメイトが一斉に手を挙げる。
- 戸塚と葛城、そして坂柳を除く37名全ての賛同。
- 真嶋はこうなることを予見していたように、静かに目を逸らした。
- 「これで今回の試験に関する話は終わりですね」
- 「いいんですか、こんなんで!」
- 「いいんだ弥彦」
- 最後まで抵抗する戸塚だったが、葛城は坂柳に反論をしようともしない。
- 「未だに俺が結んだ契約は生きている。そのせいで、Aクラスから無用なプライベートポイントがDクラスの龍園に流れてしまっているからな。責任は取る」
- 「で、でもそれでクラスポイントを得たじゃないですか! 俺たちが損してるわけじゃないですよ! それにDクラスからも退学者が出るなら龍園が選ばれるかも! そうすれば葛城さんが退学しなくても、契約は無効になるはずです!」
- 必死に論を組み立てる戸塚。
- 「このクラスのリーダーだからって、何でもやっていいと思うなよ!」
- 「いい加減にしろ弥彦」
- 一人ヒートアップする戸塚を、葛城は再び制する。
- 先ほどよりも強い口調で。
- 「葛城さん……!」
- 当人が一番苦しいはずの状況でも、努めて冷静を装っていた。
- その姿に胸を打たれつつ、戸塚はうな垂れるように席に座り直した。
- 「私としては続けて頂いても構わないのですが? 面白い演説でしたし」
- 「結構だ。俺が退学する方針に異論はない」
- 「そうですか。では、葛城くんの意向を汲んで、そのように致しましょう」
- 5分にもならない話し合いで、Aクラスは追加試験の結論を導き出した。
- まるで追加試験などなかったかのように、Aクラスにはいつもの時間が流れ出す。
- 葛城は席を立ち、一人になるため廊下へと足を向けた。
- それを追い、当然のように戸塚が駆け寄って来る。
- 「葛城さん、本当に退学に異論はないんですか!」
- 「……仕方のないことだ。この試験はクラスに権力のある生徒が圧倒的に優位。俺がもがいたところで、坂柳派の批判票には打ち勝つことは出来ない」
- 「で、でも、坂柳に不満を抱いてる生徒だっているはずですよ。そいつらを集めて───」
- 「おまえにはこれまで、幾度となく俺を助けてもらった。感謝している」
- 「葛城さん……」
- 「だが俺が退学した後は、おまえは坂柳についていけ。下手に逆らえば、次に狙われるのはおまえだ、弥彦」
- それが分かっているからこそ、坂柳と戸塚の衝突を避けさせたかった葛城。
- 「それが俺からの、最後の指示だ」
- 「……う、くっ……!」
- 悔しさで顔を歪ませる戸塚は、必死に首を縦に振ることしか出来なかった。
- 5
- その日の放課後。
- 「帰りましょう真澄さん」
- 「……そうね」
- 坂柳は神室に声をかけ席を立った。
- 「ケヤキモールのカフェで新しい飲み物が出たそうなんです。飲んで帰りましょう?」
- 週末にはクラスメイトから退学する生徒が出る。
- しかも自分が名指しした生徒だというのに、いつもと様子は変わらない。
- 「あんたさ」
- 「なんです?」
- 「……なんでもない」
- 聞くだけ無駄だと思い直した神室。
- 坂柳の冷徹な判断には血が通っていない。
- 神室も似たような人間だからこそ、それを指摘するのはおこがましいと思った。
- 2人の間に流れる沈黙を割いたのは1本の電話だった。
- 坂柳がポケットから携帯を取り出す。
- 薄っすらと笑い、嬉しそうに電話に出る坂柳。
- 「御機嫌よう山内くん。そろそろ連絡頂ける頃だと思っていました」
- 「物好きね……」
- こうして山内と話し込む坂柳の姿は、最近は珍しくなかった。
- 連日のように互いに電話をし合い他愛もない雑談に華を咲かせている。
- 「今日ですか? ええ構いませんよ。お会いしましょう。しかし今からは少々約束があって都合が悪いので、後で合流しましょうか」
- 電話の内容が山内からのラブコールであることは、すぐに分かった。
- 「今移動中ですので、後でご連絡しますね」
- そう言ってものの数秒で、電話を一度終える坂柳。
- 「というわけで、夜に山内くんとお会いすることになりました」
- 「あんた、山内と頻繁に連絡取り合ってるみたいだけど、どういうつもり?」
- 「彼が気になる存在だからですよ」
- 「気になるって、好きってこと?」
- 「私が彼を好きになってはおかしいですか?」
- 神室は山内の姿を思い浮かべ、首を左右に振った。
- 「冗談でしょ?」
- 「ええ。冗談です」
- 「あのね……」
- 「Cクラスのスパイとして利用できないかと、調教中です」
- 「調教中って……そんな簡単にいくわけないでしょ」
- 「彼の場合はそれがそうでもありません。面白い試験が告知されたことですし、実験体として動いていただいていますよ」
- 神室に対して、坂柳は半分真実、そして半分嘘を教える。
- 側近とはいえ完璧に信用できる相手ではない以上、隠すべきことは隠しながら語る。
- 「まずは今日、彼に会いしましょう。少しは私の狙いが分かるはずです」
- これからのことを思い描き、坂柳は嬉しそうに笑った。
- 6
- 夜。
- 坂柳と神室はケヤキモールで山内と合流していた。
- その様子を人に見られないため、カラオケの部屋を集合場所にして。
- 「今日も、その……神室ちゃんがいるんだね」
- 「すみません。まだ2人きりのデートは恥ずかしくて……」
- 「い、いやいいんだよ全然! こうやってデートできるだけで幸せだしっ!」
- 嫌われたくない思いの強い山内が必死に笑顔を作る。
- 本当なら坂柳と2人きりになって、告白。
- その後正式な恋人になりたいと思っているが、ぐっと我慢して堪える。
- 「山内くん。今度の追加試験、大丈夫ですか?」
- 「えっ?」
- 「いえ。大丈夫ならいいんです、ただ……」
- 少しだけ意図的に間を作る。
- 「もしも山内くんが退学してしまったら、このように会うことも出来なくなります。私、それだけは嫌なんです」
- そんなぶりっ子のような態度に神室は吐き気を覚えたが、顔には出さない。
- これはあくまでも坂柳の遊びだ。
- それにいちいち真面目に受け取っていたら身が持たない。
- 「お、俺だって嫌だ!」
- 「気持ちは一緒、ということですね」
- ホッと胸を撫でおろす坂柳。
- 「もし何か困っていることがあれば、私が相談に乗ります」
- 「でも───」
- 「確かに私と山内くんは敵同士、しかし今回の試験は別です。他クラスと争う要素はどこにもありませんよね?」
- 「それは確かに……」
- 「ですが、逆に協力することは出来るかもしれません」
- 「協力、って……?」
- 山内の頭の中にも、過るもの。
- 「たとえばのお話ですが……私の持つ賞賛票を山内くんに入れるとか」
- それを聞いて、山内は唾を呑む。
- 他クラスからの賞賛票は、1票でも多く欲しい。
- それは退学のピンチである生徒にとっては喉から手が出るほど必要なものだ。
- 「ま、マジで相談に乗ってくれる?」
- 「お困りでしたら、ご協力します」
- 優しい言葉に山内は、心底喜びながらも表面上は落ち着きを装う。
- 女の子とこうして親身に話すようなことは、彼の生活では一度もなかったが、恋愛未経験であることを悟られるのは恥ずかしかったからだ。
- 「俺……実はクラスの中で嫉妬されてるみたいでさ。その、そういうヤツらが批判票を入れるんじゃないかって心配なんだ」
- 「嫉妬、ですか」
- 「こうして坂柳ちゃんと会えるのも俺だけだしさ」
- 「そうですね。他の男子には全く興味がありません」
- 成績が悪く退学の候補にされていることは、口が裂けても言えなかった。
- 山内は自分を大きく見せ、坂柳に好意を持ってもらいたかったからだ。
- 「分かりました。では山内くんが助かるための秘策を伝授いたします」
- 「ひ、秘策?」
- 「はい。クラスの約半数、あなたが仲間を見つけて勧誘してください。そして1人にターゲットを絞って退学に追い込むんです」
- 「や……でも、そんなことしたら俺が狙われるかも……!」
- 「そうですね。誰もが主導者になることを恐れています。不用意に仲間を傷つけるような真似をすれば、逆に批判票を集めてしまうかも知れないからです」
- 山内が頷く。
- 「だから私が協力するんです」
- 「ど、どうやって?」
- 「私のことを慕ってくれるAクラスの仲間が20名ほどおります。その仲間全員の賞賛票を全て、山内くんに投票するよう呼びかけさせて頂きます」
- 「え!?」
- 「山内くんに賞賛票を入れてくれるクラスメイトも少なからずいますよね? その方達も合わせれば、仮に批判票が30票以上集まってもほぼ相殺できます。あなたが退学になることはまずありません」
- 「ま、マジで言ってる?」
- 「もちろんです。しかし20票集まっても絶対に安心とは言えません。だからこそ、あなたに主導者として一人の生徒を追い込んでもらいたいんです」
- 「だ、誰を?」
- 「そうですね……もちろんCクラスにとって役立つ生徒を排除するわけにはいきませんし。真澄さん、手ごろな方はいませんか?」
- 「……綾小路なんてどう?」
- 「綾小路、くんですか。名前は聞いたことがありますが……」
- 「あーえと、影が薄いヤツで。なんて説明すればいいかな……」
- 「詳細は結構です。どうやら丁度いい相手かも知れません。特に親しいわけではないんですよね?」
- 「そりゃ、全然! ただのクラスメイト!」
- 「ではその方に犠牲になっていただきましょう」
- 「けど……」
- 自分の助かりたい気持ちと、クラスメイトを生贄に出来ない気持ちがぶつかり合う。
- だが、自分を守る感情が遥かに強いことは確認するまでもない。
- 「どんな関係であれクラスメイトを切るのは心が痛むと思います。ですから深く考えないようにしましょう。私たちが適当に決めた生徒、それに従うだけだと考えるんです」
- そうすれば心は痛くないでしょう?と微笑みかける。
- 「試験が終わった後、来週の月曜日。今度は私と2人きりで会ってくれますか? その時山内くんにお伝えしたいことがあるんです。とても大切なお話です」
- 「っ!」
- これが山内篭絡のトドメの一撃になった。
- 勝手に妄想を膨らませ、坂柳からの愛の告白だと受け止める。
- それを実現するために山内は、なんとしても退学を阻止しなければならない。
- 何より坂柳から提示された作戦を上手く遂行しなければ、嫌われるかも知れない。
- そんな思いを駆り立てられる。
- 「ではまず、綾小路くんの仲間に着きそうな人物の洗い出しから始めましょう。彼の耳に入ることなく静かに退学していただくのが、ベストですから」
- 「わ、分かった」
- 「ただ先に忠告があります、山内くん」
- 「忠告……?」
- 「私たちが山内くんに賞賛票を入れる話は、他の誰にもしないでください。安易に口にすればあなたはクラスメイトから恨まれる危険性があります」
- 「それは確かに……」
- 山内だけがセーフゾーンにいるとなれば、嫉妬や反感を買うのは目に見えている。
- 「わかったよ。約束する」
- 「ありがとうございます」
- 「ただ……あ、あのさ」
- 「なんでしょう?」
- 「その、疑うわけじゃ全然ないんだけど……俺に本当に賞賛票入れてくれるのかな」
- 「それは、書面のようなものが欲しいということですね?」
- 「どうしても、心配でさ……」
- 口約束では確信が持てない山内が不安になることなど想定内のことだった。
- 「私が山内くんを裏切ると? そんなことをしてもメリットはありません。ですがどうしても信じて頂けないと言うなら……この話はなかったことにしましょう。約束1つ信じてもらえない方であれば、来週お会いすることも考え直さなければなりませんね」
- 「ま、待って! 信じる信じるよ!」
- 引き下がろうとする坂柳を、懸命に山内が引き留める。
- 「ごめん、疑う真似して……」
- 「いいんです。不安になる気持ちは分かりますから」
- 優しく微笑んだ坂柳は、最後の忠告を山内に告げる。
- 「それから……もし山内くんが、今後私に対して盗聴盗撮の類を行えば、その瞬間関係は決裂。私と山内くんは敵同士です」
