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- Questions for Yuasa-san
- まず、海外のファンとインタビューをしてくれてありがとうございます。本当に感謝いたします。マインドゲーム、四畳半神話体系、ねこじる草などの作品で湯浅さんのことを知っている海外のファンは、亜細亜堂とシンエイ動画で働いた事をよく知らないと思います。その二つの経験について主にお伺いしたいです。
- 1)初めて働いたスタジオは亜細亜堂でした。ふりかえると、オペレーションは他のスタジオと何かの大きな違いがありましたか。アニメ事業に伝いたい影響はありますか?
- 演出もやる上手いアニメーターの方々が作った会社なので、できる前に、できるようになれとどんどん新しい仕事に登用され、漫然とする余裕もなく、多くのことを学びました。
- 結局四年間で、動画、原画、レイアウト、絵コンテ、キャラデザイン、設定デザイン、作画監督、演出などを一通り経験しました。原画になったとき、最初の仕事を芝山さんやトップのアニメーターの方が描いてくれるのが勉強になったり、動画の下書きとクリンナップの2回、必ず担当のキィアニメーターにチェックしてもらうシステムも良かったと思います。その後いろいろなスタジオに行きましたが、25年経っても、愛着がありますし、出身者はその影響下にあると思います。
- 2)小林治さんと芝山努が監督で勤めたA Productionのアニメが好きだと言ったことがありますが、その有名なディレクターさんたちと働いたのはいかがでしたでしょうか。その二人は新アニメターに相談してくれましたか。
- 直接に仕事する機会は少なかったのですが、その機会には仕事の早さと的確さ、知識量の豊富さに驚きました。そして芝山さんはとても柔軟で先進的な方でもありました。後で思うと、芝山さんたちは質問しにくるのを待っていましたが、わたしは恐れ多くて行けませんでした。キィアニメーターになりたての頃、様子を見に来て、教えてくださった事もあったのですが、そのときの言葉はいまでも自分の宝物になっています。
- 3)「しろくまくん、ふねにのる」という作品は、湯浅さんの普通のスタイルとだいぶ違います。私に言われたら、「しろくまくん、ふねにのる」は「しんちゃん」より、大橋学さんと名倉靖弘のスタイルに近いと思います。なぜそのスタイルに戻っていないですか?
- しろくまくんは絵本が原作で、そのタッチを真似て作画をしています。非常に神経質な線で、細かい振動を伴った書き方が必要だったので、とても神経にさわり、時々描いていると大声で叫びたくなりました。続けていたら発狂していたでしょう。
- 4)「ちびまる子ちゃん」のスタイルは、「しろくまくん、ふねにのる」と「アニメ落語館」のスタイルと大きな差があります。そのスタイルシフトの理由はなんでしょう。
- 作品によってスタイルは変えるべきだと思っていましたし、いろいろなスタイルが描けるのがアニメーターだと教わっていました。若いときはできるだけいろんなタイプの作品をやってみたいと思っていました。
- テレビシリーズのちびまる子ちゃんは、原作の漫画のスタイルを表現するために、芝山努さんが作った平面的なスタイルがありました。ミュージッククリップになると、そのスタイルは少し残しつつ、ノーマルなシーンと同じに見えないよう、工夫しました。
- 「落語館」は原作の絵はなく、自由でした。Aプロのスタイルは大好きですが、そういうスタイルが、今は求められてないと感じていました。亜細亜堂を辞める時期でしたし、Aプロの真似はこれで終わりにしようと思って、Aプロを意識したスタイルにしました。
- 5)80代と90代のアニメーションは現実的な描写にフォーカスしていましたが、湯浅さんのスタイルにはそのイメージはあんまりないと思います。時代の流れに逆行していましたか。
- 最初はいろんなスタイルのものがやりたいと思っていて、現実的な描写もその一つでした。しかし、当時行われていた現実的なスタイルは、自分が考えていたものとは違い、自分なりのスタイルで現実的なものをやりたいと思っていました。最初が「八犬伝」です。しかし演出の大平晋也氏は、わたしよりはるかに現実的な絵柄で描き、尚且つアニメーションの自由な魅力も同時に表現できる達人でした。そのスタイルにもとても共感しましたが、同じスタイルをやるには自分には能力が足りないと思いましたし、コストパフォーマンスも悪いと思いました。また、わたしより描ける人が他にたくさんいました。
- 6)湯浅さんがアニメを描く上で何か特別なアプローチはありますか。 アニメーター的に、湯浅さんの作ったカットは一風変わって、素晴らしいと思います。その上、湯浅さんはアニメ業界にない色彩感覚を持っていると思います。
- 漫然としない事。絵でも音楽でも色、背景、声の演技でも、いつも必ずなにか表現しようと試みる事を、モチベーションや楽しみにしています。実写も参考にしますが、トレスするのではなく、感じたことを表現することを第一に心がけています。
- 7)湯浅さんの「さくらももこワールドまる子ちゃんわたしの好きな歌」のカットは「Yellow Submarine」の各ところに似てます。湯浅さんのアニメションは日本のアニメーターからより、海外のアニメションに影響を受けたと感じます。海外のアニメションをどう感じますか。アニメ業界はワーナーブラザースに対して「あまりいい感情は持っていない」ものなのでしょうか?
