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- [cover]
- 全能な少女が恋に落ちた---
- フェイトプロトタイプ
- “原型Fate”のスピンオフ小説が開幕!!
- Fate Prototype
- 蒼銀のフラグメンツ
- Little Lady ACT-1
- 原作:TYPE-MOON
- 文:桜井光
- イラスト:中原
- [p025-top]
- 輝くひと---
- 誠実で、誇り高くて。優しくて。
- その笑顔は、まるで、朝の陽差しみたいに柔らかく煌めいて。
- 善を愛し、正義を信じる、優しいあなた。
- 争いを嫌っているのに、ひとたび剣を取れば誰より強い。
- 輝く剣は、世界のあらゆる邪なものを、悪なるものを、はね除ける。
- ---おとぎ話の王子さま。
- 現実に王子さまはいない。
- 探しても意味はない。
- 現実は、もっと、冷ややかで厳しいのだから。
- 私たちはそう言われながら育ってきた。
- 親に、師に。
- もしくは世界そのものに。
- ほら、こんなにも冷たくて、こんなにも厳しい。
- 世界を埋め尽くす色は黒。頑張ってもせいぜいが灰色。
- 王子さまも、白馬も、いない。
- 眩しいくらいの夢と幻《おとぎばなし》なんて何処にも在りはしない。
- でも、私たちは知っていた。
- 王子さまは、きっと、世界のどこかにいるということ。
- そう、私たちは知っていた。
- おとぎ話のような出来事は、世界のどこかに必ず在ると。
- ええ。そう---
- 私たちは知っている。
- 輝き《あなた》が世界に在ることを。
- 運命《あなた》が世界に在ることを。
- [p025-bot]
- 時に離れ、時に触れ合って。いつか、ぴたりと寄り添って。
- 世界の黒を引き裂きながら。
- 蒼と銀を纏って。何より眩しい、光輝く剣を手に。
- ---あなたは、此処に、来てくれる。
- Fate/Prototype
- 蒼銀のフラグメンツ
- 死者は蘇らない。
- なくした物は戻らない。
- いかな奇跡と言えど、
- 変革できるものは今を生きるものに限られる。
- 末世に今一度《ひとたび》の救済を。
- 聖都の再現。
- 王国の受理。
- 徒波の彼方より、七つの道、十の王冠が顕れる。
- 罪深きもの。
- 汝の名は敵対者。
- そのあらましは強欲。
- その言祝ぎは冒涜となって吹きすさぶ。
- 遍く奇跡を礎に。
- 此処に逆説を以て、失われた主の愛を証明せん。
- [dagger]
- [p026-top]
- 聖杯戦争。
- それは、魔術師たちによる願いを賭けた殺し合いだ。
- 天使の階梯を得た七つの魔術師と、七騎のサーヴァント。
- かつて“非業の死”を迎えた英霊たちはサーヴァントという魂の器を得てひとたび現世に蘇り、己がマスターである魔術師と共にひとつの地に集い、人智を超えた苛烈な戦いを繰り広げ、最後の一騎となるまで殺し合う。
- 魔術師、サーヴァント。共に、己が願望を叶えんが為に。
- 時に西暦一九九九年。
- 旧き千年紀《ミレニアム》の終わり。
- 約束された東の果ての地---この東京で、最も新しい聖杯戦争が始まる。
- そして、今---
- わたしの目の前に立つサーヴァント、一騎。
- 蒼色の瞳をした、彼。
- 白銀の鎧を着た、彼。
- 最下位の第七位・権天使ののマスターであるわたしに寄り添い、この聖杯戦争を共に戦うと誓ってくれた、第一位のサーヴァント。
- わたしを守ると言った騎士《あなた》。
- セイバー。
- あの時のわたしには、あまりに背が高いように見えた、あなた。
- 我知らず、わたしは、八年前と同じようにあなたの姿を見つめる。
