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- 第十章『夢に見るもの』後編
- 3
- 孔雀王マラク・タウス――マグサリオンが身に纏う黒鉄くろがねの鎧は、破滅工房の作品として見るなら然程たいしたものではない。
- その正体は我力の生成装置だった。すなわち使用者が不義者ドルグワントなら増幅器ブースターとなり、逆に義者アシャワンならば本来持ち得ぬはずの力を手にする。有り体に地力の底上げを成す支援機械で、弱者の補強を目的とした代物ゆえに得られる効果も底が知れる。
- なぜなら有象無象に向けた品が、破格の力を発揮することは有り得ない。髪を切るための鋏が岩を切断するように作られていないのと同じで、用途に見合った規格があるのはひとえに道具の宿命だ。
- よって孔雀王マラク・タウスにも定められた限界点が存在した。常識を捻じ曲げるのが我力の本質とはいえ、やれる無茶には構造上の縛りがある。
- 第一に燃料の問題。無から有を生む機能はこの鎧に備わっておらず、駆動させるには餌となるものを捧げねばならなかった。結論から言うと感情の、源泉にあたる部分である。
- もともと意志の力で超常を起こすのが我力というもの。心理状態が出力を左右するのはむしろ道理で、何ら不思議な話でもない。つまるところ、ある種の変換作業を実行するのが孔雀王マラク・タウスの機能だった。
- 一般論として我力を義者アシャワンが使えないのは、“みんな”のために生きんとする彼らの群体的な性状に原因がある。現実を侵食するほど狂的な念を個人が、しかも己の都合で振るう真似など和の否定でしかなく、だから我力は不義者ドルグワントの専売特許になっていた。早い話、極度の我がままに起因する力と表現できる。
- しかし、気持ちの強さでは決して義者アシャワンも負けていない。他者と心を通わせ、想いを結集し、一丸となって実力以上の結果を出すのは不義者ドルグワントに不可能な芸当で、両者の特性は煎じ詰めると似たようなものなのだろう。
- 心の力で無理を通し、荒唐無稽な現象すら発生させるのはどちらも同じ。
- それを奇跡と見るか秩序の崩壊と見るかは、黒白に断絶された宇宙の法則下にあって意味を持たない水掛け論だが、ともかくこれらは紙一重ということだ。
- 孔雀王マラク・タウスはその垣根を取り払う。我力の発現に適さない脳の偏桃体を異形化させ、果てに跡形もなく焼き尽くす。
- 効率面を語るなら、至極順当な等価交換だった。表裏を入れ替えるにせよ、弱い不義者ドルグワントを強化するにせよ、持って生まれた在り方を変えるには根本を弄らねばならず、そこに重度の負荷が生じるのは当たり前な話だろう。
- 結果、この鎧を使用する者は極めて短期的な力しか得られない定めだった。感情の中枢部位をオーバーヒートさせられ、喜怒哀楽を意味概念ごと喪失する。せいぜいのところ一度か二度、大規模な戦闘を経験すれば白痴も同然の木偶となるのが仕様で、これが前述の限界点。燃料に限りがある以上、無窮の彼方まで到達するのは不可能な仕組みだ。
- が、ここに例外が存在した。
- 「来いよ屑。その程度か」
- マグサリオンにあるのは殺意と憎悪と怨嗟のみ。大別するなら怒りに属する感情で、ただそれだけが狂おしく、奈落のごとき闇の底で今も破滅的な爆発を繰り返している。他の心はとうに燃え尽きてしまったのか、もしくは最初から無かったのか、不明だったがそこは重要と言えなかった。
- 特筆すべきはただ一点で、彼の憤怒がまったく消えていない事実だろう。薄れるどころか激化の一途を辿る呪怨の念は、少なくとも鎧の規格を軽々と凌駕する域にあった。そもそも義者アシャワンとして異端も極まるマグサリオンは素で我力を使えた可能性すらあり、異常な主に限界を超えて酷使される孔雀王ブースターは、もはや完全な別物と化していた。
- 黒い騎士の怒りは吸い切れない。凶気の中枢が凄まじすぎて逆に鎧が変えられている。仮に魔王級の不義者ドルグワントが孔雀王マラク・タウスを使用すれば、超高密度の我力を増幅できずに道具のほうが破壊されてしまうはずだ。弱者の支援が目的である以上、圧倒的な強者に使われるケースは想定されておらず、これが二つ目の限界点。
- しかし、ならばこの状況をなんと表現するべきか。マグサリオンは鎧の器を完全に上回っていながらも、自壊など許さんと哀れな道具を隷属させ、異形の駆動を続けさせている。
- その実態がどうなっているのかは、おそらく創造主たる破滅工房にさえ分かるまい。進化と言うより死すら奪われて屍兵ゾンビ化させられた孔雀王マラク・タウスは、今現在マグサリオンの何を吸い、何を変えるべく駆り立てられているのだろう。
- 不明だったが、確かなことも存在した。それは現状において、そんな問題を気にする者は皆無だという事実。
- 「来ないならこちらから行くぞ」
- 言ってマグサリオンが踏み出したとき、彼の首から上が爆散したかと思うほど桁の外れた衝撃に襲われた。
- 大人の頭ほどもある巨拳の重さと、出鱈目な硬さ。およそ拳という概念が崩壊する域の圧倒的な暴力に先制され、しかもただの一撃では終わらない。
- 二撃目は心臓に入った。三撃目は鳩尾。続いて身体を折ったマグサリオンのうなじへ叩き込まれる一瞬の、怒涛を超えた四連撃。言うまでもなくすべてが急所を貫いており、星をも砕く魔王の本気が込められていた。さらにバフラヴァーンは脚を上げ、倒れた黒騎士の背骨を力任せに踏みつける。
