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- Atonement
- 別名:贖罪ルート
- ※これはSSではなくプロットです。詳細まで書かれたものではありませんのでご了承ください。
- ※ファタモル本編・外伝のネタバレを含みますので、未プレイの方はお戻りください。
- モルガーナが魔女として腕を斬られて連れてこられた時、「計画の破棄」を決意していたらどうなっていたか、というルート。
- 物見の塔最上階で計画の破棄を決断するヤコポ。(ユキマサの「ではどうする、領主よ」の後から)
- 錯乱気味のモルガーナを領主の館に連れ帰ろうとする。
- ※自分が奴隷の青年であるとは明かさない。
- バルニエの幻覚の声を振り切って、真実を明かすかどうかは後回しにしてとにかくモルガーナをここから連れ戻そうとする。
- ※ユキマサには後日仕事分の褒賞を与えるという態にして、その場から帰す。
- ユキマサ的には修道女の件でごねるはずなので、そこも後日話す、と。
- モルガーナはヤコポのことを領主バルニエだと思い込んでいるので、彼が触れようとするのを激しく拒絶する。「頼むどうか静かにしてくれ」「これ以上君を傷つけるつもりはない」そう説得をするが彼女の世界は既に壊れており幻覚を見続けているため、ヤコポの必死の説得は届かない。
- このまま彼女が喚き続けたら、彼女自身も消耗して死ぬかもしれない。
- かといってこの状態で外へ連れ出したら、街の者たちの視線が集中する。領主の館に連れ帰るどころではなくなってしまう。
- あなただけは私に触れるな、放せ、呪ってやる、と叫び続けるモルガーナに対して、ヤコポはぐっと喉を詰まらせる。そして彼女を強制的に連れ出すために、ある手段を取ってしまう。
- それは彼女を恫喝することだった。
- 「黙れ!!!」
- こんなことが言いたいわけじゃないのに、これ以上彼女を傷つけたくなどないのに、これ以外の方法が思いつかない。恫喝や脅迫といった、力にものを言わせて屈服させる方法しか彼には分からないのだった。昔はそうではないはずだったのに、もはやすっかり、他のやり方が分からなくなっていた。
- ヤコポの恫喝にびくりとなるモルガーナ。
- ヤコポは歯を食いしばりながら脅迫を続ける。
- 「それ以上喚いてみろ、“七年前”よりももっと酷い方法でお前を傷つけてやるからな……!」
- モルガーナは憎悪に満ちて領主を睨む。そして低く押し殺した声で「地獄に堕ちるといい」と言うのだった。
- 青年時代、彼女に何度も「地獄に堕ちて」と言われた。
- しかしその棘のある言葉には、冗談だと分かる柔らかさも含まれていた。
- 今の台詞には、そんなものは一切ない。
- 心からの憎しみに溢れた、地獄に堕ちろだった。
- ヤコポは彼女を抱えて物見の塔を下り始める。自分のショールを彼女の上にかぶせて、周囲からなるべく目立たないようにする。
- 教会から出て、通りに待たせていた馬車に乗り込む。
- 「領主様、予定よりお早いお戻りで――……、え!?」
- 御者、モルガーナの姿を見て茫然とする。
- 「馬車を出せ!」
- そして丘の上の領主の館に戻ってくる。
- 側近や召使が領主の形相と彼が抱えている少女の有様にぎょっとする。
- 「い、一体、何があったというのですか!?」
- 「説明は後だ、医者を呼べ!」
- 「は、はっ!」
- モルガーナを寝室に運び込み、館に常駐している医者が慌ててやってくる。
- 「この少女は一体……?」
- 「昔の知り合いだ! 訳あってこのような怪我を負った、早く治療をしてやってくれ!」
- 「か、かしこまりました」
- ユキマサが止血をしていたため、切断された左腕には布が巻かれている。
- 傷口を確認するために医者が布をはぎ取る。
- 改めて、自分の命令が彼女をここまで傷つけたのだと絶望するヤコポ。
- それでも他人の前なので平静を装い続ける。
- そのころにはモルガーナも憔悴して意識を失っている。
- しばらく寝室は医者や召使が慌ただしく出入りし、騒がしいままだった。
- しばらくしてから医者が、ヤコポの顔色をうかがうような表情で、私にできることはほとんどなかったと告げる。幸い断面図が綺麗なため、連日消毒や止血の布を取り換え続ければ、そのうち傷口も塞がるだろう、と。
- 今はとにかく様子を見るしかない。
- 医者、側近、召使すべてを下がらせて、眠り続ける彼女の傍で項垂れるヤコポ。
- どうしてこうなってしまったのか? これからどうすれば良いのか? 何をしていけば良いのか?