- 「だ、大丈夫。そんなこと絶対しないから!」
- 「よろしいです。では真澄さん、ボディーチェックをお願いします」
- 「え、私?」
- 「お願いします」
- 「……分かったわよ」
- 渋々と言った様子で、山内くんのボディーチェックを行う神室。
- 「面白くなってきましたね」
- これはただの遊び。
- 坂柳の中で結果は最初から決まっている。
- 山内が帰った後、坂柳は神室とカラオケルームに残り続けていた。
- 「まだ帰らないの?」
- 時刻は8時を回るところだった。
- 学生が立ち入れるのは9時までになっているため、退店も近づいている。
- 「今回の私の作戦、真澄さんはどう思われましたか?」
- 「どうって……」
- 「綾小路くんは只者じゃない。それは伝わりましたよね?」
- 「ま、あんたの綾小路への関心は凄いしね」
- 「それだけではありませんよね? 真澄さんも彼を近くで見て、感じ取ったはずです」
- 詳細は分からずとも、謎めいた嫌なものを持つ生徒。
- それが真澄の抱いた綾小路への印象。
- 「彼は強いですよ?」
- 「……そんなに?」
- 「葛城くんや龍園くん、一之瀬さんなど相手になりません」
- 「へえ、それじゃ、あんたは?」
- 「さあ。どうでしょうか」
- 「……マジみたいね。あんたがそんな風に言うなんて」
- 即、勝てると口にすると思っていただけに神室は驚いた。
- 「もちろん勝てます。しかし彼の底が見えないのも事実。いえ……少し違いますね。多分私は、綾小路くんが自分の敵わないと思えるような相手であって欲しいと、そう願う部分もあるのかも知れません」
- 自分も気づくことのなかった、不思議な感情。
- 「私の手で退学になってしまう前に見れるといいですね。彼の本気が」
- それを、坂柳は心から願った。
- 7
- それが火曜日の出来事。それから翌日からも引き続き、坂柳は山内の報告を受けた。
- 親身にどう立ち回るべきか、どう凌ぐべきかを伝授していく。
- 自室に置かれたチェスの駒を進めながら。
- 「そうですか。以上が綾小路くんに批判票を入れる人たちですね?」
- 全部で21人。思ったよりも賛同者が多く坂柳は感心する。
- 山内単独では、恐らくここまで好都合な展開にはならなかっただろう。
- 「山内くん」
- 「な、なに?」
- 「やはり櫛田さんに仲介役を頼んで正解だったようですね」
- 彼女はクラスメイトのためを思い行動するタイプ。
- 「まぁ、ね。坂柳ちゃんの言う通りだった」
- 山内に頼まれれば、安易に断ることは出来ないと判断した上での判断だった。
- 何より櫛田に関しては、坂柳も幾つか気になる情報を握っている。
- 「協力をお願いする際には、泣き落としでもしましたか?」
- 「そ、そんな格好悪いことはしてないって!」
- 泣き落としをしたようだと、坂柳と神室は視線で会話する。
- 「では交渉術が、完璧だったようですね」
- 「まあね……」
- 「では明日、誰を引き込むかは私から連絡いたします」
- 「分かった」
- 肝心なのは明日木曜日。
- ここからどう手を広げてクラスメイトを山内陣営に引き込むかにあると坂柳は判断した。
- 通話を終えると、神室が言う。
- 「あの櫛田が誰かを落とすことに協力するなんてね」
- 「泣き落としされれば、助けないわけにもいかないでしょう。とはいえ、ここまで多くの生徒を引き込むにはそれなりの話術も必要になってくる。櫛田さんという生徒は、相当にお口が達者なようで」
- クイーンの駒を握り、坂柳は神室を見る。
- 「この先どうなると思いますか?」
- 「そのままいけば綾小路に批判票が集まって退学……だけど、あんたの言うように強敵だっていうなら、何か手を打ってくるんじゃない?」
- 「彼自身がターゲットにされていると、知らなくてもですか?」
- 「方法は分かんないけどね」
- 「彼は常に警戒しています。今は自分が狙われていると知らなくても、この試験の本質を考えれば、何かを機に批判票が集まって来る可能性は排除しきれない。となれば、先手を打って対策を考えておくものです」
- 「……その対策って?」
- 「クラスにとって邪魔な生徒がいることを、全員の前で証明することですよ。理由は何でも構いませんが、無能であればあるほど効果は覿面です」
- 少し先の未来。Cクラスで行われるかも知れない風景を坂柳は思い浮かべる。
- 「たとえば山内くん。彼は私と協力し仲間である綾小路くんを除外しようと動いている。こんなことが明るみに出れば、それこそ理想的な存在になることでしょう」
- 「あんたにしてみれば綾小路でも山内でも、どっちでもいいってわけね」
- 坂柳は空いたもう片方の手でキングを取る。
- 「いいえ。キングには最後まで残っていただかなければ」
- 終局まで、すべての手を坂柳はコントロールしている。
- 8
- 試験前日、金曜日の夜。試験を翌日に控えた坂柳はカラオケルームにいた。
- 「状況はどうなわけ?」
- メンバーは神室に橋本。それに鬼頭の4名。
- 「今日全てバレたそうです。堀北さんが嗅ぎつけ、私が山内くんと協力していることを暴露したみたいで。一体どこから情報が漏れたんでしょうね」
- ポテトを1本手にし、それを口元に運ぶ坂柳。
- その様子を見ながらひとりの生徒が進言する。
- 「坂柳、その情報源は軽井沢だ。俺は言ったよな。確実に綾小路を落とすためには、軽井沢は山内のグループに引き入れないほうがいいって」
- 橋本正義。坂柳の側近の一人で、綾小路を独断でマークしていた生徒。
- その中で軽井沢と密にする綾小路を見て、今回の戦略に助言をしていた。
- 一度はそれを快諾し軽井沢を引き込まなかった坂柳だが、木曜日になり方針転換。
- その結果が今日の事態を招いていた。
- 「今回の作戦を完璧に遂行するには、試験終了時まで綾小路自身が狙われてるかどうかを分からないようにすることじゃなかったのか?」
- 「ええ。あなたのご忠告はしっかり覚えていますよ。綾小路くんと軽井沢さんは、ただならぬ関係である可能性があること。つまり彼女が知れば必然綾小路くんの耳に入る可能性が高いんでしたね」
- だからこそ坂柳は、律義に軽井沢を引き入れるのを後にした。
- 火曜水曜を飛ばし、あえて木曜日にした。
- そしてその翌日の流れ。軽井沢が綾小路に漏らした可能性の高さが窺える。
- 「下手打ったんじゃないの、坂柳」
- 話を聞いていた神室からも、そんな言葉が飛ぶ。
- 橋本は何故、坂柳がそんな下手を打ったか分析をする。
- 「女子の中心である軽井沢を引き込めれば、一気に綾小路への批判票を集中させられる。20票の目標を超えて30票近くも可能だった。ちょっと欲をかいたな」
- 「彼らがクラス裁判を行うことは分かっていました。遅かれ早かれの問題ですよ」
- 「けど、明るみに出なきゃ山内にも逃げ道は残されてたかも」
- それぞれの意見が聞け、坂柳は楽しくて仕方がなかった。
- 「自分が餌食になると分かれば、草食動物も最後の抵抗を見せる。しかし、だからこそ面白いと私は考えます。残された時間で彼が何をするのか、どう足掻くのか見たいじゃありませんか」
- 「それが見たいから、あえて軽井沢に情報を流したと?」
- 「あなたの助言が正解だったかを確かめることも出来たことですしね」
- 「けど綾小路が堀北に相談して、その流れでクラスメイトにも暴露した。これで状況は分からなくなった。山内は俺たちの賞賛票を受けるから退学しないとしても、綾小路の退学にも絶対はなくなったぜ。もう誰が退学するか想像もできない」
- 「綾小路に対する批判票の約束を、口約束に限定させたのもミスなんじゃない? 今日の暴露を知って何人が綾小路から撤退するか……」
- 綾小路への批判票が激減し、山内への批判票が増える。
- だが山内はAクラスから20票を受け取り、窮地からは脱する。
- そうなれば、誰が最後に多くの批判票を握らされているかは見えなくなる。
- そんな橋本と神室の分析を聞き坂柳が笑う。
- 既に坂柳には見えている結果。
- まだ神室や橋本、山内たちには見えていない結果。
- それを頭に浮かべた。
- 坂柳は電源を落としてある携帯を取り出す。
- 電源を入れれば、山内からの執拗な着信とメールが届いているからだ。
- Aクラスが持つ多くの賞賛票の行方。
- 本当に山内に投票されるのか、それが不安で仕方がないのだろう。
- 「皆さんにお伝えし忘れていたことがあります。山内くんに関するとても重要なお話です」
- 坂柳はそう言って、悪びれることもなく伝え忘れていたことを語った。
- ○退学者たち
- ついに試験当日、土曜日の朝がやってきた。
- ほぼ全クラスの状況は固まったことだろう。
- Aクラスは葛城、そしてDクラスは龍園翔。
- Bクラスは誰も退学者を出さないという考えのもと動いている。
- もちろんこの中から誰も退学しない可能性もあるし、全員が退学する可能性もある。
- それは、蓋を開けてみるまでは分からないだろう。
- 誰かを蹴落とそうとしても他クラスの賞賛票を集められれば、予定は狂わされる。
- 大切なのは今、この時からのことだ。
- オレも100%安全圏にいるわけじゃない。
- この試験に絶対の保証などありはしない。
- 教室への集合はいつも通りの時間だったが、試験開始は9時から。
- 今、時刻は8時30分を回ったところだ。
- 少し猶予が設けられているのは、学校側からの配慮、いや狙いだろうか。
- 最後の最後まで生徒たちを疑心暗鬼にさせるための仕掛け。
- 「あなたは結局、何もしなかったの?」
- 「なにが」
- 「自分が危機にさらされても、傍観者で居続けたのかを聞いているの」
- 「何かしたように見えるか?」
- 「……表面上は見えないわ」
- 「それが答えだ。オレは今回何もしてない。むしろおまえに助けられてる」
- 「そのうえで退学になったら笑えないわね」
- 「おまえみたいに抗って退学になっても、笑えないと思うけどな」
- 隣人同士、これが最後の会話になるかもしれない。
- 「そうね」
- 短く堀北は答えた。
- このまま大人しく試験を迎える。
- そう思ったのだが……最後の最後で、またも状況が動いた。
- 「皆聞いて欲しい」
- 平田だ。昨日、堀北と舌戦を繰り広げたがその実何か手があったわけじゃない。
- ただ漫然と堀北への投票を口にしただけ。
- もちろん、平田を崇拝する生徒の票は一部流れるかも知れない。
- だが決定打としては弱いだろう。
- Cクラスの中では、堀北への評価は比較的高い。
- 物怖じしない言い方はトゲでもあるが、同時に頼もしくも感じているはずだ。
- 「僕なりに昨日の堀北さんの話を、他の皆の話も聞いて、1つの結論を出した。今回の試験……批判票を誰にするか、そこが最大の焦点だよね」
- 落ち着きのある、冷静な平田だった。
- 「彼、まだ何か言うつもりかしら」
- 「そうだろうな」
- そうでなければ、この土壇場で話をしようとはしない。
- 「無駄なことよ。彼は無策、ただ結論を先延ばしにする話しか出来ない」
- いや、どうだろうか。
- 平田の目には、ある種の決意のようなものが見えて取れた。
- 「まずは、僕が昨日堀北さんに批判票を投票すると言った件、あれを謝罪したい」
- 何を話すかと思えば、平田は堀北に対して頭を下げて非礼を詫びた。
- 「謝る必要なんてないはずよ。一体どういうつもり?」
- 「君はクラスに必要な生徒だ、そう判断しただけのことだよ」
- 「なら、あなたは誰が不要だと思うか見えたの?」
- 「うん。見えたよ」
- 言い切った平田に、堀北が言葉を飲み込む。
- 「……それが誰か聞かせてもらえるのかしら?」
- 「今から言うよ」
- ゆっくりと自分の席から移動し、平田は教壇へと立った。
- ちょうど昨日堀北がしたように。
- 「僕は、このクラスが大好きだ。全員が、必要な存在だと思っている。誰に何を言われても、その結論は変わらない。だけどそれじゃ解決しないことも、もうわかってる」
- 悩みぬいた末、平田がたどり着いた答え。
