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- CHAOS;CHILD ~Children's Collapse~ 第一巻 【初版限定特典】梅原映司描き下ろしSS
- 『初めてのおでかけ』
- ※1巻収録の3話のモノローグ「牧瀬紅莉栖と出会ってから一年ー」の、1年の間に起こっている出来事です。
- 「断る」
- ヴィクトル・コンドリア大学のキャンパス内。
- ベンチに座っていた澪が一言で切って捨てると、目の前に立っている、言われた当人の動きが止まった。そして信じられないものを見るような表情を浮かベ、震えを押し殺した声で続けた。
- 「僕の誘いが分かりづらかったかな?次の休日に出掛けないかと言ったんだが。つまり、デートだよ」
- 「だから断ると言ったんだ」
- イギリス訛りとコロンの匂いが強い、やけに顔立ちが整った二十歳前後の優男だった。自慢なのか艶のある金髪をテールに縛り、少しの後れ毛を頼に垂らしていた。着ている上着やそれに合わせた濃い色のデニムも一目で高級品とわかるものだ。
- よくいる手合いだ、と濡は思った。
- 「ミス・クノサト。君はまだこの大学に不慣れだろうからわかっていないと思うけれど。僕の誘いを断ることは何の得にもならないことなんだよ」
- 「なるな。せっかくの休日を無駄にせずに済む」
- しっしっと澪は手を振ったが、それでも男は引き下がらなかった。澪はため息をついて続けた。
- 「先約がある。その日はデートなんだ」
- 「僕より大事な相手なのかい?」
- ああ、と澪は領いて立ち上がり、その場を離れた。これ以上付き合ってられなかった。
- 「……後悔することになるよ」
- 背中にかけられた言葉を、澪は無視した。立てた中指を見せつけようとする自分をなんとか抑えこんだ。
- 「エリック・ベイカー?……聞き覚えがあるな」
- 「うちの大学――ひいてはうちの研究所のスポンサー一家の息子よ。断っちゃったの?」
- 澪にとって半ば定宿になりつつある紅莉栖の研究室に着き、先ほどのことをなんとなく澪が話すと、紅莉栖の表情が呆れたものに変わった。
- どうやら大学内では知らないほうがおかしい人物のようだった。
- 聞けば、イギリスに本拠地を置く巨大な商社の一人息子らしい。
- 「まずかったか?」
- 「まずくはない……と言えないところが歯がゆいわね。研究において一番重要なのは、テーマでも社会への貢献度でも、ましてや成果でもなく、スポンサーの機嫌だから」
- 「皮肉だろ?」
- 「聞かないでよ」
- 肩をすくめる紅莉栖に濡は苦笑した。すっかりその味にも慣れてしまった、毎回煮詰まり気味のコーヒーメーカーからコーヒーを注いで紅利栖に手渡した。
- 「別に私はこの研究所の正式な所員じゃない。大丈夫だろ」
- 「所属上はそうなんだけどね。でも周りの評価は違ってる。あなたが学会でやらかすからいけないのよ」
- ち、と澪は舌打ちした。
- 「……結局あれもあんたの踏み台になっただけだろ」
- 澪がヴィクトル・コンドリア大学の外部聴講生になり、牧瀬紅莉栖と知り合ってから一か月。一通りの興味のある講義を受講した濡は、そのほとんどの内容に不満を覚え、紅莉栖の研究所に入り浸るようになっていた。外部聴講生が見学ではなく研究自体を手伝うのは異例のことだったが、研究所内において滅多に他人を後押しすることなどない紅莉栖の口利きがあったことと、澪自身の優秀さによって事実上それは黙認されていた。
- その大きなきっかけとなったのが、先月の学会発表だった。他大学からのゲストが二、三人という内々の学会だったが、紅莉栖が発表している際に、そのデータの取り方がそもそもナンセンスだと澪がケチをつけた。そして、黙ってかき集めていたデータをその場で提示し、このデータを採用して再計算したほうが将来性に期待できると喧嘩を売ったのだ。