- 彼の心は懊悩に満ちていた。
- ◇◇◇
- 二日後、彼女の意識が戻る。
- しかしヤコポ――領主の顔を見た途端、彼女は激しい恐怖と怒りを見せて恐慌に近い状態に陥ってしまう。
- 彼が何を言おうとも、どれほど否定しようとも、「これ以上私を辱めるのはやめて」と叫ぶ。
- それどころかいっそ殺してくれとまで乞い始める。
- 最初は優しい言葉をかけようと努力するヤコポだが、次第に彼も彼女の言葉に追い詰められていき、結局は怒鳴り返してしまう。
- その繰り返しで憔悴しかけていた時、ユキマサが謁見に来る。
- すっかり頭から消えかけており、ユキマサの来訪に動揺が顔に出てしまう。自分らしくない。
- 無理に平静を装って「報酬の件ならこちらから呼び出しをするまで待て」と言うが、ユキマサは「その件ではない」と言う。
- 「手違いがあったと言っただろう」「ああ?」「それを伝えた方が良いと思ってな……」
- そしてユキマサから、魔女を捕えるために第三者を使ったと告げられる。
- 唖然とするヤコポ。
- (※本編の時とは違い、まったく自分を繕えない状態になってしまう)
- 「事は内密に進めろと言ったはずだぞ……!」
- 「だが俺一人では魔女を捕えられそうになかったのだ」
- 「ならその時に戻ってくれば良かった! そうすればあいつがあんな状態に陥ることもなかった……!」
- 「……領主。お前は魔女のことを昔の知り合いだと告げたが、本当はそれ以上の存在だったのではないのか」
- 「……ッ……」
- 「顔色が悪いどころの話ではないからな」
- 「う、うるさい……私のことを詮索するな!」
- 「……魔女がお前にとって大切な人間だったと知っていたら、俺もあのような真似はしなかった。俺にとっても魔女は少し特別だったからな」
- 「なんだと……?」
- ユキマサは四年前の出来事を話す。自分が奴隷商を殺めた時、モルガーナがいたことを。そしてその時、彼女が告げたことも教えた。「大事な人たちにお礼を言えなかったのが辛かったと……そう言ってあいつは泣いていた」
- 茫然とするヤコポ。
- 「あれはまさか、お前のことなのか」
- 「……………………」
- 答えることすら出来ない。違うと叫び返したかったが、四年前の冬と言えばすべてが合致してしまう。彼女は、いや、彼女も、あの日々を大切にしていたのだ。
- それなのに自分の命令が彼女をここまで追いやったのだ。
- 一番やってはならない人物が、それをしたのだ。
- 「…………領主、……おい、領主」
- はっと意識が引き戻される。心臓が締め付けられる。息が苦しい。痛いほどの苦しみを覚えながらも、ヤコポは話をもどそうとする。しかしいつもの嘲笑めいた顔は、もう浮かべられなかった。
- 「キサマが……使った……第三者というのは……何者だ」
- 「若い男だ。口封じが必要なら、命じろ。あれを殺すのは造作もない」
- 思考が覚束なくなっているヤコポは、殺した方が良いのかもしれないと思ってしまう。しかし踏み止まり、相手の特徴を聞く。貴族だと知り益々苦い思いを抱える。
- 「殺しはするな……厄介なことになるかもしれん。とにかく……その男を出来る限り脅せ。弱味を握っているのならばそれを最大限に生かせ……。このことを口外させるな。……金は渡す、良いな」
- 「仕事であれば請け負おう。俺も金が必要だからな」
- ヤコポは頷き、自失気味になりながらも、魔女の件についても報酬を与えようとする。
- 「それは要らん」とユキマサ。
- 「……金が必要だと言ったのはキサマだぞ」
- 「この件については行き違いがあったのだろう。俺は自分のことを外道だと自覚しているが、それでもこの状況で金を受け取るのは間違いだと思っている。現状を整理すると、こういうことなのだろう。……お前は大切な女をそうと知らず、金のために生贄にしかけた」
- 「…………」
- 「俺に金を渡せば、お前は益々追い詰められるぞ」
- 「……私のことを……知ったように……言うな……」
- 「お前のことは何も知らん……だが顔を見れば分かる」
- 「…………」
- 「安心しろ、口外はしない。そもそも言う相手もいない。修道女にも知られたくないからな」
- 「…………」
- 「領主よ」
- 「なんだ……」
- 「俺はもう行く。貴族の男については後日また報告する。その時に報酬を渡してくれ。それでいいか」
- 「ああ……」
- 「………俺が言うものでもないが。一度部屋に戻って、鏡を見てみるといい。使い物にならん顔をしているぞ」
- 「……………………」
- その日の執務は全て切り上げ、側近に任せてしまう。普段なら絶対にそんなことはしない。まともな政治など誰も出来ないと思っていたからだ。だが自覚せざるを得なかった。今の自分が、誰よりも使い物にならないのだと。
- ユキマサとのやり取りで、自分の犯した罪の大きさを改めて知ってしまう。彼女は自分たちのことを大切な人たちだと思っていてくれた。その状態で、自分があの時の青年だと打ち明けられるわけがない。かつて自分を助けた青年が、今、自分を絶望に叩き落している――そんなことを知ったら、彼女の心はもっと壊れてしまう。今でさえ壊れているというのに、これ以上悪化したらどうなるというのか。考えたくもない。
- ヤコポは真実を告げられないまま、壊れかけのモルガーナと接し続けることとなる。
- ◇◇◇
- お互いに傷つけあうような関係が続いてしまう。モルガーナは異常な精神のままで、瞳もふらふらと定まらず、幻聴が聞こえているのか寝室に誰もいない時であっても喚くことがある。
- 「貴族たちが私の血を飲んで笑っている!」あの時の血のサバトが彼女の中で再現されているのだ。
- 出来ることなら彼女の手を取って、昔のように、もう君を傷つけるものはいない、大丈夫だと言いたかった。しかし他ならぬ自分がこれを招いたのだ。この手でどうやって彼女の手を握れるというのか。
- それでもそんな日々が一か月近く続くと、モルガーナもヤコポを見て錯乱するような状態ではなくなってくる。ただ、その代わり憎悪に満ちた視線を向けられる。彼女の憎しみはやはり“領主”が一身に背負っているのだ。
- 会話が出来るようになったことで、領主として憎まれながらも、もう彼女を傷つける意志がないこと、償いがしたいこと、こんなことを言う資格はないが守りたいと思っていること、それを告げる。
- 「領主、どういう風の吹き回しなの。今度は何をたくらんでいるの」
- 「企みなど抱いておらん……、君をこうさせてしまったことをただひたすら悔いているのだ」
- 「…………」
- 「頼む、信じてくれんか」
- 「それでもあなたの行いは何も変わらない……」
- 「……もう、何も取り戻せないのか。何もかも手遅れなのか」
- 「取り戻す? この状態で――あなたは一体何を取り戻すというの?」
- モルガーナの容態は少しだけよくなっている――とはいえ、やはり彼女は一人では何も出来ない状態だった。それが余計、彼女の尊厳を壊していく。立ち上がって逃げようとしたこともあるが、歩けず倒れ込み余計に怪我を負ってしまう。
- ヤコポは必死に説得する。ここから逃げ出したいのならそうして構わない、もう束縛するつもりはない、私には解放する意思があるのだ。しかしそれをやるのなら、せめて自力で動けるようになってからにしてくれ、それまでは面倒を見させてくれ……。
- そしてここで彼は自分がどういう人間なのかを自覚する。
- 自分は一つしか選べないのだ。
- あの瞬間、計画の破棄を判断したことで、最早領主として立ち続ける力を失った。
- 今の自分を左右するのは、すべて、彼女という存在だ。
- ◇◇◇
- 側近や家臣たちの領主に対する評価も下がっていく。
- 「あの方は傲慢ではあったが、仕事振りは素晴らしかった。だが今はどうだ。あの素性の分からぬ娘を囲いだしてからというもの、腑抜けになってしまわれた」
- 「一月もたてば戻るだろうと思っていたが、甘かったようだ。あの方はどんどん異常になられている」
- 「このままでは政治どころではない」
- 「ここ一月謁見も断り続けている」
- 「…………」
- ある日側近がヤコポを呼び出す。その頃には、彼はもう今までの不遜な態度は取れなくなっていた。何を言われても沈鬱な表情で「ああ」としか答えられない。
- どうかしっかりなさってください、領主様がそのような状態では、我々も領民も困ります。だがそうは言われても、こうして寝室から離れているだけでモルガーナのことが気になってしまい、何も考えられなくなる。
- こんな時オディロンならどうするだろう、どんな道を示してくれるだろう。そんな風に亡き他人を頼ってしまうくらい弱り果てていた。
- いっそ領主の座を降りれば――そうだ継承を主張していた遠縁に譲ってやれば――そんな思いもよぎったが、領主でなくなれば彼女に適切な治療を施してやることも、栄養のある食事を与えてやることも、何も出来なくなるではないか。
- 最早彼の思考のすべては、モルガーナに行きつく状態だった。
- 「とにかく、謁見の間にお越しください。今後のことを、私や他の家臣と話し合いましょう」側近の男はヤコポを説得し、謁見の間まで連れていく。
- 廊下を歩いていく途中、召使とすれ違う。
- 謁見の間の扉の前まで来た時、ふと、違和感に気づく。あの召使は前から居た者か?