- 八年前。あの頃、あなたはお姉ちゃんの傍らにいて、きっと、わたしの知らないところで戦っていて。なのに。わたしは、多くのことを知らなかった。
- あなたのことも。
- お父さんのことも。
- 聖杯戦争というものが、具体的に何を意味するのかも。
- お姉ちゃんが、何をしていたのかも。
- お姉ちゃん---
- 愛歌《まなか》お姉ちゃん。
- 誰より輝いていたひと。
- あなたと共に、八年前の聖杯戦争を駆け抜けたひと。
- [p026-bot]
- あの時のわたしはまだ幼くて、いまでは思い出せないことも多いけれど、でも、確かに思い出せることもあって。
- たとえば、そう。
- わたしは、お姉ちゃんのことが、ずっと---
- [dagger]
- 閉めたカーテンの隙間から射す、眩い陽の光。
- 窓のすぐ先にある木々の枝に止まって時を告げる、小鳥たちの声。
- 朝の気配。夜の暗がりと冷たさは嘘のようにどこかへ消えて、眠る直前までは“明日”だったはずの日が“今日”のかたちになってやって来る。
- 「ぅー」
- まだ幾らか重い瞼を擦りながら、柔らかなベッドの中で沙条綾香はぼんやりと目を覚ます。
- 陽の光。小鳥たちの声。
- 爽やかで、心地良いはずの朝の気配は嫌いではないのだけれど。
- 朝の訪れそのものは、あまり、好きになれない。
- (もう、朝なんだ)
- 自分の体温が移って、丁度良いくらいの温かさを保ったベッドの感触の心地良さが好きなことも否定はしない。微睡んだまま、こうして温もりを感じながらごろごろするのは、好きか嫌いで言えば好きの部類。
- (目覚まし、まだ、鳴ってない……)
- 幾らかの期待を掛けながら、毛布に頭までくるまりながら枕元に置いたデジタル式の時計に手を伸ばす。毛布から出た右手にひやりとした空気が触れる。この感覚もどちらかと言えば好きなほう。
- それでも、寒ものは寒い。
- 時計をすぐに毛布の中に引きずりこむ。
- 西暦や日付、曜日まで表示される、そこそこ高級な時計だった。去年の誕生日に買って貰ったもの。もっと可愛いものが欲しかったけれど、父に文句を言う気にはなれなくて、もう一年以上もこの時計を使っている。
- 【1991】
- いつもは意識しない西暦表示へちらりと視線をやってから、時刻を確認。
- 【AM 6:14】
- [p027-top]
- 午前六時十六分。
- 同年代の女の子であれば、きっと、おおkは二度寝を決め込むに違いない時間。けれど、綾香の生活習慣《スタイル》は一般的な小学生女子とは些か違っていたから、デジタル表示を目に、少しだけ困って顔になって、
- 「……ぴったり」
- 呟きながら、目覚まし機能のスイッチをオフにする。
- 目覚ましを設定した時刻は午前六時十五分。
- だから、ぴったり。これ以上はベッドの中にいられない。
- もぞもぞと毛布の中から這い出て。もぞもぞと寝間着《パジャマ》を脱ぐ。
- やはり、朝の空気はまだ冷たい。寒い。昨夜眠る前に学習机の椅子の上に置いた、きちんと折り畳んだ着替えを手に取って、脱ぐ時よりは幾らか早く着替える。
- ひとりで着替えができるようになったのは、いつからだっただろう。
- 少なくとも小学校に上がった時にはできていた。逆に言えば、誰かに着替えさせて貰っていた頃のことを、もう、覚えていない。父にして貰っていたのか、母にして貰っていたのかも、はっきりしない。
- 多分、父ではないと思う。
- 覚えていないのに、不思議とそういう確信だけはあった。
- 「よし」
- 着替えを済ませて、洋服箪笥の脇にある姿見の鏡の前に立つ。
- ちゃんと着替えられている。大丈夫。
- 明るい赤色をしたこの上着は、綾香のお気に入りだった。緑色の釦《ボタン》がちょっとお洒落で可愛いと思う。
- 壁掛けの時計を確認しつつ、櫛で手早く髪を梳く。
