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Guest User

Hillary Hiroshima

a guest
Aug 7th, 2014
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  1. 6日に69回目の「原爆の日」を迎える広島。被爆者の平均年齢は80歳に迫る。史上最も重要とも言われる記憶は継承されてゆくのか。曽祖父を広島原爆で亡くしたAKB48の平田梨奈さん(16)と爆心地付近を訪ね、考えた。
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  5.  「怖い、怖い、怖い……」。ぼろぼろの衣装、髪の毛は熱でちりちり。皮膚がただれて垂れ下がり、幽霊のように両腕を突き出してがれきの中をさまよう母子。広島市中区の平和記念資料館に展示されている3体の人形の前で、平田さんは震えた。
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  7.  実は、この人形は、「現実はもっともっとひどかった」という意見と「子どもには刺激が強すぎる」という意見の両方があり、来年の改修で撤去される予定だ。「これよりひどかった、というのが本当なんでしょうね。でも、確かに、怖すぎて真っすぐ見るのはつらい。撤去してほしいという気持ちも分かります」
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  9.  どの国が何発の核弾頭を保有しているかを示す「核の地球儀」、黒い雨の痕跡が残る壁など、一つひとつの展示場所で立ち止まり、息をのんだ。きのこ雲の写真を前にすると「世界に穴をあけたみたい……」と、寂しそうな顔でつぶやいた。
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  11.  見学後、館内に置かれている対話ノートに、「ひいじいちゃん、会いたかった! I wish for world peace.」と書き込んだ。
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  13.  曽祖父は海外の戦地で負傷し、原爆が落とされた時は自宅のあった広島で療養中だった。曽祖母は、娘(平田さんの祖母)を連れて偶然、福岡の実家に戻っており、無事だった。2年前に他界した曽祖母から「ひいじいちゃんは、心が強くて優しい人だったのよ」ときかされた。祖母は毎年8月6日の朝、「きょうは原爆の日。忘れないで」と電話をかけてきてくれる。
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  17.  平田さんが生まれたのは、悲しい歴史が刻まれた時から53年後。アメリカ人の父と日本人の母を持ち、アリゾナ州で生まれ育った。曽祖父を殺した原爆を投下したアメリカは、大好きな父と弟が今も住む故郷だ。
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  19.  3年前、AKB48の研究生に合格し、母と2人で日本に住んで夢を追い始めた。まだ英語の方が得意だ。平和記念資料館を出た後、平和記念公園の原爆慰霊碑に手を合わせ、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に移動。英語で被爆体験を伝えたり、原爆の資料を翻訳したりする活動を続けている市民団体「平和のためのヒロシマ通訳者グループ(HIP)」の代表、小倉桂子さん(77)と面会し、外国人留学生たちと一緒に被爆体験に耳を傾けた。
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  21.  小倉さんは8歳の時、爆心地から2・4キロで被爆した。自宅の周りで目にした、たくさんの死体、やけどの皮膚に群がるハエの様子などを、生々しく語った。「戦後、広島に食料や衣料を送るなど、アメリカが助けてくれたことも忘れない。投下を指示した人には怒りがあるが、他の人たちについては、そうではない」。平田さんの目に、うっすらと涙が浮かんでいた。
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  25.  世界遺産の原爆ドームは鉄骨がひしゃげ、れんがが飛散しており、今も原爆の熱線と爆風の傷痕が残る。すぐ横を流れる元安川を見つめた平田さんは、「この川に多くの人が飛び込み、亡くなったんですよね」。
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  27.  当初の取材予定を終えた後、「爆心地に行ってみたい」と言い出した。原爆ドームから南東へ約150メートル。島外科内科の前に立つモニュメントに向き合い、手を合わせた。曽祖父が亡くなった場所については、爆心地のすぐ近く、としか分かっていない。「だから来たかった。ひいじいちゃんを、近くに感じるような気がします」
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  29.  (文・後藤洋平 写真・青山芳久)
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  31.  ■平田の目 被害の実態、いつか父と語りたい
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  33.  小学4年生の頃、母と一時帰国して、祖母の住む福岡の小学校に短期間通っていたことがあります。その時の授業で「アメリカが原爆を落とした」と先生が言った時、クラスのみんなが一斉に私を見ました。「お前のせいだ」と言われているようで、視線が痛かった。同じ頃、アメリカの学校では、「原爆投下は戦争を早く終わらせるためだった」と教わっていたのです。
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  35.  今回、広島で被爆者の小倉さんのお話をきけて、本当によかった。小倉さんの言う通り、きのこ雲の写真や映像での原爆は世界中の人が知っているけれど、その下で、人々がどんな目に遭ったのかを知る人は少ないと思います。
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  37.  教科書で習うことと、実際にここに来て、見て感じることは全く違いました。黒い雨が流れた壁の跡、吹き飛んだドームのれんが、「ここで、たくさんの人が死んだんだ」と考えさせられる風景が、広島には、いっぱいあります。
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  39.  戦争は嫌。核兵器も全て無くなって欲しい。平和は、世界の国々が、お互いのスタンスを否定せず、認め合うことから始まるのではないでしょうか。たくさんの人に、広島に来てほしい。資料館で原爆被害の実態を見て、被爆者の話に耳を傾けてほしい。
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  41.  ハーフの私にとって、アメリカを悪く言われることはつらいけど、原爆投下は私が生まれるずっと前の話。アメリカ人の私のパパも日本のことが大好きで、広島に来たこともあるんです。いつかパパとも、広島について語りたい。一人ずつがそうすることで、これから先も語り継がれていくのではないでしょうか。
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  45.  ひらた・りな 1998年生まれ。2011年のオーディションに合格。AKB48チームBのメンバー。海外公演で通訳も務めた。
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  47.  ◆キーワード
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  49.  <原爆> 広島では1945年8月6日午前8時15分、アメリカによって史上初めて核兵器が実戦で使用された。長崎では、その3日後の9日午前11時2分に投下された。同年末までに広島では約14万人が、長崎では約7万4千人が死亡したとされる。
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  51.  国は被爆者援護法で、原爆に遭った人たちを「被爆者」と定めて被爆者健康手帳を支給している。所持者はピーク時の1981年3月末で37万2264人だったが、今年3月末の時点では19万2719人まで減少。平均年齢は79・44歳となっている。
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  53.  ◇「ニュースの扉」は月曜日に掲載します。次回は18日で、「魔夜峰央さんと見るバルナ国際バレエコンクール」の予定です。
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  55.  〈+d〉デジタル版に動画
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