- 側近は「前からおりますよ。……領主様はとにかくお疲れになられているのですよ。少し気分を入れ替えて、もう一度政治に向き合ってください」
- そして側近は扉を開く。向こう側には家臣が待っている。
- ふつふつと嫌な予感が心を支配していく。ヤコポは咄嗟にそこから背を向けて走り出す。側近が「お待ちください!!」と腕を掴むが「放せ!!」と振り払う。
- 廊下を駆け抜けて寝室に戻る。が、内側から鍵がかけられている。蹴破って中に入る。あの召使が剣を振り上げて、今まさにモルガーナを殺害しようとしていた。
- 飛び掛かって、胸に忍ばせていた短剣を引き抜く。暗殺者の喉笛を掻き切る。盛大な血しぶきが上がる。
- 「モルガーナ!!」
- 彼女の安否を確かめようとするヤコポ、しかし彼女は返り血に濡れているヤコポの方を恐れ「人殺し!」と罵る。なぜだ。私はこの男から君を守ったというのに。そのために剣を抜いたというのに。なぜ私の方が恐れられるというのか!
- いや………自業自得ではないか! 彼女の精神を破壊した決め手は自分だったのだ。彼女に感謝を求めるのは筋違いにも程がある……!
- ヤコポは堪えながら、この状況について思考を巡らす。今まで暗殺者は自分に向けられていた。しかし今周囲にとって邪魔なのは彼女の方なのだ。ここにいては危険だ。この暗殺者を仕向けたのは誰だ? あの側近か? ならばまずあの側近を葬って―――
- ……いや、それだけではないはずだ。
- 謁見の間で待っていた家臣たちも、計画していたことなのではないのか。
- だったら……どうすればいい。全員葬るのか。どうやって? 最早誰に何を命じればいいのかも分からないくせに? 自分一人で全員を屠ると?
- 手詰まりだ。
- 味方なんてこの場にいない!
- 「モルガーナ……ここから……逃げるぞ」
- ふらりと彼女の傍に近寄って、手を伸ばすヤコポ。もちろんモルガーナは全力で拒否する。その彼女に懇願めいて告げる。「頼む、ここにいたら君の命が危ういのだ! もう君を恫喝して無理やり言うことを聞かすようなやり方はしたくない……! 私のことは憎んだままで構わん、だからどうか言うことを聞いてくれ……!」
- 「…………」
- 「頼む……!」
- モルガーナの警戒と憎しみの眼差しは変わらなかったが、それでも彼女は口を噤んだ。ヤコポは苦しげに「ありがとう」と告げて、彼女を抱えて部屋を後にする。
- 廊下を出たところで駆けつけてくる家臣たち。
- 「領主様! お考えを改めてください! あなたは今、我々とすべての領民を裏切ろうとしているのですよ!」
- 「どうか私情はお捨てください!」
- 「我々がその娘に刺客を放ったのは、ただの私怨によるものではないのです!」
- 「ひいては民のため、そして――あなたのためです!」
- それらすべてを「黙れ!」と一喝し、彼は領主の館から逃亡する。
- 厩舎に向かい、馬を一頭奪う。
- そして街道を走る。
- ◇◇◇
- 振り返ると街が随分と遠ざかっていた。
- 街の光景を遠くに目にすると、また別の苦しみに駆られる。
- 数々の裏切りを受けながらも、この手で治め続けた土地。今も街道には商人が行き来している。彼らがこうして商売に精を出せるようになったのは、自分がそのように導いたからだ。
- 築き上げてきたものを、すべて失った。
- もはやこの手には、金も地位も権力も何もない。
- ヤコポは街から強引に視線を逸らし、街道を進むことにした。
- 今の自分が出来ることは、彼女を守ることだけだ。
- ……いや、守るという言葉はおこがましいにもほどがある。
- 彼女への、償いだけだ。
- しばらく進み、宿場に到着する。一室を借りて一晩明かすが、起きるとモルガーナがいない。慌てて探すと、彼女は外にいた。そして繋いだ馬を解放してしまう。
- なんてことを、と驚愕するヤコポ。
- モルガーナは、馬に乗るとあなたに抱かれてなければならない、それは苦痛だと言い捨てる。
- 彼は頭を抱えた。
- モルガーナが自力で歩くと言いだす。しかし君はまだ歩けるほど回復していないだろう、とヤコポ。それでもあなたと触れ合うのは嫌だから歩くと言うモルガーナに、ヤコポは分かったと頷く。
- しかし彼女は一人ではやはり歩ける状態ではなかった。
- 彼女はふらついて今にも倒れそうになる。ヤコポは彼女の手を取る。
- 「手だけは、」彼女の憎悪を受けながら、告げる。「繋がせてくれ」
- (イベントCG 案1)
- (イベントCG 案2)
- 二人はゆっくりと街道を進む。急げば宿場町に辿りつきそうだったが、それは厳しそうだった。彼は自分のネックレスや指輪などを売り払って金に換え、食料を行商人から買う。
- 「あの街を交易街にして良かった。街道でも物が手に入るのだからな」苦笑をしてそんなことを呟く。
- 街道脇で火を起こし、野宿の準備をする。果物やパンなどの食事を彼女に渡す。
- 「本当はもう少し精のつくものがあれば良かったんだがな……」
- 「あなた、また、私に人の肉を食させるつもりなの……」
- 「ああ!? 私がいつそんなことをしたというのだ!?」
- 「宴の合間に行ったでしょう……」
- 「…………」
- ああ、そうか、彼女の中で自分はあの領主のままなのだ。彼は頭を抱えて、バルニエの行いを恨む。「奴は君にそこまでさせていたのか……。君が奴のことを心底憎むのも正しい話だな……」
- あなただけは許すものかと叫んだモルガーナの声が脳裏に甦る。それほどの憎しみを受けるのは間違いではない。しかし……自分はあの男ではないのだ。本当は歪んだサバトから助け出した人物で……。
- 「……モルガーナ……、私は本当は……」
- 今なら……言えるだろうか。