- 昨日聞いたことと、何も変わってはいないだろう。
- 「僕の名前を───批判票に書いて欲しい」
- あるいは、そう思っていた通りの発言が平田から発せられた。
- 「そ、そんなことできるわけないじゃないですか!」
- そう叫ぶみーちゃん。立て続けに他の女子たちからも声が上がる。
- 「僕は退学になってもいい。それだけの覚悟を、今は持てているつもりだよ」
- 「何を言い出すかと思えば……あなた正気?」
- このまま平田の好きに発言させても良いところを、堀北は思わず声を荒げた。
- 「いくら退学者を選びきれないからって、自己犠牲に徹するつもり?」
- 「堀北さんは言ったよね。退学を希望する生徒がいるなら、話は早いって」
- 「それは───」
- 「だから僕が立候補する」
- 「あなたの退学を本心から望む生徒なんて、このクラスにはいないわ。争いを治めるためにクラスのまとめ役であるあなたが抜ける。あまりにも馬鹿げた話よ」
- 「それでも僕は構わない」
- もはやCクラスの中は滅茶苦茶になっていると言ってもいい。
- 誰が誰を落としにかかっても不思議ではなくなったからだ。鍵を握るのは、誰に批判票を入れるかという点から、誰が賞賛票を受けるかに移行し始めた。
- 平田が抜けると、それ以降の試験へのハードルは飛躍するだろう。
- クラスの中心人物を失うリスク。
- 「入れられるわけないよ、平田くんに批判票なんて」
- 篠原、そして女子たちが口々にそう言って平田を擁護する。
- その度に平田は、心に傷を負っていることだろう。
- 「僕を庇ったって得なんてないよ。君らのことは、もう嫌いになったんだ」
- 声のトーンこそいつもの平田だったが、言葉はキツイ。
- 「だから僕を楽にさせて欲しい」
- 「俺は……俺は平田に入れる!」
- 叫んだのは山内。
- 「平田のためにも、俺はそうするべきだと思う!」
- そう、叫び続けて言った。
- 「なるほど。山内くんなりの、最後の抵抗というわけね……」
- 山内は恐らく、昨日のうちに平田に接触した。
- そして退学したくないと懇願し、すがったのだろう。
- それも平田が退学をする意思を固めた理由の1つかも知れない。
- それから長い沈黙の後、茶柱が教室にやって来る。
- 「ではこれよりクラス内投票を始める。名前を呼ばれた生徒から順に、投票室に移動してもらう」
- 教室で一斉に投票を行うことはしないらしい。
- 盗み見ることも不可能じゃないからな。徹底した匿名対応ってことだろう。
- さあ、結果はどうなるか……。
- 1
- Aクラス。結果発表の土曜日、誰もが冷静にその時を待っていた。
- 追加試験が発表された段階での退学者決め。
- それに異論を唱える者は誰一人いなかった。
- 試験の結果を告げるチャイムと共に、真嶋が教室へと入ってくる。
- 常に冷静な男は、今日という日を迎えても何も思うことはない。
- いや、思わないようにしている。
- 高度育成高等学校に教師として赴任して4年目。
- 幾度となく退学していく生徒を見てきた。
- 「これより、追加特別試験の結果を発表する。まずは賞賛票を一番多く集めた者……1位は坂柳、おまえだ。36票の獲得となる」
- 「まさか私が選ばれるとは思いもしませんでした、ありがとうございます」
- 社交辞令のように答える。クラスのほぼ全員から与えられた賞賛票。
- 「続いて……もっともクラスからの批判票を集めた者を発表する。わかっていると思うが、ここで名前を呼ばれた者は退学という形になる。この後荷物をまとめ、私と一緒に職員室へと来てもらうことになるだろう」
- どよめきやざわめきなど起こらない。
- ただ粛々と、退学者の名前が呼ばれるのを待つAクラスの生徒たち。
- 「───最下位は、批判票、36票を集めた生徒」
- 一瞬の沈黙。
- そして───。
- 「戸塚弥彦」
- 名前が発せられる。
- 静寂な教室に響き渡る、一人の生徒の名前。
- 「バカな、どういうことだ!」
- 結果が発表された直後、葛城は声を荒げ立ち上がった。
- 「か、葛城さん……え、なんで、え……?」
- 戸塚自身も信じられないといった様子で、葛城の顔を見る。
- 結果は戸塚への圧倒的多数による批判票。36票を獲得しての退学。
- そして一斉にすべての生徒の賞賛、批判票の結果が発表される。
- 葛城の結果は戸塚の一つ上、批判票30票という結果だった。
- 「どういうことですか先生、退学すべきは俺のはずでは───」
- 「結果に間違いはない」
- 葛城の問いかけに、静かな口調で返す真嶋。
- そんな理解不能な状況を変えるように、一人の少女が口を開いた。
- 「葛城くんは、あなたに賞賛票を入れてくれたようですね。良かったですね」
- それで事態を把握する。
- これは何らかの手違いで起きたものではなく、仕組まれていたものだと。
- 「待て坂柳! 俺が退学するはずではなかったのか!」
- 「葛城くんが退学、ですか? あなたは最初からターゲットではありませんでしたよ」
- ばっさりと、そう言い切る。
- 「冗談はよせ。おまえは確かに言っていたはずだ、俺を落とすと!」
- 「そう言えばそうでしたね。私があなたを落とすと口にしていたのは……あれは嘘です」
- 柔らかく微笑む坂柳に、悪びれた様子など欠片もなかった。
- 「何故だ……何故っ!」
- 「答えはシンプル。戸塚くんはAクラスに何もメリットを生み出さないからです。一方で葛城くん、あなたは頭の回転も早く、運動神経もけして悪くはない。冷静さも兼ね備えているあなたは、それなりに役に立ちます。不要な人間を処理するのに打ってつけのこの試験で、優秀な人間を切るバカはいません」
- 「ぐっ!」
- もっとも坂柳の狙いはそれだけではない。
- 葛城についていた生徒は元々、戸塚だけではなかった。裏切り者には容赦なく懲罰を下すという見せしめの意味でも、戸塚の退学は大きな影響をAクラスに与えただろう。
- 葛城に協力すれば、真っ先に処罰されてしまうことを植え付ける。
- 「なぜこんな回りくどいことをした……」
- 「極力リスクを避けるのは当然のことでは? この試験、賞賛票を多く握っているのは他クラス。もし戸塚くんが自力で賞賛票を集めていたら、Aクラスがどれだけ彼を退学にしようと思っても出来ませんから」
- 他クラスの気まぐれで戸塚を救おうとする動きが出てこないとも言い切れない。
- だが葛城に白羽の矢を立てておけば、誰も戸塚に賞賛票を入れようとはしない。
- 「お疲れ様でした戸塚くん。この学校を去ってもお元気で」
- 「う、く、くっ……! 畜生、畜生っ……!」
- 崩れるように背中を丸める戸塚に、葛城は声をかけに行くことも出来ないでいた。
- 葛城が退学にならなかったということに、本来であれば戸塚は多いに喜んだだろう。
- しかし自分が退学になってしまった今、もはやそんなことはどうでもよくなる。
- むしろ何故、葛城ではなく自分なのかと恨みを抱くほどに。
- 葛城が退学になっていれば、戸塚弥彦はAクラスに留まることが出来た。気に食わないと思いながらも坂柳についていき卒業。そして勝ち組になれた。
- 悪いと思いながらも、薄っすらと思い描き始めていた自分のこの先の未来。
- その全てを不意打ちで失った。
- 「2000万ポイントによる救済は───行えないだろう」
- 「ええ。私たちのポイントを全て足しても、残念ながら届きません」
- 「戸塚、この決定を覆す方法は……もはや存在しない」
- 担任教師である真嶋も心に負った痛みを隠しながら、そう告げる。
- 「…………」
- 戸塚は言葉を失い、ただゆっくりと頷くことしかできなかった。
- 「ひとまず戸塚を職員室に連れていく。荷物は後で俺がまとめておこう」
- せめてもの配慮として、真嶋はそう言って戸塚に退室を求めた。
- 退学が決まった状況で教室に残り続けても、心が痛むだけだからだ。
- 「ところで真嶋先生───。1つお聞きしてもよろしいでしょうか」
- 「なんだ坂柳」
- 戸塚を連れ教室を後にしようとする真嶋を呼び止める坂柳。
- 真嶋は戸塚に廊下で待つよう指示を出し先に行かせる。
- 「今回の試験では戸塚くんが悲しき犠牲となってしまいましたが……。他クラスの生徒も誰が退学になるかは既に決まっておられるのですよね?」
- 「暫定的にはな。確定次第、一階の掲示板に結果が張り出されることになる」
- 「その結果次第では、葛城くんには影響が出る恐れはないのですか?」
- 「何を言っている坂柳」
- 「参考までにお聞きしているだけです」
- 真嶋も葛城同様、僅かな時間坂柳の言葉を理解できなかったようだ。
- もしやという可能性を考慮していなかった。
- しかし坂柳の不敵な笑みを見て真嶋は考えを改める。
- 「……誰が退学になろうと、影響はない。『アレ』はそういうものではない。もし影響があるようなら、おまえも安易に誰かを退学になど追い込めないだろう」
- 「確かにそうですね、ありがとうございます」
- 真嶋が教室を出たところで、葛城は静かに坂柳に詰め寄っていく。
- 慌てて立ち上がった橋本と鬼頭が、それを塞ぐように立ちはだかる。
- 万が一の暴力行為を止めるためだ。
- だが葛城が言葉を発するよりも先に坂柳が動いた。
- 「私を恨むのは筋違いですよ葛城くん。この試験では必ず誰かが退学にならなければいけなかった試験。あなたであろうと戸塚くんであろうと、結果は真摯に受け止めていただかないと。投票をしたのは他でもない、ここにいるAクラスの生徒たちなのですから」
- 「……分かっている」
- 暴力行為など最初から想定にはなかったが、葛城は坂柳に不満をぶつけるつもりだった。
- だが、その切っ先を坂柳に折られてしまう。
- 「それならば良いのです。この先自暴自棄になられて、Aクラスの足を引っ張っていただきたくありませんから。ですが万が一……あなたがAクラスに仇なすことがあれば……」
- 「分かっていると言っただろう。これ以上他の生徒を狙う真似はするな」
- 「話が早くて助かります」
- もしも葛城が、戸塚を退学にされた恨みから坂柳に牙を剥けば、次は戸塚ではない誰かをAクラスから排除する。そういう脅し。従順に従うのなら、葛城はAクラスでも上位に貢献できる存在であることを坂柳はよく知っている。
- これで葛城は完全に屈服した。坂柳に対して、成す術もなく白旗を上げたことになる。
- 「さて───他のクラスは今頃、どうなっているんでしょうね」
- もちろん、坂柳にとってみればBクラスやDクラスなどは論外。
- あくまでも綾小路の在籍するCクラスの結果だけが、楽しみで仕方がなかった。
- 2
- Cクラス。
- カタカタと貧乏揺すりをする山内の音が、やけに耳に障った。
- 「おい……ちょっと静かにしろよ春樹」
- 小声で注意する池。
- 「う、うるせえな。わかってるよ」
- 「フフフ。どうせ君の敗北は決まっているようなものだよ、違うかい?」
- 「なんだよ。何言ってんだよ高円寺。俺は退学になんかならねえって」
- 山内がゆらりと後ろを振り返り不気味に笑った。
- 「このクラスでは、恐らくかなりの生徒が君の名前を書いたはずだよ」
- 高円寺に煽られている山内を、池や須藤は助けられずにいた。
- 「そんなことはない。今回退学するのは僕だよ」
- 「まだそんなことを言っているのかい君は。何も見えていないんだねぇ」
- 「……どういうことかな」
- 高円寺は、不敵に笑いながら携帯を取り出した。
- 「僕のところにクラスの女子何人かからメッセージが回ってきたよ。メッセージはこうさ。『明日平田くんは、自分を犠牲にして退学になるつもりだと思う。皆の悪口や酷い態度を取るかも知れないけどそれは本心じゃない。信じて賞賛票だけを入れてあげて』とね。君や山内くん以外には届いてるんじゃないかな?」
- 平田が高円寺に近づき、携帯に目を通す。
- 「こんなメッセージを見せられたら、多くの生徒が同情する。君がクラスのために行動してきた1年間は幻じゃないからねぇ。むしろ賞賛票が増えたんじゃないかな?」
- 「そんな……」
