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May 29th, 2015
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  1.  先に気づいたのはミラの方だった。スーパーで一緒に買い物をしていた際、外のほうを眺めながら彼女はぽそりとつぶやいたのだ。雨が降っているかも、と。僕は買い物カートをミラに任せ、一度スーパーの外に面する窓まで近寄り、様子を確認する。既に時刻も七時をまわっており辺りは薄暗く、光溢れるスーパーの中からでは外の気配を目視するのが難しくなりつつあるにも関わらず、ミラの指摘は当たっていた。窓では多くの水滴が、自ら通った道を示しながらガラスを駆け下りている。
  2.  ミラの元に戻ると、ちょうど彼女は惣菜のコーナーで、色とりどりのおかずをぼんやりと眺めていた。僕は彼女に話しかける。
  3. 「確かに降り始めてたよ、ミラちゃん」と僕。「天気予報はこれから雨だ、とは言っていたけれど。降りだす時間はもう少し遅かったように思うんだけどな」
  4.  ミラは僕の報告に対し、「そう」と返した後で、
  5. 「でも大丈夫、傘があるから」と、マイバッグの中にあるそれをチラリと僕に見せた。黒く、柄も短い、どちらかというと男性向けの折りたたみ傘。僕はその傘に、なぜか見覚えがあるような気がした。
  6. 「えっと、その折りたたみ傘は」
  7. 「それより、今日の夕ごはん。何が食べたい、ゆうすけ? ベルは……出かける時に聞いたら『ケーキ!』って言っていたから、無視することにして」
  8. 「無視するの」
  9. 「……デザートに小さいのなら、いいと思う。それで、ゆうすけは何がいい?」
  10.  恐らく、ここは「ミラちゃんの作るものならなんでも」という解答では、彼女の機嫌を損ねることになるだろう。もっと具体的な例が欲しいのだ。そう考えた僕は惣菜コーナーの中から三パック、自分好みのものを買い物カートに入れる。
  11. 「煮込みハンバーグが三つ……」
  12. 「こういう時にこそ、作るのがめんどくさそうな料理を食べるというのもありなんじゃないかなって」
  13. 「ん、じゃあそれで」
  14. 許可が降りた。
  15.  
  16.  
  17.  ミラがスーパーの惣菜コーナーのお世話になるというのは、そこそこ珍しい類の出来事だった。少なくとも僕が彼女達の食卓におじゃまするようになってからは。だいたいどんな時にでも、ミラは何かしらの手料理を用意してくれるという、僕自身見習わなければならないマメさを発揮していた。のだけれど、さすがに好きな漫画家の作品の発売日となるとそうはいかなかったらしい。すっかり読み耽っていたミラは、ベルの「ごはんまだー」発言で我に返り、ちょうど屋敷の前に到着した僕を荷物係として、近場のスーパーへと赴いたのである。
  18. 「ゆうすけがいてくれて助かった、かな」買い物カゴからマイバッグへ、買った物を移しながらミラは言う。「ベルとふたりで買い物に行っても、こんなに沢山のものは、ちょっと運べないから」
  19. 「こんなことでも君たちの役に立てて嬉しいよ」と、僕は言った。「普段はごはんとか、呼ばれてばかりだしさ。そんなんじゃ、とてもじゃないけど、君たちの保護者として雇われたとは思えないし」
  20. 「保護者」と、ミラは僕が発したその言葉だけを返す。「そう……ゆうすけは、そういう立場だったはず、私達と出会ってからは」そう言って、少し考えこむように首を傾げる。
  21. 「どうかしたの」と僕が聞くと、ミラは何でもないと返し、続けてこう言った。「帰ろ、ゆうすけ。傘に荷物に、色々と持ってもらって悪いけど」
  22.  
  23.  
  24.  荷物を詰め終わり、ミラと僕がスーパーから出る頃には、雨脚はますます強くなっていた。とてもじゃないが傘も無しに外を出歩くことなど不可能な状況だ。
  25. 「ミラちゃん、傘を」と僕が手を差し出すと、彼女は先ほど見せてくれた折りたたみ傘を差し出してくれた。傘の柄のざらざらとした触り心地は、以前これを何処かで握った覚えがないだろうか、という疑問を僕の頭に生じさせる。指で探ると、ちょうど開くためのボタンが親指に当たる。強く押しこむと、折りたたみ傘はまるで自分の出番を待ちわびていたかのように勢い良く開いた。
  26. 「よし、じゃあ行こうか……ちょっとこの雨の強さは躊躇しちゃうけど」
  27. こくり、とミラはうなづく。ミラは片手に牛乳パックが入ったビニール袋を持ち、心なしか僕に身体を寄せてきた。きっと彼女も濡れたくないのだろう。なるべく雨がミラにかからないように注意しつつ、僕達は雨の中を歩み始めた。
  28.  一歩一歩、ミラの歩幅に合わせるように、それなりのスピードで僕は歩く。彼女の身体は、等身大とはいえ、同い年であろうと思われる少女と比較しても小さい。当然のことながらその歩くスピードは僕よりも明らかに遅いわけで、注意を怠ると、彼女が辛そうに僕に合わせて歩くことになる。雨というこの状況で、それだけはなんとしてでも避けなければならなかった。
  29. 「……ゆうすけ」不意に、ミラが僕を呼ぶ。何か、スーパーでの買い忘れか何かがあったのだろうか。
  30. 「どうしたの、ミラちゃん」と僕は返す。
  31. 「あのバス停、覚えてる?」と、ミラは、既に薄暗がりとなっている街の一角を指さした。
  32.  そこにはすでに古びてしまっている幌が掛けられた、バス停があった。道はスーパーへ向かう際も通っている為、僕がその存在に気づいていてもおかしくはないはずなのだけど、今の今まで見落としてしまっていた。
  33. 「ええと、なんか、初めて見たような気分だよ」と僕。「おかしいな、こんなところに停留所があるなら、記憶に留めていてそうなものなのだけど」
  34. 僕の返答を聞くと、ミラは少しだけ眉を下げ、「そう」とつぶやいた。
  35. 「やっぱり、覚えてない。仕方がない事なのかもしれないけれど」
  36. 「どういうこと? ミラちゃんには、あれが何か特別な場所だったりするの」
  37. 「あのバス停は、私とゆうすけが、初めて会った場所」
  38. 僕の質問に、ミラはこう答えた。
  39.  