- 彼女の錯乱も随分落ち着いてきている。すべてを打ち明けても、大丈夫なのではないか。かつて自分を救った男が、自分を捕えて腕を落とさせた――その事実は新たな絶望として降りかかってくるかもしれない。しかしあれは本意ではなかったと、どうにか、説得をすれば……。
- 彼は決意して、自分が領主バルニエでないことを彼女に打ち明ける。
- 「嘘よ」
- しかし返ってきたのは、拒絶だった。
- 「あの青年はあなたのような外道ではない」
- 「あの青年は私の腕を斬るような命令はしない」
- 「あの青年は優しい人だった」
- 「あなたとはまったく違う」
- 「私の人生だけでなく、私の過去まで貶めようとするのはやめて!」
- 彼の心も壊れていく。元から罅が入っていたものが、より一層広がっていく。
- 告げたところで信じてはもらえないのだ。それほどまでに過去の自分と今の自分は異なっているのだ。彼女の中では、あの日々も、そしてあの時の自分も、優しい存在なのだ。
- その思い出を壊すことなど出来ない。
- もう戻れないのだ。
- 「僕はただ君と元のような関係に戻りたかった……」
- 呻き声が漏れる。だがそれは、この時点において高望みに過ぎるのだ。今なら取り戻せるのではないか、やり直せるのではないか――そんな浅はかな願望が心の隅に根付いていた。しかしとうにそのような時期は過ぎていたのだ。
- モルガーナはヤコポのことを恐れるような眼差しで、「なぜあなたは、そんなことを言い始めたの。どうして突然私を気遣い始めたの。あなたは一体何をたくらんでいるの」
- 「企みなんか……」
- 「それがなければ、あなたが私に、こんな風に接する理由がない……」
- 「…………」
- 「何をたくらんでいるの、領主……」
- 「理由なんて……一つだ」
- 「…………」
- 「君が好きなんだ」
- 「…………」
- 「愛して……いるんだ…………」
- 彼は項垂れた状態から、顔を少しだけ上げた。そして彼女がどんな顔をしているのか見る。告白をしたところで好意的に受け取ってもらえないことなど分かっていたが――それでも彼女の冷たい眼差しに、彼の感情はどうしようもなく乱されていく。
- 僕はそんな目を向けられるために想いを告げたわけではなかったのに。
- 「あなたのような人が……他人にそのような感情を向けるなんて……あまりにも罪深い……」
- 「…………」
- 「私にあんなことをしておいて……、その私に愛だなんて!!」
- 「…………」
- 「そんな感情を……私に向けるのは……二度としないで!!」
- もはや、好意を告げることすら罪だというのか。想いを伝えることすら叶わないのか。一体、いつなら取り返しがついたんだ。いつなら間に合ったんだ。どうすればあの時のままでいられたんだ。
- 「モルガーナ……」
- 彼女に手を伸ばそうとする。しかし彼女は怯えを強めて、彼から距離を取る。自分の抱える「愛」は、彼女にとっては恐怖の対象にしかならなかった。
- 彼の中で破滅的な願望が湧き上がる。
- もはや伝わらないというのならば、あの時の自分と同一視してもらえないというのならば、生涯憎しみを受ける立場であるのならば――
- 今、この瞬間――
- 彼女を自分のものにしてしまっても、辿る道は、もはや、変わらないのではないか。
- 「近づかないで」
- 彼の思惑を悟ったのか、モルガーナは青ざめて逃げ出そうとする。しかし足がもつれてすぐに倒れてしまう。片腕ですぐに起き上がることも出来ず、もがいている。
- 彼女のすぐ傍まで近寄るヤコポ。彼女の肩に手を置く。そして押し倒す。
- 彼女と視線が交錯する。
- その瞬間、彼は七年前のことを思い出す。フラッシュバックのように、あの時の彼女の叫びが甦る。娼館に連れてきたことを恐怖したモルガーナ。純潔でないとならないと、それを拠り所にするかのような言葉。
- ヤコポは唇を噛み締めて彼女から手を離す。それだけはやってはならない。なんて浅ましく愚かな考えに至ったのか。私は彼女の腕を失わせ、心を破壊した。この上その魂まで穢すというのか。お前はそこまで堕ちるつもりか。
- 「怯えないでくれ……。これ以上踏み込むことはしない……絶対にだ……。君をこれ以上傷つけはしない……、どうかそれだけは信じてくれ……。もう、君に、好意を伝えることも、しない……」
- ◇◇◇
- 一夜明けて、再び彼らはゆっくりと歩きだす。しかし、どこへ向かうべきなのか、何を目的にすればいいのかもよく分かっていなかった。
- どれくらい歩いたのかも分からない。何度罵られたのかも分からない。何度すまないと侘びたのかも分からない。
- お互いに、もう正気ではなかった。
- やがて遠くに湖畔が見え始める。そこがかつて彼女が暮らしていた場所だと悟る。
- そちらの方向に歩こうとすると、背後でどさりと物が落ちる音がした。
- 振り返ると蒼白の面持ちのメルがいた。
- 「あ……、ああ……!」
- 彼は突然背を向けて、その場から逃げ出す。なんだ一体、と驚くヤコポ。(このルートではヤコポとメルの面識がない)
- 突如モルガーナが「裏切り者!」と叫ぶ。
- 裏切り? 一体あの男が何をしたんだ? 疑問が膨らむ一方で、彼女が突然走り出そうとする。
- しかし彼女の視界はマトモではないので、すぐに膝をついてしまう。
- それを見てヤコポが走りだし、メルを捕まえようとする。とにかく奴から話を聞きださなければいけない。
- メルを捕まえること自体は簡単だった。しかし彼は錯乱状態にある。「どうして」とか「僕の所為じゃない」とか「ごめんなさい」と、支離滅裂に呟き続けている。
- 真っ直ぐ歩けない状態のモルガーナがふらふらと近づいてくる。
- そして顔面蒼白のメルに対して「どうして私を裏切った」と言う。