- 平田が批判票で上位に食い込む線は消えた。
- それで慌てるのは、当然退学の危機に晒されている生徒だ。
- 「あなたは冷静ね。まるでもう、結果が見えているみたい」
- 「おまえだって分かってるだろ」
- 「だとしても、そこまで堂々とは待てないわ。余程の確信がなければ、不安は残るもの」
- 「震えて待っているのは彼だけだよ」
- ほぼ全生徒の視線が、山内の背中に突き刺さる。
- それを受け山内は何を答えるのか。
- ゆっくりと立ち上がり高円寺の方を振り返る山内。
- その顔には勝機が見え隠れしていた。
- 「……へっ」
- そんな高円寺に対し、山内が鼻で笑う。
- 「もういいか、話しちゃってもさ……。退学するのは俺じゃないんだよ」
- 「ほう? 理由を聞こうか」
- 「いいぜ、教えてやるよ」
- 好き放題されるのが、もはや我慢ならなかったようだ。
- 「何人がこの中で俺に批判票を入れたんだよ。20人? 30人か? 俺は別に、おまえらを裏切ったわけじゃないのに酷い仕打ちだよホント! でもいいさ、許してやるって」
- へらへら笑いだし、近くの池の肩を叩く。
- 「悪かったな寛治。沢山心配させて」
- 「あ、ああ」
- 何が何だか分からず、池は頷くしか出来なかった。
- 「このクラスで退学候補なんて、数人じゃん? 俺か、寛治か須藤、高円寺に綾小路。そんなところだけどさ、そいつらって何票賞賛票が取れるんだろうな。心配だよ俺は」
- 「まるで君は、賞賛票が沢山取れるような言い回しだね」
- 「そうさ。事実取れるんだよ」
- 「仲のいい友人が、同情して君に賞賛票を入れているとしても、精々4、5票だ。それでセーフティーゾーンだと言えるのかな?」
- 「いいんだよ。それだけあれば十分さ。は、はは……そう、無駄、無駄なんだよ」
- 山内は派手に腕を突き上げる。
- 「俺はさ、坂柳ちゃんに賞賛票を20票もらうって約束してるんだよ。つまり、クラスの大半が批判票を投票したって、俺は退学にならないんだ!」
- もはや隠しても無駄だと悟った山内は手の内を見せることにしたようだ。
- 「だから何人書いたって無駄なんだよ……俺はAクラスに守られてるんだ!」
- 投票は既に終わっている。
- 山内が坂柳とそんな約束をしたのは事実だろう。
- Cクラスから5票、Aクラスから20票受け取っていると仮定するなら、山内の最終結果はどれほど悪くても批判票9票までと言うことになる。
- 確かにその結果なら、まず退学ってことにはならない。
- オレや高円寺。あるいは次点に挙げられていた須藤や池が危ないことになる。
- 「なら、なぜそこまで不安になる必要があるのかな?」
- 小刻みに震え、落ち着きのなかった山内。
- それは心理的に不安が大きかったことを証明している。
- 「それは……」
- 「敵と約束をするのなら、しっかりと契約を交わしたのかい? 交渉の基本だよ?」
- 「い、いや、だからそれは……」
- 「口約束なんて反故にされるのが落ち。リトルガールはそれほど優しくはない」
- 「わかってるんだよそんなこと! でも大丈夫なんだよ!」
- 高円寺の言葉など、山内に届くわけもない。
- もはや賞賛票を貰えたと信じることしか、山内には出来ない。
- 昨日の夜、きっと何度も坂柳に確認したに違いない。
- 「これはこれは、それなら安心だねぇ。私が君に投じた批判票は無意味だったかな?」
- 「そうさ、無意味だよ無意味!」
- 「静かにしろ山内。廊下にまで叫び声が聞こえてきたぞ」
- そのタイミングで、茶柱がCクラスへとやってきた。
- 「待たせたな。これからCクラスの結果発表を行う。全員席につけ」
- ついに審判の時が来た。
- 間もなくこのクラスから、一人の生徒が退学する。
- 大丈夫だと自分に言い聞かせる山内。
- 次点で退学者候補だと告げられた須藤と池。
- 冷静に時を待つ平田。
- いつもと変わらない高円寺。
- そして静観するオレや堀北。
- あるいは、それ以外の誰か。
- 「ではまず、賞賛票の上位3名の発表から行う。3位は───櫛田桔梗」
- 上位陣で名前を呼ばれ、櫛田は安心のため息をついた。
- 昨日山内にターゲットにされたことが、逆に賞賛票を集める結果になったか。
- クラスメイトに慕われていることを踏まえれば順当なところだ。
- 「次いで……2位だが……」
- 少しだけゆっくり読み上げる茶柱。
- オレにも結果がどうであるかは、予測しきることは出来ない。
- 「平田洋介、おまえだ」
- 「っ!」
- 自らの名前を呼ばれた瞬間、平田は目を閉じ天を仰いだ。
- クラスメイトの前で見せた醜態も、大きなマイナスには繋がらない。
- それだけ平田は、この1年間身を粉にして尽力してきた。
- 特に女子からの信頼は絶大なものだろう。
- オレが根回しして恵にメッセージを回させなかったとしても、ほぼ揺るがなかったな。
- 「で、でもさ、平田が2位って……1位は誰だよ」
- 本来は平田と櫛田のツートップが予想された。
- 3位と2位で十分予想通りの期待には応えているが、その2人を抑えた人物がいる。
- 「───1位は……」
- 名前を読み上げる前、一度笑った茶柱。
- オレは一度目を閉じる。
- 「綾小路清隆。おまえだ」
- やっぱりそういう結果になったか。
- 「な、なんで!?」
- 真っ先に反応したのは、最下位を争うはずだった山内。
- 「批判票1位の間違いじゃないんですか、先生!」
- 「いいや。賞賛票1位で間違いない。42票という見事な結果だ」
- クラスの大枠を越えた賞賛票に、クラスメイト全員が驚いたことだろう。
- 「あなた、何をしたの……」
- 隣の堀北も驚きを隠せない。
- 「言っただろ。オレは何もしてない」
- 何かをしていたのは、すべて坂柳一人だ。
- 「そして批判票の1位は、33票獲得した生徒。残念ながらおまえだ、山内春樹」
- 二度、崖の下へと叩きつけられる。
- 理解が及ばないまま、ただ退学が告げられる。
- 「さ、さんじゅうさんひょう!?」
- これでAクラスからは賞賛票が流れなかったことがほぼ証明されたな。
- 2位は須藤の21票。3位は池の20票。
- 友人たちもけして安全なゾーンにいたわけじゃないことが分かる。
- 「嫌だ! なんで、なんで俺が退学しなきゃならないんだよ!!」
- 山内は近づいてきた茶柱の腕を振りほどく。
- 「……春樹……」
- 友人である池、須藤は目を伏せることしか出来ない。
- 何とか残ってほしいと思いながらも、結果の時を待っていただろう。
- そして同時に痛感したはずだ。
- 山内が落ちなければ、自分たちがどうなっていたか分からないと。
- 「なんで、なんでなんで! なんでだよ!! こんなふざけた試験、ふざけた試験で!」
- 「どう思うのもお前の勝手だが、この決定は取り消せないぞ山内」
- 「うるっせえ~~~~!!」
- 腹の底から叫ぶ。
- 受け入れがたい現実に、咆哮する。
- 「そうだ。坂柳、坂柳に聞いてくださいよ! 俺に賞賛票入れるって話だったんですよ! 約束を守らないなんて、許されていいんですか!」
- 「その明確な約束を示すモノを、おまえは持っているのか?」
- 茶柱が問う。
- 「約束したんですよ! カラオケで! 俺聞いたんですから!」
- 「信じてやりたい気持ちはあるが、それでは何の証明にもならない」
- 「ひでぇ、ひでぇよ……!」
- 「退室だ山内」
- そう告げられても、体は動かない。
- 「早く退室したまえよ。君の存在はもはやデリートされたのだよ」
- 「認めてねえよ俺は!」
- 「最後の最後まで君は惨めで醜く、救いようのない不良品というわけか」
- 高円寺の執拗な煽り、挑発に山内がキレた。
- 「あああああああああああああああ!!」
- 自分の座っていた椅子を握りしめ、高円寺に向かって突撃する。
- 振り上げた両腕を、高円寺の頭部に振り下ろす。
- 直撃すれば痛いでは済まないが、単調な攻撃がヒットするほど高円寺は甘くない。
- 軽々と椅子の足を掴み振り下ろしを阻止すると、強引に山内を引き寄せる。
- 「私に殺意を向けたんだ。何をされても文句は言えないよ?」
- 山内の顔が引きつる。
- 「そこまでだ」
- 高円寺の危険な気配を察知し、茶柱がそれを止める。
- それを受け高円寺は、椅子から素早く手を放した。
- 「これ以上はやめておけ山内。おまえのためだ」
- クラスメイトからの悲痛な視線。
- 憐れむ視線。
- 山内の中で、何かが壊れていく。
- 「う、うああああ!」
- その場に崩れ、鳴き声とも悲鳴とも取れる声をあげる。
- 「……退室だ」
- 茶柱に改めて言われ、山内は最後の抗いを失った。
- 3
- 一人欠けた教室。
- それはいつもの教室とは、やはり大きく異なっていた。
- 重苦しい空気。晴れない心。
- 誰が退学になっても、きっとそれは変わらなかったものだろう。
- それでも誰かが消えなければならないのなら、当然優劣を決める必要がある。
- クラスにとって必要な生徒は誰なのか。
- クラスにとって不要な生徒は誰なのか。
- それを決めなければならない。
- 一人、誰かが席を立った。
- それを皮切りに、皆が口数少なく帰路に着く。
- 一日休みを挟んで、また月曜日が来ればこの教室に顔を見せる。
- その時には山内の姿はない。
- 「思ったよりも重症ね、彼」
- 彼、とはもちろん平田のことだ。
- ボーっと座ったまま、動こうとしない平田。
- 山内がいなくなってから、平田はずっと半放心状態だった。
- 「平田くん……あの……」
- それを心配したみーちゃんが、恐る恐る声をかける。
- だが平田は軽く視線を向けただけで、何かを話そうとはしなかった。
- このクラスに対して、今平田は何を思っているのだろうか。
- それは本人にしかわからないことだが、前を向いてもらうしかない。
- そんな平田の様子を見ていられなくなった生徒たちは、ゆっくりと帰り支度を始めた。
- 須藤や池もまた、静かに教室を出ていく。
- 『今日は、私たちも大人しくしておこっか』
- そんな波瑠加からのチャットに、全員が同意していく。
- 「帰るか」
- 鞄を持って教室を出ようとする。
- オレは、まだ教室に残っていた高円寺の前で一度立ち止まった。
- 「なんだい綾小路ボーイ」
- 「おまえがクラスのために行動するとは思わなかった」
- 「それはそうさ。私としても退学を避けるためには堀北ガールの協力をするよ」
- 「そのことじゃない。山内を執拗に煽って、あいつの憎まれ役を一手に引き受けただろ」
- 退学となれば山内はクラスメイトを憎む。
- だが高円寺は終始、誰よりも山内を煽り続け、その対象を自分だけに向けさせていた。
- 退学を告知され明らかに理性を失っていた山内を自分の手で処理した。
- 周囲の目には、ただ単純に嫌な奴に見えていたかもしれないが。
- 「さて、覚えはないねぇ。醜く散る彼を一番間近で見たかっただけさ」
- 「そうか。ならそういうことにしておく」
- 教室を出ると、その後を堀北がすぐに追ってきて、オレの腕を掴んだ。
- 「綾小路くん。あなた……いつからどこまで見えていたの?」
- オレはこの試験、坂柳に停戦を申し入れられた時点で9割以上、退学の心配はないと思っていた。あいつが無意味な騙し討ちでオレに勝ちたいなどと思っていないことは明白。停戦という嘘を使ってオレを退学に追い込めたとして、喜ぶはずはない。
- 一方で、山内を使ってオレを退学に追い込もうと動いていた。
- つまり違反に触れてもおかしくないこと。つまり矛盾が生じる。
- それを無くすためには、批判票を無効化出来るだけのことをしなければならない。
- つまり、Aクラスの持つ他クラスへの賞賛票の大半をオレに入れること。
- こうすることでCクラスの批判票がオレに20票30票集まろうとも、オレは一気にプラス域に突入する。絶対な安全圏。なら、何のためにこんなことをしたのか。それは山内春樹を退学に追い込むためだろう。悪役に仕立てあげることで、Cクラス内での評価を下げさせた。もちろん、これは100%とは言えない。僅かながら坂柳がオレを騙し討ちして退学させようとしている線を消しきることは出来ない。