- 髪はそう長いほうではないから、すぐに済む。大丈夫。時間《﹅﹅》には間に合う。それでもぎりぎりではあるから、気持ち、急ぐ。
- (……お料理もするなら、もっと早く起きないといけないよね)
- ひとりでの着替えはできるけれど。
- 料理は、まだできない。父に任せきりだった。
- 家のことの多くは、基本的に、父がひとりで行っている。たまにお手伝いさんが来る日もあるものの、入れない部屋《﹅﹅﹅﹅﹅﹅》がそこそこ多い沙条家のお屋敷は、結局のところ父が取り仕切っている。綾香が家事を手伝うのも、父の指示あればこそ。
- 「お父さん、もう起きてるよね」
- 昨夜も遅くまで起きていたはずの父。
- きっと今朝も朝食の用意をひとりでしてくれるはずだけれど、綾香がそれを手伝うことは基本的にない。せいぜいが配膳の準備を手伝うくらい。
- [p027-bot]
- 朝の時間、綾香には他にするべきことがある。
- 定められた日課。
- すなわち---黒魔術の訓練。勉強と、実践。
- 廊下の空気は、部屋の中よりもずっと冷え込んでいた。吐く息も白い。
- 両手を息で温めつつ、洗面所へ。綾香用にと父が作ってくれた昇り台を置いて、その上に立って、空気なんて気にならなくなるほどの冷たさの水で顔を洗う。
- 朝特有のふわりとした感覚が瞬時に消える。
- 微睡みの名残もどこかへ行って、意識がはっきりする。
- 自分用のタオルで顔の水気を拭って、うん、と頷く。鏡を見ると、前髪がだいぶ濡れてしまっていて、ピンで留めておけば良かったと今更ながらに思う。鏡の向こうの自分が、困ったような顔になる。
- 「へんな顔しないの、綾香」
- 再度、うんと頷いて。廊下へ戻る。
- そうして、ようやく気付いたことがひとつ。
- 「あれ?」
- なんだかいい匂いがする?
- 近所の、どこかの家の朝食だろうか。ベーコンと卵の匂いなら毎朝の沙条家の献立として不思議ではないものの、漂っているのは、ベーコンの匂いもあるような気がするものの、もっと別の料理の匂いでもあるような。料理には詳しくないし、勉強もしていないのでさっぱりわからない。
- なんだろう、と意識の片隅で思いつつ、廊下をまっすぐ進んで。
- 突き当たりまで歩いて、曲がって。
- 綾香はガーデン《﹅﹅﹅﹅》へ向かう。
- 洗面所から出て、廊下をずっと歩いた先にある扉を開けて、外へ出る。更に渡り廊下を進んで、その突き当たりのガラス戸を開けて。ようやく、到着。綾香の家は大きいね、とクラスメイトに言われても、ずっと住んでいる家のことであるせいか、ぴんと来ないことが多いものの、こうしてガーデンに来る時だけはそう感じる。
- 大きいというか、広い、というか。
- でも、嫌ではなかった。
- 歩く距離、長いなと感じても。
- [p028-top]
- 日課への気の重さを感じても。
- ここに来ることそのものは、嫌ではなかった。
- ---庭でも、庭園でもなくて。
- ---ガーデン。
- 繁茂した緑の木々。花。何十種類もの植物。それに、何羽もの鳩。
- 綾香の姿を見つめrと、何羽かまっすぐに飛んできて、足下に群がってくる。
- 家の庭というには植物が多い気がするし、庭園と呼んでしまうほど大げさなものではない気がするから、やはり、ガーデンと呼ぶのが合っていると綾香は思う。
- ずっとまえに「なぜガーデンと呼ぶのと尋ねたことがあるけれど、父は特に何も返答しなかった。曖昧に頷いただけで。だから、綾香は勝手にこう考えることにした。ここをガーデンと名付けたのは父ではないのだ、と。
- きっと、母が名付けたのだ。と。
- 正確に分類するなら、きっと、温室。
- ガラス製の壁や天井は、今も朝の陽光をたっぷりと採り入れている。