- 議論の末、結局その澪のデータも客観性に欠けると紅莉栖から反駁される形となり、学会の後に澪はデータの出所に関して研究所内で吊し上げにあったのだが、学会の論理戦のステージを押し上げて紅莉栖の研究検証を奥に進めたのは事実だった。加えて吊し上げの最中に「所内の細かいルールや外部聴講生に横槍を入れられたことを気にする面子のほうが、成果より大事だって言うんですか?」と言い切った澪に、所員たちは苦笑せざるを得なかった。そんなに言うならとっとと正式にうちの研究所に入れば良い、と半分は本気だろうという冗談まで飛び出していた。
- しかし結果だけ見れば澪には不満だった。
- 苦い顔を隠そうともしない澪に、紅莉栖は微笑んだ。
- 「でも……あなた、よく断れたわね」
- 「なにかおかしいか?」
- 「あの人、しつこくて有名だから。オーケーするまで延々と追いかけてくるのよ」
- 「あんたも誘われたことがあるのか?」
- 「もう何回も。そういう付き合いや、学会後の懇親会とかに出るくらいなら壁と話していたほうがましだから、その度になんとか先送りにしてるんだけど、正直そろそろ限界なのよね……。どう言って断ったの?」
- 「デートの先約ありだと言った」
- え、と紅利栖は目を丸くした。よほど驚いたのか持っていたカップを取り落しそうになり、弾みでわずかにこぼれたコーヒーが指にかかって「熱つー」と叫んだ。
- 指を咥えた紅莉栖は狼狙していた。
- 「あ、あなた付き合ってる人いたの?」
- 「嘘に決まってるだろ。しつこい奴にはそう答えることにしてるんだ」
- 「…あなたねえ」
- 紅莉栖は恨みがましい目を濡に向けた。
- が、すぐに何か思い当ったのか、「……そう。それでかもね」と納得するように呟いた。
- 聞きとがめた澪が目で訊ねると、紅莉栖は言い辛そうに言葉を選ぶ素振りを見せたが、やがて馬鹿々々しい、という感じに息を吐いて言った。
- 「少しね、噂になってるのよ。あなたが、その……。遊んでるって」
- 「……ああ?」
- 澪は顔をしかめた。つまりは男と、という意味だろう。
- 「色んな人にご飯を奪ってもらってるんですって?」
- 「金がないからな」
- 澪は頷いた。現在、澪は親からの仕送りで生活しているが、そのほとんどは振り込まれた週に底をついていた。これだけネットの力が叫ばれている社会でも、学術の先端は未だ書籍頼りだ。専門書のテキストデータというものは、映像や画像よりも公開されにくく、出回りにくい。
- それを買うための金がかさんで、どうしても食事の伝手がないときには、奪ってもらうことが多かった。
- 「中には男の人もいるんでしょ?」
- 「というか、大半が男だ」
- 紅莉栖が呆れた。
- 「あなたはそう思ってないでしょうけどね、それはデートだと思ってる人が大勢いるのよ。まして、あなたの口から直接デートの予定があるなんて色んな人に言ってるなんて……」
- 「特定の奴に連続で著ってもらうのは極力避けてるぞ」
- 「そういう間題じゃないでしょ! ていうか、とっかえひっかえしてるから色々言われるんじゃない!」
- 突然に声を荒げた紅莉栖に澪は眉根を寄せた。
- 「落ち着け。なに興奮してるんだ」
- 「……あのねえ。あなたは良くも悪くも目立つのよ。飛び級したハイスクールの外部聴講生。東洋人の女性にしては身長が高いし、年のわりにはその…」
- 「……?」
- こちらを見てくる紅萌利栖に澪は怪認な表情を深めた。紅莉栖は澪の身体をじっと見つめていたが、やがて何かを振り払うように頭を軽く振ってから続けた。
- 「とにかく。そういうことなら今後は誰かに奢ってもらうのはやめなさい。資料が必要なら可能な限り融通するし、所員が安く使っているチャイニーズのデリバリーがあるから。そこそこいけるのよ」
- 「ジャンクフード好きのあんたに味の保証をされてもな」
- うるさいわね、と紅莉栖は呟くと早速許可をもらうためなのかパソコンに取り付いてキーボードを叩き始めた。が、すぐにその手を止めて、ふと澪の方を見た。
- 「念のため間いておくけど。食事以外には奢ってもらってないわよね?高いものとか」
- 「いや、この服は奢ってもらった。値段は忘れたが」
- と、濡は着ているセーターを見せつけるように引っ張って言った。すると紅莉栖はあんぐりと口を開けた。