- だからオレは堀北を焚きつけ、山内を葬るための手段にした。また周囲に無害なオレが蹴落とされそうになっていることを知らせることで、同情や守りの賞賛票を集めることにも繋げた。1位になったのは少々出来すぎだったが。
- 「言わなかったか? オレは今回の試験に、ハッキリとした意味じゃ参加してない」
- 「……でも……」
- 「それじゃ帰る」
- 「綾小路くん!!」
- その場に立ち尽くす堀北からの叫び。
- 「あなたなんじゃないの……? 兄さんに、山内くんと坂柳さんの関係を伝えたのは」
- それに応えることなく、オレは階段を降りる。
- 一階にある掲示板を覗きに来た。
- 今回の試験結果、他クラスがどうであったかが記載されている。
- クラス内投票結果
- 退学者
- Aクラス 戸塚弥彦
- Bクラス なし
- Cクラス 山内春樹
- Dクラス 真鍋志保
- 以上3名。
- この試験によるクラスポイントの変動はなし。
- 「弥彦か……あいつが葛城の名前を口にしたのは、やっぱりフェイクだったか」
- 批判票の結果に対して賞賛票の1位は、Aクラスは坂柳、Bクラスは一之瀬、Dクラスは金田だった。金田が賞賛票27票と最少数での1位に対し、一之瀬は圧巻の98票。Aクラスの殆どがオレに全部の賞賛票を入れた結果から見れば、どれだけの生徒が一之瀬を評価しているかが分かる。
- この試験結果を確認するためか、ある生徒が姿を見せる。
- 葛城と、そしてほぼ時を同じくして龍園が姿を見せた。
- 「おまえも退学しなかったんだな、葛城」
- 「……それはこちらのセリフだ。おまえこそ消えると思っていた」
- 「クク。どうやら俺には死神が味方してくれてるらしいからな」
- 「死神だと?」
- 「気にすんな。お前には見えない死神だからな」
- 笑って、龍園は結果を見る。
- 「しかし坂柳のヤツも面白い手を打つじゃねえか。あえておまえの唯一の味方を切り捨てて見せるなんてよ」
- 愉快そうに話す龍園の傍で、葛城は悔しそうな顔を滲ませた。
- 「完全に心を摘み取られたか」
- 「これ以上俺がむやみに動いても、何一つ得はない」
- 「大人しく卒業まで坂柳について行くのか? 面白い冗談だぜ」
- 「…………」
- 僅かな沈黙。
- だが、その葛城の顔にはどこか鬼気迫るものがあった。
- ずっと葛城を慕ってきた弥彦の脱落。
- それは同時に、葛城にとって守るべき存在の欠落に他ならない。
- 「なんだよ葛城。おまえもそんな顔が出来るんだな」
- その様子を見て、龍園もまたオレと似たような感想を抱いたかも知れない。
- 「今のおまえなら坂柳に一杯食わせることも出来そうだぜ」
- 「……冗談はよせ。それより貴様こそどうするつもりだ。死神に拾われた命だろう。また坂柳や一之瀬、堀北に対して勝負を挑んでいくのか?」
- 「俺は興味ねえよ」
- 即座に吐き捨てる。
- 「おまえらAクラスとの契約はまだ生きてる。俺は地味に搾取を続けて、もうしばらく適当に遊ばせてもらうさ。今日はその礼を言っておこうと思ったのさ」
- どうやら、それでこの場がセッティングされたらしい。
- 龍園にしてみれば、葛城の退学でも契約は破棄になっていただろうからな。
- 一足先に葛城は帰路に着くようだった。残されたのはオレと龍園。
- 「少しだけツラ貸せよ」
- オレは否定することなく、龍園に先導されるまま校舎裏へ。
- 「いつからおまえは善人になったんだ? 綾小路」
- 「オレは何も関与してない。って言っても通じる相手じゃなさそうだな」
- 何をしたのか。龍園にはすでに見えているはずだ。
- 「オレが何かしたというより、おまえを慕う連中が行動を起こしただけなんだけどな」
- 数日前のことを思い出すように、オレは空を見上げた。
- 4
- 今回の結果、Bクラスからの退学者不在。そして龍園の残留。
- この2つの大きな出来事には、オレが裏で関与していた。
- それは、ひよりと図書館で会い、一之瀬を部屋に呼び出した日の夜にまで遡る。
- 夜中の10時を回った頃、部屋のチャイムが鳴った。
- オレの部屋を訪ねてくる友人は少ない。
- 堀北か、櫛田、あるいは綾小路グループの誰か。
- しかし大抵の場合は事前にチャットなりメールで事前連絡が入る。
- ところが携帯には何一つ連絡が来ていない。つまりその手の客人じゃないということ。
- 一体誰が訪ねてきたというのか。
- 「……初訪問、だな」
- インターフォンに映し出されたのは、思ってもいなかった2人組。
- 寒そうにしながらこちらの応対を待っている。
- 「門限……は上層階だけだったか」
- 午後8時以降、女子のいるエリアに立ち入ることは原則として禁止だ。
- まあ、規則を破ってもバレなければ大事にはならないし、バレたところで一度や二度では厳罰は待っていないが。ともかく女子がやってくる分にはルール上問題がない。
- 「はい」
- こっちとしては歓迎というわけじゃないが、いつも通り対応することにした。
- 「……ちょっと話がある」
- 男の方がそう言って切り出した。カメラを覗き込み、瞳がアップで映し出される。
- 流石にインターフォン越しに話をするような感じじゃないよな。
- 「ちょっと待ってくれ」
- 玄関に向かい鍵を開ける。すると勢いよく扉が開き……Dクラスの石崎が入ってきた。
- 下手したら殴り掛かる勢いだ。
- 「邪魔するぜ。おまえも早く入れよ、寒いんだからよ」
- 「だからなんで私が……」
- そう不満を漏らしながら姿を見せたのは、同じくDクラスの伊吹。
- 「いいから早くしろって」
- 「ったく」
- 石崎に急かされるように、玄関に入る。
- 確かに冷え込む風が入ってくるので、急いで扉を閉めた。
- 玄関では隙間風が身に染みると思い部屋にあげる。
- 「それで、こんな夜中に何の用だ?」
- こちらから聞き出すと、石崎は勢いよく手を合わせた。
- 「頼む綾小路! 龍園さんを退学にさせないで済む方法を教えてくれ!!」
- 「……なに?」
- 夜中に2人押しかけてきたと思ったら、とんでもない頼みごとをされてしまう。
- 「聞き間違いか? もう一度言ってもらってもいいか?」
- 「だからよ! 龍園さんを退学にさせない方法を教えろって言ってんだよ!」
- どうやら聞き間違いではなかったらしい。
- 「やめときなって石崎。綾小路が協力するわけないでしょ」
- どうやら伊吹は石崎とは違い、オレに頼みにきたってわけではないらしい。
- 「そりゃ、そうだけどよ。でも綾小路くらいしか思いつかなかったんだよ」
- 「知らないし。あ、私は無理やり石崎に連れてこられただけだから。電話がしつこいのなんの……」
- そう言ってため息をつき、呆れて携帯の画面を見せる。
- 石崎からの着信履歴が50件以上も入っていた。
- 「俺一人で頼みにいけるかよっ。敵だぞ敵!」
- 「それ私がいたって一緒でしょ。ホントバカよね」
- 「っせぇな……」
- 石崎も伊吹も、互いにブツブツ言い合う。
- 「龍園から送り込まれた刺客、ってこともないんだろうな」
- 演技だとしたら大したものだが、そういうわけじゃないだろう。
- 「あるわけないだろ。龍園さんが……そんなこと俺らに頼むわけねえのはおまえだって分かってるだろ」
- 「だな」
- 既に龍園は、石崎に敗れたという形で幕引きをしている。
- 事実、退学する意思は固そうだった。
- 仮に退学しないつもりなのだとしても、オレには頼ってこない。
- 恥の上塗りのようなことを龍園が喜ぶわけないからだ。
- 「あんたマジで龍園に退学して欲しくないわけ? 色々思うことだってあるでしょ」
- 「……そりゃ……色々あった。けど、今は違うんだよ」
- 「何が」
- 「あ? 何がって何がだよ」
- 「だから、今は違うって何?」
- 「龍園さんがDクラスに必要な存在だって分かるだろうがっ」
- 「わかんないわね。あいつのせいでどれだけ苦労させられたと思ってんのよ」
- 本当にまとまりなく、俺の下を訪ねてきたようだな。
- 互いに意思疎通が出来ていないというか、なんというか。
- 「とりあえず、喧嘩するなら後でしてくれ」
- 2人が睨み合うのを止める。
- 「あー帰りたい」
- 意見の合わない2人。特に伊吹は険しい表情を浮かべたままだ。
- 「帰りたいとか言ってんじゃねえよ。おまえも綾小路を説得しろって」
- 「嫌だってば」
- 「喧嘩なら他所でやってくれ」
- 一向に前に進む気配がないので、オレから話を聞いてみることにしよう。
- 「龍園はクラスから嫌われてる。外から見るとそう見えるが、それは間違いないよな?」
- 「まあ、な……結構嫌われてる、かもな」
- 「結構って言うか、ほぼ全部でしょ。そんなとこで嘘ついても意味ないでしょ」
- 「うっせぇな! そこは結構でいいじゃねえか!」
- 「あーうるさいうるさい。てか唾散るから叫ばないで」
- 「だから喧嘩は後にしてくれ」
- 狭い部屋で騒がれたら隣の部屋にも響く。
- ちょっと怒った風に言ったことで、やっと2人も少し落ち着いたようだ。
- 招かれた場所じゃないのを理解してくれたか。
- それなら話を進めることができる。
- 「龍園の退学を止めるのは無茶だ」
- 包み込むような表現はせず、ストレートに伝えた。
- その方がこの2人には上手く伝わると思ったからだ。
- 「でしょうね」
- 伊吹は理解したと頷く。
- だが、石崎はそう簡単に納得できるわけじゃないようだ。
- 「そこを、何とかならねえのかよ!」
- 勢いだけは本物だな。龍園を救いたいって気持ちだけは間違いなさそうだ。
- 「本気で龍園の退学を止めたいんだな」
- 「……ああ」
- オレや伊吹、少数を除き、多くの生徒は石崎が龍園を嫌っていると思っている。
- もちろんそれはオレや龍園との出来事があったためだが、それでも石崎はこれまで龍園に多くを虐げられてきた。それを頭を下げたくないオレに頼み込んでまで救いたいと思っているなんてな。
- これもまた1年間という時間の中で培われてきた感情なんだろう。
- ただ、感情だけでどうにかなる試験なら誰も苦労しない。
- 何故難しいのかを、石崎にわかりやすく説明する必要がありそうだ。
- 「無茶だと思う理由は大きく2つ。今回の追加試験はクラス内が持つ批判票の数で決まる。おまえや伊吹、仮にあと2、3人が批判票を入れず、賞賛票を龍園に入れたとしても、批判票は30票を超えてくる可能性が高い。他の誰だって退学するのは嫌なはずだからな」
- 「け、けどよ、龍園さんの力抜きで勝ち上がれると思ってるヤツは少ないぜ?」
- 確かに、Dクラスの中には龍園の力を認めてる生徒もいるだろう。
- だが、それだけじゃまだまだ弱い。
- 自分が退学するかも知れないというリスクに抗えるものではない。
- 「嫌われ者の龍園を狙い撃ちにするのが、一番心が痛まないからね」
- 伊吹の指摘通りだ。
- 「最悪上のクラスには上がれなくても、安全に卒業まで行きたいでしょ。誰だって高校中退なんて肩書きを持つことだけは避けたいんだし」
- 恐らくクラス内では、そう言った話し合いは既に行われているはずだ。
- 石崎の顔には、そう書いてある。
- 「龍園に反旗を翻した代表扱いのおまえなら、もう聞いてるんだろ?」
- 頷く石崎。表向きは石崎も賛同の姿勢を示しているだろうからな。
- 「伊吹と、アルベルト、それから椎名。その3人以外は全員龍園さんの退学に賛同してると思うぜ」
- 「どう見ても詰んでるでしょ?」
- 「ああ、詰んでるな」
- それも完全に。
- 「だからおまえに頼りに来たんだろ。龍園さんに勝った、おまえに……」
- 「退学を避ける方法があるかないか。それ以前に聞きたいことがある」
- 「なんだよ……」
- 「龍園を助けるってことは、同じクラスメイトの他の誰かが退学になるってことだ。それは分かってるのか?」
- この試験の重要な部分。それを聞いておかなければならない。
- 「それは、そうだけどよ……」
- 「もし分かってるってことなら、クラスに切りたい候補がいるのか?」
