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cateandtony

浅田彰によるニーチェの言う強者と弱者 能動と受動 について

Apr 15th, 2019
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  1. 出典 http://realkyoto.jp/blog/asada-akira_160227/
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  3. 浅田彰によるニーチェの言う強者と弱者 能動と受動 について
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  6. ここでニーチェの言う能動/反動の差が重要になってきます。「第一撃」のトラウマに対する反動として、
  7. 宗教や擬似宗教による「救い」や「癒し」が捏造されるなら、それはまさしく反動的なものでしかありません。
  8. むしろ、あくまで能動的なものとして、いわば「超人」による「超生(sur-vival)」を考えなければならないでしょう。
  9. ここで重要なのは、「超人」や「超生」を「生の哲学」の枠内に引き戻してとらえてはならないということです。
  10. 現に、ニーチェ自身、ナチスを筆頭とする後の読者たちによって、そのような誤解の対象とされてしまった。
  11. 「超人」というのは、トラウマの痛みをものともせず、したがって宗教や擬似宗教を必要としない究極の強者、
  12. 余計な意識や良心など持たず鋼鉄の戦争機械と一体化して惑星を蹂躙する金髪の野獣であるかのようにとらえられてしまったわけです。
  13. しかし、だとすれば、それはsuperhumanな「超人」ではなく、subhumanな「未人」としての野獣でしかないでしょう。
  14. ニーチェのいう「強者」というのは、むしろその対極です。
  15. このことについては、AIDS危機のときアヴィタル・ロネルが「ニーチェの抗体」という興味深いエッセーを書いており、
  16. ぼくもそれに触発されて『天使が通る』(島田雅彦との対談集;新潮社刊)のニーチェの章でいろいろ考えてみたので、
  17. 詳しくはそれに譲るとして、あえて単純化して誇張するなら、ニーチェの言う「強者」というのはAIDS患者のようなものだと言えるでしょう。
  18. 免疫系による「非自己」の排除によって確立された「自己」は、「非自己」(病原体など)による感染がおこると発熱や膿といった
  19. 反動的な症状を呈し(スーザン・ソンタグが『隠喩としての病い』で指摘したように、
  20. 結核という病いからインスピレーションを得た一部のロマン派文学者の作品などはその好例です)、治癒の過程で「自己」を再強化する。
  21. ところが、ニーチェの「強者」は「非自己」に対して無防備に開かれており(「強い」者は防備など必要としないから)、
  22. 度重なる感染や打撃を受けて実際にはボロボロになりながらも、反動的な症状を呈する(たとえばトラウマの傷跡からルサンチマンの膿を分泌する)どころか、過去の傷はけろっと忘却して未来に向かっていこうとする。その意味でニーチェの「強者」というのは実際にはきわめて弱く、
  23. したがって「強者を弱者から守らなければならない」のです(ナショナリストをみればすぐわかるように、
  24. 「弱者」はトラウマやルサンチマンを共有することで巨大な「畜群」を形成し、おそるべき暴力を振るいますから)。
  25. 「超人」というのがそのような「強者」の究極のフィギュアだとすれば、その「超生」も、金髪の野獣のあくなき前進などとは程遠く、
  26. むしろAIDS患者のそれのような辛うじてのサヴァイヴァルととらえるべきでしょう(むろんこれは隠喩的な表現に過ぎず、
  27. 薬物療法の進歩によってAIDSはいまやおそるべき死病ではなくなったので誤解と偏見は避けねばなりませんが)。
  28. 先にアートとは art of survival だと述べた、それもまたそのような文脈での表現です。そう、あくまで一例ではありますが、
  29. 「超人」とその art of survival とは、たとえばAIDSで死んだキース・へリングと、
  30. 最後まで一見白痴的とも見える明るさと軽さを貫いた彼のグラフィティのようなものなのではないでしょうか。
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