- 大地が爆発し、断末魔にも似た絶叫を轟かせた。まるで卵を割るかのごとく簡単に、地殻を踏み割る破壊神もかくやの所業である。鮮血さながらに噴き上がるマグマを満身に浴びつつも、鍛え上げられた魔王の肉体には火傷の一つも見当たらない。
- 蚊帳の外に被害を出さぬ飛蝗の流儀がなかったら、今の蹴りだけで星が消し飛んでいただろう。つまり裏を返せば、それだけの力がマグサリオンに集中した証と言える。
- 常識的にはもちろん、たとえ悪夢の世界であろうと生きているはずがなかった。にも拘わらずバフラヴァーンは、嬉しげに目を細めて信じがたいことを言う。
- 「どうした、そんな程度じゃあるまい」
- 先の挑発に対する意趣返しと思しき台詞は、相手の反応があることを前提に紡がれていた。そしてそれに応えるものが現れる
- 沸騰するマグマの海を切り裂いて、魔王の足元から突き上がったのは血錆に塗れた剣の切っ先だった。腹を貫こうとするその刃を、バフラヴァーンは親指と人差し指で造作もなく摘まみ止める。溶融した超高熱の岩石に濡れたマグサリオンへ、百戦錬磨を超える男は邪気のない笑顔を向けた。
- 「やはりな、どうもおかしな手ごたえだと思ったんだ。おまえ、俺の攻めをずらしているのか?」
- 出会い頭の一発も入れれば、ここに至るまで放った攻撃は計六発。傍からは天変地異とすら形容できる威力に見えたが、バフラヴァーンにとっては会心を外した出来だったらしい。笑えぬ冗談に聞こえるものの、事実としてマグサリオンは生きている。
- 「戒律か。確かに俺は別に必中を期したわけでもないからな。躱す逸らすという技が付け入る隙もあるだろうよ。だが――」
- ならば必ず中ててやると、荒々しく口角を吊り上げるバフラヴァーン。無理や不可能といった概念は、この男に対する禁句に等しい。その理屈に勝ってやると、破格の我力を燃え上がらせる役にしか立たない。
- 振り上げられた暴窮の右拳が、超新星爆発にも匹敵する力を帯びた。剣は依然、左手に掴まれたまま。これでは回避のしようがなく、単純な力比べで拘束から脱せるはずもない。
- よってマグサリオンの選択は、剣を捨てるしか残されていなかった。自殺行為に近しいが、そうしなければ死が待っている。
- だが次の瞬間に彼が選んだ道は、どんな予想とも異なっていた。剣を放さず、また退かず、バフラヴァーンの拳を受けると同時に勢いを利用する形で下方に倒れ込んだのだ。
- 絵面的には剣を支点にした巴投げと表現でき、自分の拳力を円運動で返された魔王の巨躯が宙に浮く。
- それは二重、三重の意味で有り得ないことだった。バフラヴァーンは我力に必中の念を込めたにも拘わらず、またしても神懸かり的に捌いている。加えて超絶の破壊エネルギーに飛ばされながらも、柄を握り続けていた点。さらにそこまでの綱引きに晒されて、剣が折れなかった事実。
- 迫る猛攻から芯をずらして受ける守りや、相手の力を逆用する立ち回りはスィリオスの技巧に近い。しかしあくまで理に則った聖王の剣と異なり、マグサリオンの技はどこか歪で獰猛な、ある種手遅れなほど狂ったものに見えた。
- 巧いと言うより禍々しい。柔ではなく、単純な剛とも言い切れぬ異形的なスタイルは、バフラヴァーンを大いに驚嘆せしめていた。
- が、この男もまた尋常ではない。
- 「どんなときでも得物を掴む戒律か。面白い」
- 剣から手を放していないのはバフラヴァーンも同様だった。いいや、両手で握りしめているマグサリオンよりも、二本の指で摘まんでいる魔王のほうが異常さでは上だろう。
- 手錠の鎖で繋がった奴隷闘士がどちらかの命尽きるまで戦うように、剣の端と端を握り合って放さぬ彼らは刃の絆で結ばれていた。
- 必然、投げられても距離が開くはずなどなく――
- 「――がはァッ」
- 空中のバフラヴァーンは剣ごとマグサリオンを引き寄せて、腹に渾身の拳を見舞っていた。今度こそ会心の手ごたえ――暴窮飛蝗の全力が余さず内部で炸裂し、さすがの黒騎士も苦鳴を放つ。
- そしてもちろん、まだ終わらない。
- 「放すなよ、俺も放さん!」
- 次いで藁屑も同然に振り回すと、大地に思い切りマグサリオンを激突させた。再び地殻が砕き割れ、噴き上がる土砂とマグマの中に何度も果てなく叩き付ける。
- 星が鳴動し、津波が起こり、生まれたばかりの新大陸が千々に分断されていった。それほどの暴力を浴びながら、異端の戦士ヤザタは未だに剣から手を放さない。その点は確かに驚くべき事実だが、やはり不自然な話だろう。病的を通り越して破滅的とさえ言えるほど、マグサリオンは剣を掴み続けることに執着している。
- バフラヴァーンが言う通り、もはや戒律の都合としか思えなかった。如何なるときも武器を握って、即座に殺せる状態を維持する縛り。
- 「常在戦場というやつか。分かるぞ、俺も似たクチだ。欲するのは戦いのみで、他は何も一切要らん。おまえのような男と拳を交え、打ち砕く喜びこそが生きるすべてだ!」
- 己の強さを天下に示すことが存在理由だと――第三位魔王は声高らかに謳いあげた。
- 「聞こえるか? まだ生きてるか? 俺がいいと言うまで勝手に死ぬな。俺が殺そうとしているのに息をするな。決めるのは俺だ。俺のほうが強いからだ。おまえの過去も今もこれからも、俺のためだけに在ると知れ!」