- 「い、いねえよ。クラスの仲間を切りたいなんて、思ってねえ」
- 「ならそれはもう矛盾だ。今回の試験は、犠牲者が必ずついて回る仕組みだ」
- 誰かを救いたいと軽々しく口にしていい試験じゃない。
- 「綾小路の言う通りじゃない? もし本気で龍園を助けるってんだったら、あんたが率先して退学すれば? 全員に批判票を投票するように呼びかけたら、もしかしたらあいつを救えるかもね」
- 突き放すような冷たい意見だが、それが事実一番確率が高い方法だろう。
- 龍園はクラスメイトから多くのヘイトを集めている。凡人が持たない度胸や奇策を思いつく人材だとしても、これまでクラスが最下位に転落していることを考えれば切り捨てられるのは必然。
- 「誰も……退学しないで済む方法とかないのかよ」
- 「当然皆考える。そして諦めることだ」
- 「……でしょうね」
- 短く呆れるように伊吹が息を吐いた。
- オレが頼りにならない、というよりも最初から無茶な話だと伊吹は分かっている。
- 「完全に時間の無駄だって。龍園の退学は変えられない」
- 「くそっ……!」
- 石崎は悔しそうに、壁に拳を叩きつけた。
- 「龍園は何もせずに3年間を過ごすつもりだったと思う。けど、今回の追加試験の内容を聞いた時にすぐ頭を切り替えたはずだ。自分が退学させられるなら仕方がないと。だから何も言わずに、追加試験が終わるまで静かに過ごそうとしてるんじゃないのか」
- 自己犠牲なんて綺麗なものを思っちゃいないだろう。
- ただ、抗わないだけ。
- 「それを汲んでやるのも、龍園を慕う人間の役目だ」
- 「俺は、俺はっ……」
- 悔しそうに、強く拳を握る石崎。
- 龍園を救いたい、か。
- 敵がどれだけ多くても、慕ってくれる仲間がいるのは悪いことじゃない。
- あいつは認めないかも知れないが、良い仲間を持ったな龍園。
- 頭の中で、1つのルートが浮かび上がってくる。
- だがそれを行うには足りないものが幾つかある。
- 「何かオレに助言出来ることがあるとすれば……」
- 「なんだ、なんでもいいから言ってくれ!」
- 前のめりになる石崎。藁にも縋る思いなんだろう。
- しかし、残念ながらその希望、藁を断つことになる。
- 「龍園のプライベートポイントをこのまま死なせるのは勿体ない。Aクラスからの見返りを受け取り続けているなら、既に龍園は数百万のポイントが貯まってる。違うか?」
- 「そうね、それくらいは持ってる。使ってなければね」
- 「もし抱えたまま退学の処罰を受けた時、プライベートポイントの移行や分配される保証はどこにもない。それなら退学が確定する前に全てを移動させておくべきだろ。後々Dクラスのためになる」
- 分配されて目減りしてしまうなら、自分の懐に入れてしまった方がいい。
- 龍園もそれくらいなら応えてくれるはずだ。
- 「お、俺が求めてるのはそんなことじゃねえよ! 龍園さんを助ける方法だ!」
- 「やめなって石崎。これ以上は無意味なんだから」
- 伊吹が石崎を軽く蹴り、窘める。
- 「でもね綾小路。私は龍園の貯めたポイントを拾い上げる気はないから」
- 頼み込んで貰うくらいなら捨てた方がマシだと言い切る。
- 「そうか。石崎は?」
- 「ねえよ!」
- どうやら、考え方こそ違っても方向性は同じらしい。
- 龍園が退学するなら、プライベートポイントも捨てる。
- そういう覚悟。
- いや、覚悟なんて立派なモノじゃない。
- 「残念だが、おまえたちに龍園は救えない」
- 「っ!」
- 怒りとも悔しさとも判断のつかない顔でオレを見る石崎。
- 「いいか? おまえたちに出来ることは、プライベートポイントを回収することだけだ。ただ助けたいと口にして誰かを助けられるほど、これは生易しい試験じゃない」
- 「っざけんなよ! 龍園さんからポイント貰ってサヨナラ? できるわけねえだろ!」
- 石崎が拳を振り上げる。その拳をすぐに掴み止めたのは伊吹だった。
- 「無駄なことやめなって。こいつ凡人そうな顔して、えげつない化け物なんだから」
- 「敵わなくたって一発くらい殴れらぁ!」
- 「無理でしょ」
- べしっと頭を引っぱたかれる石崎。
- 「って言うかこっちは無茶なお願いをしに来ただけ。綾小路が言ってることは間違ってないんだから、完全な逆ギレ。みっともないからやめてくれる?」
- 「う……」
- 頭に血の昇っていた石崎。
- 龍園のこととなると、冷静じゃいられないってわけか。
- どうやら2人とも、行動に起こすつもりはないらしい。宙に浮いた数百万ポイントが消えてしまうのは、これからのDクラスを思えば絶対に拾っておくべきものだけどな。
- それを仲間である伊吹や石崎が望まないのであれば、仕方ないが……。
- 「本当はもう少し、おまえたちの覚悟が見たかったんだけどな」
- 「……は? 何よ覚悟って」
- 「龍園からプライベートポイントを回収することも出来ないお前たちには関係のない話だ」
- そう言ってオレはこの話を締めくくった。だがオレは半ば確信していた。伊吹たちは必ず龍園からプライベートポイントを回収してくると。
- 5
- 試験前日の夜。10時を過ぎた所で、オレの携帯が鳴った。
- 「私だけど。龍園のプライベートポイントは全部回収した」
- 伊吹は事実だけを口にする。
- 「よくオレの連絡先が分かったな」
- 聞いてみたが、伊吹からは何も返ってこなかった。
- 確か椎名には番号を教えてたな。その辺りからだろうか。
- 「そうか。回収したか」
- 動くとは思っていたが、かなりギリギリだったな。
- 「今から石崎を連れてオレの部屋に来れるか?」
- 「え? いまから?」
- 「問題があるのか? 回収したプライベートポイントに関することで話がある」
- 「別にないけど……分かった」
- 伊吹は短く承諾し、すぐに石崎に連絡を取ると言って通話を切った。
- 何かを予感していたのか、ものの10分ほどで2人は姿を見せた。
- そのまま、すぐに石崎と伊吹はオレの部屋に上がり込む。
- 「龍園はいくら持ってた?」
- 「500万とちょっと」
- 「十分だ。足りなかったらこっちも慌てて用意しなきゃいけなかったからな」
- やはり使い込んだ形跡はなかったか。
- 「どういうことだよ。何をどうするんだ?」
- まったく先が見えていない石崎。
- 伊吹は既に覚悟を決めているため、迷わない。
- 「これを使って、あんたは何かをするんじゃないの?」
- 「正解だ」
- 「何かって……?」
- 「プライベートポイントを使ってすることは1つだけだ。その金で龍園を救う」
- 「い、いやちょっと待てよ。それって例の2000万ポイントのことじゃねえのか?」
- 到底足りるはずのないポイント。
- 「その前に聞くことがある。石崎。おまえに背負うだけの覚悟があるのか?」
- 「な、なんだよ急に。つか背負う覚悟って……?」
- 「龍園を残すってことは、他の誰かを切るってことだ。言ったよな?」
- 「……ああ」
- 慌てつつも、頷いて見せる石崎。
- 「覚悟は決めた」
- 「そうか。その覚悟ができたならいい。それで、誰を落とす」
- 「誰を落とす……」
- 誰を落とすかまでは決めきれていない石崎。
- 「お前が決められないなら、オレが決めてやってもいい。それで罪悪感が薄れるなら簡単な話だろ。もちろん、オレが不用意に主要人物を落とそうとしていると思ったなら、それに従う必要もないしな」
- 「ま、待ってくれ。少しだけ考えさせてくれ……」
- 「時間はないぞ」
- 「すぐ、すぐに結論を出す」
- そう言っても、それで決まるのなら苦労しない。
- 「ちょっと待ってよ。誰を切るかはいいけど、肝心の戦略は? 金で救うって言ったって1500万ポイントも足りないのよ?」
- 伊吹が苛立つのも無理はない。
- とはいえ、こちらにも事情はある。
- 「龍園を退学にさせないために、誰をターゲットにするかを決めてもらいたい」
- 細かな戦略を話すのはそのあとだ。
- 「例えばクラスの問題児は?」
- 不満を抱える伊吹には悪いが話を進めさせてもらう。
- 「問題児っていやぁ……まぁ俺や小宮もそうだし、女子なら西野か真鍋、ってところか」
- 「龍園を残す上で、おまえのような龍園に対して理解力のあるヤツを切るのは正直得策じゃない。似たような試験がもう一度あれば、次に龍園が残れる保証もないしな」
- それで石崎に浮かんだ生徒がいたのだろう。
- 「つまり西野か真鍋……」
- そう口にした。
- どちらも聞き覚えがある。真鍋に関しては、オレが落とそうと思っていた生徒だ。
- とは言え主導権は石崎たちにある。
- 落とすと決めた生徒の名前を聞き、それに従うつもりだった。
- 「そのどっちを落とすか。あるいは別か。それはおまえが判断すればいい」
- 石崎も真鍋と恵が船上試験の時にひと悶着あったことは知っている。そのことが1%でも考えに影響を及ぼせば、石崎が切る存在は十中八九『真鍋』になるだろう。
- 落とす相手の粗を探す。こういう理由だから、落としても仕方が無い、という心の逃げ道を捜し求める。恵に手を出し藪蛇を突いた真鍋を退学にしても止む無し。
- そういう考えが石崎に芽吹く。
- 既に問題としては封じているものの、恵にとって真鍋の存在が引っかかるものであることは代わりようが無い。それが1つ減るだけでも、恵の心にゆとりが生まれる。同時にオレが排除したことを恵自身に匂わせておけば、こちらに対する信頼度ももう1つ上がる。
- しかし、意外なところからの一声が飛んでくる。
- 「私が決めていい?」
- 「え? おまえ、が?」
- 「そ。私退学させたいヤツがいるから」
- 「誰だ」
- 石崎からのイエスを待たず、オレは聞いた。
- 「真鍋を落としたい。個人的な好き嫌い、ただそれだけだけど」
- 「そんなんで決めていいのかよ」
- 「そんなのだからいいんじゃないの。違う?」
- 伊吹の目には迷いはなさそうだった。それをオレはすぐに理解する。
- 「石崎に異論がなければ、真鍋で決まりだ。ただし、これにはまだ保証がない。龍園の退学がなくなるだけで、批判票を一番多く獲得するヤツが退学する。おまえや伊吹がその対象になる可能性を下げるための方針だ。残された時間は少ないぞ」
- 「わかった……。男子には、調整が入ったつって真鍋に入れさせる。龍園の次に批判票が多かったってことで、ひやひやさせるのが狙いって言えば乗ってくると思う」
- 「悪くないアイデアだ」
- オレは石崎のアイデアを採用する。
- 龍園への批判票が絶対的なら、多少別の生徒の間で行き来があったとしても、然程大きな問題にならないと考える。
- 「……ま、私が沈むかも知れないけど」
- 「あ? どういうことだよ伊吹」
- 「多分真鍋たちは龍園と一緒に私の名前も書いてくる。必然私はピンチってわけ」
- 「ま、待てよ。それマジかよ」
- 「あんた私と真鍋が仲悪いことくらい知ってるでしょ?」
- 「そりゃ、まぁそうだけどよ……」
- 頭の回っていなかった石崎が動揺する。
- 「伊吹も覚悟を決めてきたってことだ」
- もちろん真鍋以外になってしまった時には諦めてもらうしかない。
- 「女子の方はひよりに相談してみればいい」
- 「椎名に?」
- 「今回のことで、何か力になってくれるかもな。龍園を助けるために、真鍋に批判票を集めたいと連絡しておけばいい」
- 「……分かった」
- 伊吹は頷き、ひよりにメッセージを送る。
- 「あんた椎名と繋がってるわけ? あの子が真鍋を落とす戦略に乗ると思えないけど」
- 「軽く今回の試験については聞いてみた」
- あいつも平和主義な生徒だが、それでもクラスを尊重する意思は強かった。
- 「クラスの為になることであれば協力すると言った。龍園が残ることがDクラスのためになると判断しているから手を貸してくれるはずだ」
- 男子と女子の票を可能な限りコントロールする。
- 真鍋に対し賞賛票を減らし批判票を増やす。
- 伊吹に対しての賞賛票を増やし批判票を減らす。
- これだけで、最初はあった大きな開きが一気に激減するだろう。