  40.  
  41.  その時も今と同じように、土砂降りの雨だったらしい。たまたま気まぐれに外へ散歩をしに出ていたミラは、天気予報をよく確認していなかったのが裏目に出て、雨雲とばったり鉢合わせ。ほうほうの体で雨宿りをする場所を見つけ、そこに飛び込んだ結果、自分のかばんの中身を漁っていた僕と出会ったという。
  42. 「ちょうど、ベルに借りた猫の耳がついたパーカーを着てた、と思う」とミラは言った。「あまり外にいる人とは関わりたくなかったから、パーカーをかぶって、顔を見せないようにしてた、かな。ゆうすけはその時、かばんから傘を……今持ってる傘を出そうとしてた」そう言い、ミラは水が滴る、折りたたまれた傘を示す。
  43.  雨は依然として振り続けている。僕らはミラの話を聞くために、その舞台であるバス停で雨を避けることにしたのだった。荷物を端に置き、お尻の下に手持ちのハンカチを敷いて、ミラは僕の隣でベンチに座っている。傘で雨を凌いでいたとはいえ、彼女の可愛らしいフリルスカートからは水が滴り落ちていた。キャミソールもしっとりとしている気がして、僕は意識的に彼女の身体から視線を外さざるをえない。
  44. 「そこで私に気づいて……私が、何も雨具を持ってないことを察したみたいで。私に、声をかけてきた……ゆうすけが。『この傘を使うといい』って」
  45. 「僕がそんなことを」
  46. ここまでのミラの話に、僕は全く覚えがなかった。そんな印象的な話であるのなら、頭のなかに残っていないはずがない。
  47. 「誰か、他人と間違えているというわけではなくてかな」
  48. 「ゆうすけで間違いないと思う」ミラは断言した。「辺りは暗かったけど、顔は覚えているし。それに、傘。さっき開くときも、使い慣れてるような手つきだった。きっと身体が覚えてる」
  49. しかし、それならなぜ、僕がそのことを覚えていないのか。
  50. 「多分、あの人のせい」とミラは言った。「私も、あの人が何をどこまでやれるのか、全然わかってないのだけど……私達に関わったとわかった人間の記憶を消すことぐらいは」
  51. 「そんなこともできるのか、ミラちゃん達の親御さんは」
  52. 「わからない。でも、ゆうすけが覚えてないというのは、そういうことなのかも」
  53. ミラは小さく息を吐き、はあっと、呼吸を整えるような仕草をとった。普段一言二言しか喋らない彼女が、ここまで長い話をするというのも珍しい。きっと疲れてしまったのだろう、そう思った。
  54. 「ゆうすけは、私に傘を渡した後、バス停から走り去ってしまって。結局あの時、お礼も言えなかった。だから、同じ場所で、改めてお礼を言いたかった」
  55. 突然ミラは立ち上がり、僕の頭を優しく両手で抱えたかと思うと、こう僕に言った。
  56. 「目を、つぶってもらえる」
  57. 「え、えっと、ミラちゃん」
  58. 「いいから」
  59. 言われるがまま目をつぶると、前髪が彼女の小さな手で避けられたのと同時に、額に湿った、柔らかなものが当っている、そんな感触を覚えた。
  60. 「……ミラちゃん」
  61. 「あ、あの時は、ありがとう、ゆうすけ」
  62. 少しぎこちない感謝の言葉。そんなものを、記憶に無い僕が貰っていいものかどうか、僕は戸惑いが隠せなかった。
  63. 「あの人がゆうすけを私達の保護者として選んだのは、そういうところを見てたから、だと思う」と、ミラは言った。「だから、私の『ありがとう』を受け取ってもらえると、嬉しい」
  64. 「あ、ああ」
  65. 多分、僕はこの時、赤面していた。
  66.  
  67.  
  68.  目をつむっているからか、雨音が止んでいることで、雨雲が通り過ぎたことに気づく。どうやらもう傘をさす必要が無くなったみたいだった。
  69. 「目を、開いてもいいかな」と僕は聞く。
  70. 「……ん」というミラの返事を聞き、僕は目を開いた。空を見上げると、雨雲が通りすぎた後には大きな満月が一つ、黒い布に開いた穴のようにぽっかりと空を穿っている。
  71. 「……帰ろうか」
  72. 「うん」
  73. モヤのような雨雲が晴れた夜空の下を、僕たちは歩く。少し寄り道をしたことで、腹ペコのベルに「おーそーいー!」と怒られるのを覚悟しながら。
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