- メルは必死に「あんなことをするつもりはなかった、まさかあの男が君の腕を斬り落とすなんて思わなかった」と叫ぶ。
- その瞬間、ヤコポもメルが何者か理解する。こいつが東洋人の言っていた「手違い」だったのだ。
- ヤコポはかっとなってメルの襟首を掴み、「あの時何が起きたのか教えろ」と言う。メルは恐怖に怯えながらも、あの時のことを語る。
- 妹のためにモルガーナの血を貰っていたこと。ある日東洋の男が訪れて、「俺では魔女をおびき出せない。お前の声で呼び出せ」と脅されたこと。そして東洋の男と共に湖畔の小屋の前に立ち、こう呼びかけたこと――
- 「ずっと避けていてごめん、君と話がしたい――」
- 「それを聞いて私は扉を開けたのよ……! 私はあなた以外の人に対しては絶対に扉を開けなかったのに!!」
- モルガーナの悲鳴のような叫びが響く。
- ヤコポの脳裏にもあの時の情景が想像出来た。彼女は四年前の襲撃以降、あの小屋で息をひそめるようにして暮らしていた。どうしてこの少年に心を開いたのかは分からないが、それでもこいつにだけは扉を開くまで警戒を解いていたのだ。
- それほど警戒していたからこそ、あの東洋人は第三者を使うしかなかった。「殺すな」と命令していた以上、強引に踏み入るやり方を避けたのだろう。
- そしてモルガーナはメルに「私の腕はどうした」と問い詰める。メルの表情は益々強張っていく。
- 腕? まさかあの東洋人が彼女の腕を斬り落としたのも、何らかの理由があってのことだったのか。
- 「私の腕はあなたの取り分だったのでしょう!!」
- ヤコポは血の気が引いていく思いと、同時に湧き上がる怒りを感じていた。
- 彼女がこうなってしまった状況は、三者それぞれが関わったことで引き起こされたのだと改めて気づく。
- 「私の腕はどうしたのよ……!」
- 「う、う、腕は……」
- 「どこへやったの……!」
- 「み、湖に、捨てた」
- 「捨 て た ?」
- 茫然とするモルガーナ。
- 「だったら、私は、なんのために腕を斬られたというの?」
- 「なんのために、こんな目に遭ったというの?」
- 「私の血が欲しかったからあんなことをしたのでしょう?」
- 「なのにどうして……私の腕を……捨てるのよ……」
- メルは絶望的な顔になりながら、「腕を斬ってくれなんて僕は一言も言わなかった! あ、あいつがいきなり、剣を振り下ろして……! 僕だってこんなことになるなんて思っていなかった、あいつがあんなことをするなんて思わなかったんだよ! せめて話し合いをすると思って―――」
- そこでメルの声は途切れる。ヤコポが堪えきれずに殴り飛ばしていた。メルの上にまたがり、歯を食いしばりながら胸倉を掴みあげる。
- 「話し合いをすると思った……? 剣でキサマの妹を脅す男が、話し合いを持ちかけると本当に思ったのか!? キサマは最初から分かっていたはずだ、扉を開いた瞬間に何が起きるかなど!!」
- 「ち、違う、ぼ、僕は、本当に」
- 「そもそもモルガーナは警戒して閉じこもっていたはずだ! それなのになぜ奇跡の血の噂が街の方まで流れてきた!?」
- 「そ、それは」
- 「キサマが漏らしたのか」
- 「う、ううう」
- 「言えッ!!」
- 「ぼ、僕が、じゃなくて、妹が―――」
- メルの回想(語り的に)
- 具合が復活したネリーは、メルから湖畔の聖女について聞いた。
- 君の病を治したのは奇跡の血を持つ聖女なのだと。
- そしてその人は、生まれ故郷すらも恵みの雨で救った本物なのだと。
- ネリーはその言葉を信じ、そして無邪気に喜んだ。
- それから二人は買い出しのために、一緒に街道の交易所まで向かった。
- そこに顔の知った商人がいた。ネリーの具合について商人が質問し、ネリーは笑顔で答えてしまう。
- 「湖畔の小屋に住む貴い方が、ネリーの病気を治してくれたのよ。奇跡の血を持つ聖女さまは、生まれ故郷すらも救った本物なの」
- 彼女は自慢げにそう言ってしまった。
- 聖女ではなく魔女という形で噂が届いてしまったのは、湖畔に住むのは魔女であるという印象の方が強かったからだろう。ネリーの言った聖女という言葉は噂の途中で消えてしまい、結局、「湖畔に住む魔女が奇跡の血を持っている」とだけ伝わってしまった。
- 「キサマが……ッ、彼女と関わりを持たなければ……ッ!!」
- 怒りに震える拳を振り上げるヤコポ。
- メルはいよいよ追い詰められた顔になって、「――そもそも!」と叫ぶ。
- 「魔女を捕えろなんて命令をしたのは――領主じゃないかッ!」
- 振り上げた拳が止まる。
- メルは気づかず喚く。
- 「僕は被害者だ! 領主があんな命令を下さなければ、あの男に僕と妹が脅されることもなかった! モルガーナのことだって裏切らずに済んだんだ! 領主が――諸悪の根源じゃないか!」
- 「…………」
- 「僕は……被害者なんだよッ……! あいつらのせいで……、僕の生活はめちゃくちゃだ……!!」
- 「……ッ……!」
- ヤコポが拳を振り下ろす。ヒッと喉を詰まらせるメル。彼の拳は、メルの頭のすぐ横に落ちた。
- 「そうだ……諸悪の根源はこの私だ……。そんなことは最初から分かっている……!」
- 「え!? それは、だから、領主じゃ――」
- 「領主はこの私だ」
- 混乱するメル。なんでここに領主が、それにモルガーナと一緒に、これは一体どういうことなんだ、益々混乱していくメル。
- 「キサマを追い詰めたのは確かに私の命令だ! だが――キサマはまず――彼女の前で! 己の犯した罪を認め! 償いをしろッ!」
- 茫然とヤコポの叫びを聞いているメル。やがてメルの表情に歪な亀裂が入る。
- 「なんで……それを……あなたに言われなくちゃならないんだ……」
- 「なんだと……!?」