- 「じゃあ、あんたの戦略教えてよ。500万程度でどうやって救うつもり?」
- 伊吹の早くしてよ、という視線。
- オレは携帯を手に取り、ある人物へとメールを送った。
- するとすぐに既読がつき、オレの部屋に来ると言ってきた。
- タイムリミットまで、あと2時間を切っていたからな。
- よく堪えて待ってくれた。
- 「何してるわけ」
- 「今から1人訪ねてくる。そいつが龍園の退学阻止に対する切り札だ」
- 「退学阻止の……切り札?」
- 俄かには信じられないだろう。
- それから数分して、部屋のチャイムが鳴る。
- 伊吹と石崎は警戒心を強めた。
- 「俺たちがおまえといるところを見ても大丈夫なのか?」
- 「その辺は心配ない。ただしちょっと口裏合わせは頼むことになる」
- 来客が来るまでの間、オレは2人にどう話すかを伝えておいた。
- 6
- 「お邪魔しまーす」
- オレたちの前に姿を見せた来客に、2人は当然驚いた。
- 恐らく想像もしていなかっただろう。
- 「マジ……?」
- 「うお」
- 「わ。もしかしたら誰かいるかもと思ってたけど……こんばんは」
- 「こ、こんばんは」
- なぜかちょっとテレている石崎。
- そう、オレの部屋に来たのは、一之瀬帆波だ。
- そして同席するDクラスの伊吹と石崎。
- 伊吹は一之瀬を見て、ようやく答えにたどり着いたようだ。
- 「利害の一致、ってわけね」
- 「なんだよ。どういうことだよ」
- まだわかっていない石崎は首を傾げる。
- 「そうみたいだね、伊吹さん」
- 「龍園を助ける物好きはいない。仮に賞賛票を投じると言ってくれるヤツが現れたとしても、それが本当かどうかはわからない。だけど……例外もいたっけ」
- 「そ、そうか。一之瀬がBクラスをまとめるってことか……!」
- やっと石崎も理解がおいついたようだ。
- 「うん。私が皆に呼びかけて、Bクラスの持つ40票の賞賛票、その全部を龍園くんに入れるようお願いする。その代わり、伊吹さんは私たちに足りないプライベートポイントを穴埋めしてくれる」
- 打てるべくして打てる一度きりの戦略。
- 入学当初から、プライベートポイントを仲間から集め貯める作戦を考えていた一之瀬と、Aクラスと契約を結びプライベートポイントを蓄え続けた龍園。
- この2人だからこそ実行できるパワープレイだ。
- 「2人が手を組めば、Bクラスからは退学者は出ず、Dクラスには龍園が残る」
- どれだけ多くの批判票を龍園が集めても最大で39票。
- Bクラスからの援護を受けた時点で龍園のマイナスは全て消し飛びプラスに転じる。
- 伊吹と一之瀬は互いに目を合わせる。
- 普段絡むことのない二人の間に、築かれている信頼関係はない。
- だが、目と目を見れば、信用できるかどうかはある程度判断することが可能だ。
- 一度、一之瀬は伊吹から視線を外しオレの目も見てきた。
- 「私は2000万ポイントを使って、退学が決まった生徒を救う……だね」
- そしてもう一度伊吹へと視線を戻す。
- 「どうする。受けるか受けないか、それを決めるのはおまえだ一之瀬」
- 一之瀬には選ぶ権利がある。
- 伊吹たちの提案を蹴って、南雲に力を借りる道もあるからだ。
- 「私の答えは決まったよ。伊吹さんと石崎くんさえよければ、協力させてもらう」
- 「本当にいいわけ?」
- 「うん。2人の気持ちは確かめられたしね」
- 「あんた、バカよね一之瀬」
- 「えっ?」
- 「色々悪い噂流されながらも皆と貯めたポイントを、こんなところで全部吐き出すことになるんだから」
- 「プライベートポイントはまた貯めればいいから。1年あれば2000万に近づくだけのポイントを貯めることも不可能じゃないって分かったしね。それに伊吹さんだって、私のこと言えないと思うよ? 今なら、500万ポイントを自分の懐に仕舞うことだってできる。だけど龍園くんのために、全部使うことを決めたんだから」
- 伊吹は答えず視線を逸らした。
- 「あんたと私は違う。……それに、ウチのクラスは龍園の代わりに泣くヤツが出るんだ。それが私ってことだって十分にある」
- 「それでも助けるんでしょ? 龍園くんを」
- 「あいつに……変な借り作ったまま終わるのが気に入らないだけ」
- 他の仲間に恨まれるのを覚悟での、救済。
- 伊吹は指定された額のプライベートポイントを一之瀬の携帯へと送る。
- 「確認して」
- 「うん」
- 一之瀬はすぐに、自分のポイント残高をチェックし、2000万に届いているかを見る。
- 「ありがとう。綺麗に届いたよ」
- 携帯を見せ、きっちり2000万ポイントであることを証明する。
- 「ここでの交渉は、オレが証人になる。会話の内容も記録させてもらった」
- 携帯を出し、公平性を示す。
- 「伊吹は約400万ポイントの提供。一之瀬は見返りに、40人全てが龍園に対し賞賛票を入れること。もし破った場合は───」
- 「責任を果たしたことにはならないと思うけど、私は自主退学するよ」
- もちろん、そんなことにはならないとオレも伊吹も、石崎も思っている。
- 巨額の金が実際にやり取りがあったことは学校の記録にも残るし、詐欺取引と思われても不思議ではないからな。
- ただ、一之瀬帆波だからこそ、伊吹たちも安心して任せられる部分はあるだろう。
- これがオレと一之瀬、そして伊吹と石崎との間にあった話。
- 7
- 校舎裏は静かなものだった。
- 「おまえが本気を出せば退学しないで済む。そう断言したのはこの手があったからだろ?」
- 「ああ。一之瀬のヤツがポイントを貯めこんでることは分かってたからな。それにあのお人好しぶりだ。俺のことを嫌ってようが交渉する余地はあると思っていた。だが、伊吹にはプライベートポイントを使って交渉できるだけの話術や知恵がない。だから安心して預けたつもりだったが……おまえが絡んでたとはな」
- 「頼られたついでに、伊吹たちを利用させてもらった。オレにとっちゃ一之瀬と信頼関係を構築する上でありがたいイベントだったからな。オレが直接おまえのところに出向いたら作戦を見抜いて、ポイントを渡さなかっただろ?」
- 「伊吹に何も説明しなかったのは正解だったな」
- そんなことをすれば、龍園なら勘繰る。背後にオレがいることを見透かしてくる。
- 「真鍋のヤツをターゲットにしたのはおまえか?」
- 恵が真鍋の虐めのターゲットになっていたことから、そう考えるのは当然だ。
- 「いや、それは単に偶然だ。伊吹とも仲が悪かったのは知ってるよな?」
- 「なるほど、あいつにしちゃ思い切ったな。真鍋のヤツ、阿鼻叫喚してたぜ」
- 教室でどんな反応を見せたかは、何となく想像がつく。
- 「石崎と伊吹に救われたってわけか。ありがた迷惑な話だぜ」
- 「そうかもな」
- オレはあえて、それ以上は踏み込まなかった。もし伊吹たちがあの日オレの部屋を訪ねてこなければ、オレはひよりにこの話を持って行っていただろう。
- そしてプライベートポイントを回収させ、同じように行動していた。
- 一之瀬への恩を売るため、そして、何となく龍園を退学させたくなかった。
- そんな想いが交錯した今回の試験。
- 「次も同じような試験があったら、どうする」
- 「クク、さぁな」
- 何もしない、とは言わなかった。
- 龍園の中にも伊吹や石崎に対する、ちょっとした気持ちはあるってことだろう。
- 遠くない日に龍園が前線に戻ってくれば面白くなるかもな。
- もちろん、そうなるかどうかは龍園次第だが。
- 携帯が鳴る。画面には一之瀬の名前が表示されている。
- 誰かからの呼び出しだと分かった龍園は、何も言わず背を向け校内に戻っていった。
- 「Bクラスは退学者、出さずに済んだみたいだな」
- 「うん。批判役を引き受けてくれた神崎くんに票を集中させて、退学を決定。あとは2000万ポイントを支払ってその退学を取り消し。ギリギリだったけど、無事にBクラス全員無事だったよ」
- 「そうか。だけど支払った代償は安くないぞ」
- これで一時的にとはいえ、BクラスはDクラスよりも貧乏になった。
- 4月に一度振り込まれるとはいえ、かなり苦しい生活を送ることになる。
- それに2年になって早々、プライベートポイントが必要になるかも知れない。
- こんなこと今更確認するまでもないか。
- 「プライベートポイントは失っても、また取り戻せる。だけど大切な仲間は、一人でも欠けちゃったらもう戻ってこないからね」
- どうやら、余計なことを言ったらしい。
- 一之瀬には迷いがない。
- Bクラスのメンバー全員と卒業する、そんな意思が固く見て取れた。
- 「龍園くんは、この結果が気に入らないかもしれないけどね。結局、退学したのは真鍋さんだったみたいだし」
- 今さっき会ってたことには触れず、その点は聞き流しておく。
- 「一之瀬は、真鍋とは親しかったのか?」
- 「私はあんまり。何度か話したことがあるくらいだったかな。それでも寂しいけど。Aクラスからは戸塚くん、Cクラスからは山内くんがいなくなったし……」
- まだ現実に起こったこととは、思えなかったのかも知れない。
- 「またこんなふうに、どこかで誰かが消えていくのかな?」
- 不安に思った一之瀬からの問いかけ。
- 「そうかも知れないな」
- 当たり前のように存在した生徒が、忽然と姿を消す。
- 「おまえはそれでも、抗い続けるんだろ?」
- 「うん。私は今いる仲間全員とAクラスに上がって、卒業するよ」
- これまでは、一之瀬に対して偽善者であると烙印を押す者も残っていたかも知れない。
- だが、これで完全に払拭されただろう。
- 何があっても、一之瀬はクラスを守るために最後まで戦い続けると。
- 「……本当にありがとう、綾小路くん。私、もし綾小路くんがいなかったら……」
- 「南雲と付き合ってた、か?」
- 「……うん」
- 肯定するように、一之瀬は答えた。
- 「馬鹿なことだってわかってるんだけどね。それでクラスメイトが助かるなら、安いものじゃないかって自分に言い聞かせようとしてた。でも───こうして、その手段を選ばずに済んだことを知って、心の底からホッとしたの」
- 胸を撫でおろすように、息を吐くのが携帯越しに分かった。
- 「きっと私は、いつか後悔してたと思うから」
- そう言って一之瀬はまた笑った。
- 「もしオレや生徒会長がいなかったら、おまえはこの試験どうしてた」
- 「……それ聞いちゃう?」
- 「気になるな。何も考えてなかったわけじゃないんだろ?」
- 「うん、プランは2つあった。1つは、私が辞めるって選択」
- やはり、一之瀬は自分が退くことも視野に入れていたか。
- 「けどさ、それはなんかちょっと違う気はしてたんだよね。私だってこの学校の生徒、最後まで戦い抜きたい意思はあるし」
- なら、もう1つのプランが本命だったってことか。
- 「もう1つはね……くじ引き、だよ」
- 「なるほど……」
- 誰もが思いつきそうで、そして許可が出ず成り立たないものだ。
- 「Bクラス全員、くじ引きになることを覚悟してたのか?」
- 「うん。もし当日までに退学回避の手立てを用意できなかったら、その時はくじ引きをしてハズレを引いた3人の名前を記入しようってことで話し合いは決まってた。賞賛票を誰に入れるかは話し合わずぶっつけ本番、って感じで」
- 生徒の優劣などではなく、あくまでも対等に裁くとそれしかないか。
- 一之瀬が引いていたとしても賞賛票で相殺されていたが、全員納得がいくだろう。
- 「出来うる限りの平等な処置だ。けど他のクラスじゃ絶対に成立しないな」
- 優秀な生徒ほど当然、否定する。
- 「誰だって退学したくないけど、仲間が消えていく姿も見たくない。ちゃんと説明したら、みんなは納得してくれた」
- それは一之瀬という絶対的リーダーがいるからこそだろう。
- 「恐れ入った」
- 電話越しなので伝わらないだろうが、オレは頭を下げ、一之瀬に敬意を表した。
- 戦略そのものは大したことがない。
- それを実行できる環境下であることが凄い。
- 「それじゃあ、またね。本当にありがとう、綾小路くん」
- 「オレは仲介しただけだ。感謝すべきは龍園とその仲間に、だな」