- すでに血みどろの頭陀袋と化したマグサリオンを、さらに全力で叩き付けた。この期に及んで人の形を保っているとは信じられぬ。許し難いが素晴らしいぞと笑い猛りつつ褒め讃え、愛にも等しい想いが壮絶な我力となって燃え盛る。
- 「どうしたどうした、こんなものかよ死ぬな死ねェ! まだだ認めんぞ、もっと楽しませるんだおまえの務めは他にない。立ち上がれ砕け散れ限界を超えろ粉砕してやる――俺が想像もしていなかった強さを見せろ。その上でなお勝利する喜びを与えてくれェ!」
- 支離滅裂だが本人の中で筋が通っている祈りの奔流は、そこで唐突に断ち切られた。
- 絶対零度の凍気がごとき……しかしあらゆるものを焼き尽くさんとする漆黒の凶念によって。
- 「阿呆が」
- 瞬間、バフラヴァーンの手から剣が放れていた。いきなりすっぽ抜けたとしか思えぬ状況だったものの、これは異常事態である。
- なぜなら彼は決して放さんと宣言した。この男が口にした物事を翻すのは天地が入れ替わっても有り得ず、実際にバフラヴァーンは心変わりなどしていない。
- 掴み続けるつもりができなかったのだ。そこに過失や偶然が入り込めないのは明白で、ならばいったい何なのか。
- すでに彼方へ飛ばされたマグサリオンを、バフラヴァーンは目で追いもせず立っていた。代わりに自らの左手を見つめ、呆気に取られた顔をしている。
- 止め処なく流れる赤い血の色。最前まで剣を摘まんでいたはずの指が二本、根から欠損して肉の断端を晒す様は不条理ですらあっただろう。最強の座を掴むため、数多の超常を握り潰してきた魔王の指が、野菜でも扱うように切り落とされてしまったのだ。
- 無論、負傷が珍しいわけではない。生のすべてを戦闘いくさに費やしてきたバフラヴァーンは、その経歴に見合った傷と痛みを知っている。だが本人も気付かぬ内に、何が起こったかも不明な形でやられたのは初めてのことだった。一八〇〇年にもわたる殺戮の記憶を紐解いても例外的な、俄かに信じがたい予想外の不覚。
- 「隙を衝いた……というのは違うな。これは隙をねじ込む類だ」
- 先ほどまでの熱狂が嘘のように冷めた声で、淡々とバフラヴァーンは呟いた。常に全力を信条とする彼に油断や慢心があるはずもなく、隙と呼ばれるものは皆無と言える。
- 「ならば無いものを作ったか。見えぬものが見えている。そういう力だ」
- 餓えた猛獣を思わせる声で含み笑うと、バフラヴァーンは顔を上げた。緋色に燃える魔王の瞳が見据える先に、溶岩を踏みしだいて立つ黒い凶人の姿がある。
- 「くくく……おまえ、眠っていないな。最後に飯を食ったのはいつだ? 糞をしたのは?瞬きしたのは? 剣を手放さんどころの縛りじゃあるまい。すべてを殺しに捧げたのか」
- 問いに答えのは、渺々びょうびょうと吹き荒ぶ呪詛の唸りにも似た声だった。沸騰する大地を黒い祈りで凍て付かせ、マグサリオンは当然のごとく告げる。殺意を除く接触不可という第一の戒律よりも、さらに度外れた真実を。
- 「目を閉じれば貴様ら屑を見失う。眠れば俺の想いが途切れる。立ち止まって休む時間は寸毫もない」
- 剣を手放さずにいることは、あくまで付随する一要素でしかなかった。
- 常在戦場――先にバフラヴァーンが述べた推察は当たっていたが、十全にはほど遠い。これほど凄まじい徹頭徹尾は、後にも先にも現れまいと断言できる。
- 「無駄を省けば研がれていくのだ。鋭く、疾はやく、何処までも果てなく、貴様らを殺し尽せる無二の剣に……そしてこんな会話をまた」
- 揺らめく陽炎で大気を歪ませるマグサリオンが、次いで本当に掻き消えた。
- 「やはり無駄だ」
- 瞬く内に間合いを侵した踏み込みは、決して目にも止まらぬ速度ではない。にも拘わらずバフラヴァーンが察知できなかったのは、彼、の、注、意、が、逸、れ、る、刹、那、を、世、界、に、ね、じ、込、ん、だ、せ、い、だ、っ、た、。
- 地を這う軌道から跳ね上がった剣閃が、魔王の首に吸い込まれる。それは完全な不意打ちとなっていたが、まさに紙一重で回避したのは飛蝗の闘争本能と積み上げた経験による超越的な勘働き。しかしバフラヴァーンの頬は薄く裂かれ、驚異の肉体がまたしても血を流す。本来あるはずがない弛緩した箇所、言わば壊れやすい一線をマグサリオンの剣は寸分違わずなぞったのだ。
- あるいは彼の剣が触れたところに死が具現するのかもしれなかったが、結果的には同じだろう。底も天井も知らぬ殺意が宿った凶眼は、どこを攻めれば敵を滅せるのか見えている。尽きせぬ憤怒で駆動し続ける血みどろの四肢は、どう動けば最大効率で殺せるかを知っている。
- 禍まがつ黒閃が連続して走り抜け、飛蝗の王を縦横無尽に切り刻んだ。純粋な武才には恵まれていないマグサリオンだが、その欠落を埋めて余りある意志の強さが極限域の第六感を生んでいた。およそ他の誰にも真似できぬ、常軌を逸した戒律によって。
- 「死ぬがいい、貴様の吐く息が気に入らん!」
- 眠らない。瞬かない。食事をしなければ排泄の手間もない。それらはすべて無駄だから。友を持たず、愛も要らず、戦い続けて殺し尽すことが自分の生だと決めたときから、不要なものを残らずマグサリオンは焼却した。
- 剣を握り続けること。いいや己こそが剣という殺戮の凶器であること。心は常にどす黒い情念のもと覚醒し、血風吹き荒れる修羅の魔境に全存在を賭す覚悟は呪いと表現するのも生易しく、もはや形容すべき言葉は不在。