- もちろん日本のアニメーターから多くの影響を受けていますが、海外のアニメーションが新鮮に感じるところもありました。作った国がどこかは関係なく、新鮮なものに影響を受けます。日本の業界にもワーナーブラザーズが好きな人は多いと思いますが、日本にはワーナーブラザーズの様な仕事の需要が少ないのかもしれません。
- 8)1992年に「クレヨンしんちゃん」に参加して、そのシリーズの映画版本郷みつるさんと共に作りました。その時、仕事はどう変わりましたか。
- 本郷さんもわたしと同じ亜細亜道にいて、世代も遠くない。
- クレヨンしんちゃんはキャラクターがシンプルで、動画枚数もたくさん使えたので、楽しく動かすことができました。多分これ以上に楽しい仕事は今後ないだろうと思いながら仕事をしていました。本郷監督の上手い誘導もあり、作品も大ヒットしたので、わたしも注目され、多くの人に知ってもらう事になりました。中でも絵コンテを経験した事はとても大きかった。わたしを登用し、柔軟な制作スタイルを行っていた本郷監督に感謝しています。設定や、絵コンテに参加した事によって、苦しいだけの向いてないと思っていたアニメーションの仕事が、180度変わって、楽しい天職だと思うようになりました。
- 9)初回の「しんちゃん」の映画版、湯浅さんが設定デザインを勤めました。「設定デザイン」としてどんな仕事しましたか。
- ポイントになる建物や風景のデザイン、内装や小道具、乗り物のデザイン、アクションのアイディアを考えたりしました。それと、オーダーがなくても、勝手に設定や展開なども考えるようになりました。しかし、使われたものは少ないと思います。
- 10)「クレヨンしんちゃん」シーリズの映画版の各ところは宮崎さんの東映で監督として加わった映画に似てると思います。「クラヨンしんちゃんヘンダーランドの大冒険」に出るテーマパークは「アリババの40匹の盗賊」の塔を言及してますか。
- もともと監督の本郷さんが、その頃の東映アニメーション映画が好きな方ただったので、そういう楽しい制作スタイルを望んでいたと思いますし、宮崎さんよりレベルはかなり低いですが、わたしも意識していました。デザインは「長靴をはいた猫」や「どうぶつ宝島」のようなシンプルな形をイメージしています。
- 「ヘンダーランドは」その二つの映画と、ディズニーランドなど、実際のテーマパークを意識しながらデザインしました。「アリババ〜」も宮崎さんが担当したシーンが好きで何度も見ていたので、影響されていると思います。
- 11)ディレクターになる気掛けは、「しんちゃん」の仕事と何かの関係がありましたか。
- 絵を描くことに興味があって、ディレクターには興味がありませんでしたが、「しんちゃん」でデザインしたり、アクションを考えるために、多くの取材、資料探しをするうち、多くの新しい分野に興味を持ち、表現したくなってきました。そしてやはり、絵コンテを担当した事が大きかったです。画面が動くのをイメージしたり、キャラクターのアクションやお芝居、心の動きを捉えることは、アニメーターの仕事を拡大したような感じがして、絵を十分に描かなくても満足できましたし、今までの仕事より、数十倍面白かった。
- 自分の作画能力に限界を感じていましたから、ディレクターの方が自分の中に開拓できる荒野がたくさんあると感じました。
- 12)「しんちゃん」に代役だと言われてますが、一般のファンは大塚正美さんの事をよく知らないと思います。大塚さんの面白い話はありますか。大塚さんは何故「しんちゃん」シリーズのデサインをそんなにラジカルな方向に変えましたか。
- 大塚さんは、その前からずっと良い仕事をされていて、いつも意識していました。
- 「大塚は皆上手い」と言われていて、大塚康生さん、大塚伸治さんと並び表されていました。
- 「ふくちゃん」という作品では、キャラクターデザインを担当された亜細亜道の尊敬する先輩も、大塚正美さんから影響を受けたと言っていました。黙々と仕事をする方で、会話した事はほとんどありませんでした。一番の驚きは、初めて原画を見たときには上手いと思えないような絵だった事です(エスパー魔美)。でも、放映されたそのシーンを見ると凄く上手い。それを見て、原画を綺麗に書く必要はないと思いました。それとアクションレコーダーを使って何度もプレビューして書かれているので、自分もアクションレコーダーを使って良いと決めて、その頃使っていました。昔はアクションレコーダーはあまり使うなと言われていて、その時間を次のカットを描く時間に当てはめた方が良いという意見が主流でした。