- 「僕はあなたの手によって最後の平和すら崩されたのに! どうしてそのあなたが僕に謝罪を求めるんだ! あなたに僕を糾弾する資格なんてないじゃないか!!」
- 「私に対しての謝罪ではない! 彼女の前で罪を認めろと言っているのだ!!」
- 「あなたにそんなことを言われても――認められるわけがないッ!!」
- 「キサマ―――ッ!!」
- 「もういい」
- モルガーナの疲れ果てた声に、は、と顔を上げるヤコポ。
- 「もういいわ」
- 彼女は魂の抜けたような顔でつぶやいた。
- 「領主、彼を殴るのはやめて」
- 「しかし、モルガーナ!」
- 「……もういいのよ……。そうね、確かに彼の言う通り、すべての元凶は領主ね……」
- 「…………」
- ヤコポはメルの胸倉をきつく握りしめてから、突き飛ばすようにして放す。心臓の痛みを抑えるようにして胸元を握るメル。青ざめた顔のまま、モルガーナに視線を向ける。
- 「そ、そうだよ、僕だって、あんなことをしたかったわけじゃない……。分かって……くれたんだね……」
- 「…………」
- 「すべての元凶は領主さ……、そう……、だから僕は被害者なんだ……」
- 「もういい、と、言ったでしょう」
- 「え?」
- 「……私の前からいなくなって……」
- 「……あ、あの……」
- 「もう一度、言うわ。……私の前から、消えて」
- 「…………」
- メルは力なくうなずくと、よろ、と立ち上がる。
- 立ち去ろうとする彼に対して、一つだけ問いかけをするモルガーナ。
- 「どうしてあなたは、最初に私を見たとき、微笑んだの」
- 言いよどむメル。モルガーナが「正直に答えて。あなたの微笑みは偽りだったのですか」と言う。あの微笑みがなければ、警戒したままでいられたのに。あの微笑みがあったから彼を優しい人だと思ってしまった。
- 「偽りのつもりはなかった」と、メル。
- 「私の顔が恐ろしくなかったの」と、モルガーナ。
- 「もちろん、気になりはした……でも……君はきっとその顔が原因で、あんな小屋で暮らしているんだろうって思ったから……だから……そこで気味悪がったりなんかしたら……君を傷つけると……」
- 「そう……」
- 「君と、友達になりたかったのは、本当のことなんだ……」
- モルガーナは何も答えなかった。
- ◇◇◇
- メルが立ち去り、立てないまま項垂れるモルガーナの傍に、ヤコポが近寄る。
- 「領主、あなたももう、どこかへ行って」
- 「それは、出来ん」
- 「消えてと言っているのよ」
- 「出来ない」
- 「あなたがすべての元凶なのよ」
- 「分かっている」
- 「私の前から消えて……」
- 「…………せめて、君を、どこか安全な場所まで送り届けさせてくれ。今の状態で、この場に放置することなど到底出来んのだ」
- 「…………」
- 「誓って……もう何もしない。だから、頼む」
- モルガーナは俯いたまま、はらはらと涙を流し始める。
- 「あなたが魔女を利用しようとしなければ、何も壊れなかったのに……」
- ◇◇◇
- 彼女は今日はもう一歩も動けないと言う。領主に触れられることも拒絶したため、湖が視界に入っている状況ではあるが、街道傍の木の下で一夜を過ごすことにする。
- 夜、二人はそこで会話をする。
- なぜ領主が魔女の利用などといった計画を実行したのか?
- ヤコポは彼女に、真実を隠すこともなくすべてを告げる。
- 四年の間、街を急成長させてきたこと。人口は増え、異国からの旅人も増え、活気づいてきたこと。しかし急速に政策を進めたことで幸福対策が必要になったこと。信仰を利用することで民の意識を一つにしようとしたこと。そのためには奇跡を起こす湖畔の魔女が邪魔だったこと。奇跡の血を持つなら利用しようと思ったこと……。
- ここのシーンで、ヤコポは自身の心のありようを吐露する。いつの間にか誰かを犠牲にすることが当たり前になっていた。そうすることでしか物事は成り立たないと思うようになっていた。かつては奴隷を解放するために奔走した癖に、今では奴隷を犠牲にしても何とも思わない。
- 「領主、やっぱりあなたは、外道よ」
- 「分かっている」
- 「でも解せないわ。どうしてそこまで考えていたのに、私を閉じ込めておかなかったの」
- 「確かに、領主という立場を保つには計画を続行するべきだった。けれどあの瞬間、個人としての自分が、表の自分を上回ったのだ……」
- 「……愚かなことね。この選択をしたことで、あなたは本当に何もかもを失って、身の破滅を呼んだわ。あなたにとって……悪手だったのよ」
- 確かにそうだと頷いてしまうヤコポ。あの時計画の続行を選択した方が、まだ楽に生きられたのかもしれない。それでもこの選択の方が人としてまだまともだと――いや、人としての心を取り戻せるものであったと信じたかった。
- ※このあたりの二人は疲労しきっていて、もう互いに怒りや強い悲しみも露わにしない。
- モルガーナがメルを遠ざけた心も吐露させておく。
- 「人のまま誰かを強く恨むというのは、とても疲れるものね……」
- ◇◇◇
- 翌日、また歩き出す。やがて湖畔の小屋が見え始める。彼女は「やっと戻ってこられた」と、今までと比べてずいぶんとほっとした声を出した。彼女にとって、もう街のような人の多い場所で暮らすのは苦痛なのだ。
- 彼は小屋の中へと彼女を連れていく。まだ生活の名残が残っている。「良かった、誰にも荒らされていない」と呟くモルガーナ。
- ……玄関には血痕や、引きずられたような痕跡が残っている。そこで惨状が起きた証拠だった。
- 彼女はひとしきり小屋の中を確かめると、ヤコポに振り向いて、「座ったらどうですか」と言う。
- ヤコポは心底驚く。つまり彼女は今、自分を気遣ったのか?