- 果てにマグサリオンは、殺し合いにおける無謬の呼吸を掴むに至った。接触不可の戒律と連動して殺意が高まれば高まるほど、場の惨状が救いなく絶望的であればあるほど、剣たる彼は万象斬滅する刃として研ぎ澄まされる。
- 斬り殺すのに必要な、隙を緩みを綻びを――視認して具現するのだ。
- 殺されず殺すために、空くうを狭間はざまを明暗を――体感して滑り込むのだ。
- 凶器に要らぬものを残らず捨てた男だからこそ、逆に重要な部分が跳ね上がるのは至極当然の話と言えよう。無理がありすぎる縛りを実現したのは鎧の機能と見て間違いないが、だからといって苦痛が取り払われるはずもなく――そもそもこんな条件を課そうとする精神性が壊滅的だ。
- 率直に狂っている。
- この事実を知り、戦慄から逃れられる者がはたしてどれだけいるだろう。マグサリオンの徹底ぶりを前にすれば大半が自負を砕かれても不思議はなく、戦いに身を置く者ならなおさらに、己の不純性を悟ってしまうのではあるまいか。
- しかし――
- 「それがどうした。俺のほうが強い」
- ここに凶戦士をまったく恐れぬ戦闘いくさの怪物が存在した。むしろ愉快で堪らんと、豪放に笑いながら唸った拳がマグサリオンの顔面に叩き込まれ、黒い騎士を再び間合いの外へと吹き飛ばす。
- 「気が乗れば飲まず食わずで眠らんままに戦うことくらい、一〇年二〇年はざらにある。俺だけではなく、ザリチェやタルヴィにも言える話だ」
- 戒律として縛りに組み込んではいなかったが、裏を返せば当たり前の価値観だからだとバフラヴァーンは放言した。殺し合いでしか他者と触れ合えぬのも、そこに関わる要素しか大事だと思わないのも、みな飛蝗にとっては常識の範疇。
- とはいえ、彼がマグサリオンを凡庸と断じたのかと言われば、また違う。
- 「無論、義者おまえらが実践するのは困難だろうと認めている。その苦患あってこその見返りなら、俺が同じ戒律を組んだところで目に映る景色は違うはずだ。そういう意味では確かに無二だし、真似できん」
- 生まれついての強者である高位の不義者ドルグワントに、持たざる者がさらに捨てるという意味の重さは体験できない。あらゆる不可能をねじ伏せんとするバフラヴァーンだが、弱者の強さを手に入れることだけは例外だった。それを得るならまず弱くなる必要があり、本末転倒も甚だしいため如何ともしがたい。
- ゆえにこうした場合はどうするか。頂点を目指す者として、己と質の違う強さを前にすれば答えなど決まっていた。
- 「来いよ、打ち砕いてやる」
- 凶戦士の斬撃で全身を血に染めたまま、バフラヴァーンは悠揚に手招きした。
- おまえの剣がどんな死線を描いても俺には効かん、圧し折ってやると。事実、一見すると夥しい負傷だったが、そのすべては薄皮一枚を裂いたにすぎない。
- 宇宙最強の我力に鎧われた肉体は未だ健在。これをどう崩すのか、穿つのか。
- 「木っ端微塵にしてくれる」
- 憎悪の呟きを刃に乗せて、再び迫るマグサリオン。並の者なら立ち会うだけで死に至る前置きが終わりを告げ、ついに絶対退かぬ男たちの本領が発揮される。
- 宇宙の法則すら軋ませて、ここに鏖殺みなごろしの暴と凶が激突した。
- 4
- 「クイン、クイン――聞こえていますか。起きてください」
- 耳慣れぬ声で目覚めを促され、私は混濁した意識のまま何が起きているのかを考えた。
- どうも展開が目まぐるしく回りすぎて、理解が一向に追いつかない。衝撃的なことばかり立て続けてに起きたのは覚えていたけど、具体的にどんなものだったかは中々思い出せなかった。
- というよりも、あまり思い出したくないのだろう。考えたくない出来事が多すぎて、見つめたくない問題が山積みで、私は一時的に逃避したがっている。
- 我ながら駄目な思考だ。でもあと少しでいいから、何もかもを忘れていたい誘惑は抗いがたく……
- 「仕方ありませんね。こうなったら少し手荒くいきましょう。生きていればいいのですし、お願いできるかしらエルナーズ?」
- 「畏まりました。スパっといきますのでお下がりください」
- 「――何をやろうとしてんですかっ?」
- 願いも虚しくえらいことになると悟った私は、叫んで一気に跳ね起きた。
- 「あらまあ、起きていたんじゃないですか。人が悪いと言いたいですが、あなたは人じゃありませんし、この場合は何と表現するのが適当かしら。ムンサラート?」
- 「作り手の趣味に言及するのがよろしいかと思われます、お嬢様」
- 「なるほど、状況に則していますね! つまりクワルナフお兄様がすべてお悪い」
- 激しい頭痛を覚えるのは、決して急な覚醒が原因じゃないだろう。顔をしかめつつ立ち上がった私は、否が応にも事態の再認をさせられた。
- 「手間を取らせて申し訳ありませんでした。この通り目は覚めたので、心配ご無用」
- 死にさえしなければどうにでもなる的な言い草だったが、不死者の基準でそのへんを計られては堪らない。自分を取り囲む殺人鬼の一団と相対し、咳払いで牽制してから努めて平静に居住まいを正した。
- 「……で、ここがお父様の内部と思っていいのですか?」
- 「わたしに聞かれても困りますわ。けれど随分変わったところなのは確かですね」
- にこにこと答えたフレデリカは周囲を見回し、私も彼女に続く形で世界の有り様へと目を向けた。
- まず我々は谷底と思しき場所に立っており、視界的には狭隘きょうあいな様相を呈している。だが現場の如何を探るのに情報不足かと言われれば、そんなことはまったくなかった。