- 酸性雨への対策が大事ですからとか、お父さんは偉いとか、家庭訪問の時に学校の先生が言っていたものの、本当にそういう理由なのかはわからない。そもそも、ガーデンを作ったのが父なのかどうかも。
- 「おはようございます」
- おはよう、ではなく、おはようございます。
- すり寄ってくる鳩へ意識を向けないようにしながら、ガラス製ではない壁面、木製の壁で形作られた専用《﹅﹅》の場所へ声を掛ける。陽光を浴びせないほうがいい薬瓶や本の山があるあたり。父の研究室のような場所であり、綾香の朝の勉強場所《﹅﹅﹅﹅》でもあるところ。
- けれど---
- 「あれ?」
- 首を傾げてしまう。
- いつも、この時間、父はここにいるはずなのに。
- 午前六時半から七時半まで、朝食前の一時間、父から黒魔術を学ぶ。
- それが綾香の朝の日課。
- なのに、そこには誰もいない。
- 「お父さん」
- そこにいないだけで、ガーデンのどこかにはいるのかも知れない。そっと、呼びかけてみる。一秒、二秒、待ってみる。
- それでも返答はない。
- [p028-bot]
- 代わりに足下で鳩が何匹が喉を鳴らすだけ。
- 「あなたたちじゃなくて……」
- 考えてみる。今日は父が黒魔術の勉強を見ない日、だったろうか。
- それでもやること、やるべきことは変わらないのだけれど。日課である訓練は、同時に父からの言いつけでもあって、何もしなくてもいい朝というのは基本的に存在しない。
- 事前に言われたことを忘れてしまって怒られることは、少なくもない。だから、もしかしたら昨晩、今朝のことについて言われていたのかも知れない。
- そういえば---
- 「何か……」
- ---これから。
- 「始まるん、だっけ」
- ---始まるのだ。
- 「それで」
- ---我々はそれに参加せねばならない。
- 「えっと……」
- ---沙条の家の悲願。
- ---否、それは、我々魔術師の大願を成すために必要なことだ。
- 「鳩には声を掛けるなと、以前も言ったぞ。綾香」
- 聞き慣れた声。
- すぐに、声のした方向へと振り返る。
- ガーデンの出入り口のガラス扉のすぐ近くに、背の高い、父の姿があった。煌めく陽光のせいで、顔には陰が落ちていて、見上げる綾香からは表情がわからない。
- 「お父さん」
- 「生贄には声を掛けるな。言葉を掛けるな。我々は決して生贄に共感してはならない。共感は躊躇いを導いて黒魔術師を迷わせる。幾度も言い聞かせたな」
- [p029-top]
- 「……はい」
- 俯きながら綾香は頷く。
- 流石に、何度も言われたことは覚えている。だから意識しないようにしていたのに、つい、足下の鳩に声を掛けてしまった。
- 今もこうして懐いてくる鳩たち。
- ガーデンに入ったときは数羽だったのが、もう、十羽近く集っている。
- 「鳩と人間は言葉を交わせないし、交わさない。本来は共感を得られるものではないが、幼いお前はすぐにでも感じてしまうだろう」
- 「……」
- 「これはお前のためだ。綾香」
- 何度も言われたこと。
- 毎朝言われていることを、また、言われてしまう。
- 綾香自身、父の期待には応えたいと思う。
- けれど、こうして懐かれてしまうと、どうしても---
- 父に指示された通りにする《﹅﹅》ことに、抵抗を感じてしまうのも事実だった。
- 「黒魔術と生贄は切り離すことができない。生贄の苦痛は黒魔術の力の源だ」
- これも、何度も言われていることだ。
- 毎朝、聞かれていること。忘れがちな綾香とは言え、流石に忘れたりしない。
- 「がんばり、ます」
- 小さく呟く。俯いていた顔を上げるのは、無理だったものの。俯いたままの視線の先には、外履き《サンダル》の先端をついばむ白い鳩の姿があった。
- 「いや。今朝は構わん。もう食堂へ行け」
- 「え」
- ---え?