- 「お茶を淹れて、少し休憩しましょう。疲労に効く葉があったはず」
- 「な、なぜ突然、私を気遣う?」
- 「……あなたのことは憎いですが、ここまで連れてきてくれたのも事実ですから。ここに至るまで私に手を出さなかったのも、事実です」
- 「…………」
- 「あなたの心が入れ替わったことを、認めるしかないでしょう」
- 「モルガーナ……」
- 彼は救われた気持ちになった。彼女の中で、自分が領主バルニエであることは未だ変わらないし、それは変えることすら難しいのだろう。それほど“奴隷の青年”は彼女の中で優しい存在となってしまっている。
- もう昔の自分として理解してもらえないことを絶望していたが……この形でもいつかは希望が見えるのかもしれない。
- たとえあのおぞましい領主だと思われていても、長く彼女に優しく接し続ければ、彼女の認識だってもっと変わるはずだ。
- きっと、長い償いになるだろう。
- それでも、償いという形でも、彼女と共にいられるのならば。
- それは彼にとって希望だった。
- 彼はようやく笑うことが出来た。そして彼女に声をかける。四年間、この小屋でどんなことをしていたのか。どんな暮らしをしていたのか。彼女も「特別なことは何も……」と言いながら、語ってくれた。
- 空白の四年間が埋まっていくような思いだった。
- 「モルガーナ……、君が私のことを憎いと思っているのは、よく理解している。だが、君が認めてくれたように、私はもう心を入れ替えたのだ。どうか償いのために傍に居させて欲しい。君の生活を、手伝わせてほしい」
- モルガーナは長い沈黙の後に、「ええ、いいわ」と頷いた。
- 良かった、と心から思うヤコポ。窓辺から入り込む陽射しを見ながら、ふと漏らす。
- 「ずっと、自分が欲しいものは、高みにあるのだと思っていた。多くの力と、富さえあれば、それが手に入るのだと思っていた。守りたいものを守れるのだと思っていた。けれどそれは間違いだったのだ。……ようやく、幸福とは何なのか、分かった気がする」
- 彼女は振り向いて、微笑みを浮かべた。初めて彼女の微笑を見たような気がする。ヤコポもほっとしたように笑う。
- そして彼女は、彼に茶を出した。
- 机に座って向かい合う二人。
- ヤコポは礼を言ってそれを受け取り、口元に運ぶ。
- その刺激臭には覚えがあった。
- まさか。そんな。嘘だ。
- 彼の内側を、驚愕と絶望が満たしていく。
- 改めて彼女を見る。モルガーナはやっぱり微笑んでいる。
- しかし、良く見たら――
- 彼女の目は少しも笑っていなかった。
- 今までのは、ただ、私を油断させるためだったというのか。
- 彼が血がにじむほど唇を噛み締めた。器を握りしめて、悔しさか悲しさか、腕に震えが走る。彼は叫びだしたいのを堪えて、呻くように言った。
- 「こんなことをしなくとも、君が死ねというのならば、この命で償うつもりだった……」
- 彼女は口元の微笑すら消して、冷たい目で彼を見続けている。
- 「私の心が入れ替わったと……そう思ってくれたのではなかったのか……」
- 「……どうあろうと……領主……あなたが私の憎い存在であることは変わらないわ。あの時誓った通りよ。あなたを生涯かけて憎んでやると……」
- 「君のもとで……この生涯をかけて……贖罪を求めることは不可能なのか」
- 「あなたの贖罪は……今ここで……私の手によって死ぬことです」
- 「……そうか……」
- 「…………」
- 「それが君の選択なのだな……」
- 「そうよ……」
- 死ぬことに対して恐れはなかった。告げたように、彼女が死ねと言うのならば自害の覚悟はあった。ただ彼には懸念があった。
- 「君はその身体で、どうやって生きていくというのだ」
- 「これくらい……どうってことはないわ……。この小屋で……変わらず魔女として生活していくのよ」
- 「たった一人でか」
- 「そうよ」
- 「誰か……頼れる人は……他にいないのか」
- 「そんなもの……いるわけないでしょう。私に味方なんて、もういないのだから」
- 彼は沈黙する。いまだ迷いがあった。毒を煽らず、彼女と共にいられる方法を考えてしまう。私は味方だと主張したかった。しかし彼女は言ったのだ。私の贖罪は、彼女の手によって死ぬことであると。
- 「……これで……君は救われるのか」
- モルガーナは頷いた。
- そこで、彼の決意は決まった。
- 一体いつなら取り返せるのか、どうすればいいのか、いつまで戻れば良かったのか、ずっと考えていた。
- しかし、この瞬間、ようやく本当はどうすべきだったのかを理解する。
- 自分では駄目だったのだ。
- 彼女を救うのは、自分ではない、誰かだったのだ。
- 愛すらも彼女を壊す要因となるのならば、誰かに彼女を任せて、退くべきだったのだ。
- 私では彼女を救うことも、守ることも、笑い合うことも出来ないのだ。
- それが出来るのは、私以外なのだ。
- 彼は覚悟を決める。死に対する決意ならずっと前に出来上がっている。
- しかし、今ここで必要な「死」というのは、自分が彼女の憎む「ジャン=フランソワ・バルニエ」として死ぬことなのだと改めて理解する。
- 今までのやり取りから、彼女の中で「奴隷の青年=領主」の結びつけこそ、その精神を破壊するものであったと悟る。
- それならば、彼女の中で「奴隷の青年」に関する思い出だけは美しく保たなければならない。
- 思い出を守らなければならない。
- それが最期に出来る贖罪だ。
- 「最期に、何か聞いてあげましょうか」
- モルガーナが言う。彼は一瞬悩んだ。名前を呼んでほしいと言いたくなってしまう。
- しかし首を横に振った。何もない、と告げる。
- 彼は一つ息をついて、器を持った。
- そしてどうにか笑みを作り上げる。せめて自分は笑っておこう。彼女に殺されることについて、何の憎しみも抱いていないことを示しておこう。すべて受け入れていることを、伝えておこう。
- 「さようならだ、モルガーナ」