- まず大地の構成物質が分からない。外見の印象的にはクリスタルと似ていたものの、奇妙な柔性があって弾む感触はゴムのようだ。裏を返せば壊れにくさが窺われ、実際に谷全体が一枚岩みたいに繋がっている。想像するとグロテスクだが、見渡す限り巨大生物の内臓だとしても納得できそうな景観だった。
- 重力はやや軽い。大気の主成分はやはり謎で、数百種以上が混ざり合った特殊なものだというのが分かる。呼吸が不要な私や不死身の殺人鬼たちでは、これが一般に毒かどうかも判別不可能なのがもどかしかった。気温は摂氏で約四〇度に達するが、熱源はいったい何処にあるのだろう。通常の天体と違い、太陽となる恒星の影響などここではまともに働くまいと感じられる。
- 空の色が見たこともないマーブル模様をしているのだ。金に紫に赤や緑……そしてなんだ、分からない。私の知識では未知の色彩が無数にうねりながら回転し、結合と分離を繰り返す様はまるで巨大な万華鏡。
- 戦士ヤザタとして過去に多くの星を訪れた私だけど、こんな不明だらけの奇怪な場所に立つのは初めての経験だ。陳腐な表現になってしまうがまさに異世界と呼ぶしかなく、絶滅星団の主星に間違いないと思われる。
- 「幻想的な光景ですね。わたし、結構気に入りました」
- 妖しの空を見上げたまま、呑気な感想を述べるフレデリカ。無視しようかと思ったが、次に彼女が呟いた台詞はさすがに聞き流せなかった。
- 「マグサリオン様にも見せてあげたかったです」
- そう――言われて初めて気付いたが、この場に彼がいなかったのだ。私は弾かれたように首こうべを巡らし、黒騎士の不在を認めるとフレデリカに詰め寄っていた。
- 「これはどういうことですか? なぜマグサリオンが、いったい何処に?」
- 「落ち着いてくださいクイン、わたしだって痛恨なのですよ? ……はあ、まったく一筋縄じゃいかない御方で、困りますよね」
- 要領を得ない返答に苛立つ私を、横からムンサラートが窘めた。
- 「お嬢様も落胆しておりますので、あまり責めずにいただけると助かります。ご覧の通りマグサリオン様はこの場にいらっしゃいませんが、それは彼自身が望んだこと。あのとき、御自おんみずら手をお放しになったのですよ」
- 「なら、マグサリオンはまだ地上に?」
- 「おそらく。あなたは集中していましたからお気づきにならなかったかもしれませんが、寸前に強い我力が落ちてくるのを感じました。察するに、バフラヴァーンかと」
- 事態のあらましを理解して、私は目眩と焦りに襲われた。
- 「そんな……じゃあ彼は、バフラヴァーンと戦うために残ったのですか」
- 無謀すぎる。噂に聞いた話だけでも、第三位魔王は怪物中の怪物だ。我々が空葬圏にいたとき、たった二人で聖王領を半壊させたザリチェードやタルヴィードすら、飛蝗の王に比べれば甘い相手なはずだろう。
- それを策もなく、一人で迎え撃とうなんて正気の沙汰じゃなかった。しかしこんな一般論が、あの人には無意味なのも知っていて……
- 「我々は庭園の法に頼り切りでしたから、瞬間移動の心得がありません。よってあなた次第なのですよ」
- ムンサラートの言わんとすることは呑み込めた。つまり進むか戻るか。お父様の打倒かマグサリオンの救援か、私が決断するしかない。
- 唇を噛みしめて拳を握り、数秒が永遠にも感じる煩悶の果て、出した答えは前者だった。
- 「……進みましょう。私はマグサリオンを信じます」
- 常識的には無茶だと思う。でもマグサリオンならもしかしてと、期待する気持ちは嘘じゃない。
- 加えて私は、自分の出生に触れて真実を解き明かしたくもあった。そのためにはお父様の中枢に至らねばならず、今を逃せば二度と不可能な予感がしている。
- 「心得ました。まあ実際、行ったり来たりの立ち回りを試みるほうがご都合的というものでしょう。何度もここに入れるとは思えませんし、戻るよりは先行して、待つのが得策かと存じます」
- 「そう言ってもらえると助かりますね。相手があなたではあまり嬉しくありませんが」
- 慇懃に微笑するムンサラートへ、形式だけの目礼を返した。第一位魔王クワルナフと第三位魔王バフラヴァーンの相打ち狙いはいきなり破綻したようなものだが、スィリオス様とカイホスルーは過程を重視していなかった。どんな形で推移しようと、結果は必ずこちらが勝つとも。
- ならば私はその奇跡を見届けたい。思うところは多々あれど、乗った以上は途中下車する気もなかった。
- 「よろしいですかお嬢様。もしもご不満ならば、私にクイン様の翻意を命じてください。可及的速やかにあらゆる手段を講じさせていただきます」
- 物騒なことをさらりと言う殺人鬼に、その姫君は首をふるふると横に振って応えた。
- ……というか、意味不明にキラキラした目で私を見上げているのですが。
- 「信じる……ええ、そうですね。私もマグサリオン様を信じます。信じてますとも!」
- 次いでこちらの両手を握り、激しく上下に振りまくる。いやちょっと待って。何をテンション爆上げてるんですかこの魔王は。
- 「でもわたしだって負けませんから! あなたよりわたしのほうがマグサリオン様を信じてますから! そこは断固として譲りませんわ、もう絶対にっ!」
- 「いた、あの、やめて肩がっ」
- ぬける。もげる。力強い。やる気ですかいい加減にしてください蹴り飛ばしますよ!