- 13)末吉裕一郎はどんな人でしたか。どう会いましたか。湯浅さんは末吉裕さんの特有のスタイルに何かの影響になったと思いますか。
- 末吉さんは、しんちゃんをやってる間、「忍ペンまん丸」などで会いました。さっぱりしていて、気さくな方です。
- 5本目の映画「暗黒タマタマ」で末吉さんが描担当した東京へ帰ってくるシーンが素晴らしく、それからとても意識するようになりました。以前は絵が、自分のクセにとてもよく似ていいて、自分の絵か末吉さんの絵かわからなくなるほどでした。末吉さんはわたしの描き方が好きになって仕事が変わったと言ってくれましたが、わたしはずっと机に座って仕事をしていて、末吉さんは遊びに行って戻ってきたり半分は休憩をしているのに、わたしよりたくさん描いていて、わたしより画力も高く、わたしには真似できないレベルの人です。
- 14)「しんちゃん」には『人が必死に走り回る』のシーンは多いです。そのシーンは、湯浅さんに何かの特別なアピールをもってますか。
- 走るのは最も分かりやすく、感情もこもるキャラクターのアクションだと思います。
- 15)「しんちゃん」のアニメーターとして勤めていたうちに、大平晋也さんの有名な「はまじ再臨」(THE八犬伝の第十話)作画監督として勤めていました。そんな大役を任された経緯を教えてくだいさい。
- 当時、わたしはまだ大平晋也くんを知りませんでした。彼がクレヨンしんちゃんを見て、連絡があったと思います。
- 16)これは私の意識過剰かもしれませんが、大平さんと働いた後、湯浅さんのスタイルは変更しました。「まる子ちゃん」の『角のある』スタイルに対して、もっと『ふくよか』なスタイルにシフトがあったと思います。湯浅さんの芸術には、『ハード』と『ソフト』の芸術的な対象はありますか。
- ふくよかなものはその前から描いていましたが、大平くんの仕事からは別の多くのものを学びました。周りの人にいつも影響を受けていますが、大平君は特に大きかったかもしれない。リアルでダイナミックなスタイルを模倣できるものならしたいと、しばらく思っていましたが、それは無理でした。
- 劇画風のものとカートゥーンぽいものは、交互にやりたくなりました。ハードなものを描いているとソフトなものが描きたくなるし、ソフトなものを描いているとハードなものが描きたくなりました。どちらもやりたかったので、交互にやりたいと思っていた。
- 17)「THE八犬伝」の後、いろいろなプロジェクトを受け取り、アニメ業界中のスタジオ(4C, IG, JC Staff, Ghibli) で働いていました。これはどんな経験でしたか。
- 「しんちゃん」のおかげで、多くのオファーがあり、しんちゃんの映画の合間に仕事をしました。
- スタジオによって方針やり方も違い、初めて一緒に仕事をする人がほとんどだったので、
- 最初はなかなか自分のやり方にも理解が得られず、亜細亜堂、シンエイ動画以外のスタジオは外国のように感じました。しかし、その都度そこのやり方を吸収して、自分のやり方を理解してもらおうと努力する事で、自分のスタイルも少しづつ変わっていったと思います。デジタルが普及し始めたのも大きかった。慣れればどこも良い国です。
- 18)アニメーターとして働いた日々を懐かしく思っていますか。
- いつも新しいプロジェクトに向かっていて、昔の事は忘れがちですが、最初の過酷な数年間は実に多くの事を集中的に学んだと思っています。
- 19)質問に関する逸話とコメントはありますか?
- 亜細亜堂では、歳の近い西村博之さん、藤森雅也くん、浜名孝行さんのすごい仕事ぶりにも影響されたことを言っておきたいです。
- 20)最後に、海外のファンのために、今ディレクターとして勤めているプロジェクトのヒントを教えていたけませんか。
- 小説を原作にしたものと、ファミリー向けのオリジナル作品の2本の劇場作品を制作しています。終わり次第、人気コミックをシーリーズで作る予定です。
- また、インタビューをしてくれてありがとうございます!
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