- 8
- オレの下に、1通のメールが届いていたのが分かった。
- 「坂柳か」
- どこで仕入れた情報か知らないが、一応顔を出しておくか。
- てっきり掲示板を見に来るかと思っていたが……。
- 特別棟で待つとの連絡を寄越していた坂柳の下に向かう。
- 既に約束の時間は過ぎようとしていたが、今ならまだ合流できるだろう。
- すぐに特別棟、前回2人で話し込んだ場所に着く。
- 「来てくださいましたか」
- 「メールアドレスを知ってるなら、電話番号だって掴んでるんじゃないのか?」
- 「お会いできないなら、それはそれで構わないと思っていましたから」
- 「話はなんだ?」
- 「一応、ご説明しておこうと思いまして」
- そう言って坂柳は杖をつきながらオレとの距離を少し詰めてきた。
- 「混乱させるような真似をしてしまいましたので、少々不安になったのではないかと思っていたのですが、余計な心配だったようですね」
- 当然、坂柳が言っているのは山内を利用してオレに批判票を集めていたことだ。
- 「勝負を持ち越したいと直談判してきた時点で、9割方は信用してた。ただ、完全に信用しきることも出来なかったからな。一応こっちで手は打たせてもらった」
- 「分かっています。ですが約束を破ったことにはなりませんよね?」
- 「オレに対するマイナスは一切与えない。それに偽りはなかったからな」
- 精神的には負担を強いられたが、結果だけ見ればオレは圧倒的賞賛票の保持者。
- どこにもオレから坂柳を責め立てるべき要素はない。
- 「ありがとうございます」
- 軽く頭を下げ感謝を示す坂柳。
- 「ところで……戸塚くんの批判票が36票だったのですが、彼には批判票が全部で38票入っていたはずなんです。あなたが入れたんですね?」
- 「確信はなかった。ただ葛城を退学にすると口にしたことがブラフに思えたからな」
- そうなると、葛城の取り巻きだった弥彦が狙われる可能性が高くなる。
- 1票投じたところで、何かが変わるわけでもなかったが。
- 「素敵です。やっぱりあなたは私が倒すべき相手です」
- 「それで? 今回の件は単にオレをからかいたかっただけか?」
- 「それも……無いと言えば嘘になりますね。しかし私が今回の試験、延期にさせてほしいと言ったことには理由があります。少し前にも似たような話をしましたが、この追加試験は紛れもなく、何者かがあなたを退学にさせるために用意させた舞台装置なんです。実際、私にメールを送ってきた人物は、あなたを退学させるようにと言ってきましたので」
- 「メール?」
- 「はい。父を停職に追いやった学校側の人間でしょう。元々は追加試験に関しても、他クラスは賞賛票を投じるのではなく批判票を投じる形で行わせるつもりだったのですから、間違いないでしょう。それはあまりに理不尽な試験ですよね」
- 「もしそんなルールがまかり通っていたら、どんな生徒でも、結託して退学させることが出来るな」
- 坂柳も一之瀬も、倒そうと思えば倒せてしまうような無茶苦茶な試験だ。
- 「ええ。現職員たちの猛反対もあり、その事態だけは避けることが出来たようですが。そんなものに協力してあなたを退学にさせることほど、面白くないことはない。よってどんなことがあってもあなたを守れるよう、私はAクラスの持てる賞賛票の全てをあなたに入れることを決めました。こうすることで仮に誰かが暗躍したところで退学になりようがないですから」
- 「なら、なぜ山内だったんだ? たまたまお前に利用されただけか?」
- 「覚えていますか? 以前、合宿の際に彼が私にぶつかって失礼な態度をとったことを」
- そう言えばそんなこともあったな。
- 「その報復、ですよ」
- たったそれだけのことで、ターゲットにされたわけか。
- いや、それだけで坂柳にとっては十分だったのかも知れない。
- 「しかし私はキッカケを作っただけ。彼がクラスに不要な生徒だったから排除されただけのことです」
- 「そうだな」
- 今回の試験、坂柳が関与していなくても、結果はほぼ同じだっただろう。
- 「と。それが今回試験を避けた一番の理由です。あとは一刻も早く父が復帰して、正常な学校運営に戻ると良いのですが───」
- 誰もいない特別棟。
- 2人だけの空間に、突如として影が差す。
- 「やあ、こんにちは」
- 1人のスーツに身を包んだ男が、オレたちの前に姿を見せる。
- 「この学校に来るのは初めてでね。職員室がどこにあるか分かるかな?」
- 「職員室ですか、それはまた随分と見当違いの場所をお探しですね。ところで、失礼ですがどちら様ですか?」
- 「私は、今度理事代行を務めることになった月城と申します」
- 丁寧に手を振り優しそうな笑顔を振りまく。
- 年齢は40代だろうか、坂柳の父親と同じく若い理事だ。
- 「フフ、そうでしたか。しかし、偶然迷ってここに足を踏み入れるとは、理事代行は相当な方向音痴のようですね。あるいは……監視カメラから私たちを見つけ、様子を探りに来たのかと思いました。この場所は試験期間中、私と綾小路くんが密会に使った場所。常に見張っていたのなら出向くことも容易ですしね」
- その言葉を聞いて、以前坂柳が見せた不自然な視線の行方を思い出した。
- ここでオレと会っていることを誰かが見ているのなら、おびき出せるかも知れない。
- そう考えてのこと。相手はそれに引っかかってくれたということだ。
- 月城理事代行は、そんな坂柳の言葉を笑顔で受け流す。
- 「面白いことを言う子だね。いやいや、とても愉快な学校だと聞いているから、皆君みたいな生徒たちなのかな? それじゃあ、失礼するよ」
- オレたちの間を通るように歩いてきた男。
- 「職員室をお探しながら、引き返して下ですよ? 校舎が違います」
- 丁寧に教えるそんな坂柳を、笑顔のままで月城はその杖を蹴り飛ばした。
- その意外な行動に、当然坂柳は対応することが出来ず倒れそうになる。
- 「っと」
- それをオレが急ぎカバーするように抱き込むと、直後大きな腕がオレの身体を狙った。
- 坂柳を抱え身動きの取れないオレは一撃それを受けるが、極力衝撃を殺し坂柳を床に座らせる。立て続けに迫ってきた腕がオレの首を捉え、怪力で壁に押し当てられた。
- 「噂に聞いてたほどじゃないね、綾小路清隆くん」
- 喉元を強く押し込まれ、こちらから声を出すことは出来ない。
- 外見からは想像できないほどの力で、簡単に振りほどくことは難しそうだ。
- 「……随分なことをなさるじゃありませんか、理事代行」
- 「君には指令が行ったはずだけどね。彼を退学させるようにと」
- 「あのメールは、あなたのお仲間からのモノでしたか。学校関係者が露骨に生徒を退学にさせられない以上、私のような人間を頼りたくなるのも無理はありませんけれど」
- ゆっくりと起き上がりながら、坂柳が笑う。
- 「助かりました綾小路くん」
- 身体のハンデがある坂柳に、アレを避けろと言うのが無理な話だ。
- 転ぶだけでは済まなかった可能性もある。
- 「理事代行が生徒に暴力行為をして、問題にならないと思います?」
- 「心配はいらないよ。ここを映している監視カメラはダミー映像に差し替えてあるから」
- つまり、何が起きても記録に残ることはない。
- 「さて、父上からの伝言だよ。『これ以上子供の遊びに付き合う気はない。すぐに帰ってこい』とのことだそうです。イエスなら瞬きを2回しようか?」
- 言葉も喋らせず、そしてノーの選択肢すら用意しない。
- 実にあの男らしいやり口だ。
- 「自主退学の意思なし、と」
- 何も答えずオレが沈黙を貫いていると、理事代行は退屈そうに呟く。
- 「抵抗のひとつも見せてみませんか? 普通の子供じゃないところを見せてくださいよ」
- 喉元に与えられる衝撃が強くなる。
- 普通の学生がどうこう出来るような技量の相手じゃない。鍛え抜かれた相手だ。
- 「眼力だけは一人前ですねぇ。君の力、見てみたいんですが?」
- もう一度繰り返される挑発。
- だがオレは何一つ抵抗を見せなかった。
- やがて反撃の意思がないことを悟ると、月城は手を離した。
- 「正式に私がこの学校で活動を始めるのは4月からです。どうぞお楽しみに」
- それだけを伝え、男は特別棟から去って行く。
- 「賢い選択でした、綾小路くん」
- オレが一切の抵抗、反撃を見せなかったことを褒める坂柳。
- 「相手は理事代行。オレが下手に反撃すれば、それがどう使われるか分からないからな」
- 監視カメラにはダミー映像を流していると言ったが、今この場のやり取りを録画していない保証はない。理事代行に暴力行為を働いた映像だけを切り抜かれたら、こっちはチェックメイトだ。
- 「お身体は大丈夫ですか?」
- 「心配ない、あの手のことには慣れてる。それよりも坂柳」
- 「はい、なんでしょう?」
- 「次の試験、正式にオレと勝負しようか」
- そう告げると、坂柳は目を開いて驚いたようだ。
- 「あなたがそのように、面と向かって言ってくれるとは思いませんでした」
- 「あの男が4月から関与してくるなら、長々とおまえの相手をしてる余裕もなさそうだ。白黒ハッキリつけて、それで終わりにしたい」
- 「構いませんよ。二度も三度も必要ありません、喜んでお相手させて頂きます」
- 間もなく始まる1年最後の試験。それで坂柳が望む対決を終わらせる。
- 9
- 月曜日。
- 生徒たちの中には、山内が登校しているんじゃないか。
- あの試験で退学するのは、ただの脅しじゃないのか。
- そんな、僅かな期待を抱いていた者もいるだろう。
- だが現実は非情。
- 教室に並べられた机の数が、週末から1つ減ってしまっている。
- 山内春樹の居場所は、既にどこにも残されていなかった。
- 平田に笑顔はない。
- 櫛田にも笑顔はない。
- 須藤や池たちにも、けして覇気があるわけではなかった。
- 「───では、これより1年度の最終試験の発表を行う」
- オレたち1年Cクラスは、1年度最後の特別試験へと駒を進めることになる。
- あとがき
- やっほー皆元気ぃ? 明けましておめでとー! 意味もなく真夜中にあとがきを書いてて、絶妙にハイテンションの衣笠でーす。
- うん。歳をひとつ重ねるたびに、深夜まで起きるのが辛くなってきます。10代の時なんて2日連続(48時間)起き続けたぜ! なんて大したことない自慢をしていたのが嘘のよう。むしろ、もうこんなに起きてる(20時間)死んでしまう、となったのはいつからか。
- 睡眠は毎日、最低6時間以上は取りましょう。
- はい。えー今回にて、ついに1年生編が終わり……
- 終わり……ませんでした!
- 前回あとがきで、次で終わるかもみたいなことを言いつつ、終わりませんでした!
- というのも、実は今回の10巻では当初『追加試験』『1年最終試験』の両方をやるつもりだったのですが、前者だけでページの大半を使い切ってしまいまして。強引に詰め込めるわけもなく、このような形になってしまいました。
- 思いのほか濃い一冊になってしまいましたが、次回で間違いなく1年生編は終わりです。そして1冊インターバル(恒例?の・5巻)を挟みまして2年生進級予定です。
- あとがきに書くと予定がコロコロ変わるので、やや不安ですが。
- ……それは考えないようにします。
- 作品と違って現実の1年は、とにかく早い! もう、ちょっと前に2018年になったと思ったら、もう2019年になってしまってる(この本発売時)なんて、信じられません。
- 4ヶ月に1冊から、3ヶ月に1冊にしたいと思いながら、この数年実行できていないのがもどかしいところです。ただ、いつも3ヶ月スパンを狙ってはいるんだョ?
- 2018年、イラストレーターのトモセさんにも、編集さんにも恒例の如くお世話になりました。2019年もしっかりお世話になっていくんでどうぞ可愛がってくださいね!
- そんなこんなで、2019年もどうぞ、この作品共々よろしくお願いいたします。
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