- そして一息に毒を煽った。
- ◇◇◇
- 息絶えた領主を、モルガーナは見下ろしていた。
- 彼女の見える光景はやはり歪んでいる。耳鳴りもひどく、正常ではない。
- 死んだことを確認して、彼女は指を組もうとする。しかし出来ないことに気づいて、窓辺に近寄って、光の傍で膝をつきこうべを垂れる。
- 「おおいなる神よ、愛しき父よ。私は今、神の子としてあるまじき罪を犯しました。私はこの手で人を殺めたのです。あなたの崇高な教えに背いてでも、それを為さねばならなかったのです。それほど私の心は、清さから遠のいていたのです。私はもうあなたの子ではありません。ただの人となりました。いいえ、罪人です。ただの罪人となったのです。もはや咎人として生き永らえる心は持っておりません。私はこれからもう一つの罪を犯し、そして地獄へ参ります。父よ、ふがいない子を、どうぞ罰してください」
- 彼女は光を見上げる。
- 「父よ、罪人の祈りを最後に聞いてください。私はこれから憎き領主と共に地獄に堕ちましょう。けれど私に安らぎを与えた青年と、青年の友人たちは、どうか天の国へ向かいますよう。父よ、どうか導いてあげてください」
- そして彼女は祈りをやめて、毒草を煮出したものを、器に注ぎ込む。
- それを手に取りながら、ふとつぶやく。
- 「ただの人となってしまった今の私なら……俗物めいた感情も分かるわ……。
- 私はあの青年のことが好きだったのね……」
- ◇◇◇
- 今際、彼女は優しい夢を見る。
- その夢を見ることが出来たのは、ヤコポが、彼女の優しい思い出だけは傷つけないようにしたからだった。
- それは娼館時代の夢。
- いつものように墓地に向かう。奴隷の青年と会う。娼館に戻ってマリーアやジェレンと会う。かつてあった幸せな日々。
- ※演出的に、うまくやれそうであれば、ループっぽくしてみたい。ずっと幸せな夢が繰り返されて、「もう夢を終える」みたいな選択肢を選ぶことで、彼女は夢を終えて死に至る。
- ◇◇◇
- 足音が近づいてきて、小屋の扉を開ける。
- 狭い室内を見渡して、二つの死体を見つける。
- 「……心中か? いや、それにしては距離が離れているな」
- そう呟いたのは東洋の男――ユキマサだった。
- 彼は領主の失踪を受けて、捜索に出ていた。もちろん彼自身の望みではなく、見つけたら報酬が出るからだ。
- 「生きて見つかるとは思っていなかったが、二人とも死体とはな……」
- 彼は領主の死体と魔女の死体を交互に確かめる。
- 「それにしても今日は死体ばかりを見つける」
- 今朝方のことを思い出す。この小屋の近くに、あの亜麻色の髪をした兄妹も暮らしていた。領主から脅迫の命令を受けていた彼は、久方ぶりに彼らの小屋にも向かったのだ。
- ベッドには病死したらしきメルの妹がいた。そして妹と手を繋ぎながら、心臓をナイフでついて自害しているメルの姿があった。
- 「自害するほどの懊悩が、俺には分からん」
- そう呟きながら、領主の死体を担ごうとする。しかし沈黙の間を置くユキマサ。そして魔女の方にも視線を向ける。
- 魔女の死体に近づいて、妙な事に気が付くユキマサ。
- 西日に晒される魔女の顔には、あの醜い痣がなくなっていた。
- 眠るように死ぬ少女の顔は美しく、そして微笑んでいた。
- ここで何が起きたかは分からないが、少なくとも――魔女の最期は幸福だったのではないだろうか、と思わされるものだった。
- 彼は領主の死体、魔女の死体共に小屋から運び出した。そして小屋からシャベルを見つけると、穴を掘り始めた。
- 何事にも憐憫を抱かない男だったが、魔女に対しては特殊な感情を持っていた。あの時自分が腕を斬らなければ、恐らくはこのような結末に至ってなかったのだ。そのことも理解している。だがそれでも罪悪感は湧いてこなかった。
- ただ、事実を理解している以上、これくらいはすべきだと思ったのだ。
- 彼は二人の死体を急場しのぎの墓穴に放り込んだ。ただ、領主の首だけは斬り落とした。領主の末路がどうなっているのか、街の者は知りたがっている。首だけでも持って帰らねばならない。
- こうして死体が二つ並ぶと、どちらもただの人間のように思えた。一人は街の支配者であった領主。一人は奇跡の血を持つ魔女。
- (俺にとっては、奇跡の血よりも、こいつの声そのものが奇跡だったが……)
- あの時、彼にとって、彼女は何か人ならざる特別な存在にすら感じられた。だが今はただの人間だ。ただの死体となった娘だ。
- いや、もしかしたら……死を迎える直前に、ただの人間になったのかもしれない。
- 彼は死体の上に土を被せて、そして、木の枝で十字架を作った。
- 名も記されない墓だけが、そこに残るのだった。
- おわり
- よもやま話
- 外伝に贖罪ルートを追加したいなぁと思っていたのですが、色々あってボツになりました。
- ボツにしたあとも、話的にはとても気に入っていたので(わぁい絶望 縹絶望にしか向かわない話だいすき)日の目を浴びる機会をもうけたいなと、Vita版の追加要素に入れられないか実は検討してみたりもしたのですが(笑)
- 登場キャラクターが偏りすぎることや、Vitaの追加要素がこんなに鬱でどうするんだという部分で、現代編という選択を取らせてもらいました。せっかく声優さんに協力していただけるのに、ミシェルもジゼルも出なかったらどういうことやねんって感じですもんね。鬱部分もさすがにここまで救いがないのはなぁ、と。
- とはいえ現代編も現代編で、ただただハッピーなだけな話ではありませんので、楽しんでいただけるんじゃないかなと。今までと異なるストーリーの作り方をしたので個人的には無茶苦茶大変でしたが……。
- こういう破滅に向かっていく旅的な話は好きなので、ファタモルガーナじゃなくてもどこかでこんな話が書けたらいいなぁと思います。
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