- 「去年から急に身長が伸びてな。身体に合う新しい冬物を買う金がなくて――」
- 「わかった。もういい、わかったわ。あなた、今度の休日ちょっと付き合いなさい。服くらい買ってあげるから」
- 「駄目だ。その日はN大の論文発表がある。現地での聴講は無理でも学会の掲示板には速報で概要くらいは載るはずだから――」
- 「いいから、空けときなさい!」
- 怒鳴る紅莉栖に濡はうんざりとした表情を浮かべた。
- 「なんなんだ。何をそんなに気にしてるんだ」
- 「……あなたに自覚がないからでしょ。はあ……」
- 呆れているのはこっちだ、というように紅莉栖は肩を落とした。
- 「え? それって羽織るタイプの服だったの? ちょっと待って。ええとじゃあ、次これで……」
- 約束の休日。
- 試着室の前で新しい服を差し出してくる紅莉栖を見て、澪はため息をついた。逆の手に持っている、おそらく次に差し出してくるだろう服の束は時間が経つごとに減るどころか増えていく方だった。
- 「おい、いい加減にしてくれ。暖かければなんでもいいと言ってるだろ」
- 「今日の財布は私なの。諦めて付き合いなさい」
- 「大体、あんたもファッションには不慣れなんだろ。何も無理して――」
- 「う、うるさいわね。いいから、これ」
- 問答無用で服を握らされ、しゃっとカーテンが閉められる。ボックスの中の鏡に映る自分の顔ははっきりと苛立っていたが、まさか鏡の中の自分相手に喧嘩を売るわけにもいかない。澪は大人しくもぞもぞと着替え始めた。
- 型落ちのブランド品が安く買えるという服屋に連行され、澪が着せ替え人形にさせられて既に一時間近くは経っていた。七着目あたりから澪は数えるのを辞めた。
- 意気込んで店に突入したわりには、紅莉栖は服選びに慣れていないようだった。必死で参考の画像を検索しているのか、ことあるごとにタブレットを取り出しては何事か打ち込んでタップしていた。
- 凶悪なまでにひらひらしているワンピースに、襟や袖口に嫌がらせのごとくもこもこしたファーがついているボレロのような上着を乱暴に羽織って、澪はカーテンを開いた。
- 紅莉栖が顔をしかめた。
- 「え?それって下に着るんじゃないの?」
- 「……お前な。何を参考にしてるんだ。もういいから―」
- 「じゃあ、次これ」
- カーテンが閉まった。
- 結局澪が解放されたのは、それから更に二時間近く経った後だった。途中からあまりの様子に店員が見かねたのか口を出し始めて、その店員も店員でやいやい言い始めたのが手伝い、すっかり気力を奪い取られた澪は後半の記憶がなかった。
- いつの間にか夕食を食べて帰ろうということになっていたらしい。気づけば買い込んだ大量の服が入った紙袋を両手に持たされ澪はイタリア料理店の椅子に座っていた。
- 店員が見立てたやや小さいが厚手の生地のインナーに、ざっかけない感じの男物のジャケットを羽織らされ、そしてあろうことか幼い頃もほとんど身に着けた覚えのない短めのスカートを履いていた。どうやら最後に試着した格好がこれらしかった。澪にはストッキングに足を通した記憶すらなかった。何を悪乗りしたのか、胸元にはネックレスタイプの指輪までが光っていた。
- 「……腹いせに食べられるだけ食べてやるからな。奮りだろ」
- 自分は一着も買わず、普段着のままの紅莉栖に澪は精一杯低い声で呻いた。
- 「どうぞ?そうだろうと思って安い店を選んだから」
- どこ吹く風と紅莉栖は受け流し、自分から注文を始めた。そうして澪の方を見て満足そうに笑った。
- 「……うん、良いわね。可愛いわ。大丈夫」
- 「そりゃあんだけ時間をかけりゃな」
- 皮肉気に澪が返してもまったく紅莉栖はこたえていない様子だった。何をどうしたところで楽しまれるだけかと澪は思い、黙って運ばれてきたパスタとピザをばくついた。
- 紅莉栖はシャンパンを舐めるように少しずつだが飲んでいた。確かに二十歳だから問題はないが、澪はなんとなく意外だった。そして大多数の子どもがそう感じるように、それを見て大人だなと当たり前に思った。