- 何を言われたのかわからなかった。
- 毎朝、食事の時間までは絶対にガーデンから出してくれないのに。
- やっと綾香は顔を上げる。
- 父は、こちらを向いていなかった。視線は母屋のほうへ向いて。どこを見ているのか、一瞬、わからなかった。方向からすると、多分、食堂《ダイニング》のほう---
- 「朝食だ。今朝は、愛歌に付き合ってやってくれ」
- ひとりで来た廊下を、ふたりで戻る。
- なぜ、と綾香は言わなかった。
- 父の言いつけは絶対だから、うん、と言って頷いただけ。返事は「はい」だ、と叱られたことは気にならなかった。言わなかっただけで、なぜ、という疑問はぐるぐると大きな渦になって綾香の頭の中に広がっていた。
- [p029-bot]
- 「……」
- じっと、少し先を歩く父の背中を見上げて、見つめる。
- どういうことか言ってくれるだろうか。
- 言わないままなのだろうか。
- あまり、魔術のこと以外は語らないひと、という印象が父にはあった。
- たとえば、母のことを尋ねても答えてくれない。ガーデンの由来についても。
- なのに---
- 「愛歌がな」
- 父は、珍しく口を開いていた。
- こちらへは振り返らずに。
- 「朝食をな。悪いが、付き合ってやってくれ」
- 「お姉ちゃん?」
- 「私よりも、お前のほうがいいだろう」
- 「?」
- 父の言っている意味が、よく、わからない。
- 朝食の時間はいつも父と姉、そして綾香の家族三人で過ごしていて、だから、食堂に姉がいるというのは不思議なことではなかった。けれど、時間が早すぎると思う。多分、まだ午前六時半を過ぎてすぐのはず。
- 「お姉ちゃん、おなか減ったの?」
- 言いながら、それは何かおかしいと綾香は思う。
- 姉---
- 綾香の六歳上の姉である、沙条愛歌。
- 姉の存在は、綾香にとって特別なものだった。
- 食事の時間を早めて欲しいとか、そんな“普通の子”が言うようなことを、姉が言うとは思えない。言わない。絶対に言わないだろうという、確認さえ胸の中にはあった。
- だから、父の言葉の意味がわからない。
- 「料理をしたいんだそうだ」
- 「お料理?」
- 何度か、姉が料理をするのは見たことがあった。
- ただしそれは、父が忙しすぎて時間が取れなかった時だけで、自分から進んでした、ということではなかった。けれど、今の父の口振りは、姉が自分から望んで、進んでそうしたいと告げた、とでも言うようで。
- [p030-top]
- 「お姉ちゃんが言ったの?」
- 「そうだ」
- 「そうなんだ」
- 素直に、綾香は頷く。
- なぜだろうと不思議には思ったものの、姉がそう言ったからには、きっと。
- 完璧に料理をしてみせるんだろう、と、自然にそう思えた。
- [dagger]
- お姉ちゃんは、すごいひとだから。
- 可愛くて、ううん綺麗で、頭もよくて、何でもできるひと。
- 「綾香、お皿取ってくれる?トーストもね?」
- 「うん。お姉ちゃん」
- 「あ、そうじゃないわ。ベーコンと目玉焼きのお皿だから小さいほうね。ほら、あなたが前に割っちゃったほう。あとね、トーストは厚いのじゃなくて薄く切ったほう」
- 「あっ、う、うん---」
- ほら、今だってそう。
- キッチンの中で、てきぱき。でも、とても優雅に。
- お父さんのかわりにお姉ちゃんがキッチンへ立つことは何度かあったけお、今とは違って、必要だから用意するっていう感じだった。効率良く、手際よく。
- こんな風に、今みたいに---まるでコックさんみたいにてきぱきとした感じじゃなかったし、お話の中に出てくる“お母さん”みたいに綺麗だなっていう感じでもなかった。
- 前の時とはぜんぜん違う。
- あの時もすごかったけど、何だろう。
- 同じすごいという言葉でも、意味っていうか……。
- 性質?そういうものが違うと思う。
- 献立の数も、ほら。
- 前の時は、ベーコンエッグにトーストに、サラダに、ミルク。
- [p030-bot]
- 今は、ベーコンエッグにトーストに、サラダに、ミルクに、キドニーパイに、鱈の切り身とポテトを揚げたものに、チーズとハム、ポリッジとスコーンに、紅茶、それから、デザートには桃を切ったものとプラム。
- 食べきれないくらい、たくさん!
