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Feb 6th, 2016
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  1. 残念なことに、あらゆる価値は相対的なものである。
  2. 相対的とは、分割・交換が可能という意味である。あるものに対して私が評価をするとき、そのもの自体、全体についての評価をすることは少ない。
  3. 例を見てみよう。
  4. 山の頂上で景色を見て綺麗だと思う。これは一つの価値である。しかし、その価値はあなたが日本にいる必要があって出てきたものではない。
  5. あなたの目に入ったその景色は、すべて神経のシグナルにまで還元できる。結果、同じ結果を得るためには例えばまったく同じ景色のある中国の山奥でもよかったことになる。
  6. 冬に厚い服を着て暖かいと思う。これは一つの価値である。しかしその暖かさという属性は何から生じたのか?それを得るためにあなたが今着ている原子のひとつひとつがそこにある必要があるのか?その羽がガチョウを殺して取られたものだとしたら、そのガチョウが殺される必然性はあったのか?
  7. もちろんそんなものはない。あなたが最終的に手にした暖かさ、あるいは寒さからの逃避という価値は別の経路で実現しえたものだ。あなたはそれを量販店の特売日にたまたま出くわして買ったのかもしれないが、薄汚い古着屋で羊毛のセーターを買って同じように感じることができた。
  8.  
  9. 人間に関してはもっと方法が抽象的になる。ある会話がなされて、それによってあなたが何かを得たといえるとき、その会話をする相手はもちろん彼でなくてもよかったはずだ。
  10. ある関係に価値を置き、それを育むとして、その相手が例えばセルビア人でないことが、あなたにとってどれほどの意味を持つのか?
  11. 極めて残酷な文がこうして宣言される。つまりは「あなた以外の誰でもよかった」と。
  12.  
  13. この女を愛していると男が言う。その女の欠点は少しばかり低すぎる鼻だったとしよう。男はその鼻を愛せなくてもその他をほとんど愛していたとしよう。こういうことはいつどこでも、お互いが完全であることを承認できない二人の間で常に起こるものだ。
  14. その女の記憶と意識、肉体をすべて引き継いで、かつ鼻が少しばかり男の好みにあったような女が現れたとして、もとの女とどちらか一人を選ぶことになったら、それでも男は鼻の低い女を選ぶのか?あるいは鼻だけでなく今まで不満に思ったすべての点において男の好みにあったような女の差し出した選択を男はどう解釈するのか?
  15.  
  16. ある男はこの理想の女ともとの女の間に順序を考えたくなるだろう。そうして、もっと順序の高い女の方がいいというだろう。それは自然な反応だ。良いものは良く悪いものは悪いからである。
  17. ではそれが他人であったらどうだろうか?より魅力的な他人で、理想の容姿と内面を蓄えた女があなたに選択を迫るとき、あなたは単純に魅力的な他人を選びはしないだろう。
  18. なぜなら人間関係の経験や思い出はすべて価値のある財産だからだ。他人との交友を作り直すコストは無視できないからだ。
  19. しかし我々の考えている世界は理想化された世界で、その記憶や思い出、経験さえも移し替えることができるとしよう。まったく記憶を移動できないのなら赤の他人だが、全部の記憶を移動すれば改良された本人になる。
  20. あなたはしかし、ここで「すべてが本当に必要だろうか?」と問わずにはいられないはずだ。あらゆる記憶があった方が良かったか?不仲のときに発せられた表面的な呪詛の一字一句まで?
  21. だからあなたはその女の記憶の都合のいい部分だけを取り出してくることになるだろう。そして可能な宇宙の時間をすべてその選別作業に費やして、理想的なものを作り上げるだろう。
  22. そうして作り上げられた理想の銅像と、もとの不格好で不愉快な女を比べてごらん!あなたはおそらくその醜さに怯えるだろう。しかし、あなたが醜いと怯えたその女は今まさにあなたが愛してるとささやいた相手でもあるのだ。
  23.  
  24. だから正直者はこう言うしかない。あなたは世界で私に取って最高たりうる女なんかじゃない、と。賢いものはそれを必死に隠すだろう。生産的なものはそれを直すように助言するだろう。しかしそれでも事実は変わらない。あなたはすべてに満足することは不可能で、それも相手に根本的な問題の原因があるのだという事実、価値が相対的で交換可能なものしかあなたには観測できないという事実は。
  25. このような言葉を切り出さずに生ぬるい文章で愛を語る連中がいる。連中が自らの意味していることをよくわかっていない場合、それは微笑ましいものだが、それは参加者誰もがガラス瓶の中の蟻を見つめているのと変わらない。相手は対象であり、自己無き愛である。それはつまるところ観察である。
  26.  
  27. 観察でない愛は不可能か?このことを了解しあっている二人が互いを愛するために、どのような専制的で恐ろしい正当化が、交換という悪魔の思想に打ち勝てるのか?
  28.  
  29. ここに一つの提案がある。
  30. 確かに欠陥のない女がいたらそれにこしたことはないし、そいつをとるかもしれない。別に今私の目の前で話を聞いているあなたはスズキさんじゃなくてサトウさんでいいのかもしれない。しかしそれは、ディオゲネスのような極端な、しかしもっとも現実的な解釈によれば不可能だ。あなたはスズキさんであり、なぜサトウさんでないのか示す必要はまったくない。
  31. というのも当たり前のことだが、ここにある以上のものは存在しないからだ。
  32. 単純に当たり前と言ってもよく考えればこれは不思議なことである。なぜなら、確かにあなたがスズキさんでなくサトウさんでもいいのに、ここに座っているのは間違いなくスズキさんだからだ。これは奇妙なことで、あらゆる理屈をこね回して過去のある時点からの粒子の移動傾向のもっともらしさを算出しスズキさんである確率のほうが高そうだと述べても、まだ納得がいかない。
  33. 私の観測する対象として、二つの電子があって、それらがぶつかって見えなくなったと思ったら二つに分かれて飛んでいった。私はその意味を考えることもできるが、単純にそれらはどちらでもよく、ただどちらかであるだろうということだけがわかるにすぎない。そして、必ずどちらかではあるのだ。
  34. なぜかは分からないが観測の結果としてあなたは確かに目の前にいて、それが誰でもありえるのに、いまあなたは私の知っているひとりでしかありえない。あなたは今この短い観測という過程を通してしか私と関われないはかない存在で、次に何がおきるのか誰にも分からない。けれど今この瞬間あなたが私の知るあなたでありえ、しかもそれ以外の可能性はないということは端的に偉大な事実である。
  35.  
  36. それは幾分宗教的だが、絶対的な価値を認めることとは違う。自分の見たものだけを認めて生きる真摯な方法論である。そこにはいかなる残酷な仮定も、夢想の快楽も存在できない。
  37. ただそうであるべきものはそうであるという強い肯定は愛を納得させるに十分ではないのか?
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