- 意識していなかったが、慣れない買い物で腹はしっかりとすいていたらしかった。宣言通りに普段以上に無理して詰め込み、胃袋が満たされて落ち着くと、澪は足元に頼りなさを感じた。
- 組み替えるようにちょこちょこと脚を動かしていると、紅莉栖が笑った。
- 「そんなにスカートが嫌い?」
- 正確に指摘された澪はばつ悪く口を尖らせた。
- 「苦手なんだよ。下着どうこうじゃなくて、腹の中まで見透かされてる気になるんだ」
- 「そんな理由のスカート嫌いは間いたことがなかったわね」
- なにが可笑しいのか紅莉栖は笑みを深めた。
- 「まあ、これも良い社会勉強だと思いなさい。そんなに苦手ならそれは頻繁に着なくてもいいけど、買ったものはちゃんと自分でコーディネートして着合わせなさいよ」
- ファッションが苦手なあんたが言うか、と声に出さずに澪は毒づいた。
- 「それから、もう一度言うけど色んな人に奢ってもらうのは避けること。資料の件もいいわね?」
- 「飯のことはともかく、資料のことは断る」
- 反射的に言った澪に、紅莉栖は目を瞬いた。
- 愚痴を横の人間にこぼすような口調で澪は続けた。
- 「研究に関わることまであんたに頼りたくない」
- 「……あのねえ、澪」
- 紅莉栖は呆れたように言って、頼杖をついた。それからじっと真っ直ぐに視線を投げて来た。何も続けてこないので居心地が悪くなり、澪は自分から促した。
- 「なんだ」
- 「あなたのその態度はとても微笑ましいんだけどね」
- 「ああ?」
- 軽くカチンと来て澪は半眼で紅莉栖を睨みつけた。証められている気がした。しかし紅莉栖は表情を変えずに、諭すように続けた。
- 「確かに研究者である以上、自分の研究データは場合によっては命より重いものだから、簡単に人に頼ってはいけない。けれど同じ研究所にいるからには、大なり小なり共同作業は発生するものなの。ましてや資料や論文の融通は日常茶飯事よ」
- 「私は研究所の所員じゃない」
- 「だから、周りはそう評価してないって言ったでしょ。――それは、私もよ」
- 言い切った紅莉栖の口調は強いものだった。澪はわずかに驚き、言葉を呑み込んだ。
- 「澪。人に頼ることを覚えなさい。そうじゃないと、誰もあなたを頼れない」
- 「…………」
- 使い古された文句だ、と澪は思った。しかしそれを、自分をはるかに凌ぐ目の前の天才の口から言われたことが少なからず衝撃だった。
- 「それが自分の研究のためになる。当然だけど経験しないと実感はできないことだろうから、びんと来ないかもしれないけどね。あ、言っとくけどご飯を奢ってもらえってことじゃありませんからね」
- 後半は冗談めいて言った紅莉栖に、澪はようやく苦笑を返して肩をすくめた。
- すると、紅莉栖はわずかに身を乗り出して言った。
- 「いい機会だわ。あなた、子どもの頃からそんなだったの?」
- 「なんだ、いきなり」
- 澪は訝しげに問い返した。紅莉栖から過去のことを聞かれたのは初めてだった。
- もしやと思い、澪は紅莉栖のグラスを見た。
- いつの間にかしっかりと減っていた。よく見れば、紅萌利栖の頼がほんのわずかに染まっている気がした。
- 「ね、どうなの?」
- 酔っている。
- 更に前のめりになる紅利栖を見て澪は思った。
- さすがにこれ以上はかなわんと、紅利栖に黙秘とともに水の入ったグラスを押しやったとき、ドアベルを鳴らして新しい客が入って来た。
- その客を見て澪はうげえと顔をしかめた。嫌な予感がしたと同時、それを裏付けるように客はまっすぐに澪たちのテーブルに歩いて来た。
- 「ご歓談中に失礼、ミス・マキセ。ミス・クノサト、今日はデートじゃなかったのかな?」
- イギリス訛りとコロンが頭上から襲い掛かってきた。
- 澪が答えずに撫然としていると、紅莉栖は一気に酔いが醒めたように背筋を伸ばし、学会のときなどに見られる営業用の笑みを顔に貼り付けて言った。
- 「奇遇ですね、ミスター・ベイカー。ご無沙汰しています」
- 「そうですね、本当に。いや、偶然外からお二人がいるのが見えましてね」