- 「きゃー、お嬢様ったら情熱的ですぅ」
- 「ライバル……これが強敵と書いて友」
- わけの分からないことをきゃいきゃい言ってはしゃぐメイドたちに、なおいっそう盛り上がっていくフレデリカ。そしてそんな黄色い様子を、微笑ましく見守るムンサラート。
- なんですかこれは。新手の呪詛儀式か何かですか。早くも先の選択を後悔し始めていた私だが、今さら手遅れなのは明白で。
- ともあれマグサリオンを欠いたまま、殺人鬼たちとの作戦を続行する運びとなった。
- ◇ ◇ ◇
- そうして初期位置の谷底から出た我々が目にしたものは、例の不思議なクリスタルが果てしなく広がる大地だった。ここが破滅工房の主星内部なのは疑いなくとも、何せ元が巨大すぎるため探索は困難を極める――かと思いきや、幸運にもそうはならない。
- どこまでも画一的に見える異相の世界は、そこにたった一つの例外を許容していた。スケールの桁が違うので距離を推し量るのは難しかったが、地平線を歪める形で明らかに構造物と思しきものが聳そびえ立っている。
- その外観を表現するのは難しい。ある種の頭足類を逆さまに突き立てたような、無数の手が救いの糸を求めて殺到するような、幾つもの巨柱が捻じれて絡まり合い、天に向けて伸びる様は無秩序な混沌的で、なのに時計の歯車みたいな幾何学的整然さを醸している。
- 恐ろしげだけど荘厳でもあり、狂気を感じるが胸を打つ芸術性も否定できない。まるで二元論の融合、反転――既成概念を崩したのか翻弄されたのかも不明な在り方を、私は“神殿”だと直感的に受け取った。
- 何にせよ、尋常な代物と言えぬ点だけは確かだろう。工房の中枢はこれ以外に考えられず、再度の瞬間移動で私たちはその外壁に転移した後、内部への侵入を果たす。
- まさに鬼が出るか蛇が出るか、淡く発光する螺旋状の回廊を上層に向けて登る道行は、極度の緊張感を我々に強いて然るべきはずだったのだが……
- 「あいたっ、申し訳ありません」
- メイドの少女たちが転んだり、互いにぶつかったりしてどうにもシリアスさが薄れる上、歩みも遅々として進まなかった。そこに苛立ちは覚えるものの、彼女らとて単なる不注意からドジを連発してるわけじゃない。原因はフレデリカの指示にあった。
- 視界を狭く曖昧にしろ。ここでは見ようと思って見るな。可能ならずっと目を閉じていたほうがいいと。
- もともと非常に思考が読みにくい――と言うより何も考えていない――相手だが、その指示には奇妙な重さがあったので私もできるだけ従っている。しかしそろそろ限界だったので、改めて問うことにした。
- 「フレデリカ、いったいこれに何の意味があるのですか。このままだとさすがに支障が出てきますよ」
- 「そうですねえ。でもちゃんと見てるほうが良くないと思うのですよ」
- などと言う本人も薄目で視点をぼやかしつつ、首を捻っている。性格的に説明下手なのは充分すぎるほど察するが、こんな状態が続くようではいざというとき困るだけだ。私は一応言われた通りに直視を避けつつ、仕草で周りの状況を示して続けた。
- 「今、我々はお父様の創造物に囲まれています。そう考えれば用心するのが道理ですし、迂闊に興味を持って触れるような真似は慎むべきでしょう。けれど在るものを認識せずに見逃すのも、同じく危険だとは思いませんか? あなた方が不死身とはいえ、そこを軽く考えないほうがいい」
- 「はあ、まあ、ですけど……」
- 「クイン様は情報を明確に区分けしたいと仰られているのですよ、お嬢様」
- なおも言い募ろうとする私を、横からやんわりとムンサラートが制していた。彼は目を完全に閉じており、にも拘わらず一切の不如意を感じさせない立ち居振る舞いのまま、驚くべき平静さを保っている。
- 「大事なのは取捨選択かと。すべて一緒くたに閉め出すよりは、見てよいものを限定したほうが混乱は少なくなります。具体的に申しますと、我々同士までが目を逸らさねばならないのでしょか?」
- 「ああなるほど、確かにその必要はありませんね!」
- ぱっと花が咲いたように微笑んで、フレデリカは自分の執事を褒め讃えた。次いでメイドたちに目を向けると、出した指示に変更点を付け加える。
- 「お互いのことならしっかり見ても構いませんよ。これで少しは歩きやすくなるでしょうし、クインもよろしい?」
- 「……ええ、多少なりともマシになりました」
- この神殿を注視できない問題は継続中だが、自軍の様子に気を配れるなら不測の事態もかなり防げる。このあたりで妥協するべきかと嘆息していたら、目を開けてこちらを見下ろすムンサラートの不思議な視線に気付いた。
- 「……何か?」
- 「いえ、捕捉が必要かと思いましてね。お嬢様は会合ガーサーでクワルナフと対面した経験がおありですから、その上で成された判断なのでしょう。見るなというのはおそらく、彼がよほど奇異な姿をしているからだと愚考します」
- 言われ、私は心中で呻きを漏らした。
- なるほどムンサラートの指摘通り、お父様があの巨体のまま会合ガーサーに参じていたとは考えにくい。つまりフレデリカは、破滅工房の魂体しょうたいを見知っている。見たことがあるからこそ、見るべきではないと指示したのか。ならばそこに宿る真意はいったい?
- 私は振り返ると、歩きながらメイドたちと談笑している彼女に尋ねてみた。
- 「フレデリカ……お父様の核は、どんな姿形をしていたのですか?」
- 「分かりませんね」
- しかし返ってきたのは、そんな身も蓋もない答えでしかなく。
- 「人型のようだったとは思います。けれど細部を説明できませんし、正直に言うと記憶もまともにできていません。あれは本当に何だったのでしょうか……存在感が希薄なのかと言われればまた違って、逆に鮮烈すぎるから論ずる術がないような」
- 「でもあなたは、お父様の真実に危険を感じている」
- 「危険?」
- おうむ返しに呟くと、フレデリカは目を丸くした。
- 「いえ、そういうのではありませんよ。たぶんですけど」
- 「だったらどうして見るなと言ったんですか」
- 「クイン様、お嬢様の戒律をお考えください」
- 焦れて詰め寄った私を、再びムンサラートの落ち着いた声が止めていた。彼は表情を変えぬまま、主人の拙い語り口を淡々とフォローしていく。
- 「それが“攻撃”に値するものであれば、我が主に回避の選択はございません。よってクワルナフの外見そのものに、何らかの害意が宿っている可能性はありますまい」
- 「ですがっ……」
- 「ええ、見て快いものではないのでしょうね。お嬢様をして忘れたくなるほどに……我々ごときが直視すれば、はたしてどうなってしまうのやら」
- やや語尾をあげる口調に彼なりのユーモアを感じたが、まったく笑える話じゃなかった。
- 言うなれば魔貌、魔形――受け手の処理能力が崩壊するほどの情報を、量か質か、もしくは両面で体現している姿。もしもそんなものがあるのなら、確かに見るべきじゃないのだろう。視線一つで対象を石に変える力は物語によくあるし、実際にカイホスルーの権能がその類だが、お父様の場合はこちらが見た瞬間に発動する。
- しかも害意なく、単に垂れ流しているだけの現象として。強制的に周囲を侵食し染め上げるのだとしたら、これも覇道というやつなのか?