- どれもこれも手早く、お姉ちゃんは正確に作っていく。
- キッチンナイフを手にした真っ白い指先さえ、見てるだけで溜息が出そう。
- わたしと、歳、六つしか違わないのに。
- どうしてこんなにこのひとは綺麗なんだろう。
- 小学校にも可愛い子はいるけど、でも違う、お姉ちゃんとは---
- 「ありがと、綾香。ふふ、どうしたのぽかんとして」
- 「ううん……」お姉ちゃんが綺麗だから、とはなぜだか言えなくて。
- 「そう?」
- 綺麗な、愛歌お姉ちゃん。
- キッチンは城の広いホールの一部で、お姉ちゃんはそこでくるくる踊るお姫さまみたい。
- たくさん、たくさんお料理をして、何だか嬉しそう。楽しそう。
- お母さんの顔はおぼえていないけど、きっと、生きていた頃のお母さんはこんな風だったのかなって思う。
- 窓から差し込む陽の光で、きらきら。
- お姉ちゃん、ほんとに綺麗。
- 今までそうだったけど、なんだろう。
- 今朝は特に。
- 綺麗で、眩しくて。
- 「イギリスのひとはね、鱈が好きって本に書いてあったの」
- ブリテンのひともそうだとは限らないのだけど---
- そう言うと、お姉ちゃんは、朝陽を浴びながら柔らかく微笑んで。
- やっぱり、綺麗。
- 笑った顔は何より綺麗で、どんな絵本やお人形のお姫さまよりも可愛い。
- こんなに嬉しそうなお姉ちゃんの顔を見るの、いつぶりなのかな。
- 何でもできるひと。お姉ちゃん。
- [p031]
- [illustration]
- [p032-top]
- お勉強も、黒魔術も、なんでもできて、算数のドリルも黒魔術の訓練も、あれもこれもうまくできないわたしとは違って、本当に。何でもできる。
- 何でも、そう。
- 鳩だって。
- 猫だって。
- わたしみたいに、立ちすくんだりしない。
- 何でもできるお姉ちゃんは、「できたから嬉しい」とか「やってみて楽しい」っていうことは、多分、ないのかなって思った。
- でも違ったみたい。
- ほら、お姉ちゃん、こんなに楽しそう。笑ってる。綺麗---
- 「ねえ。味見してくれる、綾香?」
- 「う、うん。いいの?」
- 「いいのよ。ほら、あーんしなさい」
- 言われるまま唇を開けて、白くて細い指につつまれたフライドフィッシュをひとかけ、ぱくり。油のお料理ってあんまり好きじゃないけど、でも。
- 「どう?」
- 「おいしい……」
- 本当においしい。
- 油もののお料理、あんまり好きじゃないのに。
- さくっとして、ふわっとして、ぜんぜん油っぽい感じがしない。おいしい。
- 「サワークリームのおまじないが効いたみたいね。よし、綾香が大丈夫なら♪」
- 「おまじない?」
- 「お料理をおいしくする、秘密のおまじない。魔術よりすごいのよ」
- テーブルで、コーヒーを飲んでいたお父さんがむせて、喉をするのが聞こえる。
- お姉ちゃんやわたしが声を掛ける前に、「何でもない」とお父さん。
- 多分、お父さんはびっくりしたのだと思う。お姉ちゃんの言葉に。
- 魔術。お呪い。
- わたしだって覚えてる。
- だって、魔術っていうものは、本当にあるもので。
- わたしたちの---
- [p032-bot]
- 「えっと、魔術よりもすごいのって、えっと……」
- 「なあに?」
- 「お父さん、言ってたよ。魔術よりすごいものは、ひとつしかないって」
- 「そうね。だから、それを使ったの」
- お姉ちゃん。
- 当然のことなのに、何を言ってるのかしら。
- そういう顔だった。
- きらきら、朝の輝きを浴びながら。
- 桜の花びらとおなじ色をした唇から聞こえる声。
- まるで、本当に、それは---
- 「恋の魔法をね」
- 本物の魔法《﹅﹅》みたい。
- わたしは、それがどんなものか知らないのに、そう思って。
- 「恋?」
- 「ふふ。綾香には、まだ、わからないのかしら。恋の魔法っていうのはね」
- そう言って---
- お姉ちゃんはわたしを見て囁く。
- まるで、わたしの向こうにいる誰かに話し掛けるみたいに。
- 「魔術師の使う、どんな神秘よりもすごいのよ」
- (つづく)
- [p033]
- [illustration]
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