- 「だろうな。あんたが入って来るような値段の店じゃない」
- 嫌味を込めて澪が言うと、やめなさいというような視線を紅莉栖が向けて来た。が、当の本人はそれに気がついていないようで、逆に笑顔を浮かべた。
- 「もちろん、普段はこういった店は使わないよ。行きつけのところは、あなたも気に入って下さると思いますよミス・マキセ。今度ぜひ」
- 「そうですね機会があれば」
- 精一杯の愛想で答えた紅莉栖の頼は引きつっていた。鬱陶しい、という文字が大書してあるようだった。
- それに「約束ですよ」と返したベイカーは、一転して厳しい目で澪を見下ろして来た。
- 「ところでミス・クノサト。嘘は良くないな。研究者は信頼が第一だろう?」
- 「…………」
- なるほどそう来るか、と澪は呆れた。紅新栖も嫌な流れを感じたのか顔をしかめた。
- 「君は外部聴講生だが、ミス・マキセの研究所にいるんだろう。研究所の質を落とすような行為は感心しないな。これは研究所の体勢を色々と見直さなければいけないかな?」
- 「待ってください。澪は――」
- 「何を言ってる? 嘘などついていない」言い訳しようとする紅利栖を制して、澪は言った。」
- 「私たちはデートの最中だ。邪魔はそれこそ感心できないぞ」
- 「……なに?」
- 意味が分からない、という様子のベイカーに、澪は小馬鹿にしたような笑みを向けた。
- 「あんたはヘテロ・セクシャルしか愛情と認めないくちなのか?」
- ヘテロ・セクシャル。異性愛。
- な……とベイカーは言葉を詰まらせたが、対面の紅菊栖は慌てて腰を浮かした。
- 「ちょっとあなた――」
- 紅莉栖が開こうとした口に、澪は残っていたピザを片手で突っ込んだ。
- 「美味いか?」
- わざとらしく片目を閉じて澪は訊ねた。紅莉栖の拳はわなわなと震えていた。ピザで一杯の口で答えられるはずはなかった。
- 突然、二人を脇で見ていたベイカーの足がよろけた。片手で頭を抱えて口をばくばくと動かし、搾り出すように呟いた。
- 「……嘘だろう。あり得ない」
- 「おい、言葉には気をつけろよ」
- 澪はややぎこちない動作ながらも、見せつけるように大きく足を動かして組み替えた。ベイカーの視線がスカートに下りると同時に続けた。
- 「せっかく着飾ってデートを楽しんでるんだ。それ以上差別発言をするなら出るところに出るぞ」
- いつの間にか店内の人の目が集まっていた。ひそひそと何やら噂する声が聞こえて来た。
- 黙り込んだベイカーは、結局それ以降一言も発することなく、 ふらふらとした足取りで店から去って行った。
- 「なに考えてんの!?」
- ほどなく好奇の視線に耐え切れなくなり店を出て、最初の角を曲がった瞬間に紅莉栖が澪に叫んだ。
- 「妙案だろ」
- 「なにがよ! どこがよ!」
- 「研究所にケチをつけられずに済んだ。おまけにああ言っておけば、 あんたも私も二度と誘われない」
- 「私のイメージはどうなるのよ……!」
- 「あ? なんだ、もてたいのか?」
- 「そういうことじゃないでしょ!」
- 「うるさいな。頼れって言ったのはあんただろ」
- 「だから、そういうことじゃないでしょ……!」
- 噴火し続ける紅莉栖を無視して澪は歩き出した。
- 既に陽が落ちていた。
- 夜を始める冷気が重たい紙袋を持っている澪の両手に吹きつけていた。
- 街の雑踏に混じって、信じられない信じられないとぶつぶつ繰り返す紅莉栖の声が後ろから聞こえて来た。
- 「ん……?」
- そのとき、ふと気がついて澪は足を止めた。下を向いて恨み言を言っていたらしい紅莉栖がぼすんと背中にぶつかった。
- 「ちょっと、なに?」
- おでこを押さえながら低い声で訊ねて来た紅莉栖に「いや、なんでもない」と応じて再び歩き出した。
- 他愛もないことに気がついた自分に澪は苦笑していた。
- 幼い頃から思い返しても、どうやら初めてのことだった。おそらくは、知り合いよりは友人に近いだろう誰かと、こうして二人で休日に出かけるのは。
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