- 「まあ、なんとかなりますよ。そういうわけで、みんな元気よく進みましょう!」
- 「了解ですお嬢様っ」
- 私の不安をまったく考慮せず、見た目だけは微笑ましい少女の集団がどんどん先へと歩いて行く。溜息まじりにその背を見やり、重い足取りで一歩踏み出そうとしたときだった。
- 「お気を付けください。急な勾配ですからね」
- 「あ、どうも……ありがとう、ございます」
- よろけて転びかけた私の肩を、ムンサラートが支えていたのだ。思わず礼を言ってしまい、悔しいのか恥ずかしいのか分からない気持ちが込み上げてきた私は、顔を背けるのも癪だったので黒衣の執事を睨もうとする。
- そこで再び、あの奇妙な目にぶつかった。
- 「何か?」
- 「いえ……」
- 先ほどとは逆のやり取り。だが私を見つめるムンサラートの眼差しは、やはりどこか普通じゃなかった。穏やかで笑みに近く、喩えとして不適切かもしれなかったが、まるで遠い昔に別れた恋人の面影を追うような……
- 馬鹿馬鹿しい、この殺人鬼にそんな情動があるもはずもない。仮にあったとしても相手は筋金入りの魔将ダエーワで、私は戦士ヤザタだ。今はやんごとなき事情から共闘に合意しているが、本質的に不倶戴天なのは揺るぎなく、なのにどうしてそんな目でこちらを見る?
- 自分でもわけが分からず、結局私は睨む代わりにムンサラートの手から離れて、全然別のことを尋ねていた。
- 「あなたは昔、ワルフラーン様と戦ったのでしょう? そして彼に従属した」
- 「はい、実に見事な手際でやられましたね。あれは素晴らしい体験でした」
- 「ではなぜ……!」
- 律儀に答えるムンサラートへ、追撃する言葉は知らず激しさを帯びていた。
- またあの目。敵対する黒白の関係を無視した瞳に、結局問いの内容を戻される。
- 彼は私を仲間みたいに見ていると――これが気のせいじゃないのなら、現在における殺人鬼の立場は何だというのか。
- 「どうしてフレデリカに従っているのですか。あなたにとってワルフラーン様は彼女に劣ると? いったい何を根拠にそんな選択――」
- 「おかしなことを仰る。私は不義者ドルグワント、黒なる者です。ならば仰ぐべき主君として、魅せられるのは同じ闇から生まれた魂に……何も不思議な話ではありますまい」
- 「詭弁です」
- 断固、首を横に振って否定した。なぜなら私は、ワルフラーン様ほど底知れぬ御方を未だ知らない。事実だけを並べればお父様に敵わず、守るべき民に裏切られて死んだ敗北者だが、その視点は誰よりも先へ行っていたと感じる。
- いつか本当の勝利を掴もうと、死の間際に笑って告げた言葉。それを聞かされた過去の誰かと、夢に見た私。
- スィリオス様もマグサリオンも、ワルフラーン様の最期に触れて単純な黒白では計れぬ道へと進みだした。まさに混沌と言うしかない現状は、間違いなく勇者の死から派生している。
- よってムンサラートも、少なからずその影響を受けたはずだ。証拠にいくら戒律の都合といっても、自分を倒した者に善悪関係なく従うなんて異常だと思う。同じ従属型の縛りを持つ私だからこそ、一線を超えて見える。
- 今さら黒は黒をより愛するのが道理だと、常識じみたことを言っても空々しく響くだけ。
- この殺人鬼は、とうに真我アヴェスターの二元論からずれているのではないか?
- だから私を慈しむように見て、なのに勇者へ誓った忠誠を翻し、魔王の側近に収まった選択は何を意味する?
- 「つまり私の変節が許しがたいし解せないと。まあ、仰りたいことは分かりますよ。実際、壊れた半端者ですからね」
- 自嘲気味に薄く笑って、肩をすくめるムンサラート。禍々しいノコギリを手に持ちながら、その顔は透き通るほど邪気のないものだった。
- 「私の戒律は二つあります。一つはご存知のようですが、煎じ詰めるところ道具ですよ。使われる立場として服従する代わりに、主命を果たすための力が得られる。他にも主の下知に即応できるよう、視点を重ねたりできますがね」
- 「同調機能なら私にもあります。あなたはそれを使ってワルフラーン様の最期や、幼い頃のマグサリオンを見ていた」
- 「ええ、ただ漫然と眠るのは暇でしたから」
- 頷くムンサラートに、私は目で先を促す。ここまでは既知だし推測できる範疇だったが、自分のことを半端者だと言った彼の真実は依然謎だ。きっとそこは、二つ目の戒律に繋がるのだろう。
- 「しかし片方はもう使えません。ワルフラーン殿に持っていかれました」
- 「は?」
- 予想外の答えを聞かされ、思わず呆けた声を出してしまった。持っていかれたとは、いったいどういう意味なのか。
- 「あの御方は倒した者から剣を奪い取るのですよ。有り体に戦利品を鹵獲ろかくするようなもので、単純に戦闘力を加算していく場合もありますが、私のときは戒律を取られました」
- 「それが勝者の特権だから……?」
- 「仰る通り」
- 言われてみれば夢の中で、そういう話を聞いた気がする。
- ワルフラーン様は勝てば勝つほど強くなる。不敗の戒律が与える見返りは、勇者が勇者である限り飛び続ける翼なのだと。
- 「ゆえに今の私は壊れています。戒律は二つ“あった”と言うべきで、半分裂かれたまま生きている。どだいまともな判断力を期待できる状態ではありませんから、こんな男の言動など気にせずともよろしい」
- 「あ、待ってください」
- 話を切りあげ、歩きだそうとした彼を呼び止めたとき、先行していたフレデリカが大きな声で不満を叫んだ。
- 「何をしているのですか二人ともー、早く行きますよー!」
- 「申し訳ありませんお嬢様、すぐ参ります」
- そして諾々と主命に従うムンサラート。私はその背を見上げる形で続きながら、もう一つだけ問いを投げた。
- 「あなたの失われた戒律とは何なのです?」
- 別に答えを期待していたわけじゃない。ただ尻切れトンボで話を終わらせるのが嫌だったから、自分の意志くらいは形式的に通しておこうと思ったのだ。
- するとムンサラートは立ち止まり、首だけこちらに振り向くと。
- 「未来を見る力ですよ。ほんの数秒先にすぎませんがね」
- またあの目をして私に微笑み、そう言ったのだ。
- 「もう、なっていませんわねあなた達。マグサリオン様が奮戦なされているときに、我々がぐずぐずしていい時間は一秒だってないのですよ?」
- 「重ねてお許しくださいお嬢様。どうもクイン様を見ていると、過日の奥様を思い出してしまい」
- 「ふーん、そんなにお顔が似ているのかしら。名前だけじゃなく?」
- 「さて、しょせん私の主観ですから当てになるものではありませんが、強いて申さば容姿よりも雰囲気の相似かと」
- 合流した場で繰り広げられるやり取りを、私は他人事のように聞いていた。正確には先の話が気になりすぎて、他の情報がほとんど頭に入ってこない。
- ムンサラートの第二戒律は未来を見る力。それがワルフラーン様のものになったというのなら、はたしてどんな効果を発揮したのだろう。
- まず間違いなく、原形のまま引き継がれてはいまい。勝利するたびに他者の戒律を背負っていたら、ワルフラーン様の縛りは多重どころの話じゃなくなる。そんなのはもはや自殺行為の罰ゲームで、“勝者の特権”と言えなかった。
- そもそも鹵獲した戦利品は、規格を変更して再利用するのが戦の常套。奪った側の都合がいいようにするものだから、ムンサラートの戒律はアレンジされたと見るのが正しい。
- では、どのように?
- 変更が矮小化や簡略化に直結するとは限らない。新たな使用者に合わせるなら、その器次第で異常な改良、進化を遂げる場合も充分有り得る。ましてワルフラーン様に適した規格となればなおさらに。
- 勇者は未来の景色を見ていた。ムンサラートには数秒先が限界でも、さらに先まで、ずっと果てまで。
- ならばこの今も、ワルフラーン様は予見した上で死を受け入れたのか? なんのために?
- 「ちょっとクイン、聞いてますか?」
- 「え、ぁ――はい」
- 再び大声で呼ばれ、私の思考は寸断された。見ればフレデリカが腰に手を当て、頬をぷんぷんと膨らませている。
- 「ムンサラートの昔話が興味深かったのは結構ですが、大事なのは今です。未来です」
- まさにその未来的な概念に思いを馳せていたのだが、この場で考えることじゃないと批判されれば返す言葉もなかった。殺人鬼の首魁に正論で詰められるのは癪だけども。
- 彼女はムンサラートの過去をどれだけ把握しているのだろう。一応、主人としての振る舞いは慣れた感じだし、部下への興味がちゃんとあってもおかしくない。全部を吐露させた上で、すっかり忘れてそうな感じもあるが。
- 「ここからどの道を進むべきか話してたんです。あなたの意見を聞かせてください」
- 「ルートの指定をせよと? しかしそう言われましても」
- 我々の現在地は、細い螺旋回廊の真っただ中。精査を禁じられた状況なので周囲の様子はぼんやりとしか分からず、また自分の出生を辿る帰巣本能も働かない。
- とはいえそれでも、両脇の壁に幾つものが穴が開いているのは察せられた。想像するにここから先は、蟻塚の内部めいた入り組み具合を見せ始める。
- 「ひとまず道なりに進むのが得策では? 主道はここのようですし、あえて逸れるのは冒険が過ぎるかと」
- 「偉い人は最上階にいるっていうのがお約束ですもんね。ならやっぱり、このまま行くのが一番ですよお嬢様」
- 俗な表現ではあるものの、真理を突いた答えだと思う。私に賛同した黒髪の少女は、友人らしき別のメイドへご機嫌な顔で話題を振り――
- 「ねえファラ、あなたもそう思うでしょ」
- そのとき、すべてが意味を失った。
- 「――――」
- 色が、音が、匂いが、時間が、同時に引き千切られて砕け散った。
- ファラと呼ばれた少女の背後、間道から現れたソレが視界を掠めた刹那、我々全員の心は一つの概念に埋め尽くされ、他が駆逐されてしまったのだ。
- ■、■、ただ絶対的に■■■だけのモノがそこに在る。茫漠と宇宙の荒野を彷徨うように、私たちを見もしないまま歩いている■の化身。
- 脳が蒸発する。自分の身体が何処にあるのかも分からない。確かなのは、その■■■存在が我々の間を歩き去っていくという事実だけ。
- 見たい。見るな。目に焼き付けろ眼球を抉り出せ――これは悪魔だ、いいや違う救世主だ。終わっている開闢かいびゃくの導き手は失われた祈りを探し探し求めて忘れてどうしようもなく餓えながら飽食する己の在処ありかを笑うべきか嘆くべきかも分かっていない!
- その輝く貌かお、奇跡を結集して編み上げた光輪のような――
- 「クワルナフ、お兄様」
- 呟かれた名を音じゃなく真理として、私は悟る。
- フレデリカは正しかった。コレを形容できる言葉はない。コレを定義できる事象があって堪るか。
- あまりにも■■すぎて。
- 我々が普段使う■の範疇に収まり得ぬ、むしろ根源として君臨すべき■なのだから。
- 「誰だおまえたち」
- 魂に訴えかける声すらも、渦巻く万象を流出させんとするため死にたくなる。
- 真紅の瞳が茫洋と、宇宙の深淵よりなお深い闇と光を孕みつつ、私たちを見つめていた。
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